2026年8月24日月曜日

一入亭日乗とは

一入亭(ひとしおてい)とは新潟県にある江戸時代に建てられた茅葺き民家のことです
私はその家に三十年以上通いながらあれこれとやってきました
日乗とは日記のことです

このタイトルは永井荷風の「断腸亭日乗」からヒントを得ました
荷風は江戸文化が壊されたことに断腸の思いがあったのではないかと想像します
私自身は世界各地の文化を破壊した資本主義に断腸の思いがあります

一入亭日乗には、私が自分の暮らしの中で感じたあれこれについて書いています
その多くは、後の人生でまた役に立つだろうと、備忘録的に書き留めたものです

ここに書いていることのすべては、私の記憶に基づいています
もし、それは嘘だ、なんてことがありましたらお知らせください
それをどうするかはもちろんお知らせの内容次第ですが・・・

私はまだ生きているので一入亭日乗はこれからも続きます
ただ死んだら終わりです
死ぬまでは書きます

笹まくら 丸谷才一

NHKでテレビドラマで見たあと原作が読みたくなりました
よくあることです
リアルな細かい描写がたくさんあって面白かった
徴兵忌避とは比べものにならないけれど、職場忌避で異動を願い出た自分と似ています
主人公は私立大学の職員ということで、私と同じ職業でした

とても気に入った逸話が一つありました
「伊達春山公、この方は百歳の天寿をまっとうされた方で、あるとき家臣に長命の秘訣を問われ、女色を慎しむにあり、と仰せられた。殿は何歳から慎しまれましたと重ねて訊ねられて、余は七十五歳を持って慎んだ、と答えられた・・・」


喜多院職人尽絵屏風 藁細工師(贋作)



2026年8月23日日曜日

一行レシピ 無花果ジャム

皮をむき、ザク切りし、三分の一の重さの砂糖を加え、かき混ぜながら中火で20分煮る

2026年8月18日火曜日

藁(わら)Ⅰ、Ⅱ

日本における「ワラの文化」の歴史は稲作農業と同じ2000年を有するといいます

稲株のひげ根を姉さまの髪形になぞらえた、稲株アネコというのが可愛らしそう

「ワラの文化」は、
⑴ 農家人口、作付面積、米の収穫量の多い地域
⑵ 人口密度が低く、冬期間の日照時間の短い、積雪の多い地域
において相対的に豊かである
「ワラの文化」の中心は雪国である。

山地型社会の「ワラの文化」の方が平地型社会のそれより優れた展開を遂げている。

岩槻のフセギとナイダ
フセギ
村や家の出入り口に何らかの呪物を設置し、疫病や魔性などの平安を乱すものが外から村内や家内に侵入してくるのを防ぐべく禁圧したり、または、すでに村や家のなかに発生した災いを村や家の外に追い出そうとする。
ナイダ
かつて、人々は、村落における日常生活の中には、それらをそのまま放置しておけばやがて共同体的社会をその内部からむしばんでいくことになりかねない、いわば負のモーメントというべきものが存在すると考えていた

人びとがその生活と生存の場において何らかの不安を感ずる時、その不安は人々をして確実性、永遠性、自由性の探求へと駆り立て、その結果として呪術および宗教という人類共通の営みが生まれる。

もちろん地域差はあるであろうが、日本における「ワラの文化」の終焉は、およそ昭和35~40(1960~65)ごろであったといってよいだろう。

文化の成立や発展に寄与した要因が時代の推移に伴って変容し、その価値が相対的に希薄化してくると、およそ、その文化は衰退し、やがて死滅していくものである。



2026年8月17日月曜日

聞書 戦前の暮らし方

この本を読んでいて、わら細工への言及が多いことに感心しました
1960年代までの日本では、わら細工が家庭で作られ、生活の端々で使われていたそうです
もの作りがとても身近にあったということです
屋根の茅葺きを近所の人たちと共に行う慣習も、その頃まで存在していたということです
その頃を境に日本は大きく変わっていきました

「何でも自分でできると自信を持っている人は、本当は制約があるはずの世界で、あたかも制約なしに自由に遊んでいるように見える。」P.370 

これこそわたしが目指す生き方です

2025年12月24日水曜日

一行レシピ ミネストローネ


具材を賽の目切りオリブ油で炒めよく煮て塩コショウで味整える

にんにく1片、キャベツ 3枚、ジャガイモ 半分、玉ネギ 1個、人参 3分の1、ベーコン 少々
ローリエの葉 1枚

2025年11月20日木曜日

つぶやきのクリーム 森博嗣

森博嗣はこのように書いています
本当のプライドを持っている人は、プライドを懸けたりしない。
プライドという言葉は、かなり幅広い意味に使われている。多くの場合、それは単なる負けず嫌いだったり、騙りだったりして、僕としては、そういうのは「自信のなさによる防御」としてしか認識できない。プライドというものとは違うように感じる。でも、表向きは同じように捉えられている。たとえば、「お高くとまっている」のを、プライドとして表現する場合も多い。それは違うだろう、と思うのだが。
プライドというのは、自身に対して誇りを持つことだ。しかし、それを表に出すことではない。つまり、周囲に自分を誇ること(自慢)ではない。日本語では、自尊、自負という言葉がたぶん近いだろう。ようするに、誇る相手は他者ではなく自分なのである。
となると、よく聞かれる「プライドを懸けて」という表現が成り立たない。プライドが外向であれば、「もし失敗したときには、世間からの尊敬が得られなくなる」という結果を想定して、それを懸けることになる。しかし、プライドが内向であるなら、そもそも成功しょうが失敗しようが、自分の中の問題である。自分自身に対して懸ける必要などない。失敗すれば自信は小さくなるが、それは懸けても懸けなくても同じである。
また、「プライドが傷つけられた」という言葉も、どうもしっくりこない。どうやったらプライドが傷つくのか。たとえば、悪口を言われて傷つくようなものでは本来ないはずだ。もし、そんなことで傷つくとしたら、そんなものはプライドではない。その程度のものをプライドだと認識しているとしたら、どうかしていると思う。
プライドは持っていた方が良い。というか、自分に忠実に生きていれば、自ずとプライドは築かれる。生きていること自体が、プライドを構築するといっても良い。極端な話をすれば、プライドがなければ、人間は死んでしまうのではないか、とも思える。自分を騙し続けることはけっこう難しく、いずれ破綻するだろう。
プライドというのは、能力とは無関係である。それぞれの能力に見合った道や目標がある。それらを自分で選び、自力で歩くことで築かれるわけで、他者との比較や、他者の評価も無関係だ。
人間にとって、もっとも嬉しいのは、自分で自分を褒められる状況に至ることだろう。他者に褒められても嬉しいが、それは、他者に褒められる自分を目指していたからであって、やはり最終的には自分が自分を褒める。目標はそこにある。

2025年11月16日日曜日

日本ならではの幸せ

1 温泉、銭湯、露天風呂
2 時間通りに来るバスや電車
3 四季を楽しむ
4 花見
5 大みそか&お正月
6 落とし物や忘れ物が見つかる
7 公衆トイレがきれい
8 室内で靴を脱ぐ習慣
9 おすしを食べる
10 花火大会
11 富士山(眺める、登る)
12 和菓子と抹茶
13 電車で安心して居眠りできる
14 食べ物がおいしい
15 紅葉狩り
16 ごはんとみそ汁
17 畳の上のごろり
18 お弁当文化(手作りのお弁当・駅弁など)
19 祭り
20 人が礼儀正しく、親切

朝日新聞2025年11月8日be Ranking

2025年11月6日木曜日

養生訓 貝原益軒 松田道夫訳

このごろ迷うことが多いです
いや若い頃から迷い続けてきたのです
ときどき目標ができてそれに向けて迷い少なくいたこともあります
でも大抵いつも何か迷っていたことの方が多かったように思います
そんな人生が続いているだけということかもしれません

そのような私に最初に刺さったのはこの一行です

「すべて疑うべきを疑い、信ずべきを信ずるのは迷いをとく道である」

なんだ当たり前じゃないか
そんなことが心に響くなんて大げさだとお思いになるかもしれません
迷っているときというのはそんな当然のことにも気がつかない状況だということです
複雑な迷路の奥の方に入り込んでしまって出てこられないと自分では思っている
けれどその迷路を俯瞰すれば出口はしっかりと見える
そのような言葉と感じられます

齢70を目前にした私には「養老」のくだりが味わい深かった

「いつも楽しんで日を送るがよい。人を恨み、怒り、自分を憂えて心を苦しめ、楽しまないで、つまらなく年月を過ごすのは惜しいことと思うがよい」

多忙さを避けるのは老いの暮らしに不可欠なことです

「年をとったら、だんだんと事をはぶいて少なくするがよい。事を好んで多くしてはならぬ。好む事がいろいろあると、事が多くなる。事が多くなると、心気がつかれて楽しみを失う」

自分の楽しみ以外に気を散らさないこともまた大事だと思います

「年をとったら、自分の心の楽しみのほかにさまざまなことに気を散らしてはいけない。時にしたがって、自分で楽しまねばならぬ。自分で楽しむというのは、世俗の楽しみとは違う。自分の心の中に本来ある楽しみを楽しんで、胸中に一物一時のわずらいがなく、天地春夏秋冬、山川のよい眺め、草木の成長の喜び、これみなわが楽しみでなければならぬ」

この本を訳した松田道夫さんは医師ですね
「わたしは赤ちゃん」の著者でもある
松田さんが書いたこの本の解説がいい
その中の一部だけを引用します

「わかい時に思いきり仕事をし、年をとったら誰にもさまたげられない静かな生活をし、過ぎた日々を思いおこす人が、いちばん幸福であると、紀元前三世紀にギリシャの哲学者がいった」

「『養生訓』にある個々の医学的な知識は、今日の水準からすればつたないものもあるだろう、しかし、それは晩年の中に幸福をとらえて動じない精神の姿を、いささかもゆるがすものでない。精神の安定は、各時代の科学の知識とは無関係に達せられるということだろう」

「なによりも精神の平静をたもつことに心がけること、毎日毎日に楽しみをみつけて生きること、日常の起居に激動をさけながらも、からだを動かすようにつとめること、大食しないこと、食事を淡白にすること、あつい湯にはいらぬこと、少量の酒をたしなむこと、病気になってもいきなり薬を飲まないことなどは、おおくの高齢者にあてはまる」


2025年9月21日日曜日

台湾自転車旅 前々日

 

❶自転車と携行品の準備
<ウェア>
ポロシャツ(半袖)×2
パーカ(長袖)
サイクルパンツ(ショート)×2
ポケッタブルパーカ
レインパンツ 
ショーツ×2 

ソックス(5本指)×2

ポンチョ

サングラス 

SPDシューズ 

服袋

セーター

Tシャツ (ロング、ショート)

ショートパンツ 

パナマ 

ポロシャツ

ジーンズ

ワラーチ

<バイク>

フロントキャリア 

リアキャリア 

ポンプ 

輪行袋(エンド金具込み)

ミニツール 

パンク修理キット

ボルトナット

クリート予備

チューブ

潤滑油

作業手袋

ハンドルバーバッグ

フロントパニアバッグ×2

リアパニアバッグ×2

ワイヤーロック(ロング、ショート)

ヘッドライト

サイクルコンピュータ

サドルカバー

<日用品>

ポーチ

パスポート

財布(円と現地通貨込み)

カード(デビット、クレジット、出金制限)

免許証+キー+ETCカード

航空券

カメラ+アダプタ+バッテリ

ガラケ+アダプタ

トークマスター

コンセント(三又、ヨーロッパ用) 

ガイドブック

辞書

ペン 

医薬品

ポケティッシュ

石鹸

速乾タオル

カミソリ

洗濯ロープ+洗濯バサミ

レジ袋各種

ナップサック

<キャンプ用品>

テント

グランドシート 

寝袋

エアマット

アルミテーブル

折りたたみ椅子

ガスバーナヘッド

ウィンドスクリーン

クッカーセット

フォーク+スプーン+ナイフ

肥後守

チタンカップ

タッパーウェア

塩・胡椒・七味

ボトル


❷空港の駐車場を予約
旅行期間中に自分の車を空港近くの駐車場に預けておく
成田空港 
ABCパーキング
0476-33-0203 成田市取香598-1

2025年9月16日火曜日

NEXUS 情報の人類史 上 ユヴァル・ノア・ハラリ


このごろ見たり聞いたり時にちょっと気味が悪いのはAIとポピュリズムです
気にしなくてもいいのかどうか考えていました

そのどちらも情報ということに強くかかわっていると思います
そこでそのかかわり方を具体的に知りたかったのです
この本がそのことに応えてくれると思いました

まず教訓から始まっています

「自分が制御できない力はけっして呼び出すな」  ゲーテ「魔法使いの弟子」

自分の手に余る力を呼び出す傾向は、個人の心理ではなく、私たちの種に特有の、大勢で協力する方法に由来する
人類は大規模な協力のネットワークを構築することで途方もない力を獲得してきた
いまそうしたネットワークは、その構築の仕方のせいで力を無分別に使いやすくなっている
そのネットワークを支えているのがAIで、それを利用するのがポピュリズムです

ポピュリズムは多くの人にとって魅惑的になってきている
歴史は有害な物語を信じることから起こる悲劇的な間違いによって決まる場合が多い

ポピュリズムは虚構を振りまく
もともと虚構には真実よりも有利な点が二つある
第一に、虚構は好きなだけ単純にできるのに対して、真実はもっと複雑になりがちだ
第二に、真実はしばしば不快で不穏であり、虚構はいくらでも融通が利く

                       知 恵
                     ↗ 
情報の素朴な見方   情 報 → 真 実 
                     ↘ 
                       力

                       知 恵
                     ↗ 
                 真 実      
               ↗     ↘  
情報の複雑な見方   情 報         力
               ↘     ↗
                 秩 序     
                       
情報ネットワークの歴史は、つねに真実と秩序のバランスの維持にまつわるものだった
秩序のために真実を犠牲にすれば高くつくのとちょうど同じで、真実のために秩序を犠牲にすれば、その代償を払う羽目になる

2025年6月14日土曜日

イラク水滸伝 高野秀行

メソポタミア文明の地は湿地帯だったという現実についての500ページ近い大冊です
そこでの人々の生活に食い込んだ生々しい記述です
その中にときおり水晶のような言葉が輝きを放っています

その最初が
「誰しも自分の立場でしか世界を見ることができない」

わたしは8年前から年に一回だけ長旅をするようになりました
その旅では世界のふつうの人が何を考えて暮らしているのか知りたいと思いました
旅をしていて出会った土地の人の家に行って話ができたらいいなと漠然と考えていました

そのことは思いもよらず上手くいきある人の世界観に触れることができました
ただ一人の人でしかありませんでしたがそれでも十分でした
地球の裏側(あるいは表側)にこんな人がいてこんな風に世の中を見ている
それを知ったことで自分の立場が広がったのでした

つぎに「文明の萌芽」で
「多くの創世神話では、神が混沌から何かを分離して世界が始まることになっている」
というもの

わたしはながいこと藁細工をやっていて時々思うことがありました
モシャモシャとした藁束を丁寧に選って準備すれば素敵な作品の材料になるということ
一見無秩序に乱雑な様相を呈しているものでも選り分けていくことで価値が見いだされる
これは竹細工に使う竹についても茅葺きに使うススキについても言えます

それから「当時はゴザが通貨だったんだ」
これはこの湿地帯について深い知識と経験を持った人の言葉です

この湿地帯で最も優勢な植物は葦です
この葦で作ったゴザはそこでの生活には無くてはならないものです
また土地の人にとっては付加価値のある生産物です
だからゴザは通貨のようにして扱われたのでした

意外だったのは「エデンの園」がこの湿地帯とみなされていること
この土地は豊かで自由な自然の象徴とキリスト教徒に思われているようです
そこで暮らす人々はキリスト教徒ではないですがその様子を眺めて
「ああ、こういう自由で平等な生活が神の意志にかなう本当の人間の生活だよなあ」
とこのように高野さんは思ったのでした

そしてわたしがもっとも共感を覚えたのは「文明の重力」という言葉です
これは高野さんが
「辺境各地の旅で、本来、自然の中で生きてきた人たちが急速に町や道路や車に呼び寄せられる光景を見てきた」
そしてそれを「文明の重力」と名づけたのです

重力は普段の生活の中ではあまりその存在を意識しません
ところがそれが変化する環境に身を置くとその存在をありありと感じることになります
たとえば宇宙空間で無重力の生活をしたあとに地球に帰還したら体はとても重く感じる

辺境ではなく都市に住んでいてもわたしたちは「文明の重力」の支配下にあります
その重さの感じ方は人によって違いどれだけの支配を受けているかも違います

わたしたちは「文明の重力」から完全に逃れることはできません
ただその存在をつねに意識して不要な「重力」を回避する知恵が求められます
でないと文明の重さに押しつぶされてしまうからです
気をつけましょうね


2025年6月1日日曜日

一行レシピ ビワのジャム


洗い皮むき種取りすぐ塩水につけて再び洗い砂糖25~30%を加えて煮てレモン汁を加える

2025年5月18日日曜日

一行レシピ イサキの腹開き干し


腹から開き5%の塩水に1時間漬け風通しのいい日陰で半日干し腹7分背3分で焼く

2025年5月14日水曜日

夢の叶え方を知っていますか? 森 博嗣


自分はこうしたい、こうなりたい、こうでいたいというのが夢でしょう
私はそのような夢を若いときからたくさん心に描いてきました
そのいくつかは実現したし実現しなかった夢もたくさんありました

たとえば、
高校生の時に北アルプスの峰々の残雪を踏み高山植物を眺めながら縦走したこと
大学入試に失敗して一年間浪人生活をし希望の大学に入学できたこと
7,000m級の山からスキー滑降しようと周到に準備してのぞみ成功したこと
30代になってから英語の勉強をやりなおしアメリカの大学院に留学して修士号を取ったこと
etc.

人生という永いスパンの上にこれらの夢の一つ一つを置いてみればそれは小さなものです
その夢が達成されてしまうとそのあとに決まってしばらく虚脱した日々が続きました
そしてまた何かのきっかけで新しい夢を追い求める
私は永いあいだそんなことを繰り返してきたように思います

このような夢とその現実は自分の人生にとっていったいなんだったのでしょうか?
けして無駄ではなかったとは思いますがそれで充足された人生が訪れたとは感じられない
いつも物足りなさやあきらめまでがつきまとう経験だったのです

きっと夢というものの設え方がおかしかったのでしょう
その時々の何かに触発されて湧きあがってきたものを夢としていたのですから
そのような夢はたとえ実現しても満足感は一瞬にして消え去ってしまう

ーー

自分のこれからを考えて60歳を前に永年勤めた職場を離れることを決めました

自分がほんとうにやりたいことは何なのだろう?
どんな自分になりたいのだろう?
自分に向いていて楽しい面白いと思いながらお金の心配をせずにやり続けられること
そしてその結果人に喜んでもらえるようなこと

そんな都合のいいことがちょっと考えただけで思い浮かぶはずはありません
それでとりあえず藁細工と竹細工と茅葺きの三つを基本から学び直すことにしました
ともかくなにかを始めようと自分が好きなことを突き詰めることにしたのです
それは現在地からの延長に過ぎずそれこそ夢のない地味なものでした

ーー

藁細工はいくつかのサークルを転々としたあと良い機会を得ました
東京農工大学博物館友の会のわら工芸サークルに入ることができたのです
そこでコロナ禍をはさんで6年間にわたり藁細工を勉強しました
その間に多くの同好の方と知合うことができました

竹細工は藁細工よりも習得の機会が限られていました
群馬県のホームセンターでカルチャー講座があることを知りそこへ通うことにしました
そこで指導していたのが青竹細工道場の八柳良介さん(故人)でした
それから5年間八柳さんのところへ通い様々な作品の作り方を習いました

茅葺きは世田谷区の次大夫堀民家園に茅葺研究会というのがあるのを知りました
そこで開催されるイベントに何度も行って研究会の方と親しくなり入会しました
群馬県の川場村にある茅場での茅刈りを始めとしてあちこちで茅葺きについて学びました
民家園のなかに小さな茅葺き小屋を建てて実際に屋根を葺くこともできました

これらの経験をとおして三つの手仕事をより楽しくできるようになりました
必要な材料はふんだんに手に入れられるようになったので安心でした
これで作りたいものをいくらでも作れます

ーー

こうなってみるとつぎに三つの手仕事の楽しみを他の方にも伝えたくなりました
また自分が作ったものを販売してみたいとも思うようにもなりました
ところがこれらは簡単にはいきませんでした

自治体が主催する市民講座の一つとして藁細工講座を企画してみました
いろいろと細かい決まりがあって申請するのに手間がかかりました
それをクリヤしてようやく参加者の募集までこぎつけましたが応募者は0でした
この町には私が楽しんでいることに興味を持つ人がいないのかなと思いました

始めの頃は自分で作った作品を兄弟や友人にあげていました
それはもったいないと八柳さんに言われたので近くのフリーマーケットで販売してみました
参加費を払い作品を並べてみましたがただの一つも売れませんでした
格安なものを探し求めて来た人には値段が問題外だったようです

いまから4年前の春に地元のまつりで舟遊びの船頭をしていた時でした
その年に新しく船頭仲間になったひとりの若い人と知り合いました
その人が私の手仕事に興味を持ちワークショップを一緒にやりませんかと誘ってくれました
その人はいま川越市で活躍しているザ・サンの安田太陽さんでした

おっかなびっくりで始めたワークショップでしたが彼のサポートで順調に船出しました
参加された方が自分で作ったものに頬ずりして喜ぶのを見てかえってこちらが感動しました
ワークショップの楽しさが広まり地元以外の方からも実施の依頼を受けるようになりました

年末には藁細工の正月飾りにとくに人気があります
ワークショップに参加するだけでなく購入したいという方も多くいます
太陽さんから雑司ヶ谷鬼子母神で行われる手作り市への参加を勧められ行ってみました
そこで多くの方に作品を買っていただきました

こうして自分にもなにがしか手仕事を広めることができるのだと分かりました

ーー

これから私がやりたいのは文化の壁を越えて手仕事の喜びを共有する機会を作ることです

先日私のインスタグラムを見てイスラエルの女性が私の工房に来ました
彼女は二か月ほど日本各地で藍染、和紙などの伝統工芸を体験しにきたのです
私たちは縄綯いや縄飾りをしながら手仕事にまつわるいろいろな話をしました
彼女は日本だけでなく北アフリカやベトナムへも行ってその土地の手仕事を学んでいます
世界のどこへいっても手仕事がありその喜びや癒しがあることをはっきりと知りました

彼女は帰国後に私の工房で見知ったことをインスタグラムに投稿しました
すると私のインスタグラムにまで大きな反響がありました

世界の各地に日本の手仕事に興味を持つ人がいます
そのような方たちにもその楽しさ面白さを味わっていただけたらいいなと思います
そして私自身も各地の手仕事を見て知って作る機会を持ちたいです
これから私はそのために何をしたらいいかを考えて実行していくことになるでしょう

この本を読んでそんなことを考えました

 

2025年5月12日月曜日

職人ことばの「技と粋」 小関 智弘

私の竹細工の師匠は群馬県の青竹細工道場の八柳良介さん(故人)です
八柳さんの師匠は地元の職人の方だったようです
始めてから1年半の頃に底が筏のような形をしたかごの作り方を習いました
その時に八柳さんがちょっと気になる言葉を使いました
「このヒゴを半殺しにして曲げます」
「半殺し」とはヒゴが完全に折れないで曲っている様子をいいます
完全に折ってしまうとヒゴはほとんどの場合切れてしまいます
力が加わると抜けてしまういわゆる死んだ状態になります
曲がったままであればヒゴは切れないで力が加わっても持ちこたえることができます
これが「半殺し」といわれる状態です

物騒ですが竹細工の要点をうまく言い表した言葉だなと私は感心しました
八柳さんはおそらくこの言葉をご自分の師匠から伝え聞いたのではないかと推測します

技術を後進に伝えていくことは大切です
それをうまく伝えることができる職人は優れていると言えます

「ドイツでは、マイスターの資格を得るためには、自分の技術を後進に伝える能力があるかどうかの試験があって、それに合格しなければ、どんなにその職人の技が優れていても、マイスターにはなれません」


つたない手わざであってもこれまで続けてきて良かったなと思うことが何回かありました

たとえば知恵をしぼり時間をかけてようやくひとつ作り上げたとき
たとえばワークショップでお伝えしたことを参加した皆さんが喜んでくれたとき
たとえばこころを込めて作ったものを人が買い上げてくださったとき
「手は宝」というのだそうです

「ものづくりをする人たちの喜びはいつも、そのものを通して、人や社会から反射してくる光によって満たされるものだからです。それが生きる誇りとなるからこその宝です」


藁細工は日本の伝統工芸のなかでも地味なものだと思います
とびきり高価なものは無いし超絶的な技法というのもありません
それなのに青い藁で作った観賞用の高級な藁細工が高値で取引されています
このような傾向は伝統としての藁細工を衰退させるものだと考えます
切子というガラス細工の歴史を見るとそのことがはっきり分かります

「薩摩切子は、藩主が江戸から職人を呼んではじめたものです。藩主お抱えの職人ですから、つくるものが高級品になります。ところが藩が滅びてしまいます。お抱え藩主がいなくなれば、その技術も衰えます。反対に、江戸切子は一度も幕府に抱えられたことがないんです。江戸は、民間だから続いたのですね」

藁細工は有史以前から生活に用いる道具として発達し庶民のあいだで継承されてきました
なのでこれからもそのようにして守り続けていくのがふさわしいのだと思います


2025年4月12日土曜日

一行レシピ イワシの丸干し

真水で洗い鱗を落とし腸を抜き塩水(10%)に一時間漬けて半日干す

川越総合市場で石川のとれとれが格安だったので丸干しにしました

2025年2月15日土曜日

読書の価値 森 博嗣 

ぼくは読んだ本についてこのブログに書き留めています
森さんは読者が読後感などをブログなどに書くのは意味がないと言っています
それはただ本を読んだよとお知らせしているのにすぎないからと
すくなくともぼくについてはそれはあたっていません

ぼくはいま三つの分野のブログを書いています
藁細工、竹細工、茅葺きという手仕事についての覚書が「藁竹茅」です
自分が行った山旅や自転車旅についての記録が「人力遊山記」です
そして暮らしのなかでの印象的な出来事のメモが「一入亭日乗」です
これらのブログの主目的は忘れっぽいぼくが後々参照するためです

読んだ本については「一入亭日乗」に書いています
ぼくが本を読むのは読んだことによってすっきりとしたいからです
つまりぼくにとって本とは「読むクスリ」なのです
そのクスリが効いたのかどうかブログに書いているといったらいいでしょう

本に書いてあることが自分の人生経験にてらして納得できれば気分がいいのです
読んでそういう気分になれなければその本(クスリ)は効かなかったということです

それをブログに載せて白日の下にさらす必要があるのかと思う人もいるでしょう
ぼくとしては「このクスリは効くよ(または効かないよ)」とお知らせしたいのです

さてこの本についてです
「一日に一時間の読書の時間があるなら、同じくらいの時間を、本探しにかけても良いだろう」
同じくらいとは言わずとも、四分の一くらいの時間はかけてもいいかもしれない
ほとんど本探しをしていないぼくはもっと充実した読書人生を送れるはずですから


2025年2月12日水曜日

孤独の価値 森 博嗣

「孤独とは楽しさを失う感覚だと述べたのは、結局は、失うというその変化が、寂しいと感じさせる根源となっている、ということであり、逆に言えば、楽しさは、苦しさや寂しさを失った時に感じるもの、ということになる」

このように森さんは言っているけれど、世間的には孤独はマイナスなものと意識されている
その一方で、

「孤独とは今や「自由」の象徴でもある」

それは、

「一人でひっそりと生きて行きたい人も、それができるようになった」

からなのです
それどころか、

「ときどき孤独になった方が健康的だし、思考や行動も軽やかになる」
「楽しさに飢えた状態が「孤独」なのだから、そこから「楽しさ」を求める生産的で上向きな力が湧き上がってくるのも、自然の摂理なのである」

その生産的で上向きな力を何に使うのが人生にとって好ましいのでしょうか?

創作という行為が楽しいものであるとわたしは実感しています
そこで好きなことをするのが「孤独」の活用になります

「自由というのは、自分が思い描いたものを目指すこと、その夢を実現すること」

「この情報過多の現代では、孤独指向の生き方をしないと、自分を保てない人が増えてくるだろう」