人間は幾世代となく、ありとあらゆる神や天使や聖人に祈り、無数の道具や組織や社会制度を考案してきた。それにもかかわらず、飢饉や感染症や暴力のせいで膨大な数の人が命を落とし続けた。
新たなエボラ出血熱が発生したり、未知のインフルエンザが現れたりして地球を席巻し、何百万もの人命を奪うことがないとは言い切れないものの、私たちは将来そういう事態を、避けようのない自然災害と見なすことはないだろう。
ほとんどの地域では、戦争はかってないほど稀になった。古代の農耕社会では死因のおよそ15パーセントが人間の暴力だったのに対して、20世紀には、暴力は死因の5パーセントを占めるだけだった。そして21世初頭の今、全世界の死亡率のうち、暴力に起因する割合はおよそ1パーセントにすぎない。
ペルーやハイチ、フィリピン、アルバニア(貧困と政情不安に苦しむ開発途上国)で毎年自殺する人は10万人当たり5人程度だ。一方、スイスやフランス、日本、ニュージーランドのような豊かで平和な国では10万人当たり10人以上が自ら命を絶っている。韓国は…今日では10万人当たり36人にのぼる。
私たちは一人残らず、特定の歴史的現実の中で生まれ、特定の規範や価値観に支配され、特定の政治経済制度に管理されている。そして、この現実を当たり前と考え、それが自然で必然で不変だと思い込んでいる。私たちの世界が偶然の連鎖で生み出されたことや、歴史が私たちのテクノロジーや政治や社会だけでなく、思考や恐れや夢までも形作ったことを忘れている。
歴史を学ぶ目的は、私たちを押さえつける過去の手から逃れることにある。
「アルゴリズム」は、私たちの世界で間違いなく最も重要な概念だ。私たちの生活と将来を理解したければ、アルゴリズムとは何か、そしてアルゴリズムが情動とどう結びついているかを理解するために全力を挙げるべきだ。
アルゴリズムとは、計算をし、問題を解決し、決定に至るために利用できる、一連の秩序だったステップのこという。アルゴリズムは特定の計算ではなく、計算をするときに使う方法だ。私たちが感覚や情動とか呼ぶものは、じつはアルゴリズムに他ならない。
配偶者やキャリアや居住地などにかかわる、人生でもとりわけ重要な選択も含め、私たちが下す決定の99パーセントは、感覚や情動や欲望と呼ばれる実に精密なアルゴリズムによってなされる。
2万年前、平均的なサピエンスはおそらく、今日の平均的なサピエンスよりも知能が高く、道具製作機能も優れていただろう。
じつのとろ、ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークの中でしか意味がない。
歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりするのをながめ、ある時代の人々にとって最も重要に見える事柄が、子孫には全く無意味になるのを理解することだ。
人々は意味のウェブを織り成し、心の底からそれを信じるが、遅かれ早かれウェブはほどけ、後から振り返れば、いったいどうしてそんなことを真に受ける人がいたのか理解できなくなる。
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