2021年6月21日月曜日

「村の一年(写真で見る日本生活図引別巻)」           熊谷元一=写真 須藤功=編


昨年の夏至からこの本を読みはじめ、ちょうど一年かけて読み終わりました
写真集なので「見終わりました」というのが正しいかもしれません

この写真集は高度成長の波が押し寄せる直前のある農家の一年をとらえたものです
今から65年前のその暮らしはじつに自給自足的で現代の感覚からすると貧しいです

一家は衣食住のほとんどすべてを自分たちの手でなんとかしていました
だからとても忙しくて体だけでなく頭もとても疲れたことと思います

それなのに、というか、それだからこそ家族の表情がとてもいいのです
とりわけ子供たちの明るい笑顔に心を打たれます

つましい暮らしの中でこれほどに幸せそうにしていられたのはなぜでしょうか?
貧富を問わず、今この家族のように暮らせている人たちはどれほどいるのでしょうか?

この写真集を編集した須藤功という人が本のはじめに
「豊かさの初めに掲げるべき思いやりの心を、家族も村人も等しく持っている」
と書いています

私たちは豊かになるとともに笑顔も思いやりの心も失ってしまったようです

つつむ、きく、このあい


「つつむ、きく、このあい」
これですべてです

「つつむ、きく、このあい」の「つ」は「作る」の「つ」です
自分で作るのが好きです
たくさん作りたいものがあるうちでとりわけ三つに集中しています

「藁細工」
「竹細工」
「茅葺き」

「つつむ、きく、このあい」の「つ」は「伝える」の「つ」です
自分だけでなく誰でも見られるようにブログに記録しておきます

「藁竹茅」は藁細工、竹細工、茅葺き
「人力遊山記」は山歩き、自転車旅、舟遊び
「一入亭日乗」はそれら以外すべて

「つつむ、きく、このあい」の「む」は「睦む」の「む」です
人との睦みあいこそ喜びの源泉です

「息子」
「友人」
「すべての人」

「つつむ、きく、このあい」の「き」は「気づく」の「き」です
見る、聴く、読むをとおしての気づきです

「見聞」は人の話し、テレビ、ラジオなど
「学ぶ」はサークル、講座など
「読む」は新聞や本です

「つつむ、きく、このあい」の「く」は「暮らす」の「く」です
暮らしのためになおざりにできない事の数々です

「衣食住」
「経済」
「諸事」

「つつむ、きく、このあい」の「こ」は「言葉」の「こ」です
大切な言葉を慈しみます

「日本語」は母なる言葉です
「英語」はグローバルなコミュニケーションのための言葉です
「仏語」は異文化への扉となる言葉です

「つつむ、きく、このあい」の「の」は「遺す」の「の」です
ささやかな人生の遺物として三つあります

「農家」は新潟の一入亭のことです
「町家」は川越のハーミ亭のことです
「車」は一入亭とハーミ亭を結ぶものです

「つつむ、きく、このあい」の「あ」は「遊ぶ」の「あ」です
三つのジャンルの遊びに集中します

「山歩き」として登山とスキーをします
「自転車旅」を国内外でします
「舟遊び」は新河岸川の船頭と海で波乗りです

「つつむ、きく、このあい」の「い」は「癒す」の「い」です
いろいろな癒しのうちでとりわけ三つのことです

「睡眠」は質の高い眠り
「運動」は散歩、ダンス、筋トレ・ストレッチ
「音楽」はジャズとクラシック

「つつむ、きく、このあい」
今はこれがすべてです

2021年6月8日火曜日

草刈り

今年最初の草刈りです
まだフキが元気なのでそれをよけながら刈ります
「フキ以外の雑草を刈ると年々フキが優勢になっていつか一面がフキだらけになる
そうしたら庭は食べ物で一杯になるし草刈りはずっと楽になる」
これを「選択的草刈りプロジェクト」と名付け一人静かに昨年から展開中です
10年ぐらいするとその結果がわかるでしょう

今年は梅雨入り前に茅葺きも草刈りも終えることができてほっとしました
沈む夕陽を肴に水割り焼酎を傾けました


2021年6月5日土曜日

マソイの煮付け

いつもの土曜日のように川越市場に買い出しに行きました
今日は曇り空で干物を干すには向いていないなと思いながら自転車をこいでいきます

市場の魚店を見て回っていると売れ残りの形のいいマソイが目にとまりました
これを煮付けよう!

筋肉質の身に脂がのっていて美味しかったです


2021年5月6日木曜日

「予想どおりに不合理」 ダン・アリエリー


ソクラテスは、吟味されない人生は生きる価値がないといった。

社会規範と市場規範を別々の路線に隔てておけば、人生はかなり順調にいく。

一番高いセックスは無料のセックスだ。

人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。

市場規範が少なめで社会規範が多めの生活のほうが、有意義に実感をもって楽しく暮らせると確信できた。

社会規範は人々に他者の幸福を思い出させ、その結果、利用できる資源に負担をかけない程度まで消費を抑えさせる。

値段を持ち出さないことが社会規範をもたらし、社会規範があることでわたしたちは他者のことをもっと気にかけるようになる。

2021年5月4日火曜日

ウマヤ

中門造りの民家に入るとすぐのところにウマヤがあります
ここで農耕用の馬や牛が飼われていました
耕運機の普及によりそれらの役用動物は飼われなくなり空間だけが残りました
右側の半分ほどがウマヤ

チュウモンの「通り」の左側がウマヤ

一入亭のウマヤを便所、風呂場、そして洗面所に改造しました
試行錯誤しながら25年かけて今年ようやく完成しました

ウマヤへはニワから2mほどスロープを下って入ります


スロープ下の右手が洗面所です
洗面台にはふだんフタをしておきます

その奥が便所です
水洗トイレです

古い引き戸を開けたところが風呂場です
脱衣スペースには洗濯機がありその上に脱衣かごを置いています
床や洗い場は杉に柿渋塗り、湯舟はステンレスです

里の景色を眺めながら入浴するのが好きです

2021年5月2日日曜日

ハーミ亭 庭にハーブ

家づくり学校の竹内慶子さんから新築祝いとしてハーブ苗をたくさんいただきました
        ワイルド・ストロベリー ビタミンCと鉄分で貧血予防
        レモンバーム      ハーブティーで元気が出る
        ルッコラ        ゴマ味で抗ガン、抗菌、血栓予防
        イタリアンパセリ    ビタミンなどが豊富で体が喜ぶ
        ジャーマン・カモミール ハーブティーで安眠
        ローズマリー      血行を良くし疲労回復
        ブロンズ・フェンネル  老廃物を外に出す
        モヒート・ミント    血行を良くし腸を整える

これらを東側の庭に並べて植えました

2021年4月24日土曜日

「ホモ・デウス 下」 ユヴァル・ノア・ハラリ


宇宙は盲目的で目的のないプロセスであり、響きと怒りに満ちているが、何一つ意味はない。芥子粒のように小さい惑星で無限小の時を送る間、私たちはあれこれ頭を悩ませ、あちこち歩き回り、そして、やがてそれきりとなる。

現代の生活は、実際的なレベルでは、意味を持たない世界の中での力の追求から成る。現代文化は史上最強で、絶え間なく研究や発明、発見、成長を続けている。同時に、これまでどの文化も直面したことのないほど大きな実存的不安にさいなまれている。

現代における力の追求は、科学の進歩と経済の成長の間の提携を原動力としている。これまでほとんどの時代で科学はカタツムリが這うようにゆっくりと進歩し、経済は完全な凍結状態にあった。人口が徐々に増えていたので、生産もそれに比例して増え、散発的な発見が一人当たりの生産量の増大につながることさえときどきあったが、それはじつに緩慢な過程だった。

近代に入り、人々がしだいに将来を信頼するようになり、その結果、信用に基づく経済活動の奇跡が起こったおかげで、この悪循環がようやく断ち切られた。信用(クレジット)とは、信頼の経済的な表れだ。

人々が何千年にもわたって将来の成長をほとんど信じなかったのは、愚かだったからではなく、成長が私たちの直感や、人間が進歩の過程で受け継いできたものや、この世界の仕組みに反しているからだ。自然界の系の大半は平衡状態を保ちながら存在していて、ほとんどの生存競争はゼロサムゲームであり、他者を犠牲にしなければ繁栄はない。

人類は何百万年もかかって進化する間、チスイコウモリやキツネやウサギなどと同じような状況にあった。だから、人間も成長を信じるのが苦手なのだ。

現代は、経済成長は可能であるばかりか絶対に不可欠であるという固い信念に基づいている。祈りや善行や瞑想は慰めや励みとなるかもしれないが、飢饉や疫病や戦争といった問題は成長を通してしか解決できない。この根本的な心情は、一つの単純な考え方に要約できる。「もし何か問題が起こったら、おそらくより多くのものが必要なのだ。そして、より多くのものを手にするには、より多くを生産しなければならない」

「より多くのもの」という信条は、社会の平等を維持したり、生態の調和を守ったり、親を敬ったりといった、経済成長を妨げかねないことはすべて無視するように個人や企業や政府に強いる。

資本主義は、人間が経済を、あなたの得は私の損というゼロサムゲームと見なすのをやめて、あなたの得は私の得でもあるという、誰もが満足する状況と見るように促すことで、全世界の平和に重要な貢献をしたことに疑念の余地はない。

世界は決まった大きさのパイであるという伝統的な見方は、世界には原材料とエネルギーという2種類の資源しかないことを前提にしている。だがじつは、資源には3種類ある。原材料とエネルギーと知識だ。原材料とエネルギーには量に限りがあり、使えば使うほど残りが少なくなる。それに対して、知識は増え続ける資源で、使えば使うほど多くなる。実際、手持ちの知識が増えると、より多くの原材料とエネルギーも手に入る。

したがって私たちには、資源の欠乏という問題を克服する可能性は十分ある。現代の経済にとっての真の強敵は、生態環境の崩壊だ。科学の進歩と経済の成長はともに、脆弱な生物圏の中で起こる。そして、進歩と成長の勢いが増すにつれて、その衝撃波が生態環境を不安定にする。
経済が成長さえしていれば、科学者と技術者がいつも世界の破滅から私たちを救ってくれると信じている政治家や有権者があまりに多すぎる。

資本主義の世界では、貧しい人々の暮らしは経済が成長しているときにしか改善しない。したがって彼らは、今日の経済成長を減速させることによって将来の生態環境への脅威を減らす措置は、どんなものも支持しそうにない。

現代の世界は成長を至高の価値として掲げ、成長のためにはあらゆる犠牲を払い、あらゆる危険を冒すべきであると説く。集団のレベルでは、各国の政府や企業や組織は、自らの成功を成長という物差しで測り、平衡状態は悪魔であるかのように恐れることを奨励される。個人のレベルでは、私たちは絶えず収入を増やし、生活水準を高めるように仕向けられる。たとえ現状に十分満足しているときでさえ、さらに上を目指して奮闘するべきなのだ。

現代社会を崩壊から救ったのはだれか? 人類を救出したのは需要と供給の法則ではなく、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭だった。

伝統的には宇宙の構想が人間の人生に意味を与えていたが、人間至上主義は役割を逆転させ、人間の経験が宇宙に意味を与えて当然だと考える。人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけでなく森羅万象の意味も引き出さなくてはならないという。意味のない世界に意味を生み出せーこれこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律なのだ。

浮気について現代人の意見はさまざまだが、彼らはたとえどんな立場を取ろうと、聖典や神の戒律ではなく人間の感情の名において、その立場を正当化する傾向にある。物事は、そのせいで誰かが嫌な思いをするときだけ悪いものになりうることを、人間至上主義は私たちに教えた。

仮に私が神を信じていたら、そうするのは私の選択だ。私の内なる自己が神を信じるように命じるのなら、私はそうする。私が信じるのは、神の存在を感じるからで、神はそこに存在すると私の心が言うからだ。だが、神の存在をもう感じなければ、そして、神は存在しないと突然自分の心が言い始めたら、私は信じるのをやめる。どちらにしても、権威の本当の源泉は自分自身の感情だ。だから、神の存在を信じるといっているときにさえも、じつは私は、自分の内なる声のほうを、はるかに強く信じているのだ。

人間たちが自分に自信を持つようになると、倫理にまつわる知識を得るための新しい公式が登場した。知識=経験×感性だ。倫理にまつわるどんな疑問に対しても答えを知りたければ、自分の内なる経験と接触し、この上ないほどの感性をもってそれを観察する必要がある。そんなわけで、私たちは経験を積み重ねるために何年も過ごし、その経験を正しく理解できるように自分の感性を磨くことで、知識を探し求める。

人間至上主義においてはこのように、経験を通して無知から啓もうへと続く、内なる変化の過程の漸進的な過程として人生を捉える。人間至上主義の人生における最高の目的は、多種多様な知的経験や情動的経験や身体的経験を通じて知識を目いっぱい深めることだ。

じつは「自由」という神聖な単語は、まさに「魂」と同じく、具体的な意味などまったく含まない空虚な言葉だったのだ。自由意志は私たち人間が捜索した様々な想像上の物語の中だけに存在している。

私は自分の欲望を選ぶことはない。私は欲望を感じ、それに従って行動するにすぎない。それにもかかわらず、人が自由意思について論じ続けるのは、科学者までもが時代遅れの神学的な概念を相変わらず使っていることがあまりに多いからだ。

なぜこの考えを思いついたのか?一瞬前にこのことを思いつくことにして、それからようやく思いついたのか?それともこの考えは、私の指示も許可もまったくなしに、自然に湧いてきたものか?もし私が本当に自分の考えや決定の主人公なら、これから1分間、何も考えないことにできるだろうか?

矛盾するようだが、私たちは空想の物語のために犠牲を払えば払うほど執拗にその物語にしがみつく。その犠牲と自分が引き起こした苦しみに、ぜがひでも意味を与えたいからだ。

私たちのそれぞれが手の込んだシステムを持っており、自分の経験の大半を捨てて少数のより抜きのサンプルだけを取って置き、自分の見た映画や、読んだ小説、耳にした演説、ふけった白昼夢と混ぜ合わせ、その寄せ集めの中から、自分が何者で、どこから来て、どこへ行くのかにまつわる筋の通った物語を織り上げる。この物語が私に、何を好み、誰を憎み、自分をどうするかを命じる。私が自分の命を犠牲にすることを物語の筋が求めるなら、それさえこの物語は私にやらせる。

21世紀の経済にとって最も重要な疑問はおそらく、膨大な数の余剰人員を一体どうするのか、だろう。ほとんどなんでも人間より上手にこなす、知識が高くて意識を持たないアルゴリズムが登場したら、意識のある人間たちはどうすればいいのか?
太古の狩猟採集民は、生き延びるために実に様々な技能を身につけた。だから、ろぼっとの狩猟採集民を設計するのは途方もなく難しいだろう。そのロボットは、火打石から槍の穂先を作ったり、森で食べられるキノコを見つけたり、マンモスを追い詰めたり、10人余りの仲間と連携して攻撃を仕掛けたり、そのあとで薬草を使って傷の手当てをしたりする方法を知っている必要がある。

アルゴリズムが人間を求人市場から押しのけていけば、富と権力は全能のアルゴリズムを所有する、ほんのわずかなエリート層の手に集中して、空前の社会的、政治的不平等を生み出すかもしれない。

21世紀には、私たちは新しい巨大な非労働者階級の誕生を目の当たりにするかもしれない。経済的価値や政治的価値、さらには芸術的価値さえ持たない人々、社会の繁栄と力の華々しさに何の貢献もしない人々だ。この「無用者階級」は失業しているだけではない。雇用不能なのだ。

人はたいてい、不運な祖先とではなく、もっと幸運な同時代人と自分を比較する。


2021年4月19日月曜日

シート回収

この冬に風に吹き飛ばされたシートをようやく回収しました
雪の下に埋まってしまったので今まで放っておいたのです
点検したところ

前山 破損が甚だしいため来冬は新調する必要あり
後山 破れているところを補修すればあと一、二冬使えそう
後平 まだ使える


2021年4月15日木曜日

「ホモ・デウス 上」 ユヴァル・ノア・ハラリ


人間は幾世代となく、ありとあらゆる神や天使や聖人に祈り、無数の道具や組織や社会制度を考案してきた。それにもかかわらず、飢饉や感染症や暴力のせいで膨大な数の人が命を落とし続けた。

新たなエボラ出血熱が発生したり、未知のインフルエンザが現れたりして地球を席巻し、何百万もの人命を奪うことがないとは言い切れないものの、私たちは将来そういう事態を、避けようのない自然災害と見なすことはないだろう。

ほとんどの地域では、戦争はかってないほど稀になった。古代の農耕社会では死因のおよそ15パーセントが人間の暴力だったのに対して、20世紀には、暴力は死因の5パーセントを占めるだけだった。そして21世初頭の今、全世界の死亡率のうち、暴力に起因する割合はおよそ1パーセントにすぎない。
ペルーやハイチ、フィリピン、アルバニア(貧困と政情不安に苦しむ開発途上国)で毎年自殺する人は10万人当たり5人程度だ。一方、スイスやフランス、日本、ニュージーランドのような豊かで平和な国では10万人当たり10人以上が自ら命を絶っている。韓国は…今日では10万人当たり36人にのぼる。

私たちは一人残らず、特定の歴史的現実の中で生まれ、特定の規範や価値観に支配され、特定の政治経済制度に管理されている。そして、この現実を当たり前と考え、それが自然で必然で不変だと思い込んでいる。私たちの世界が偶然の連鎖で生み出されたことや、歴史が私たちのテクノロジーや政治や社会だけでなく、思考や恐れや夢までも形作ったことを忘れている。
歴史を学ぶ目的は、私たちを押さえつける過去の手から逃れることにある。

「アルゴリズム」は、私たちの世界で間違いなく最も重要な概念だ。私たちの生活と将来を理解したければ、アルゴリズムとは何か、そしてアルゴリズムが情動とどう結びついているかを理解するために全力を挙げるべきだ。
アルゴリズムとは、計算をし、問題を解決し、決定に至るために利用できる、一連の秩序だったステップのこという。アルゴリズムは特定の計算ではなく、計算をするときに使う方法だ。私たちが感覚や情動とか呼ぶものは、じつはアルゴリズムに他ならない。

配偶者やキャリアや居住地などにかかわる、人生でもとりわけ重要な選択も含め、私たちが下す決定の99パーセントは、感覚や情動や欲望と呼ばれる実に精密なアルゴリズムによってなされる。

2万年前、平均的なサピエンスはおそらく、今日の平均的なサピエンスよりも知能が高く、道具製作機能も優れていただろう。

じつのとろ、ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークの中でしか意味がない。

歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりするのをながめ、ある時代の人々にとって最も重要に見える事柄が、子孫には全く無意味になるのを理解することだ。

人々は意味のウェブを織り成し、心の底からそれを信じるが、遅かれ早かれウェブはほどけ、後から振り返れば、いったいどうしてそんなことを真に受ける人がいたのか理解できなくなる。

2021年3月27日土曜日

一行レシピ はるかのマーマレード

 

千切りし二回煮こぼし水切し60%の重さのグラニュ糖とひたひたの水で強火➡弱火で煮詰める

2021年3月26日金曜日

焼き肉のたれ

 2人前   しょうゆ 大さじ3
       さとう 大さじ1 1/3
       みりん 大さじ1
         湯 大さじ1
       ゴマ油 大さじ1
     白すりゴマ 小さじ1
   おろしニンニク 小さじ1/2
      コショウ 少々


『サピエンス全史 下』 ユヴァル・ノア・ハラリ


人類は数百万年前から現在に至るまであれやこれやと重ね重ねやってきました
それらを概観したうえで人類の現在地を幸福という視点から眺めなおしています
そして仏教の幸福探求の立場がもっとも興味深いと結論しています

「仏教によれば、たいていの人は快い感情を幸福とし、不快な感情を苦痛と考えるという。その結果、自分の感情に非常な重要性を認め、ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになる。脚を掻くことであれ、椅子で少しもじもじすることであれ、世界大戦を行うことであれ、生涯のうちに何をしようと、私たちはただ快い感情を得ようとしているにすぎない。
 だが仏教によれば、そこには問題があるという。私たちの感情は、海の波のように刻一刻と変化する、束の間の心の揺らぎにすぎない。五分前に喜びや人生の意義を感じていても、今はそうした感情は消え去り、悲しくなって意気消沈しているかもしれない。・・・
 人間は、あれやこれやのはかない感情を経験したときではなく、自分の感情はすべて束の間のものであることを理解し、そうした感情を渇愛することをやめたときに初めて、苦しみから解放される。それが仏教で瞑想の修練を積む目的だ。」

このようなブッダの教えは「ダルマ」という普遍的な自然の法則と見なされています

        苦しみは渇愛(快さをつねに希う気持ち)から生まれる

 苦しみから解放される唯一の道は渇愛から解放されることにある
渇愛から解放される唯一の道は心を鍛えて現実をあるがままに経験することである

仏教の第一原理は、「苦しみは存在する。それからどう逃れるか?」です


あとがき—神になった動物

 七万年前、ホモサピエンスはまだ、アフリカの片隅で生きていくのに精一杯の、取るに足りない動物だった。ところがその後の年月に、全地球の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえも手に入れかけている。
 不幸にも、サピエンスによる地球支配はこれまで、私たちが誇れるようなものをほとんど生み出していない。私たちは環境を征服し、食物の生産量を増やし、都市を築き、帝国を打ち立て、広大な交易ネットワークを作り上げた。だが、世の中の苦しみの量を減らしただろうか?人間の力は再三にわたって大幅に増したが、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増進しなかったし、他の動物たちにはたいてい甚大な災禍を招いた。
 過去数十年間、私たちは飢饉や疫病、戦争を減らし、人間の境遇に関しては、ようやく多少なりとも真の進歩を遂げた。とはいえ、他の動物たちの境遇はかつてないほどの速さで悪化の一途をたどっているし、人類の境遇の改善はあまりに最近の薄弱な現象であり、けっして確実なものではない。
 そのうえ、人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらずに不満に見える。カヌーからガレー船、蒸気船、スペースシャトルへと進歩してきたが、どこへ向かっているのかは誰にも分からない。私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいのかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いが無く、自ら神にのし上がった私たちが責任をとらなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど求めないが、それでもけっして満足できずにいる。
 自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?


Post-scriptum - Un animal devenu un dieu

Il y a 70 000 ans, l'Homo sapiens était encore un animal insignifiant à vivre dans un coin d'Afrique. Cependant, dans les années suivantes, il est devenu le maître de toute la terre et a menacé l'écosystème. Aujourd'hui, Homo sapiens est sur le point de devenir un dieu, gagnant non seulement la jeunesse éternelle, mais même la capacité divine de création et de destruction.
Malheureusement, la domination de Sapiens sur la Terre a jusqu'à présent produit peu de choses dont nous pouvons être fiers. Nous avons conquis l'environnement, augmenté la production alimentaire, construit des villes, établi des empires et créé de vastes réseaux commerciaux. Mais a-t-il réduit la quantité de souffrance dans le monde? La puissance humaine a augmenté de manière significative à maintes reprises, mais le bien-être des sapiens individuels ne s'est pas nécessairement amélioré, et d'autres animaux ont généralement subi une énorme catastrophe.
Au cours des dernières décennies, nous avons réduit la famine, la peste et la guerre, et avons enfin fait de réels progrès en termes de conditions humaines. Cependant, les conditions des autres animaux se détériorent plus rapidement que jamais, et l'amélioration des conditions humaines est un phénomène faible qui est si récent qu'il n'est en aucun cas certain.
De plus, bien que les humains puissent faire beaucoup de choses étonnantes, nous restons incertains de notre objectif et paraissons toujours insatisfaits. Nous avons progressé des canoës aux galères, aux bateaux à vapeur et aux navettes spatiales, mais personne ne sait où nous nous dirigeons. Nous sommes plus forts que jamais, mais nous ne savons guère à quoi utiliser ce pouvoir. C'est encore pire parce que l'humanité semble plus irresponsable que jamais. Nous n'avons que les lois de la physique, et nous qui sommes montés à Dieu par nous-mêmes n'avons personne à qui assumer la responsabilité. En conséquence, nous avons dévasté nos compagnons animaux et les écosystèmes environnants, ne cherchant guère que notre propre confort et plaisir, mais néanmoins insatisfaits.
Y a-t-il quelque chose de plus dangereux que les dieux insatisfaits et irresponsables qui ne savent pas ce qu'ils veulent?


Postscript — An animal that has become a god

70,000 years ago, Homo sapiens was still a trivial animal to live in a corner of Africa. However, in the following years, it became the master of the whole earth and threatened the ecosystem. Today, Homo sapiens is on the verge of becoming a god, gaining not only eternal youth, but even the divine ability of creation and destruction.
Unfortunately, Sapiens's domination of the Earth has so far produced little that we can be proud of. We have conquered the environment, increased food production, built cities, established empires, and created vast trading networks. But did it reduce the amount of suffering in the world? Human power has increased significantly over and over again, but the well-being of individual sapiens has not necessarily improved, and other animals have usually suffered tremendous catastrophe.
Over the last few decades, we have reduced famine, plague, and war, and have finally made some real progress in terms of human conditions. However, the conditions of other animals are deteriorating faster than ever, and the improvement of human conditions is a weak phenomenon that is so recent that it is by no means certain.
Moreover, although humans can do many amazing things, we remain uncertain about our purpose and still look dissatisfied. We've made progress from canoes to galleys, steamships, and space shuttles, but no one knows where we're heading. We are stronger than ever, but we have little idea what to use that power for. It's even worse because humanity seems to be more irresponsible than ever. We have only the laws of physics, and we who have risen to God by ourselves have no one to take responsibility for. As a result, we have devastated our fellow animals and the surrounding ecosystems, seeking little but our own comfort and enjoyment, but nevertheless unsatisfied.
Is there anything more dangerous than the dissatisfied and irresponsible gods who don't know what they want?



2021年3月21日日曜日

『サピエンス全史 上』 ユヴァル・ノア・ハラリ

 
人類は発生から今日までどんな歴史をたどったのでしょうか?
そんなことはふだん考えもしません
たいてい日常の面倒なことや多少面白いことなどにかまけていて時間が過ぎます

ホモ(ヒト)属が進化して初めて道具を使いだしたのが250万年前
火が日常的に使われるようになったのが20万年前
永続的な定住生活をしながら植物を栽培化と動物の家畜化を始めたのが1万2千年前

定住する以前の数百万年間は人は移動しながら狩猟採集の生活をしていました
わたしたちヒトの本能はその長い狩猟採集生活のなかで形成されてきたのです

定住生活をはじめてからまだわずか1万年ほどしか経っていません
なので現代人のDNAは狩猟採集生活時代のままであり定住に適応できていないのです
ここに現代のヒトが抱える様々な問題の根本的な原因があります

定住を始めたヒトは移動生活をしていた時よりも楽になることを期待しました
ところが農業生産がどれだけ拡大しても労働時間は短くならず生活は豊かになりませんでした
農民が生み出した余剰生産物は常にエリート層に掠め取られてしまったからです
むしろ狩猟採集をしていた時代の方がヒトは幸せだったのです

ヒトは何百、何千世代にもわたる長い時間をかけて狩猟採集の生活を形作りました
さまざまな技術や知識を総動員して自給自足していく生活は充実したものでした
その頃のヒトは今よりも脳も身体も大きかったという証拠があります

このようなことを知ると今のヒトの生活はとても歪んだものなのだと気がつきます
自然と離れた生活をすればするほどその歪みは拡大していくと実感しています


2021年3月14日日曜日

『間違いだらけのクルマ選び 2021年版』島下泰久

クルマ選びは楽しいものです
この本はその参考になるようにと書かれています

著者はクルマについて広範な知識や運転経験があります
でなければこのような本は書けないでしょう
客観的にクルマを評価するのは難しいことでしょうから

主観に陥らずにクルマを選ぶためにこの本は一定の役に立つでしょう
あえて「一定」と留保したのはこの本だけではクルマ選びはできないと思ったからです

クルマは持ち主のライフスタイルをバックアップできるものであって欲しいです
そのライフスタイルは人さまざまです
自分自身のライフスタイルを見定めずにいいクルマ選びはできないでしょう
ライフスタイルと照らし合わせながら自分の求めるクルマを考えてみました

<自分のライフスタイルと必要なクルマの機能>
ひと冬に何度も雪山へ行くし夏は畑道も走る⇒駆動方式は四輪駆動で最低地上高が高い
長距離を余裕をもって走りたい⇒スムーズで高いシステム出力
維持費を抑えつつ環境にも配慮したい⇒高燃費
できるだけ化石燃料を使いたくない⇒普段使いはEV走行で可能
車中泊や災害発生時に役立てたい⇒外部に給電できる
出先で充電や給油を心配したくない⇒プラグイン・ハイブリッドで燃料タンクが大容量
取り回しが楽⇒最小回転半径が小さい
たくさんの荷物が積める⇒荷室容量が大きい
運転の疲労を少なくし事故は回避したい⇒予防安全性能が高い
万が一の事故に備えたい⇒衝突安全性能が高い

こんなところでしょうか

インターネットにはいろいろなクルマの情報があふれています
見ているとどのクルマが不都合ないのか分からなくなってきます
落ち着いて順を追って考えてみます

まずクルマのジャンルは自分のライフスタイルからするとSUVが最適です
高い外車は回避して国産の中から6台を選び、性能などを評価・比較してみました

<現行国産SUV比較>

この結果はRAV4 PHVが自分のライフスタイルに一番合っていることが分かりました
RAV4 from wiki
<RAV4 PHV>
駆動方式     電動式四輪駆動
システム     プラグイン・ハイブリッド(最高出力306ps)
燃費       22.2㎞/ℓ(WLTCモード)
EV走行距離     95㎞
1500W外部給電   3日間
充電時間     5時間30分(200V)
航続距離     1,316㎞(燃料タンク55ℓ)
最小回転半径   5.5m
最低地上高    195㎜
荷室容量     490ℓ
衝突安全性能   ★★★★★
予防安全性能   ASV+++
© yasuyuki suketomo

2021年3月12日金曜日

一行レシピ メバル煮付け

黒メバル 市場魚介類図鑑より

鱗と腸を取り水洗い湯通し、煮立った汁(水3醤油1酒1砂糖1)に入れ中火で10分煮る


2021年3月9日火曜日

『聞き書き 伝統建築の家 造る 住む 直す 職人の技』 原田紀子



読む本はたいてい家の近くの川越市立図書館で借りて読みます
先日そこへ本を返しに行った折りいつものように新刊書コーナーを眺めわたしました
するとこの本が目にとまったので借りてきました

たくさんの本を図書館で気軽に借りて読めるのはありがたいことです
借りた中にはどうしても読み進められなく途中で返却してしまう本があります
それでも懐が痛むことはありません
そうかと思うと自分のために書かれたのかと思うような本に出合うこともあります
そんな時は「図書館、ありがとう!」と心の中で叫びます

ーー

 家の基礎など下は法律(建築基準法)でとにかくしょうがないので、コンクリートをベタ打ちにして、布基礎立ち上げて、土台にアンカー入れるけど、上だけは、伝統工法でやりたいぞって、俺はずっと思ってきたわけ。
大工 星野 清信

 サラリーマンはいくら偉くなっても勤めているところから退いちゃうと何も残らないんじゃないでしょうか。大工は仕事をやめても物が残っている以上は、誰が造ったとか、どういうふうにやったんだとかが分かる。
大工 嶋澤 恭雄

 始めて半年から一年ぐらいのころやったと思う。東京からお遍路で回ってきた人が、自分の現場に来て、ふっと足場に乗って、「その紐、貸して」言うて、どんどん、どんどん、編み出した。手付きがすばらしゅうて、話しするうちにね、「兄さんに教えてやってもいい」言うた。
小舞 弘田 充

今ある茅葺き屋根は百年二百年と残っている実績のある建物なのに、それを残そうとするとどうしても文化財的な保存になりがちです。・・・それで普通の人が暮らして行けるような茅葺き屋根の家っていうのを提案していきたいんです。
茅葺き職人 松木 礼 

 旅行の前にはたいてい『日本の食生活全集』(農文協、全50巻)のその県の巻を読んで、伝統の食とか民俗的事象などいちおうの目標を持って出かける。
原田紀子

 職人は小千谷の手前、越後川口の和奈津という部落から来てくれていたんです。それが去年(2011年)棟梁(一入亭の茅屋根を葺いた喜多村 暁さん)がなくなって。その下に二人いらっしゃって引き続き来てくださるんですけども、なかなか二人ではやっていけないということで、どこかの組に入るそうです。
料理屋 南雲直子

 最近はとみに伝統建築の仕事がないと言う。なぜ日本人は自国のすばらしい文化を伝承しようとしないのだろうか。
原田紀子

ーー

伝統建築の家を建てようとすると普通の家の少なくとも倍のお金がかかります
大多数の日本人にとってはそれは無理な話です

どれくらいの日本人が伝統建築に心から親しんだ経験を持っているでしょうか
伝統建築の家に住んだり逗留したりした経験ない人が増えています
そのような経験なしに伝統建築の家を建てたいとは思わないでしょう
経験のないことを伝承しろと言われてもそれはできませんよね

いまは伝統建築のほかにも魅力的な家はたくさんあると認める方が妥当でしょう
日本人に限らず、人は自分に訴求力のある家を選ぶのです
「なぜ日本人は・・・」より「どのようにしたら日本人は・・・」と前向きに考えます


2021年3月4日木曜日

『川漁』 戸門秀雄


一入亭へは車で行きます
一般道を使い(国道17号経由)一年間で20回ほど通います
高速道路は通行料金が高い(往復で一万円近く)ので使いません

まず交通量の多い道を家から上越の山麓まで走ります
利根川の支流を遡り三国峠のトンネルを抜けると魚野川の流域に入ります
それから一入亭の近くまでおおよそ魚野川にそって下っていきます
家から一入亭まで片道5時間半ほどかかります

道々魚野川の川面がのぞけるようなところも走ります
梅雨の終わりごろからは鮎釣りをする人の姿が川辺に目立ち始めます
釣りはしないのでそれに気をとられることはありません

30年近く前に魚野川をカヌーで下りたいと思ってました
そんなに危なくなく景色も良さそうだからです
釣り人とのトラブルを先回りして心配したりもしました
川下りは実現することなく今に至っています

ある夏に一入亭の近くの魚野川の簗場に行きました
広い河原の中に簗があってとなりに足高の建物がありました
建物の中は座敷になっていて涼しい風が吹き抜けていました
アユの塩焼きやウナギなどを美味しく食べました
その後の豪雨でその建物は簗場もろとも押し流されてしまいました

その河原に一入亭の通り土間に敷く石を息子たちと拾いに行ったことがあります
河原にある手のひら大の丸くて薄い石をたくさん拾いました
それを通り土間のモルタルにはめ込みました

わたしと魚野川とはこの程度のつき合いでした

この本には魚野川と正面から向き合って暮らしてきた人たちのことが書かれています
川漁は単なる釣りではなくてこの地域の文化と深くかかわっていることが分かります
これまでそのことに思いが至りませんでした

魚野川での川漁は江戸時代から今日までおおきく変遷してきました
幕府や藩が鮭漁をどのように位置づけていたかなど想像したこともありません
遡上してくる鮭を漁業組合が捕獲し孵化させ放流していることも知りませんでした

川漁で使う道具は造船、鍛冶など様々な伝統技術が駆使されていました
わたしがやっている竹細工や藁細工も川漁にはなくてはならない技術でした
獲れた魚の調理や保存の方法は昔からの知恵が生きていて興味深いものです

これらのことが豊富な実例や資料とともにとても面白く書かれていました
自分の手元に置いておきたいと珍しく思うような本でした

「伝統漁」ということばがこの本のサブタイトルに使われています
その意味するところを考えてみました

「伝統」とはなんでしょう
昔から魚野川で漁をしてきた人々が作り上げてきた自然と社会への向き合い方でしょうか
たんなる漁法とかなんとか狭い意味でのことではないと思います

江戸時代から今日に至るまで魚野川の川漁は変わり続けてきました
幕藩体制のもとでは川漁にも冒しがたい厳しさがありました
今は資源としての魚が枯渇しないように漁法や漁期などを制限し増殖に取り組んでいます

川漁をとりまく環境の変化に柔軟に対応していくような姿勢が大切なのだと思います
そうでないと魚野川の川漁は途絶えてしまうでしょう
そうならないように知恵を絞り行動していくことにこそ「伝統漁」の意味があると思います

2021年3月1日月曜日

ふだんの朝食

 
いつも朝食は
トースト、ジャムをトッピングしたヨーグルト、野菜サラダ、おかず、紅茶、フルーツ
それぞれをほんの少し変えるだけで十分毎朝楽しめます

ジャムはブルーベリー、マーマレード、イチゴ...
おかずはハムエッグ、ベーコンエッグ、チーズオムレツ...
フルーツはリンゴ、いよかん、バナナ...
といった具合です


2021年1月20日水曜日

『一人称単数』 村上春樹


村上春樹はこのすぐ前に『猫を棄てる』という本を書きました
それを読んで感じたことがありました
この人は自分自身のことを語りはじめたんだな、と

小説の内容のどこまでが真実か読者には確かめようもありません
そうかといってこの本のほとんどが作り話ということは考えられません
大方はこの人がじっさいに経験したことを書いたのだと思います

『一人称単数』は短編小説集です
小説とは基本的に創作された文章です
作り話です
それでも僕はここにこの人が体験した真実を多く認めます
この人は自分自身のことを語っているのだと感じます

この人の長編小説の中にはいろんな主人公が登場してきました
それらのキャラクターの中にもこの人自身を見出すことは少なからずありました
この本はそれらと一線を画するものです

「ウィズ・ザ・ビートルズ」は創作ではなく真実だとしても不自然な所が見当たりません
じっさいに体験したことでなければ書けないような内容です
なので書かれていることの多くは本当にあったのだと思います

僕は思い込みの激しい人間です
なのでこの人にまんまと一杯食わされているかもしれません
つまりよくできた作り話をまともに受け止めていると…

そうであっても構いません
それも読書の楽しみ方の一つでしょうから