『人間界は時間と空間と蓋然性という三つの要素で規定されておる』と騎士団長は言いました
人間は自由であればどのようにも生きられると考えたい
ところが全ての人間の人生は特定の時間と空間と蓋然性のもとで展開します
人はその中でほんのわずかのことを自らの意思として選択できるに過ぎません
そう思うと何かとても虚しい感じがしますがこれが現実でしょう
少し前に読んだロング・グッドバイ(レイモン・ドチャンドラー著、村上春樹訳)の訳者あとがきの一節を思い出します
「戦わない。
それは目に見えないし、立てる音も聞こえない相手だからだ。彼らはそのような宿命的な巨大な力を黙して受容し、そのモーメントに呑まれ、振り回されながらも、その渦中で自らをまっとうに保つ方策を希求しようと努める。そのような状況の中で、彼らに対決する相手があるとすれば、それは自らの中に含まれる弱さであり、そこに設定された限界である。そのような闘いはおおむねひそやかであり、用いられる武器は個人的な美学であり、規範であり、徳義である。多くの場合、それが結局負け戦に終わるであろうことを知りながらも、彼らは背筋をまっすぐに伸ばし、あえて弁明することもなく、自らを誇るでもなく、ただ口を閉ざし、いくつかの煉獄を通り過ぎていく。そこでは勝ち負けはもう、それ程の重要性を持たない。大事なのは自ら作った規範を可能な限り守り抜くことだ。いったんモラルを失ってしまえば、人生が根本的な意味を失ってしまうことを彼らは知っているからだ。」
これはチャンドラーの小説に登場する人物についての村上春樹さんの解釈です
「騎士団長殺し」の主人公(最後まで名前が出てきません)もこのような人だと思いました
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