2018年7月7日土曜日

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 中村仁一


この中村仁一さんという人の言うことはとても歯切れがいいです
長いこと医者をしてきた経験の上に立ってものを言っています
それなので曖昧な物の言いかたをしません

はっきりと言いすぎてはいませんかと思うこともあります
たとえば

「がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいきます。以前から「死ぬのはがんに限る」と思っていましたが、年寄りのがんの自然死、60~70例を経験した今は、確信に変わりました」

と書いています
これが本当であるなら随分と救われます
本当でしょうか?

「死ぬのはがんに限る」という大胆な結論を導くのに60~70例で十分なのか分かりません
若干少ないような気もします
医者一人でそんな何千例も経験できるわけはありません
この人はそれで確信したんですね

人には自然治癒力があるのだから少々のケガや病気は放っておいても治るとのこと
がんになって最期食欲がなくなったら点滴も何もせずいれば7日から10日で亡くなるそうです
それも苦しまずに眠るように亡くなるのだそうです

このような死を自宅で迎えるためのいくつかの条件を示しています
1.在宅で死にたいという本人の意思、希望、決心
2.家族に「看取りたい」という意欲があり、体力、時間があること
3.在宅死に理解のある医者や看護師、ホームヘルパーなどの協力が得られること
4.住環境、できれば専用の個室が欲しい

これはテクニカルなことですが死生観についても述べています

「長生きも結構ですが、ただ長生きすればいいというものではないでしょう。どういう状態で生きるかが重要だと思うのです。私自身はぼけたり、いつ死ねるかわからないままの寝たきりや植物状態で生かされているのは願い下げです」

「「自分の死」を考えるのは「死に方」を考えるのではなく、死ぬまでの「生き方」を考えようということなのです。すなわち、いのちの有限性を自覚することで、「今こんな生き方をしているが、これでいいのか」と現在までの生活の点検や生き方のチェックをし、もし「いいとはいえない」というのなら、軌道修正を、その都度していこうということなのです」

人類の進歩とは苦悩する人々へしあわせへの道筋を示すものであってほしいと願っています
このことについて中村さんはこう言っています

「本来、苦悩は自分で悩んで苦しんで、時間をかけて乗越えていくしかないものではないでしょうか。誰かが代わって苦悩を解決してくれるわけではありません」

時間をかけて苦悩を乗越えていきなさいと言っているのですね
人生最後の苦悩である「死」について「死ぬのはがんに限る」と言い切ったのはすごいです
この言葉に多くの人が救われた気分になったのではないでしょうか

おしまいに次の言葉はこころにストンと落ちました

「人は誰しも、自分の過去を眺めた時、今、自分がここにこうしてあるのも「あのことがあったから」「あの人と出会ったから」という転機となった出来事が5つや6つはあるはずです」

それをまとめておくと

「目をつぶる瞬間、「いろいろあったけれど、そう悪い人生ではなかった」と思え、親しい周囲との永遠の別れに対しても感謝することができ、後悔することが少なくてすむ」

そうです

0 件のコメント:

コメントを投稿