2018年12月27日木曜日

『心身症の治し方がわかる本』 岩崎靖雄


二十代の前半から現在に至るまで十二指腸潰瘍を患っています
そのあいだずっとではないですが相当な腹痛がした時もありました
薬を飲んで治ったり、何もしないで治ったりしました。
治っても再発するので、この病気とは一生付き合わなければならないものと思ってました

先月何かのきっかけで自律神経と腹痛の関係について知りました
ストレスによって自律神経が乱れて腹痛につながる自律神経失調症です
これへの対処法として食事方法、睡眠、休養の改善があげられていました
これらを実践するとかなり腹痛が軽快しました

自分は自律神経失調症なのだと思いました
その自律神経失調症についてさらに調べようと図書館で本を探しました
そこで出会ったのがこの本です

まず心身症の医学的な定義はつぎのとおりです

身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、
気質的ないし機能的障害が認められる病態

ひらたく言うと、心身症は心の問題が原因でおこる体の不快な症状や病気のことです
精神面での症状が目立たないため一見するとからだの病気と誤解されがちです
原因は心にあるため、心の問題を解決をしないと治療を受けても思うように回復しません

心身症は病気の原因や経過に心の問題の影響をおおきく受けている様々な病気の総称です
心身症にはなりやすい性格の人がいます
そのひとつに「人の言葉や評価が気になるタイプ」があります

「表面的には独立的、でも本当はもっと評価されたい」
「気になるタイプ」の人は、いつもきちんとしていなければ気がすみません
自分の意見よりも周囲の都合や意見を優先させてしまいます
仕事や人づき合いのためなら自分を犠牲にしてもしかたがないと思っています
物静かで慎ましい「しっかり者タイプ」に似たところがあります
「完璧主義者タイプ」とも共通の性質を持っています
一見、活動的で野心家のように評価されています
実際には人の目が気になり、批判されたり嫌われることを恐れ八方美人になってしまいます

無意識の部分では、愛されたい、かまってもらいたいという欲求が強いとも言われています

自分が満足するよりも、他人や世間がどう見るかのほうを重要視します
いつも自分が十分に評価されていないように感じています
もっとよく思われたいために無理に状況に合わせる言動をとったりします

「24時間続く不安や緊張が潰瘍をおこす」
このような性格は「潰瘍性格」とも言われます
心身症として胃潰瘍や胃炎のような病気が起こりやすい性格と言われています
自律神経のうち交感神経は活動時に、副交感神経は内臓や器官を休ませる時に働きます
このタイプの人はいつも不安や緊張を感じながら生活しています
そのため交感神経と副交感神経の両方の興奮が強くなります
交感神経の興奮は胃壁の血管を収縮させ、胃粘膜の修復能力がおとろえます
その状態で副交感神経が興奮すると、胃液などの分泌が増えます
すると胃液が胃壁を傷つけ炎症や潰瘍をおこします
薬の服用で症状を改善することができます
しかしストレスを根本的に解消しなければ再発してしまいます

「ライフスタイルの改善と食事のとり方に注意する」
ストレスが原因の胃潰瘍や胃炎はライフスタイルを見直すことで根本治療できます
私生活では仕事のことを考えないようにします
熱中できる趣味を見つけて、無心になる時間を作るように心がけます
胃の不調は、食事との関係が密接です
ランチは職場から離れてとるとか、考えごとをせずに食事を楽しむようにします
打ち合わせをしながらの食事や、興奮状態での食事は厳禁です
食後には十分な休憩をとって、胃腸がスムーズに働くように工夫します

こうして読んでくると自分は心身症で十二指腸潰瘍なのだということがよく分かりました

それにしても「潰瘍性格」というネーミングは悲しいです
たとえば同じ音で「海洋性格」なら、おおらかで好ましそうな性格がイメージできます
「潰瘍性格」は画数多すぎで、いかにも面倒くさそうな性格の感じがします
わたしの性格をぴったりと言い当てられている気がします

性格が分かって良かったですよ
このうえは性格をばっちり意識して目的達成のために行動していきます!

2018年12月17日月曜日

利根川の鮭の遡上


利根大堰 from wiki

今日は七十二候の「鱖魚群(鮭の魚群がる)」です

川越から北に40㎞ほど行ったところに利根川が流れています
利根川は関東平野を流れる最も大きな川です

この川の中流に利根大堰という取水堰があります
そこまで川越からロードバイクで片道2時間ほどです
毎秋のようにそこへ日帰りでバイクツーリングします
遡上する鮭を見るためです

堰の魚道の側面にガラス窓が設けられています
運が良ければ四苦八苦して流れを遡っていく鮭の姿をそこから見ることができます
今年遡上数が最も多かった日は11月7日で315匹でした
10月からの累計の遡上数は4068匹(12月13日現在)です

12月になるとめっきり遡上する鮭の数が減ります
そして毎年七十二候の「鱖魚群」の頃には、ここでの鮭の群がりは終わります

2018年11月4日日曜日

『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』 坂口恭平


先月「ピダハン」という現代文明に依存しないアマゾンの人々についての本を読みました
かれらが物をほとんど所有することなく幸せな暮らしを営んでいる様子が書かれてました
日本から見れば地球の裏側の人里離れた森林の中でのピダハンの生活に共感しました

「ピダハン」の著者ダニエル・エヴェレットはつぎのように書いています

「ピダハンにとって、そしてそれはわたしたち全員にとっても同じだが、知識とは、経験が文化と個々人の精神を鏡にして解釈されるものだ」

このことを自分自身の経験にひきつけて考え、わたしは深く納得しました

今回読んだこの比較的長いタイトルの本に書いてあることは興味深いことでした
第一に東京という大都会にも「ピダハン」のようにして暮らしている人々がいることです

ピダハンはアマゾンの森の中で幸せに生きていくための知恵を身につけています
かれらは生きていくうえで必要のない物や考えにはほとんど関心がありません

坂口はこの本の中でつぎのように言っています

「自分の身体を使って体験を重ねると、必要な技術はいくらでも進歩するのが、人間というものだ」

これは坂口が東京で都市型狩猟採集生活をしている人々から学んだことです
これが「ピダハン」の人々やわたしたちにもぴったりあてはまっているのです
つまりこれは誰にとっても普遍的なことなのです。

「その生活は、資本主義とは異なる、別の経済観念によって成立している。つまり、自分にはどれぐらいのエネルギーが必要なのかを把握し、その分だけを自らの手で手に入れるという考え方である。そこには過剰も不足もない」

これもまさにピダハンの人々のことを言ったこととして理解できます。
最後にダメ押し的に坂口が言っていることを見てみましょう

「あらゆる経済、企業がじつは幻のようなものであり、そこには安定などないことが、少しずつ明らかになってきた。そんな時代だからこそ、人間にとって本当に必要なものは何か、どんな知識を持つべきか、どんな道具を獲得すべきかを真剣に考えていくことが重要である」

この考え方は今を生きる誰にとっても大切なことだと思います。
 


2018年10月9日火曜日

『ピダハン』 ダニエル・エヴェレット


ピダハンの文化にやっぱりそうなのかと共感を覚えました
この6月にフランスを自転車旅行した際にオヤッと思ったことが何回かありました
自転車道の標識がうまく目に入らなかったことが何度もありました
一緒に旅したフランス人にはそれが苦も無く見つけられたのです
それがなぜなのか分かりませんでした
この本を読んでこれがその理由なのかと思いました

「わたしたちは、自分たちの文化のタペストリーを織りなす、さまざまな仮定を前提としてしゃべっている。たとえば友人がわたしに、交差点で左に曲がれ、と言ったとする。友人は、『白い線のところで止まって信号が青になるまで待つこと』とわざわざ付け加えることはない。わたしが自分たちの文化の一員であることを承知しているからだ。同様に、ピダハンの父親が息子に、川で魚を射るように指示する場合、何時間もカヌーに座ってじっとしていろとか、光の屈折があるから上から見て魚の少し下あたりを狙うんだぞ、などと事細かに注意を与えたりはしない。じっと待つことも、屈折を修正することも、文化的に伝わる知恵で、ピダハンたちに代々暗黙のうちに伝わっているものだから、あえて口に出すまでもないのだ。
 ピダハンにとって、そしてそれはわたしたち全員にとっても同じだが、知識とは、経験が文化と個々人の精神を鏡にして解釈されるものだ。」

わたしが旅に出るのは自分の目で世の中を見たいからです
目にしたことを考え、必要であればそのことを書いたり話したりして人に伝えたいのです
この点でもピダハンの文化に類似点を見つけてすこし驚きました。
ピダハンは自分が実際に目にしたものしか信じないのです

「何がわたしの使命を難しくしているのか、わたしにも少しずつ明らかになりかけていた。キリスト教の信仰についてはおおむね正しく伝えられていた。私の話に耳を傾けた者たちは、ヒソー(イエス)という名の男がいて、彼はほかの者たちに、自分が言ったとおりにふるまわせたがっていると理解していた。
 次にピダハンが訊いてくるのは、『おい、ダン。イエスはどんな容貌だ?おれたちのように肌が黒いのか、おまえたちのように白いのか」
 わたしは答える。『いや実際に見たことはないんだ。ずっと昔に生きていた人なんだ。でも彼の言葉はもっている』
 『なあダン、そんな男を見たことも聞いたこともないのなら、どうしてそいつの言葉をもっているんだ?』
 次にみんなは、もしその男を実際に見たことがないのなら、その男についてわたしが語るどんな話にも興味はない、と宣言する」

現代人の多くは不安にとらわれて日々を暮らしています
昔よりも格段に物質的に恵まれた生活をしているにもかかわらずです

「西洋人であるわれわれが抱えているようなさまざまな不安こそ、じつは文化を原始的にしているとはいえないだろうか。そういう不安のない文化こそ、洗練の極みにあるとは言えないだろうか。こちらの見方が正しいとすれば、ピダハンこそ洗練された人々だ。どうか考えてみてほしい。畏れ、気をもみながら宇宙を見上げ、自分たちは宇宙のすべてを理解できると信じることと、人生をあるがままに楽しみ、神や真実を探求する虚しさを理解していることと、どちらが理知をきわめているかを。
 ピダハンは、自分たちの生存にとって有用なものを選び取り、文化を築いてきた。自分たちが知らないことは心配しないし、心配できるとも考えず、あるいは未知のことをすべて知り得るとも思わない。その延長で、彼らは他者の知識や回答を欲しがらない」



2018年9月29日土曜日

『現代社会はどこに向かうのか』 見田宗介


大上段に構えた書名に一瞬引いてしまいます
岩波新書でこの著者であればこのようなテーマとなるのでしょう
持った感じはとても軽いのですが(全体で162ページ)内容は重たいです

高度成長期を担った世代と脱高度成長期に人間形成した世代の精神をデータで比較してます
すると新しい世代の精神につぎのような特徴が浮かび上がるといいます
・近代家父長制家族の解体
・結社闘争性の鎮静、保守化
・魔術的なるものの再生

近代から現代にかけては合理化をめざす、戦いを原理とする社会でした
それから脱した現代では合理化圧力は解除あるいは減圧されています
これにより自由と平等を実現する道が開かれています

魔術的なるものの再生とはメタ合理性のことです
合理性の限界を知る合理性こそ真の合理性です
あえて合理性を破砕して、反射や衝動や情念の効用に身をゆだねる
午後の時間の停止する陽射しを浴びる空間のように、あえて静かな恍惚に身をゆだねる

生活スタイル、ファッション、消費行動の変化のキーワード
・シンプル化
・ナチュラル化
・素朴化
・ボーダレス化
・シェア化
・脱商品化
・脱市場経済化

経済的には縮小しましたが、経済に依存しない幸福の領域は拡大しています

経済成長の完了(終了)したのちの社会
一般的な予測 ⇒ 停滞した不幸な社会
新世代の実態 ⇒ 幸福イメージの倒錯*から解放されて多様な原的な幸福に対する感受能力を獲得し増強しています
*幸福は経済的な富の増大とともに高まるというイメージ

現代社会では二つのベクトル(力の方向線)が拮抗しています
・高原効果:人間の幸福を着実に底上げしていく力
・テロリズム効果:積み残した未解決の社会的な諸矛盾*が引き起こす不安
*帝国主義、植民地支配、ネオ・コロニアリズム、中東分割、移民による経済成長、差別と格差、憎悪の連鎖等

高原
生産主義的、未来主義的な生の合理化=現在の空疎化という圧力から解除されることによって、あの<幸福の原層>と呼ぶべきものが、この世界に存在していることの<単純な至福>を感受する力が、素直に解き放たれることをとおして、無数の小さな幸福たちや大きな幸福たちが一斉に開花して地表の果てまでおおったところ

持続可能な幸福の世界
他者や自然との<交歓>という単純な祝福を感受する能力の獲得をとおして、<現在>の生が、意味に飢えた目を未来にさしむける必要もなく充実してあることによって初めて可能である、どのような資源の浪費も環境の汚染も必要としない世界

サルトル「存在と無」
「所有」というコンセプトを、偏狭なホモ・エコノミクス的「所有」の観念から解き放っている

ダニエル・エヴェレット「ピダハン」
ピダハンがこの地上において富める者たちであるのは、彼らが<交歓>の対象としての他者たちと自然たちという、涸渇することのないしかたで、全世界を所有しているからである

「現代」に固有の二重のリアリティの喪失
加速に加速を重ねてきた走行の果てに、突然目的地に到達して急停車する高速バスの乗客のように、現代人は宙を舞う

経済競争の脅迫から解放された人間の幸福=永続する幸福
・アートと文学と学術の限りなく自由な展開
・歌とデザインとスポーツと冒険とゲーム
・知らない世界やよく知っている世界への旅
・友情
・恋愛と再生産の日々新鮮な感動
・子供たちとの交歓
・動物や植物たちとの交感
・太陽や風や海との交感

転回の基軸となるもの
・幸福感受性の奪還・再生
・感性と欲望の開放
・存在するものの輝きと存在することの祝福に対する感動能力の開放

自由と魅力性による勝利

2018年9月16日日曜日

『お金2.0』 佐藤航陽


私と私を取り巻く日本人男性の退職前後の人生になぞらえてこの本を解釈してみました

退職前
資本主義の原理原則である経済性、効率性、費用対効果、有用性を第一として生きています
これは戦後の復興期から高度経済成長期にかけて生まれた価値観です
非営利組織や個人で働いていたとしても原則は資本主義的であることに変わりありません

この世代は貧しさから抜け出して物質的に裕福になることが人生の目的でした
お金が欲しい、美味しいものが食べたい、家を建てたい、などです

いまの日本では人口減少、経済成長の鈍化により資本主義は行き詰まっています
カネ余りで預金利子はマイナス、モノは売れず景気は低迷しています

そのことを肌身で感じ退職後はこれまでと違う生き方が必要と考えています
ではどのように生きたらいいのか
それが分からないので退職は一日延ばしになります

資本主義が機能不全を起こしている時代にその価値観を引きずって生きるのは危険です
退職後の人生まで資本主義と同じように行き詰まり低迷する運命になるからです
いさぎよく退職し自分の中にある資本主義原則をまず強制終了させなければいけません

退職後
退職したら自分自身の発想から資本主義の要素を可能な限り払拭することに努めます
そして資本主義の枠組みでは無視されてきた価値に意識的に注目するようにします
このように価値を中心とした世界を価値主義といい資本主義の欠点を補完する働きをします

価値は物質的価値、内面的価値、社会的価値の3つに分類できます

物質的価値つまりモノやカネは人の欲望を満たす実世界の中心をなしています
これをどこまでも追及するのが資本主義です
しかし人はもう十分豊かになり物質的価値への憧れはしぼみました

内面的な価値とは精神的で目に見えず、かつポジティブな感情をいいます
愛、共感、信頼、感謝、好意など人間の精神にとって高い効用がある価値です
物質的に豊かになることに無心だった世代は内面的な価値を認識しにくい傾向があります
このため内面的な価値を高めることにあまり関心を持っていません

社会的な価値は個人ではなく社会全体の持続性を高めるような普遍的活動です

いま多くの人が内面的な価値の重要性を感じており経済を動かす原動力になっています

このような時代に自分の内面的な価値を高めるにはどうしたらよいでしょうか?

自分自身と向き合い自分の情熱を発見し自らの価値を大事に育てていくことです!

自分と向き合うということは自分が何をすることが本当に好きなのか探すことです
自分自身が一日中やっていても何日続けても飽きないことを見つけることです
価値主義の世界では好きなことに熱中している人ほどうまくいきやすいからです

自分が熱中できることが見つかるまでの速さは人により差があります
すぐに見つかる人となかなか見つからない人がいます

自分の情熱のありかがなかなか見つからないのは心がサビている人です
心がサビたのは長い資本主義の人生ですっかり情熱のありかを見失ってしまったからです
自分が興味を持ち熱中していたことがいったい何だったかを忘れてしまった人です

このような人はまず心のサビを削り落とさなければなりません
できるのであれば一人旅をすることです
一人でぼんやり過ごす時間には自然に自分自身との対話がはじまります
自分の過去・現在・未来にかかわることが勝手に頭の中に浮かんできます
旅の中で出会う人々との会話やめずらしい景観や食べ物などがそれを一層かきたてます

こうすることで心のサビがはがれていき忘れていた情熱が顔をのぞかせはじめます
それを糸口に細い道を辿っていけば自分の情熱の原泉に至ることができます
その泉こそ自分の価値が湧き出るところです

自分の情熱のありかは分かりました
つぎはこの情熱を大事に育てていきます

大事にとは共感と熱中ができ信頼がおけ好意と感謝の気持ちが持てるようにすることです
育てるとは自分なりの価値の枠組みを作ることです
それには事業戦略、CSR、ブランディングが必須です

このようにして自分の価値を高めておきます
自分の価値を高めておくとなぜいいのでしょうか?
自分の価値を高めておけば何とかなる世界が実現しつつあるからです

2018年8月23日木曜日

『選んだ孤独はよい孤独』 山内マリコ


最近孤独について書かれた本をよく目にします
孤独本とでもいうのでしょうか
きっと孤独本がたくさん発行され売れてもいるのでよく目にするのだと思います

孤独本は以前からありました

「孤独の世界」 島崎敏樹 1970年
「孤独な噴水」 吉村昭一 1978年
「孤独の心理学」 大原健士郎 1995年 

これらの本では大方孤独は生きていくうえでの困難として扱われています
そして孤独からの脱却が主題となっていました
孤独を前向きにとらえている本はわずかでした

最近の孤独本には逆の傾向があります
孤独を脱却しなければいけない状況としては捉えていません
むしろ孤独は価値があるものとして扱われています
まず題名にそれを感じます

「極上の孤独」 下重暁子 2018年
「孤独のすすめ」 五木寛之 2017年
「思えば、孤独は美しい」 糸井重里 2017年

孤独本の書き手はこれら大御所だけではありません
少年少女向けの孤独本を書いている人もたくさんいます
性別年代を問わず孤独だと感じている人が今とても多いからでしょう

「選んだ孤独はよい孤独」というこの本の題名にも今どきの孤独本らしいひびきを感じました
なぜ選んだ孤独はよくてそうでない孤独はよくないのか?
それがこの本にはどう書いてあるのかなと思い読んでみました

著者が主に取り上げているのは日本の男性です
仕事に縛られて生きていく定めの人々です

彼らは少なくとも組織人として定年までは働き続けなくてはいけません
そして働いているあいだは組織から逃れて孤独でいるわけにはいきません
そのプレッシャー、憂鬱、ストレスは人や組織によって差こそあれたいへんなものです

ようやく定年を迎えると組織を離れることが可能になります
それでも多くの人々が再雇用や転職などの形で組織にとどまることを望みます

もちろん経済的な事情などでどうしても組織で働き続けなければならない人もいます
しかし不可避的な状況ではないのに組織に属して働き続けることを選ぶ人がたくさんいます
なぜでしょうか?

長年組織人として働き身につけてきた習慣は一朝一夕に振り払うことができません
なので慣れ親しんだ組織の世界に少しでも長く留ることを望むのです
もし組織から離れたら孤独の中で生きていかなければなりません

孤独に生きることがどういうことを意味するのかは誰でもおよそ想像がつきます
組織人としての習慣から離れて孤独に生きる習慣を新しく身につけなければいけません
多くの人はそれが自分にできるのか確信が持てず不安を感じます
それで孤独になるのをなるべく回避しようとするのです

組織に居続けるのは必ずしも組織が好きだからではありません
できることなら早く組織から抜け出したいとは思います
それでも孤独になったときの自分の姿をうまく想像できません
それで孤独になる日を一日延ばしにします

組織にいると気持ちがモヤモヤしますが収入は得られるし時々遊ぶこともできます
これといって大きな不満はないという人も結構います
そういう人でもいつかは組織を離れなければならない日がかならずやって来ます
誰でも否応なく孤独になります

いやいやながら孤独になった人はどのように生きていくのでしょうか?
孤独をいきいきと生きるには組織の中で生きてきたのとはまた違う活力が必要です
組織で長く生き過ぎた人は孤独に生きるためのだいじな力がすでに乏しくなっています
なので不本意に孤独になった人のその後の人生はすっきりしたものにはなりにくいでしょう

定年とともにあるいは定年より前に潔く孤独を選んだ人にも苦難は待っています
これまで経験したことのないいろいろな課題を克服していかなけばなりません
組織の枠を出て自分ひとりで社会と日々の暮らしに向き合うための当然の困難です

組織の中にいれば収入や交遊関係だけでなく生きがいさえ手にすることができました
孤独の生活ではそれが一転します
まず生きがいだけでなく暮らしのすべてについて自分なりの考えが必要です
そしてその考えに基づいた行動が求められます
それらには組織に属していた頃には思いも及ばなかった多くのことが含まれます
それをひとつづつ自力で片付けていかなくてはなりません

このような困難があるにもかかわらずなぜ選んだ孤独はよいのでしょうか?
それはおそらく人はこのようにして生きていることをより実感できるようになるからです
お仕着せの人生から抜け出して自分の身の丈あった暮らしができるようになるのです
これまで既製服ばかり着ていたのが身体に合った仕立服に着替えたような心地のよさです

孤独にはわるい孤独とよい孤独がある
わるい孤独とは組織の中に居続けた結果としての孤独である
よい孤独とは組織から出ることを自ら選んだうえでの孤独である

こんなことを著者は言おうとしたのかなあと思いました

2018年7月14日土曜日

『定年おめでとう』 渡辺格



筆者が68歳のときの著作です
この方の父は東大のフランス文学の教授でした
ご自身も東大でフランス語を勉強したあと大手航空会社に就職しました
組織の中で働くのが心底いやだったようで定年後の自由な暮らしを只管待ち望んでいました
この経歴からすると退職後も経済的にはほとんど問題なかったことと思います
都区内に持ち家もありましたからね
もっともその建て替えにあたっては

「私がつけた注文はただ三つ、断熱材を豊富に用い、風通しがよく、二重窓にするというだけのことで、建材などは一切指定しなかった」

ということで決して豪壮なすまいではありません

健康上の理由で57歳で会社を早期退職したときはさぞかし嬉しかったのではないかと推察します

「…無駄な会議の席に目をこじ開けて着席している苦しみ、絶好の釣日和をよそに書類を作るせつなさ……これらの苦痛は完全に過去のものとなった」

と快哉を心の中で叫んだのではないかと思います

この方の一日のスケジュールは次の通りです

七時半 起床
八時 座禅、読経、腰痛体操、真向法
八時半 食事
九時 拭き掃除
十時 ゴミ燃やし、庭を見て回る
十一時頃 読書など
十一時~十二時 青竹踏み
十三時 昼食
十四時 午睡
十四時半~十六時 読書あるいは庭仕事
十六時 散歩、腰痛体操、真向法
十七時 入浴
十八時 夕食
十九時 テレビで野球観戦
二十二~二十三時 就寝

このスケジュールからはとりたてて楽しそうな生活の様子は想像できません
この方がこのような生活に満足しているのはつぎの言葉からうかがい知ることができます

「彼岸に渡るまでに残された定年後の人生こそが、私にとって一番輝ける瞬間なのであろう」

この人には「園芸」「釣り」「犬」の三つの趣味があります
定年後は趣味が三つぐらいあればたいがい退屈せず毎日を過ごせると思います
一つでは単調だし五つも六つもあると時間もお金も足りないということになります

この人には奥さんがいてその存在を相当に気にかけている様子です

「全ての幸せの裏には、それだけの不自由が存在するのだ。家庭内外のいさかい、掃除の手間、余分な出費…」

それでも日々を楽しんでいる様子をつぎのように書いています

「好きな時、長椅子で横になれるとは何たる贅沢であろうか。気力充実し、条件が良いと見ればいつでも出漁できる。海に出るには風が強すぎれば、菜園の手入れをする」

そして

「このような私の生き様にいささかの賛意を表してくださる方々のために、この本を書いた」

とあります
このような退職後の人生が良いか悪いかについては人により意見の分かれるところだと思います

「世の中には、それは「良い」あるいは「悪い」という二者択一を迫る言葉が氾濫しているが、本来、すべての善悪には、何を前提としてそれを論ずるか、という基礎を明確にしなければ意味はない」

人の定年後を「良い」か「悪い」かという視点で評価するのは誤ったことです。
定年後の価値はその人自身が決めるものだと思うからです

2018年7月11日水曜日

『健康診断を受けてはいけない』 近藤誠



「安全に長生きするためには、健康なときには検査を受けないこと、医者に近づかないことに尽きます。検査が、アリ地獄に落ちるきっかけになるからです」

厚生労働省が健康診断の受診を勧める政策を推進したので近年がんの発見率が高まりました
ところががんによる死亡者数は減少していません
がん患者は増えているのにがんで死ぬ人の数はほとんど変わっていないのです
がん検診とがん治療にかかる費用と時間が増大する一方で効果は表れていません

では検査を受けないほうがいい健康なときとはどんなときでしょうか?

「元気で体調がよく、ご飯が美味しくて、日常の生活動作に不自由がないときです」

これであればかなり多くの人が健康診断は受けなくていいことになりますね

「年をとれば腰の痛み、膝の痛みなど、多少の不具合が生じてくるものです。それらは老化現象なので、多少の症状があっても、元気に生活できていれば、やはり健康であるのです」

健康診断を受けないでいたらある日自治体から検診を勧める電話がかかってきました
もし受ける気がない時はどうしたらいいでしょう

「検診を受けたら寿命がのびるという確実なデータがありますか?」
「受けたら健康になると保証してくれますか?」

などと問い返すと二度と電話はないようです

「健康には、追い求めると不健康になるという背理ががあります。そして健康な人が長寿を願うと、クスリや手術で命を縮めかねない矛盾があります」

「健康長寿を目指すなら、医者と医療を信じることをやめることです」

「私たちにとって大切なのは、自由に生きる、なにものにも煩わされずに生きることではないでしょうか。そのためには死ぬまで、やまいから解放される必要があるはずです」

まったく深く頷くしかありません
そして最後にきちんとまとめていただいています

「もし人々が、そのことに気づき、考えを変えれば、多くの病気から今すぐ解放され、医者たちの呪縛から逃れることができます。
 そして、やまいを心配するかわりに、今日一日を楽しみ、生きていることと、自分を生み出してくれた宇宙に感謝し、明日への希望を心にともしましょう。
 長寿というのも、一日一日の積み重ねでしかありません。10年先、20年先をあれこれ案じるよりも、一番大切な今日という日を楽しく暮らすことに集中しましょう。
 そして天地の摂理に身をゆだね、あるがままに日々を過ごして老いを迎え、やがて枯れるように大地に還っていく。
 そのような心構えを持つことができれば、医者や医療に頼るよりも確実に、健やかで安全な人生を送ることができます」


2018年7月10日火曜日

『穏やかな死に医療はいらない』 萬田緑平


もし医師からがんを宣告されたらこう願うでしょう

なんとかがんを治して身体から消してもらいたい
それが無理であれば一日でも長生きできるようにしてもらいたい

いまどきの人として当然の願いかなと想像します
がんになるともう普通の生活を送ることが難しくなると思うからです
がんになればもう長く生きることはできないだろうからです
直観的にそうに思うのではないでしょうか
これと呼応するような医師の職業観が紹介されます

「病院の医師にとって治療の目標は患者さんにとっていい人生を送ってもらうことではなく、少しでも長生きさせることです。「医師の仕事は治してあげること」という思考が染みついていて、これを生きがいとして仕事をしています」

これは「がんですよ」と言われた人の願いと矛盾しませんから問題ないように見えます
がんを治して消してくれて長生きができるのであればそれに越したことはありません
このような前提でがん検診やがん治療が行われています
その有効性はどのようでしょうか

効果のないがん治療のために多くの人が精神的、身体的、経済的に苦しめられています
その典型が抗がん剤治療です

「がんを退治してくれる可能性もある反面、劇薬でもあります。もし健康体の人ががん患者さんと同じ抗がん剤治療を受け続けた場合、おそらく数年以内、抗がん剤やその人の体質によっては、数週間で亡くなってしまうことでしょう。抗がん剤治療とは、体中に毒ガスを撒くようなものです」

抗がん剤治療とはがんとがんを宿す身体を共に痛めつけ命を縮めてしまうものなのです

「この治すことの真逆にあるのが緩和ケアです。さらに言えば、在宅緩和ケアは医療設備ゼロの自宅でこの真逆のことをやるのです。先端医療を実践している病院医師の感覚と僕たちがしている医療は、なかなかなじまないかもしれません」

緩和ケアとは残された人生を自分らしく生きる支援コースのことをいいます
死に直面した患者さんやそのご家族の心身の痛みを予防したり和らげたりすることです
病院医師から在宅緩和ケア医への橋渡しをうまくやることがたいせつです

「今あるエネルギーを一番効率よく使うのであれば、身体の訴えを信じ、枯れるようにやせていくのが一番です。もちろん、その先には必ず死があります。けれどもその自然の流れに乗れば実はもっと長生きができるし、苦しくもありません」

このことをどのくらいの病院医師が認識しているのでしょうか

「死を認めれば、死は苦しくなく、むしろ少し長く生きられる。死を認めなければ、死は苦しく、命は短くなる」

緩和ケアの情報はつぎのところで得られます
・各都道府県の在宅緩和ケア支援センター
・公的機関
・NPO団体

2018年7月9日月曜日

スズメバチの巣を駆除

一入亭に来ています
地上波デジタルテレビの受信状態が良くないのでアンテナを点検することにしました
風が吹いたり雨や雪が降ったり樹木が繁茂したりすると受信状態が悪くなるのです

アンテナは放送中継局の方向に向けて後中門の軒下、地上から約4mの高さに設置してあります
外壁に梯子を掛けてなにげなく上を見るとアンテナの奥に丸いものが見えました
直径が15㎝ほどの短楕円形で表面に三日月形のまだら模様があります
下端部には直径2㎝ほどの穴が開いていて時折大きな蜂の顔がのぞいています
小さいながら間違いなくスズメバチの巣ですね
スプレー噴射で巣の外側が破れました


ミツバチやアシナガバチは比較的おとなしいですがスズメバチは攻撃的です
簡単に叩き落すわけにはいきません

スズメバチの巣の駆除方法をウェブで調べてみました
巣が小さいうちは自力でも駆除できるが大きい場合は専門業者に依頼したほうが無難なようです
依頼すれば間違いなく1,2万円はかかるでしょう
この出費はスズメバチに刺されのと同じくらい痛い(かもしれない)
あの巣はまだ小さいと判断して自分で駆除することにしました

ホームセンターで次のものを購入しました
・蜂の巣駆除用のスプレー 2缶
・雨具上下
・頭にかぶる防虫ネット
・赤い下敷き

まず懐中電灯と駆除用スプレーを下準備しておきます
・懐中電灯の先端には赤い下敷きを丸く切って粘着テープでとめる
・駆除用スプレーのストッパーをはずしておく

すべてのスズメバチが巣に帰りおとなしくしているであろう21時に出動しました
いでたちは次の通りです

・厚手の長ズボンの上に雨具の下をはく
・長靴を履きその上に雨具の裾をかぶせて紐ですねのところをしばる
・雨具の上の背中にある通気口を粘着テープでふさぐ
・厚手のシャツの上に雨具の上を着てへその上あたりでバンドをしめる
・タオルでほっかむりして雨具のフードをかぶる
・フードの上から帽子をかぶりさらにその上に防虫ネットをかける
・革の手袋をして袖口を雨具のマジックテープでふさぐ
・左手に懐中電灯、右手に駆除用スプレーを持つ

いよいよ駆除開始です
・懐中電灯で巣の位置を確認してから静かに梯子を登ります
・巣のした約1mから巣の下端の穴めがけてスプレーを噴射します
・穴から次々と成虫が落ちてきます
・かまわず噴射し続けていると巣の外側が破れました
・すべての成虫が落下したのを確認してスプレーの噴射をやめます

翌朝梯子の下にスズメバチの死骸を見つけました

顔や腹の模様の特徴からするとコガタスズメバチのようです
スズメバチとしては中型で威嚇性・攻撃性は高くないとのこと
巣を襲われると激しく攻撃してくるため日本では被害例が多いそうです

営巣の初期段階で見つけてよかった

なお、テレビの受信状態が悪いのは中継放送局とアンテナの間の立木が茂ったためのようでした

2018年7月7日土曜日

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 中村仁一


この中村仁一さんという人の言うことはとても歯切れがいいです
長いこと医者をしてきた経験の上に立ってものを言っています
それなので曖昧な物の言いかたをしません

はっきりと言いすぎてはいませんかと思うこともあります
たとえば

「がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいきます。以前から「死ぬのはがんに限る」と思っていましたが、年寄りのがんの自然死、60~70例を経験した今は、確信に変わりました」

と書いています
これが本当であるなら随分と救われます
本当でしょうか?

「死ぬのはがんに限る」という大胆な結論を導くのに60~70例で十分なのか分かりません
若干少ないような気もします
医者一人でそんな何千例も経験できるわけはありません
この人はそれで確信したんですね

人には自然治癒力があるのだから少々のケガや病気は放っておいても治るとのこと
がんになって最期食欲がなくなったら点滴も何もせずいれば7日から10日で亡くなるそうです
それも苦しまずに眠るように亡くなるのだそうです

このような死を自宅で迎えるためのいくつかの条件を示しています
1.在宅で死にたいという本人の意思、希望、決心
2.家族に「看取りたい」という意欲があり、体力、時間があること
3.在宅死に理解のある医者や看護師、ホームヘルパーなどの協力が得られること
4.住環境、できれば専用の個室が欲しい

これはテクニカルなことですが死生観についても述べています

「長生きも結構ですが、ただ長生きすればいいというものではないでしょう。どういう状態で生きるかが重要だと思うのです。私自身はぼけたり、いつ死ねるかわからないままの寝たきりや植物状態で生かされているのは願い下げです」

「「自分の死」を考えるのは「死に方」を考えるのではなく、死ぬまでの「生き方」を考えようということなのです。すなわち、いのちの有限性を自覚することで、「今こんな生き方をしているが、これでいいのか」と現在までの生活の点検や生き方のチェックをし、もし「いいとはいえない」というのなら、軌道修正を、その都度していこうということなのです」

人類の進歩とは苦悩する人々へしあわせへの道筋を示すものであってほしいと願っています
このことについて中村さんはこう言っています

「本来、苦悩は自分で悩んで苦しんで、時間をかけて乗越えていくしかないものではないでしょうか。誰かが代わって苦悩を解決してくれるわけではありません」

時間をかけて苦悩を乗越えていきなさいと言っているのですね
人生最後の苦悩である「死」について「死ぬのはがんに限る」と言い切ったのはすごいです
この言葉に多くの人が救われた気分になったのではないでしょうか

おしまいに次の言葉はこころにストンと落ちました

「人は誰しも、自分の過去を眺めた時、今、自分がここにこうしてあるのも「あのことがあったから」「あの人と出会ったから」という転機となった出来事が5つや6つはあるはずです」

それをまとめておくと

「目をつぶる瞬間、「いろいろあったけれど、そう悪い人生ではなかった」と思え、親しい周囲との永遠の別れに対しても感謝することができ、後悔することが少なくてすむ」

そうです

2018年7月3日火曜日

『定年バカ』 勢古浩爾


世の中に定年本があふれています
定年本とは定年後をどう生きるかについて書かれた本です
内容は健康、お金、生きがいなど多岐に渡ります
定年本が良く売れるのは定年になることに戸惑っている人がたくさんいるからに他なりません

このような傾向を揶揄し、たかが定年ぐらいでがたがた騒ぐなバカ、と著者はいいます
定年本の多くがいかに読むに値しないかを具体的な例をあげてズバズバと切ります

多くの定年本では退職後の「いきがい」を見つけ日々を「充実」させるための一般論が説かれています
それに対して著者は普遍的な「いきがい」や「充実」というものはないといいます
一人ひとり経歴、性格、お金、健康、家族、勤務先、交友は絶対にちがうからです
もし「いきがい」を欲するのであれば「自分自身でつくらないと」いけないと著者は主張しています

定年になってからも健康であることに越したことはありません
定年本の中では健康診断を毎年受けることを進めている場合が多くあるといいます
日常生活に支障がないにもかかわらず健康診断を受けて病気とされるケースがあるそうです

定年本ではお金のことも重要なテーマになっています
そこで扱われているのは多く官庁や大企業を定年になったような人です
恵まれた退職金や年金が保証されている人々です
個人事業者や零細企業に勤めていた人のことはほとんど出てきません

定年後をどう生きるかは定年本の一般論では具体的に決めることはできません
それぞれがそれぞれの置かれた状況の中で自分の意思に基づいて決めることです
そのようにして決められたものであればそれがどのような形であっても構いません
このように著者は言っています

2018年5月25日金曜日

『騎士団長殺し』 村上春樹


『人間界は時間と空間と蓋然性という三つの要素で規定されておる』と騎士団長は言いました
人間は自由であればどのようにも生きられると考えたい
ところが全ての人間の人生は特定の時間と空間と蓋然性のもとで展開します
人はその中でほんのわずかのことを自らの意思として選択できるに過ぎません
そう思うと何かとても虚しい感じがしますがこれが現実でしょう

少し前に読んだロング・グッドバイ(レイモン・ドチャンドラー著、村上春樹訳)の訳者あとがきの一節を思い出します

「戦わない。
 それは目に見えないし、立てる音も聞こえない相手だからだ。彼らはそのような宿命的な巨大な力を黙して受容し、そのモーメントに呑まれ、振り回されながらも、その渦中で自らをまっとうに保つ方策を希求しようと努める。そのような状況の中で、彼らに対決する相手があるとすれば、それは自らの中に含まれる弱さであり、そこに設定された限界である。そのような闘いはおおむねひそやかであり、用いられる武器は個人的な美学であり、規範であり、徳義である。多くの場合、それが結局負け戦に終わるであろうことを知りながらも、彼らは背筋をまっすぐに伸ばし、あえて弁明することもなく、自らを誇るでもなく、ただ口を閉ざし、いくつかの煉獄を通り過ぎていく。そこでは勝ち負けはもう、それ程の重要性を持たない。大事なのは自ら作った規範を可能な限り守り抜くことだ。いったんモラルを失ってしまえば、人生が根本的な意味を失ってしまうことを彼らは知っているからだ。」

これはチャンドラーの小説に登場する人物についての村上春樹さんの解釈です
「騎士団長殺し」の主人公(最後まで名前が出てきません)もこのような人だと思いました


2018年5月20日日曜日

一般道を走る

一般道(上武道路)を走る

川越の自宅から一入亭の行き来にはいつも一般道を使います
道を上越国境へ向かって行くと澄んだ青空に雲が流れていました
何かの作品にしたいようなさわやかな景色でした
エッセイを書いたりスケッチを描くのが得意だったらこれを作品にできるでしょう
得意な表現の手立てを持っていないと感動をリアルに表すことができず残念です
せめてこうしてブログに織り込んでおくことにします

高速道は普段からほとんど使いません
料金が高いからです

一般道は以前より整備が進んで昔の有料道路のようです
路面はスムーズで速度もそれなりに出せます
高速道ほどでは無いにしろ時間もかかりません
信号は少なく、急カーブやアップダウンに煩わされることもありません
いずれも1970年代頃に比べればということですが・・・

一般道を使った往復400キロ以上の走行に慣れると高速道を走るのがしんどくなりました
料金が高いのは勿論ですがそのほかにも頭痛のたねがいくつもあります
・燃費が悪くなること 27㎞/Ⅼ ⇒ 23㎞/Ⅼ
・スピード狂や大型車などの傍若無人走行の危険にさらされること
・思ったところで食事、トイレ、買い物などの用事を足せないこと

なるべく高速道を使わず一般道を走るようにしてからすでに2年ほど経ちました
今では好んで一般道を走っています
一般道の近くにある美味しくて安い食事処やケーキ屋を見つけるのが楽しみです

一般道を走る習慣はもう一つ新しい楽しみをもたらしてくれました
年の暮れにこの一年で一般道を走って高速代がどれくらい浮いたか計算するのです
一入亭への往復だけでなく法事や旅行などで高速道を使わなかった分も含めます
すると10万円をはるかに超えるお金を一年で節約できたことが分かります
とてもいい気分です


2018年5月17日木曜日

『不死身の特攻兵』 鴻上尚史


昨秋の黒旅(6)で鹿児島の知覧にある特攻会館へ行きました
その展示を見終わってブログにつぎのような感想を記しました

 「ここには特攻隊員となった若者たちの悲壮な気持ちがあります 
隊員の親御さんたちが隊員の死を悼む気持ちがあります
そして出撃地となった知覧の人たちの無念の思いがあります

ここにないのは誰がどのようにして特攻を発案し
それが日本軍の作戦として採用され実行されていったのか
という説明です」

特攻を命令した側についてもっと知る必要があると思ったのです
今回不死身の特攻兵』を読んで特攻会館で抱いたにがい思いへのこたえを見つけました
特攻作戦がなぜ考案され、どのように出撃が命令されたかが書いてあったからです
その内容は高木俊朗さんの『陸軍特別攻撃隊』に準拠したものです
それでも胸のつかえが降りるような気がしました
佐々木友次さんという下士官(伍長)が1944年に9回の特攻出撃を命ぜられたのです
その概要は以下の通りです

ーー
月日       集合時刻 出撃機数 有掩機数 内容(戦果は軍発表)     上聞/葬式
11月12日 午前3時  4機   20機  佐々木戦艦一隻撃沈のち戦死      有
11月15日 午前4時  4機     8機  僚機に合流できず帰還
11月24日 正午近く   2機  機数不明  壮行式最中に爆撃にあい出撃中止
11月28日 午前10時    1機    6機   敵艦を発見できず帰還
12月4日   午後3時  1機    2機   敵戦闘機編隊に遭遇したため帰還
12月5日   午後3時  4機    9機   佐々木他戦艦一隻大破炎上のち戦死  有
12月7日   午前7時   10機   3機   整備不良で離陸できず
12月16日 早朝     1機    無   敵船団約200隻に遭遇し帰還
12月18日 不明    不明  有無不明 離陸後エンジン不調のため帰還

ご覧のとおりひと月余りの間に佐々木さんは9回もの出撃を命令されました
出撃のための集合時刻が始めは未明だったのが回を追うごとに遅くなりました
遅く出撃するとアメリカ軍の戦闘機と遭遇する確率が高まります
しかも最後のほうは一人で直掩機無しで出撃させられました
壮行式では知り合いがバナナを一房くれただけということもありました

司令官や参謀長からは「死んでこい!」「死んでくるんだ!」と口々に言われました
それほど上官は佐々木さんに死んでもらいたかったのです
華々しい戦果をあげ佐々木さんは戦死しましたと2度も天皇に報告してしまっていたからです
田舎では佐々木さんの葬式を2回出しました
天皇にまで報告し軍神となった佐々木さんを処罰できません
なので処刑飛行として佐々木さんに何度も出撃を強制したのです

9回目に帰還したのちにはもうフィリピンの日本軍は特攻する飛行機を持っていませんでした
そのため司令官や参謀長は佐々木さんに処刑飛行をさせられなくなりました
そこで司令官は参謀長に佐々木さんを密かに殺すよう命じました
参謀長は狙撃隊を作りましたが間もなく日本が降伏したため実行されませんでした
ーー

この後に佐々木さんは生まれ故郷に帰り92歳まで生きて2016年に亡くなりました
亡くなる直前に著者の鴻上さんは佐々木さんに何回かインタビューをしました
そのインタビューの内容と「特攻の実像」という特攻の分析が鴻上さんの業績です
この本のあとの半分はすでに高木さんが公にした『陸軍特別攻撃隊』からひいた内容です

この本にはユニークな部分が半分しかないとしても出版の意義があると思います
それはまず特攻を命令した側の実態を改めて知らしめ
そして佐々木友次さんという反骨の人の存在を伝えていることです


2018年5月14日月曜日

音楽メディアとその価格

ミズーリの空高く

リラックスしたいときにはいろいろなことをします
本を読んだり、運動をしたり、スポーツ中継を見たり・・・
音楽を聞くのもそのひとつです
なかでもジャズが好きです

数年前に亡くなったベーシストでチャーリー・ヘイデンという方がいました
彼がパット・メセニーと共演した「ミズーリの空高く」というアルバムがあります
その深い音色を聞くたび、とても癒されます

このアルバムを初めて聞いたのは図書館で借りたCDででした
こんなにいい音楽を無料で聞けるなんてありがたいと思いました
ダウンロードさせてもらい外出先でもプレーヤーで聞いています

このアルバム一枚についていろいろなメディアがあります
その価格はメディアにより次のように異なります

新品 LP アマゾン 20,161円(送料350円含む)
   CD 定  価 2,621円
      アマゾン 1,850円(送料350円含む)
MP3ダウンロード  1,200円
中古 CD アマゾン  850円(送料350円含む)
アマゾンプライム     0円(年会費3,900円)
図書館のCD貸し出し     0円

メディアによるこのような価格差はこのアルバムに限ったことではありませんね
購入する人の考え方と懐具合によって選ばれるメディアは異なります

一入亭におきましては聞きたいアルバムが図書館にあればそれを借りて聞きます
図書館に無ければ中古CDで音質に問題のないものがアマゾンに出ていればそれを買います
アマゾンプライムというのは特定のアルバムをストリーミングで聞けるサービスです
アマゾンの無料宅配などと抱き合わせになっていて便利なので会員になっています
MP3ダウンロードはモノが手に入らないのであまり買う気になれません
これしかメディアの選択肢なかったり中古CDより低価格であれば買うでしょう
新品はLPはもちろんCDも割高感が強いのでMP3ダウンロード以上に手が出ません

というわけで図書館で借りるかアマゾンプライムで聞くか中古CDを買うというスタイルです


2018年5月13日日曜日

チンジャオロース

チンジャオロース by nami
田舎の叔父の家から竹の子が大量に届きました
次男がそれを茹でて早速一品作ってくれました
いい歯触りで美味しかった

2018年5月10日木曜日

『ロング・グッドバイ』 チャンドラー 村上春樹訳


フィリップ・マーロウはタフな私立探偵です
権力、金、暴力に屈することなく最後の最後まで犯人を追い求めていきます
その過程で彼は命の危険にさらされ、何度も手ひどい目に遭います
その代価として法外な金を求めることもなく侘しく一人で暮らしています
たとえ大金持ちの美人に言い寄られても結婚しません
とうてい考えられないほどのタフネスさです

このタフネスさと同じくらいあるいはそれ以上に目を見張るところが彼にはあります
犯人を捜しに難行苦行を強いられながらも自らについて語らないことです

彼は必要なときには雄弁であり、ウィットに富み、ユーモアのセンスもあります
だからといって自分の感情や思いなどをしゃべったりはしません
大変なことをしていれば普通なぜこのように行動するのか言いたくなるじゃないですか
自分はこう思うのだ、こう考えているのだ、だからこのように行動するのだ、と
しかし彼は言いません

現実社会には正義のためだ、世のため人のためだなどと事あるごとに言い募る人々がいます
政治家、官僚、学者、宗教者、教育者によく見られます
ところが往々にして実力と行動が無かったり、もともとその気がないこともよくあります
こちらはフィクションではないので実害があります

この本でとりわけ心地がいいのはあちこちに気の利いたユーモアがちりばめられていることです
絶体絶命の時、嫌な気持ちになった時、ガックリ来た時、すごく痛たい時には、顔が引きつったり、不機嫌になったり、しょんぼりしたり、辛くなります
そのような時こそユーモアの出番です
その場の雰囲気や、人の気持ちを一瞬にして変える魔法です

こういう本を読んでいるとこの物語がいつまでも終わらないで続いて欲しいと思います
実際500ページ以上もあってなかなか読み終わらないのは事実です
でもシーンがきっちり平均10ページに区切られていてとても読みやすい
単調な肉体労働の傍らにこのような本をチビチビ読むと取り合わせがいいような気がします

なにか村上さんの作品を読んでいるような気がしました


2018年5月5日土曜日

いつものメニュー

2018年5月4日
平日の朝食はいつも同じメニューです
おかず、ヨーグルト、フルーツの中身を毎日変えるので飽きません

食パン:6枚切
紅茶:ダージリン
サラダ:だいたいキュウリ、トマト、レタスにドレッシング、ブロッコリーのときも
おかず:玉子、ベーコン、ウインナソーセージ、ハム、チキンナゲット、チーズなど
ヨーグルト:ヨーグルトにジャム(イチゴ、ブルーベリー、マーマレード)をトッピング
フルーツ:リンゴ、ミカン、キウイ、グレープフルーツ、バナナ、イチゴ、デコポンなど


2018年5月1日火曜日

かたる 英語 電車内勉強


給料生活をしていた頃は通勤電車のなかでラジオ英語講座の勉強をしていました
電車のシートに腰掛けて揺れに耐えながら録音したヴィニエットを聞いて書きとっていました
今は家の掘りごたつ(さすがにもう電気は入れていません)で勉強をつづけています

昨日都心へ出かける用事があり何年ぶりかで電車の中で勉強しました
すると電車の揺れのため書きとる字が乱れに乱れてしかたありませんでした

通勤していた頃はできていたのにどうしたことでしょう
バランス能力が落ちたのでしょうか
それとも以前もまともには書きとれていなかったのでしょうか

たった数年でそれほど身体能力が極端に低下したとは思えません
家でゆったりと書くのに慣れたので突然の汚い字にびっくりしたのかな
それとも電車の揺れが以前よりひどくなったのかしらん

上手く書きとれないことが気になって肝心の内容があまり頭に入りませんでした

これに類することが気がつかないうちに生活の端々で起きているのかもしれません

給料生活をしていた頃はやりたいことを劣悪な条件を耐え忍びながら何とかやっていた
そして今は自分がやりたいことだけを恵まれた条件の中で楽々とやっている

人間は生きていくうえで必要がなくなった能力をさっさと切り捨てるのだそうです
春になったらパラリと冬服を脱ぎ捨てるように
そういうことが知らないうちにからだのあちこちで起きているのかもしれません

2018年4月30日月曜日

ヒトの変態

イモムシは卵から生まれてくる前、すでに大人の体の部位が育ち始めた状態で生まれてきます。その「成虫原基」と呼ばれる、とても小さな細胞の塊は彼らの体中に広がっていて、変態の間にそれぞれの原基が成虫の蝶や蛾のさまざまな体の部位として発達するのです。イモムシがサナギになる時、それは酵素を放出するので、ほとんどの細胞組織を溶かしてしまいます。成虫原基と、特定の筋肉と神経システムの部分しか残ることはありません。体の残りはすべてドロドロに溶けてしまうのです。このたんぱく質豊富な廃物液は新たな細胞分裂の急増を促進する助けとなり、成虫原基が一人前の成虫の羽根、目、そして脚となるのです。

2018年4月24日火曜日

『天正遣欧使節』 松田毅一


晴耕雨読というライフスタイルにあこがれたのは随分前のことだったと思います
それから長いこと晴れても降っても常にやることが決まっていたような気がします
天気次第でやることを決めるなんてなかなかできませんでした

今日は天気予報どおり朝から雨です
一昨日昨日と二日続けて茅拵えに精を出したので全身に筋肉痛がします
それで今日は本を読みながら休養することにしました

先週までの一週間は黒旅で天草、島原、諫早と駆け抜けました
帰ってから旅の思い出を再度歴史の中で立体構成できるような本が読みたいと思いました
それで図書館へ行き見つけた本がこれです

九州生まれの4人の少年使節が8年の歳月をかけてローマ教皇に謁見してきた記録です
長崎からリスボンへの海路だけで2年半かかりました
彼らは想像を絶するような苦難と天にも昇るような歓喜に何度も何度もゆすぶられました
出かけた時は信長の天下で、帰ってきた時は秀吉がキリスト教を押さえ始めていました

思わず自分はなんて平らかな人生を歩んでいるのだろうとため息がでます
せめて使節が訪ねたポルトガル、スペイン、イタリアへ行ってみたくなりました
彼らが通った道を自転車で辿り宿泊地や訪問先を見て回るのです
パパ様にはお会いできなくとも


2018年4月19日木曜日

かたる フランス語


6月にフランスのロワール河の源流から河口までをドミニクと自転車で走ります
その旅が少しでも深まるようにとフランス語を勉強しています
NHKラジオのまいにちフランス語です
4月から新しいシリーズが始まりました
やっと今週からその勉強をはじめます
平日だけ30分でどれだけ効果があるものやら
大分遅れをとりましたが慌ててもしかたありません
とにかく一歩を踏み出します
Sautez le pas !


2018年4月18日水曜日

『沈黙』 遠藤周作


この本で沈黙とは神の沈黙です
具体的には江戸時代はじめのキリシタン迫害に対し神が何も為さなかったことです
司祭や修道士のみならず信者にも苛烈な拷問が加えられ多くの人が磔で殺されました
このような状況に神は救いの手を差し伸べず沈黙していました

このように沈黙する神を人はなぜ信仰するのでしょうか
この小説はそのことを主題としています

人の世の中では実に様々な悲劇がありましたし今もあります
第一次世界大戦では戦闘員900万人以上と文民700万人以上が死亡しました
そのわずか21年後に始まった第二次世界大戦ではそれをはるかに上回る人が死にました
両大戦ほど大規模ではない悲劇は人の歴史の中で数え切れないほど繰り返されてきました
そのただ一つについても神が乗り出してきて人を救済したということはありません
神は人間の願いを聞き届け実現するために存在するわけではないのです

信仰とは人として生きるうえで宗教の規範を受け入れ実践することでしょう
そうすることによってより良い暮らしができより良い社会になると信じるからです
一方で厳しい暮らしや望ましくない社会の改善を願っても神は沈黙したままです

健康や長寿、受験や就職、良縁などなどありとあらゆることで人は神頼みします
神は沈黙をもってこれにこたえるのです

2018年4月8日日曜日

たけのこごはん


きのう市場で買ってきたたけのこを使ってたけのこごはんに挑戦!
レシピは家にあった40年ぐらいの前の料理本を参考にしました

たけのこはきのう煮ておいたので味付けだけ
これは柔らかく炊けました
鶏肉はご飯といっしょに炊きました
下味をつけ忘れたのでちょっとパサついてしまいました

いつもより少しだけ奮発してわかめと油揚げのおすましとエビの酢の物もつけました
春の恵みをありがたくいただきました

2018年4月7日土曜日

川越市場


夕食ではメインの料理を魚か肉にしています
肉はどこでも造作なく買えますが魚は最近なかなか買うのが難しいです
川越の町中でもこの10年間で鮮魚店が次々と廃業してしまいました

好きな煮魚や焼き魚が思うように食べられなくてしばらくウツウツとしていました

そんな時に市の公設市場が家から自転車で30分のところにあるのを何かで知りました
行って見たところ築地市場のミニュチア版のような景色に驚きました

カラフルで新鮮ないろんな魚に会うことができました

土曜日は一般消費者向けにオープンしており手ごろな値段で少量から買えます
しかも買った魚は市場の一角ですぐに無料でさばいてくれます

八目(ハツメ)というメバルの一種と形のいい鰈(カレイ)が一皿で300円でした
これを煮付けようと思って買いました
魚屋のおじさんに魚の名前を確かめたら「あんた魚が好きだね」と親切に教えてくれました

市場には魚のほかに青物、肉、食料品の店もありこちらも大層にぎわっています

川越市場のHPはこちらです

2018年4月4日水曜日

菓子パン


昼食は手のかからない麺類(うどん、そば、ラーメン、スパゲティ、焼きそば)を作るか
弁当や菓子パンなど出来合いのものを買ってきて食べます

今日は「トークン」の菓子パンにしました
お店の前に立つと焼きたてパンのいい匂いがします
さて何にしようかなといろんなパンが並んだガラスケースをのぞきます

まかないフランス(ソーセージとポテトサラダ)
ブルーベリーとクリームチーズのベーグル
くるみパン
メロンパン

4つで500円です
いつもおいしい菓子パンを庶民的な価格で提供してもらい感謝しています
家に持って帰りカルピスを飲みながら食べました
全部は食べきれずメロンパンは残しました
明日の朝に食べます

2018年4月2日月曜日

お散歩 北川越コース

好きなスポーツは登山とスキー、それに自転車の3つです
自転車は「お散歩」、「花と団子」、「黒旅」の3パターンで走ります
今日は午後4時から「お散歩」に出かけました

「お散歩」では気晴らしと体づくりを兼ねて家のまわりを走ります
20㎞を一時間かけて走ります
荒川や入間川の土手あたりを走るコースを6つ設定しています

今日は「北川越コース」を久しぶりに通して走りました


このコースは一般道のほか入間川の右岸土手を10㎞ほど走ります
その土手で3年前に工事が始まり自転車道が通行止めになりました
う回路はありますが土手通しに走れないのが残念でした

その工事がようやく終わり土手通しに走れるようになりました

なぜこの工事に3年間もかかったのか分かりません
河川敷には入間川への放水路のようなものができていました

2018年1月15日月曜日

雪掘り

一入亭
今日は助っ人さんと一緒に雪堀りであります
一入亭が建っている新潟県中越地方の中山間部はワールドクラスの豪雪地帯です
積もった雪が屋根を壊さないように一冬に二、三回雪掘りをします

このあたりでは「雪かき」のことを「雪掘り」といいます
多い年には一冬の累積積雪が10mを越えます
雪かきなどという生易しいものではありません
どかっと降った雪を大汗をかいて掘らなければならないのです

今冬は11月中旬から何度も雪が降りました
今年は大雪かなと思いましたが今のところ積雪150㎝ぐらいと平年並みの気配です

一入亭は中門造りという建物の構造上どうしても屋根の入隅部分に雪が溜まります
今回はこの部分だけスノーダンプで掘って下に落とします

雪が多い年は積雪が軒先まで達します
2011年から三冬続けて大雪となりそんな状況でした
最近は二冬小雪が続いています
大雪も小雪も三冬ぐらい続くような感じがしています

裏側は北向きで表側よりも雪が多く吹き溜まります
年中日陰なので雪は融けずに凍りつき表側より掘るのが大変です

裏側を掘っているところです

積雪がもっと多くなると面白い雪掘りの技が登場します
それはまたその折にご紹介しましょう

ところで今年のシート掛けは概ね上手くいったようです
大きく外れたところはありません
ついでに3か所ほど手直しをしました

開始から2時間で今回の作業はお仕舞いです
楽ちんでした