2026年8月18日火曜日

藁(わら)Ⅰ、Ⅱ

日本における「ワラの文化」の歴史は稲作農業と同じ2000年を有するといいます

稲株のひげ根を姉さまの髪形になぞらえた、稲株アネコというのが可愛らしそう

「ワラの文化」は、
⑴ 農家人口、作付面積、米の収穫量の多い地域
⑵ 人口密度が低く、冬期間の日照時間の短い、積雪の多い地域
において相対的に豊かである
「ワラの文化」の中心は雪国である。

山地型社会の「ワラの文化」の方が平地型社会のそれより優れた展開を遂げている。

岩槻のフセギとナイダ
フセギ
村や家の出入り口に何らかの呪物を設置し、疫病や魔性などの平安を乱すものが外から村内や家内に侵入してくるのを防ぐべく禁圧したり、または、すでに村や家のなかに発生した災いを村や家の外に追い出そうとする。
ナイダ
かつて、人々は、村落における日常生活の中には、それらをそのまま放置しておけばやがて共同体的社会をその内部からむしばんでいくことになりかねない、いわば負のモーメントというべきものが存在すると考えていた

人びとがその生活と生存の場において何らかの不安を感ずる時、その不安は人々をして確実性、永遠性、自由性の探求へと駆り立て、その結果として呪術および宗教という人類共通の営みが生まれる。

もちろん地域差はあるであろうが、日本における「ワラの文化」の終焉は、およそ昭和35~40(1960~65)ごろであったといってよいだろう。

文化の成立や発展に寄与した要因が時代の推移に伴って変容し、その価値が相対的に希薄化してくると、およそ、その文化は衰退し、やがて死滅していくものである。



0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。