2021年3月4日木曜日

『川漁』 戸門秀雄


一入亭へは車で行きます
一般道を使い(国道17号経由)一年間で20回ほど通います
高速道路は通行料金が高い(往復で一万円近く)ので使いません

まず交通量の多い道を家から上越の山麓まで走ります
利根川の支流を遡り三国峠のトンネルを抜けると魚野川の流域に入ります
それから一入亭の近くまでおおよそ魚野川にそって下っていきます
家から一入亭まで片道5時間半ほどかかります

道々魚野川の川面がのぞけるようなところも走ります
梅雨の終わりごろからは鮎釣りをする人の姿が川辺に目立ち始めます
釣りはしないのでそれに気をとられることはありません

30年近く前に魚野川をカヌーで下りたいと思ってました
そんなに危なくなく景色も良さそうだからです
釣り人とのトラブルを先回りして心配したりもしました
川下りは実現することなく今に至っています

ある夏に一入亭の近くの魚野川の簗場に行きました
広い河原の中に簗があってとなりに足高の建物がありました
建物の中は座敷になっていて涼しい風が吹き抜けていました
アユの塩焼きやウナギなどを美味しく食べました
その後の豪雨でその建物は簗場もろとも押し流されてしまいました

その河原に一入亭の通り土間に敷く石を息子たちと拾いに行ったことがあります
河原にある手のひら大の丸くて薄い石をたくさん拾いました
それを通り土間のモルタルにはめ込みました

わたしと魚野川とはこの程度のつき合いでした

この本には魚野川と正面から向き合って暮らしてきた人たちのことが書かれています
川漁は単なる釣りではなくてこの地域の文化と深くかかわっていることが分かります
これまでそのことに思いが至りませんでした

魚野川での川漁は江戸時代から今日までおおきく変遷してきました
幕府や藩が鮭漁をどのように位置づけていたかなど想像したこともありません
遡上してくる鮭を漁業組合が捕獲し孵化させ放流していることも知りませんでした

川漁で使う道具は造船、鍛冶など様々な伝統技術が駆使されていました
わたしがやっている竹細工や藁細工も川漁にはなくてはならない技術でした
獲れた魚の調理や保存の方法は昔からの知恵が生きていて興味深いものです

これらのことが豊富な実例や資料とともにとても面白く書かれていました
自分の手元に置いておきたいと珍しく思うような本でした

「伝統漁」ということばがこの本のサブタイトルに使われています
その意味するところを考えてみました

「伝統」とはなんでしょう
昔から魚野川で漁をしてきた人々が作り上げてきた自然と社会への向き合い方でしょうか
たんなる漁法とかなんとか狭い意味でのことではないと思います

江戸時代から今日に至るまで魚野川の川漁は変わり続けてきました
幕藩体制のもとでは川漁にも冒しがたい厳しさがありました
今は資源としての魚が枯渇しないように漁法や漁期などを制限し増殖に取り組んでいます

川漁をとりまく環境の変化に柔軟に対応していくような姿勢が大切なのだと思います
そうでないと魚野川の川漁は途絶えてしまうでしょう
そうならないように知恵を絞り行動していくことにこそ「伝統漁」の意味があると思います

0 件のコメント:

コメントを投稿