2025年5月14日水曜日

夢の叶え方を知っていますか? 森 博嗣


自分はこうしたい、こうなりたい、こうでいたいというのが夢でしょう
私はそのような夢を若いときからたくさん心に描いてきました
そのいくつかは実現したし実現しなかった夢もたくさんありました

たとえば、
高校生の時に北アルプスの峰々の残雪を踏み高山植物を眺めながら縦走したこと
大学入試に失敗して一年間浪人生活をし希望の大学に入学できたこと
7,000m級の山からスキー滑降しようと周到に準備してのぞみ成功したこと
30代になってから英語の勉強をやりなおしアメリカの大学院に留学して修士号を取ったこと
etc.

人生という永いスパンの上にこれらの夢の一つ一つを置いてみればそれは小さなものでした
その夢が達成されてしまうとそのあとに決まってしばらく虚脱した日々が続きました
そしてまた何かのきっかけで新しい夢を追い求める
私は永いあいだそんなことを繰り返してきたように思います

このような夢とその現実は自分の人生にとっていったいなんだったのでしょうか?
けして無駄ではなかったとは思いますがそれで充足された人生が訪れたとは感じられない
いつも物足りなさやあきらめまでがつきまとう経験だったのです

きっと夢というものの設え方がおかしかったのでしょう
その時々の何かに触発されて湧きあがってきたものを夢としていたのですから
そのような夢はたとえ実現しても満足感は一瞬にして消え去ってしまう

ーー

自分のこれからを考えて60歳を前に永年勤めた職場を離れることを決めました

自分がほんとうにやりたいことは何なのだろう?
私はどんな自分になりたいのだろう?
自分に向いていて楽しい面白いと思いながらお金の心配をせずにやり続けられること
そしてできれば自分のやったことが人に喜んでもらえるようなこと

そんな都合のいいことがちょっと考えただけで思い浮かぶはずはありません
それでとりあえず藁細工と竹細工と茅葺きの三つを基本から学び直すことにしました
ともかくなにかを始めようと自分が好きなことを突き詰めることにしたのです
それは現在地からの延長に過ぎず夢のない地味なものでした

ーー

藁細工はいくつかのサークルを転々としたあと良い機会を得ました
東京農工大学博物館友の会のわら工芸サークルに入ることができたのです
そこでコロナ禍をはさんで6年間にわたり藁細工を勉強しました
その間に多くの同好の方と知合うことができました

竹細工は藁細工よりも習得の機会が限られていました
群馬県のホームセンターでカルチャー講座があることを知りそこへ通うことにしました
そこで指導していたのが青竹細工道場の八柳良介さん(故人)でした
それから5年間八柳さんのところへ通い様々な作品の作り方を習いました

茅葺きは世田谷区の次大夫堀民家園に茅葺研究会というのがあるのを知りました
そこで開催されるイベントに何度も行って研究会の方と親しくなり入会しました
群馬県の川場村にある茅場での茅刈りを始めとしてあちこちで茅葺きについて学びました
民家園のなかに小さな茅葺き小屋を建てて実際に屋根を葺くこともできました

これらの経験をとおして三つの手仕事をより楽しくできるようになりました
必要な材料はほぼ無料で手に入れられるようになったので安心でした
作りたいものをいくらでも作れるからです

ーー

こうなってみるとつぎに三つの手仕事の楽しみを他の方にも伝えたくなりました
また自分が作ったものを販売してみたいとも思うようにもなりました
ところがこれらは簡単にはいきませんでした

自治体が主催する市民講座の一つとして藁細工講座を企画してみました
いろいろと細かい決まりがあって申請するのに手間がかかりました
それをクリヤしてようやく参加者の募集までこぎつけましたが応募者は0でした
この町には私が楽しんでいることに興味を持つ人がいないのかなと思いました

始めの頃は自分で作った作品は兄弟や友人にあげていました
それはもったいないと八柳さんに言われたので近くのフリーマーケットで販売してみました
参加費を払い作品を並べてみましたがただの一つも売れませんでした
格安なものを探し求めて来た人には商品の値段が問題外だったようです

いまから4年前の春に地元のまつりで舟遊びの船頭をしていた時でした
その年に新しく船頭仲間になったひとりの若い人と知り合いました
その人が私の手仕事に興味を持ちワークショップを一緒にやりませんかと誘ってくれました
その人はいま川越市で活躍しているザ・サンの安田太陽さんでした

おっかなびっくりで始めたワークショップでしたが彼のサポートで順調に船出しました
参加された方が自分で作ったものに頬ずりして喜ぶのを見てかえってこちらが感動しました
ワークショップの楽しさが広まり地元以外の方からも実施の依頼を受けるようになりました

年末には藁細工の正月飾りにとくに人気があります
ワークショップに参加するだけでなく購入したいという方も多くいます
太陽さんから雑司ヶ谷鬼子母神で行われる手作り市への参加を勧められ行ってみました
そこで多くの方に作品を買っていただきました

こうして自分にはなにがしか手仕事を広めることができるのだと分かったのです

ーー

これから私がやりたいのは文化の壁を越えて手仕事の喜びを共有する機会を作ることです

先日私のインスタグラムを見てイスラエルの女性が私の工房に来ました
彼女は二か月ほど日本各地で藍染、和紙などの伝統工芸を体験しにきたのです
私たちは縄綯いや縄飾りをしながら手仕事にまつわるいろいろな話をしました
彼女は日本だけでなく北アフリカやベトナムへも行ってその土地の手仕事を学んでいます
世界のどこへいっても手仕事がありその喜びや癒しがあることをはっきりと知りました

彼女は帰国後に私の工房で見知ったことをインスタグラムに投稿しました
すると私のインスタグラムにまで大きな反響がありました

世界の各地に日本の手仕事に興味を持つ人がいます
そのような方たちにもその楽しさ面白さを味わっていただけたらいいなと思います
そして私自身も各地の手仕事を見て知って作る機会を持ちたいです
これから私はそのために何をしたらいいかを考えて実行していくことになるでしょう

この本を読んでそんなことを考えました

 

2025年5月12日月曜日

職人ことばの「技と粋」 小関 智弘

私の竹細工の師匠は群馬県の青竹細工道場の八柳良介さん(故人)です
八柳さんの師匠は地元の職人の方だったようです
始めてから1年半の頃に底が筏のような形をしたかごの作り方を習いました
その時に八柳さんがちょっと気になる言葉を使いました
「このヒゴを半殺しにして曲げます」
「半殺し」とはヒゴが完全に折れないで曲っている様子をいいます
完全に折ってしまうとヒゴはほとんどの場合切れてしまいます
力が加わると抜けてしまういわゆる死んだ状態になります
曲がったままであればヒゴは切れないで力が加わっても持ちこたえることができます
これが「半殺し」といわれる状態です

物騒ですが竹細工の要点をうまく言い表した言葉だなと私は感心しました
八柳さんはおそらくこの言葉をご自分の師匠から伝え聞いたのではないかと推測します

技術を後進に伝えていくことは大切です
それをうまく伝えることができる職人は優れていると言えます

「ドイツでは、マイスターの資格を得るためには、自分の技術を後進に伝える能力があるかどうかの試験があって、それに合格しなければ、どんなにその職人の技が優れていても、マイスターにはなれません」


つたない手わざであってもこれまで続けてきて良かったなと思うことが何回かありました

たとえば知恵をしぼり時間をかけてようやくひとつ作り上げたとき
たとえばワークショップでお伝えしたことを参加した皆さんが喜んでくれたとき
たとえばこころを込めて作ったものを人が買い上げてくださったとき
「手は宝」というのだそうです

「ものづくりをする人たちの喜びはいつも、そのものを通して、人や社会から反射してくる光によって満たされるものだからです。それが生きる誇りとなるからこその宝です」


藁細工は日本の伝統工芸のなかでも地味なものだと思います
とびきり高価なものは無いし超絶的な技法というのもありません
それなのに青い藁で作った観賞用の高級な藁細工が高値で取引されています
このような傾向は伝統としての藁細工を衰退させるものだと考えます
切子というガラス細工の歴史を見るとそのことがはっきり分かります

「薩摩切子は、藩主が江戸から職人を呼んではじめたものです。藩主お抱えの職人ですから、つくるものが高級品になります。ところが藩が滅びてしまいます。お抱え藩主がいなくなれば、その技術も衰えます。反対に、江戸切子は一度も幕府に抱えられたことがないんです。江戸は、民間だから続いたのですね」

藁細工は有史以前から生活に用いる道具として発達し庶民のあいだで継承されてきました
なのでこれからもそのようにして守り続けていくのがふさわしいのだと思います


2025年4月12日土曜日

一行レシピ イワシの丸干し

真水で洗い鱗を落とし腸を抜き塩水(10%)に一時間漬けて半日干す

川越総合市場で石川のとれとれが格安だったので丸干しにしました

2025年2月15日土曜日

読書の価値 森 博嗣 

ぼくは読んだ本についてこのブログに書き留めています
森さんは読者が読後感などをブログなどに書くのは意味がないと言っています
それはただ本を読んだよとお知らせしているのにすぎないからと
すくなくともぼくについてはそれはあたっていません

ぼくはいま三つの分野のブログを書いています
藁細工、竹細工、茅葺きという手仕事についての覚書が「藁竹茅」です
自分が行った山旅や自転車旅についての記録が「人力遊山記」です
そして暮らしのなかでの印象的な出来事のメモが「一入亭日乗」です
これらのブログの主目的は忘れっぽいぼくが後々参照するためです

読んだ本については「一入亭日乗」に書いています
ぼくが本を読むのは読んだことによってすっきりとしたいからです
つまりぼくにとって本とは「読むクスリ」なのです
そのクスリが効いたのかどうかブログに書いているといったらいいでしょう

本に書いてあることが自分の人生経験にてらして納得できれば気分がいいのです
読んでそういう気分になれなければその本(クスリ)は効かなかったということです

それをブログに載せて白日の下にさらす必要があるのかと思う人もいるでしょう
ぼくとしては「このクスリは効くよ(または効かないよ)」とお知らせしたいのです

さてこの本についてです
「一日に一時間の読書の時間があるなら、同じくらいの時間を、本探しにかけても良いだろう」
同じくらいとは言わずとも、四分の一くらいの時間はかけてもいいかもしれない
ほとんど本探しをしていないぼくはもっと充実した読書人生を送れるはずですから


2025年2月12日水曜日

孤独の価値 森 博嗣

「孤独とは楽しさを失う感覚だと述べたのは、結局は、失うというその変化が、寂しいと感じさせる根源となっている、ということであり、逆に言えば、楽しさは、苦しさや寂しさを失った時に感じるもの、ということになる」

このように森さんは言っているけれど、世間的には孤独はマイナスなものと意識されている
その一方で、

「孤独とは今や「自由」の象徴でもある」

それは、

「一人でひっそりと生きて行きたい人も、それができるようになった」

からなのです
それどころか、

「ときどき孤独になった方が健康的だし、思考や行動も軽やかになる」
「楽しさに飢えた状態が「孤独」なのだから、そこから「楽しさ」を求める生産的で上向きな力が湧き上がってくるのも、自然の摂理なのである」

その生産的で上向きな力を何に使うのが人生にとって好ましいのでしょうか?

創作という行為が楽しいものであるとわたしは実感しています
そこで好きなことをするのが「孤独」の活用になります

「自由というのは、自分が思い描いたものを目指すこと、その夢を実現すること」

「この情報過多の現代では、孤独指向の生き方をしないと、自分を保てない人が増えてくるだろう」




2025年2月6日木曜日

年収300万円時代を生き抜く経済学 森永 卓郎

森永卓郎さんが先月28日に亡くなりました
彼がむかし予想していた日本の将来は現実にどうなったのか知りたくなりました
それで2003年に出版されたこの本を読んでみました

わたしの感覚としてはいまは年収300万円時代であると思います
なので彼の言っていたことは正しい

読んで気がついたことがいくつかありました

森永さんは森博嗣さんと同じ1957年に生まれだということです
ちなみに私もそのあたりに生まれました

そして共に著作によって多額の印税収入があったということ
自分が欲しいものを果てしなく買い集めるマニアであることも共通してます

全く違うのが二人のライフスタイルです

森永さんはマスコミに出ることを厭わなかった
亡くなる前日まで電話でラジオ番組に出演したそうです
いっぽうで森さんはほとんどマスコミに登場しません
どこに住んでいるのかもわからない

ライフスタイルは対照的ですがめざすべき老後については似かよっています
ここがこの二人とわたしの意見が一致するところです
それは自由な時間を余裕を持って楽しめる生活です


2025年1月22日水曜日

お金の減らし方 森 博嗣

お金の減らし方で今でもときどき思い出す30年以上前のできごとがあります

新潟の山村にある茅葺き古民家が気に入ってそれを買ってもいいか妻に相談しました
その家の値段は当時の私の1年間の所得額を上回っていました
そのうえ借家住まいで子供が一人いるのに高価な買い物をするのはいかがなものだろうか
自分でもそう思ったのですがどうしても欲しかったので妻の意見を聞いてみたのです

「よく考えてそれでも欲しいのなら買えばいい」というのが妻のこたえでした
私は喜んでその家を買いました
ひとりであるいは家族と修理に何度も通い毎年草刈りや雪掘りをしました

古民家はほとんど木と竹と藁と土でできています
なので家を修理しているうちに竹や藁にしぜんに興味を持つようになりました
その家には藁ぞうりや藁を叩く槌など前の住人が使っていたものが残っていました
こういう民具のようなものがつい最近まで使われていたのだと知りました
近隣の町の荒物屋や古道具屋で竹かごや藁細工を売っていました
私はそれらを買い集めまた自分でも作ってみました

私が定年を迎える前に妻は亡くなりました
三人の息子は定年の前後につぎつぎと独立していきました

私は退職したあと藁細工・竹細工と茅葺きをやる生活に改めました
それから5年ほどして手仕事のワークショップを川越で始めることにしました
ワークショップを続けているうちにあちこちから依頼をいただくようになりました
さらに自宅で手仕事のワークショップとあわせて個人レッスンも始めました

新潟の家には息子たちと入れ替わるようにして若い友人たちが来てくれるようになりました
その人たちの力を借りて茅葺きの修理や草刈りと雪掘りができるようになりました

2025年1月20日月曜日

一行レシピ オオマイの煮付

酒・醤油・味醂・三温糖各大匙2塩少々を沸騰させて魚を置き落し蓋をして中火片側10分ずつ

オオマイはコマイの大ぶりなもので身離れが良くさっぱりしている
塩焼きにしてもいいし沢山ある時は寒風干しにすれば保存がきく酒肴になります

2025年1月18日土曜日

一行レシピ オオマイの寒風干し

水で洗い、塩水(1ℓの水に80gの塩)に60分漬け、干し網に並べて3週間干す
オオマイとはコマイ(氷下魚)の大柄ぶりなやつです
コマイの寒風干しなら40年前に釧路の市場で買って友人へのお土産にしたことがありました
それより大きいオオマイというのは知りませんでした

コマイの寒風干しは奇跡的に川越でも手に入りますがとても高価です
そこで安く売られていたオオマイを買って寒風干しにしました
天候にもよりますが3週間ぐらい干すとカチカチになります
干し上がったものは枯れ枝のように固くなります
通の方はここから無理やり身をはがして得意げに食べます
素人の方はオーブントースターで温めてからマヨネーズをつけると食べやすくなりますよ


2025年1月14日火曜日

面白いとは何か?面白く生きるには? 森 博嗣


就職浪人をした大学5年生のときに公務員試験をいくつか受けました
そしてすべて不合格になりました
残る選択肢はわたしの趣味である登山に関連した出版社しかありませんでした

結局その出版社への応募も途中で辞退して母校の大学職員になりました
そしてそこにほとんど40年勤めました

その40年間で仕事が面白いと感じた期間はわずか4年ほどでした
海外の大学との交換留学を担当する部署にいた時だけです
それ以外の期間は仕事が面白いとは感じられませんでした

大学職員になるのは生活をしていくために必要なことだと自分に言い聞かせていました
だから面白くない仕事でもなんとかやるしかないと思っていました
管理職になってからの20年間はつまらない仕事をいやいややっていました

こういうわたしが40年間大学職員をやっていられたのは何故だったのでしょうか?
それは登山やスキーといったアウトドアの趣味があったことがまず第一です
学生の頃から続けていて職員になってからも気晴らしによく出かけていました

30代の後半からは古民家の修理と藁細工や竹細工などの手仕事に興味を持ちました
日常生活を離れて何かを作るということは気分が良くなる活動でした
仕事は面白くないけれど給料をもらうためには仕方がないと割り切っていました

そうは言いながらも60歳に近づくころからいよいよ仕事が苦痛になってきました
子供も大学を卒業する見込みが立ちお金もあまり必要にならなくなっています
それで60歳を目前にして大学職員を辞めることにしました

それからは藁細工と竹細工と古民家の茅葺きを思う存分やることにしました
それぞれサークルや道場や研究会に入って5年ほど一流の人に教えを乞いました
自分が楽しいと感じることに自由に時間を費やすことができるのが幸せでした

そうしているうちに人から手仕事のワークショップをやってみないかと声をかけられました
ちょっと躊躇しましたがやってみるとそれは想像以上に面白く満足感のある活動でした
今は個別のレッスンもして多くの方に手仕事をお伝えすることができています

「満足とは、求めていたことが得られることであり、自分が思い描いていた状況に実際になることだ。人間の脳は、頭に思い描いたことが現実になることを欲している」

著者はこの状況を「自由」と定義しています

「「面白い」というのは、この自由へ向かう方向性を感じている状況であり、いうなれば、いずれ自分は満足するぞ、という予感が、その人を笑顔にさせるのである」

「面白い」と思うとついニヤニヤしてしまうのはこういう訳なんですね

「「面白い」生き方をするコツは、自分が「面白い」ことを思いつくことです。そこさえ思いつければ、実行あるのみなのです」

これがなかなか思いつけなくて「どうしたらいいかわからない」という人は多いです

「もし世界中の人たちが自分の楽しみをちゃんと見つけることができて、それを実現することに夢中になっていれば、戦争なんて起こらないし、世の中の争いもずいぶん減るだろう、とは想像します」

「他者がいないと生じない「面白さ」しか知らない人は、一人になったときが地獄のように苦しく感じられるらしい。生きることは、楽しさあってこそであり、面白いことがなくなれば、生きた心地もしない、というわけである」

「自分一人の「面白さ」の方が、大勢のときの「面白さ」よりも、ずっと大きいし、長続きするのである。僕は、「一人の面白さ」こそ、本物だと考えている」

「一人暮らしであっても、今はネットがある。どこでも誰とでもコミュニケーションは取れる。一人で楽しめる趣味も多いし、「面白い」時間を過ごすことは、むしろ一人の方が手軽だ。誰にも気を遣う必要もなく、自分のペースで生きられる。まさに「自由」が感じられる体験といえる」

「世の中は、今や「面白さ」の交換によって成り立っている。「面白さ」は天下の周りものなのだ」

「映画もそうだし、遊園地もそうである。旅行も安くなり、大衆化した。あらゆるレジャが、大衆の手が届く商品になった。こうして大部分の人たちが、これら商品化した「面白さ」を買う消費者となった」

「新たな「面白さ」に鞍替えすると、初期のコストパフォーマンスに優れた「面白さ」からスタートできるので、そちらの方がずっと楽しめる、ということになりがちである。
 したがって、大衆はどんどん次の「面白さ」を求めるようになる」

「アウトプットする「面白さ」は、インプットする「面白さ」の何十倍も大きい」

「(バーチャルでは「面白さ」が得られないのではないか)それに気づいた人は、少しづつ増えるはずだ。そのあとには、やはり、リアルの「面白さ」を作り出すものへの揺り戻しがある」

「辛いときこそ、「面白さ」を探すことだ。それを忘れないように。
「面白さ」は最初は小さい。しかし育てることで大きくなる。「面白い」と思えるものを大事にして、磨きをかけることが、これまた「面白い」のである」


2025年1月8日水曜日

アンチ整理術 森 博嗣

退職する5年くらい前から自分のこれまでの人生を把握し直してみようと思いました
それでエクセルに自分が大切だと思うライフイベントを時系列で書き込んでいきました
いつ、どこで、だれと、なにを、どうしたのかを分かる範囲でリストアップしてみたのです

私は山登りが好きで高校生の時から「山日記」をつけていました
まずその日記に書かれていることは全部エクセルに書き入れました
高校生までに登った山のことは記憶やアルバムをたどって書き起こしました

つぎに学生手帳を参照して大切だと思うイベントをエクセルに入力しました
大学入学後に毎年買っていた学生手帳にはイベントの予定だけでなく記録も記入していました
生活面のこともそこに書いていましたので重要なイベントはピックアップできました

就職をしてからも毎年手帳を新しくして何か大事なことはそこに記録しました
相変わらず山登りなどの記録が主でしたがそれ以外のイベントも増えていきました
結婚もしたし子供も3人生まれました
他にも30代半ばで留学したりといろいろなことがありました

留学から帰ってから50代の終わりまではそれまでとすっかり生活が変わりました
山登りにはめったに行かなくなり代わって古民家の修復に没頭しました
古民家を維持するための夏の草刈りや冬の雪掘りなどを定期的にしました

こうして60歳を目前に退職した時点でライフイベントは1,000件を超えました

退職してからは自分のやりたいことを中心にすえた生活になりました
やったのは藁細工、竹細工、茅葺きと山登り、自転車旅、それに船頭です
自分が何を好きなのかはエクセルに記録したイベントの数にはっきり表れていました

退職してからは自分が面白いと思うことをする楽しい生活になりました
生活の変化はリストアップされるイベントの急増となって現れました
今はほとんど毎日がイベントと化しています

森博嗣はこの本の中でこう書いています
「(生き方は)整理・整頓をし、綺麗にしておくと、とても生きやすくなるだろう」
そうだなあ

さらに
「人生の整理・整頓ができている人に共通するのは、自己評価が絶対的である点だ」
「頼まれたわけでもない、褒められたいわけでもない、自分がやりたいからやっている」
「人生は、一度きりであり、その人生を自分で評価することが前提である」
「他者に褒められるより、自分に褒められる方がどれだけ嬉しいか」
「自分が知っている自分が、一番本物だし、その評価も自分ですれば、それで良い」
「自分がその目的を実現する本人なのだから、自分の能力合わせ、無理のない計画を立てることが大前提である」
とも

それでこれから75歳までの人生の骨組みとなる基本計画を考え直してみました
正月でもありますし

まずこの三年ほどの活動実績を自己評価してみました
評価項目は「あそぶ(山、自転車、舟)」と「つくる(藁細工、竹細工、茅葺き)」です
その結果は自転車・藁細工・茅葺きは優、舟は良、山・竹細工は不良という評価でした

優の3項目は一所懸命にやる理由がありました
自転車は同好の友人と藁細工はサークルに所属してやっていましたからね
茅葺きは自分が所有している家の修理です
いずれもこれからはマイペースでやります

不良だった2項目、山・竹細工にこれから注力していこうと思います
山は日本百名山全山登頂まであと21座という分かりやすい目標があります
竹細工は講習ができるようになることに目標を設定しようと思います

それとやり残していたことも2項目(カヌーとサーフィン)あることに気がつきました
いやあうっかりしてました
川も海も好きなのでもっと行きたい

というわけでこれからガゼン忙しくなりそうな雰囲気です


2024年11月19日火曜日

創るセンス 工作の思考 森 博嗣

『小説家という職業』には私は直接的な接点はありませんでした
それでも面白く読ませてもらいました

この本は私がやっているもの作りに直接関係があります
なので最初から興味を持って読み、共感することも多々ありました

 これほど面倒ならば、窓なんか作らないで、窓の代わりに液晶モニタを壁に取り付けておけば良いではないか。

 最初に作る人間は、必ずなんらかの問題に直面し、自分でばらつきを体験し、乗り越えなければならない。

 ものを作るとは、常に何かを探す行為だといってもよい。もっと良い工夫はないか、もっと適した作り方はないか、最適の材料はどれか、これを解決するアイディアはないか、と・・・。

 優れた技術者とは、知識が豊富なのではなく、ものの道理を知っている人のことだ。

 簡単にいえば、楽ができる近道的なものを「コツ」と呼ぶのである。

 本当の楽しさは、自分の中から湧き出るもの、自分で作るものである。

 大人がもの作りを楽しんでいれば、それを見た子供は自然に興味を持つ。

 もの作りのセンスというのは、そんな「考える工作」のプロセスでしか生まれないものなのだ。

 技術のセンスを育てるためには、いかなる支配からも隔絶された環境を作る必要性を示唆している。

 接する品減がどんな表情でいるかは問題ではない。作られるものの品質こそが評価の対象だ。

 実際に手を動かして、一つでも新しいものを作った方がいい。作れば、あなたは必ず何かを学ぶし、あなたの中できっと変化が起こるだろう。

 オリジナルのものを作る場合には、インプットとアウトプットとの間に、膨大な処理が必要であるし、そもそもインプットするものを探し、そして整理することから必要になる。これを処理する過程で、作り手のオリジナリティが表れ、つくられたものの価値が生まれる。そして、作り手のオリジナリティは、この処理体験の蓄積でさらに成長するのである。

 どんな工作であっても、大切なのは、それを「楽しむ」ことであり、そのプロセスで自分自身の変化を「喜ぶ」ことだと思う。できあがっていくものが素晴らしい自信作になりそうなときも、あるいは失敗作に近いぎりぎりのものであっても、楽しむことでは、自分自身が得るものでは、大差がないと考えるべきである。

 自分にとって価値があるのは、変化する自分を体感することである。もし、作り出したものが社会的価値を持ち、それがビジネスになりそうならば、そこで判断が必要になる。

 そういったもの(軽はずみな装飾)を極力排し、たとえばただ精確に作る、ただ好きなように作る、といった誠実な姿勢が、あるレベルに達すると、「見ただけで誰が作ったのかわかる」個性を醸し出すまでになる。

 人間はものをみているときに、自分の目で見ているわけだが、そのときに思考はもっと自由に働く。見ているものの裏側を想像したり、過去はどうなったか、未来はどうなるか、といった飛躍も可能だ。つまり、それが視点である。

 昔のような大当たりはもうない。マイナなものを沢山作り、どこまで個人のニーズの広がりに応えるか、ということが勝負になるはずだ。

 仕事が大事で、趣味は二の次、という考え方は、一面だけをとらえた物言いであって、観点によってはまったく反対になる。また、仕事も趣味も、つまりは生きていくための糧になるものを得る、ということでは同じ行為かもしれない。どのように考えても良い。お好みしだいだ。

 最終的に周囲の人に影響を与えるものは、技術の高い低い、上手い下手ではなくて、「凄さ」なのだと思われる。

 といわけで、結論としては、創作が産み出す価値とは、「人間の凄さ」である、ということになる。

 天性の凄さももちろんあるけれど、大部分の凄さは、日常生活の中で、こつこつと少しづつ作られたものであることに注目してほしい。それはきっと貴方にもできる。

 ものを作ることは、「凄さ」を見つけること、「凄さ」を形にすることである。





小説家という職業 森 博嗣

著者は小説家です
小説家としてその職業をどのように営んできたかをこの本に書いています
それは小説家を目指す人にとって参考になるでしょう
私は小説家を目指していないけれどもこの本を読んでみました
それは森博嗣という人の生き方に共感する部分があるからです

この本を読んでみて小説家を目指していない自分にも援用できるような部分を発見しました
それらをここに書きとどめておき後々の参考にしようと思います

 大事なことは、「こうすれば」という具体的なノウハウの数々ではなく、ただ「自分はこれを仕事にする」という「姿勢」である。

 読者から、僕の作品に対して「感動した」というメールが届くと、僕はいつも「感動したのは、あなたの能力によるものです」と答えている。

 はっきりしている真実が一つある。どんなひどい作品でも、誰かは褒めてくれる。どんなに優れた作品でも、誰かは貶す。

 「人間というのは、自分が望んでいる以上のものには絶対にならない」

 マイナは、競争相手がいないという状況で、それを求めている消費者を確実に引きつける。むしろ、メジャな商品より安定して売れるだろう。

 よくある助言、格言というのは、たいていは「上手く立ち回るため」ための方策・・・

 小説というものは、文章しかない。音も映像も伴わない。この表現手段の不自由さは、現代では素晴らしく珍しい。

 僕は自著に対してデータを集計したことがある。すると、売れている本ほど、読者の祭典が低くなる傾向があることに気づいた。理屈は簡単である。採点が低いからよく売れるのではなく、よく売れるほど、その作品に合わない人へも本が行き渡るから、低い評価を受ける結果になる。逆に、ものすごくマイナで部数の少ない本は、コアなファンだけ買うので評価が高い。

 ようするに、褒められても貶されても、「真に受けるな」ということである。

 人は、結局は「人に感動する」ものである。それは、自然の中にあって、最も自分自身に近い存在だからだ。人間の行為、その行為の結果がもたらしたものを通して、その人間の存在を感じる。・・・その感じた自分を対面に置き、反響させて感動を増幅する。

 世の傑作というのは、たいてい、どうでもよい素材を集め、どうでもよい手法にこだわって作られたものである。



2024年10月21日月曜日

自分探しと楽しさについて 森 博嗣

わたしは人よりひねくれていると思うときがあります
世間の一般的な解釈がわたしにとっては合理的でないと思えることがよくあるからです

森さんもひねくれていて世間一般の論理とは逆のことをよくいいます
そのことにわたしは共感してしまいます

「ほかのものに没頭することが、結局は自分を見つめることになる。自分を忘れることが、自分を見つけることになるのである」

もし自分が信頼する誰かに「自分を見つめなおせ」といわれたらどうするか?

多くの人はまず自分の考え方や行動をジッと振り返るでしょう
それではだめなのです
自分を見つめなおすには、自分のこと以外に没頭することがいいのです

「・・本当の「楽しさ」とは、他者から与えられるものではない、・・それは、「自分」の中から創り出されるものである」

「楽しさ」を探している人は実に多い
イベントやライブやテーマパークや、安くて手っ取り早い「楽しさ」を探している

「楽しさを求めれば、金は入ってくる。真剣に楽しみを実現したいと思う人は、自然に金持ちになっている。これは、自由を求めると、自然に金持ちになる、ということと同じだ。金が楽しみを生むのでなく、楽しみが金を生む。・・
 金がかかる楽しみを目指す人は、金を得るだろう。金のかかる楽しみを目指す人は、金を得るだろう。金のかからない楽しみを目指す人は、金が無くても楽しめるだろう。金を目指す人や、金がないから楽しめないと諦める人は、楽しみは得られない」

その通りだと思う


2024年10月20日日曜日

自由をつくる 自在に生きる 森 博嗣

わたしと森さんとはいろいろなことがかなりちがいます

まず経済環境がちがいます
森さんは小説家として19年間の印税収入が15億円あったそうです(未確認情報)
わたしは生涯を通しての収入が3億円あったかなかったかぐらいです

生活環境もちがう
森さんは北海道かどこかの広い森の中にポツンと暮らしているらしい(未確認情報)
そして敷地内に自作の鉄道を走らせている
わたしは埼玉県の小さな町屋に住んでいます

急に細かい話になりますが執筆速度がずいぶんちがいます
森さんは新書一冊をトータル12時間で書き上げてしまう
わたしはどのくらい遅いか分かりませんがもっともっと遅筆です

ほかにもあれやこれやわたしと森さんとでは違う点が多いです

なのになぜかわたしはこの本に書いてあることの多くに共感しました

わたしは20歳から40年間にわたって定職についていました
とりわけその後半の20年間は組織の中で働くことの息苦しさに悩まされました
それからなんとか逃れようともがいた日々でした

わたしはその息苦しさの原因を漠然とではありますが理解していました
それを言語化はせずに頭の中にしまいこんでいました
そしてその息苦しさに反発するようにさまざまな行動をしました
また退職すれば組織に縛られない生活ができるだろうと期待していました

60歳を目前にして退職しました
そしてようやく組織の息苦しさから解放され自分のしたい生活ができるようになりました

この本を読んでああ自分はずっと自由を求めてきたのだなあと思いました
そしてこれからもずっと自由を追い求めていくのだろうと思います

ーー

 自由というのは「自分の思いどおりになること」である。自由であるためには、まず「思う」ことがなければならない。次に、その思いのとおりに「行動」あるいは「思考」すること、この結果として「思ったとおりにできた」という満足を感じる。その感覚が「自由」なのだ。

 学校や仕事は、社会的な支配といえる。個人の肉体的な支配よりもやや緩やかではあるけれど、場合によっては(あるいは感じる人によっては)、非常に強力な制限にもなるだろう。

 個人の自由は、社会的な不和を生みやすい。それはあたかも、「自由の絶対量」というものがあって、それをみんなで分かち合わなければならないかのようにも見える。自分だけが自由になってよいものか、と心配になるのだ。

・・自分の能力を完全に引き出したときには、それなりの充実感、すなわち「自分にもここまでできた」という達成感が得られる。・・」
 その満足感を得たときには、多くの人がきっと「自由になった」と感じるに違いない、と確信している。

 自由を手に入れるということは、そういう「できる自分」を作り上げることであり、自分の変化を積極的に推し進めること、といえると思う。

 支配にもいろいろなものがある。母親が子供を可愛がる愛情でさえ、支配といえる。すべての支配を排除して、完全に奔放になろうとすれば、人間として破綻きたすことは間違いない。
 ただ、そういったものが「支配」であるという認識が大切だ、・・

 僕がいいたいのは、「自由」が、思っているほど「楽なものではない」ということである。自分で考え、自分の力で進まなければならない。その覚悟というか、決意のようなものが必要だ。

 目指すものは、自分で決めなければ意味がない。
 本当の自由がそこからはじまる。
 目指すものへ向けて、少しずつ近づいていく自分、それを体感する楽しさ、そしておそらくは辿り着けないかもしれないそのゴールを想うときの仄かな虚しさ、でも、とにかく、その前向きさが、自由の本当の価値だと思う。
 この価値を一度知ると、もう自由の虜になるだろう。

・・自分が何に支配されているのかをよく考えることが必要だ。自分を束縛する原因となるもの、もしそれが人為的なものならその意図をしっかり把握することだ。・・

 人間関係が複雑になることで、個人の自由は失われる、と考えて良い。お互いに助け合うことはもちろんできるけれど、約束や責任が自然に発生するためである。二人で歩けば楽しいかもしれない。しかし、一人で歩く時よりも神経を遣うだろう。相手に歩調を合わせなければならないからだ。

 人と足並みを揃えなければならない理由は、大勢の力を合わせないとできないことがあるからだ。できないことは不自由であり、できることは自由だとすると、これはつまり、集団の自由を確保するための行為といえる。

 自由の価値というのは、過去の自分よりも、今の自分が、そしてさらに将来の自分が「より自由」になっていく変化を感じることにある。常に自由に向かって進む、その姿勢こそが、自由の本質だといってもよい。目指すものが自由であるなら、目指す姿勢もまた自由である。そういう不思議な連鎖が自由の特性だといえる。

 組織というものは、大きくなればなるほど保守的になり、ちょっとやそっとでは変わらない。個人に比べたら、はるかに鈍感なもの、それが組織である。

 最近、定年後に田舎へ引っ越して、そこで自給自足に近い生活をしたり、自分の趣味を最大限に生かせる環境へ生活の場をシフトする、という悠々自適なライフスタイルがそれほど珍しくなくなった。

 大した苦労ではない、毎日少しずつ、自分の決めたことを実行するだけだ。たえとば、起きたいと思った時間に起き、しようと決めたことをする、というだけである。このように自在に生活できれば、すでに自由の一部は実現している。計画さえあれば前進できる。すべては、最初に自分の位置を確認することから始まるのだ。

 人気のあるものが、必ずしも社会の求めているものではない。むしろその逆であることの方が多い。不人気な職業ほど、働き手が不足していて、待遇は良くなるし、いろいろな場面で選べる自由度も高い。

 人生でここぞという場面、勝負に出る局面では、大勢が選択しない道を真剣に考慮するべきだ。大勢が行かないから安全率が低いという先入観に支配されていないだろうか。それは本当に根拠のある判断か。

 非合理な常識よりも、非常識な合理を採る。それが自由への道である。


2024年9月12日木曜日

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか 森 博嗣


森さんはあとがきで「人の意見を聞くときや、人が書いた本を読むときには、それで自分が影響を受けようという気持ちでいる」と書いています
わたしが本を読もうとするときもまったく同じ気持ちで読みます

この重たいテーマの本では抽象的思考の大切さが説かれています
それは抽象的思考によっていろいろな問題を考えることが有効だからです

「抽象的思考をする人は、どんな人間からでも、自分の利益になる発想を拾えることを経験的に知っている。それだからこそ、自然に人の話に耳を傾けるようになる」

自分には物事を抽象的に考える傾向があると気づいたことがありました
それはアメリカの大学院で「成人の発達」という講義を受けたときです
成人にはつぎの4つの顕著な学習スタイルがあるとのことでした

具体的経験型(Concrete Experience)
ことにこだわった考えを持たず、起こっている事象の中に飛び込んで、自ら体験することを好む。
熟考的観察型(Reflective Observation)
事象のあらゆる細部について様々な角度から考察し、起こったことの密接な関係全てを検証することを好む。
抽象概念化型(Abstract Conceptualization)
ある事象について、関係する重要な要因を見きわめ、理論や仮説を導き出すためにそれらの要因を関係づけることを好む。
活動的実験型(Active Experimentation)
目的を持ち、計画を立てて、物事をより良くより簡単に、また実験が必要なことを行うのを好む。

このことを学んだあとわたしは自分自身の傾向を考えてみました
そして自分は抽象的概念型の傾向が強いのではないかと判断しました

森さんは「抽象的思考は論理的思考と具体的行動がセットにならなければ、問題を解決できない」といっています
これもアメリカで学んだことと一致しました
ちょっと長いですがわたしの留学報告書から該当部分を引用します

「(成人の)学習者は自らの具体的経験を整理・考察し、問題意識を明らかにします。そのうえで指導者は、この問題の解決への手助けになる研究の枠組みを示唆し、問題とする分野の研究に役立つ図書を大量に指示します。学習者はこれらを読み進めると同時に、指導者が決めた時期に、個々の読書について自分の問題意識に照らし合わせて、何を感じそして学んだかを小論文としてまとめ、指導者に提出します。この作業の後、自分と同じ問題意識を持つ人々と、自分の信じるところ、疑問とするところについて徹底的に議論します。

これらの作業をしていくうちに、学習者の脳裏に、自分の抱えている問題が何を原因として生じているか、という因果関係が次第に明らかになり、概念の抽象化ができていきます。

そして、最後にはこのような問題を解決するためには実際にどのような方法をとったらよいかの計画に移り、その計画を実行してみて自らの仮説の正当性を立証する、具体的実験を行うことになります。」(Adult Study Abroad ‐早大職員の大学院留学レポート‐)

森さんは国立大学の教官として忙しい生活をしていました
もっと自由に生活できるよう収入を得たいといくつも小説を書き始めました
それが思いのほか売れて生涯働かなくてもいいだけのお金を稼ぐことができました
それで森さんは大学教員も小説家もやめて自分のしたい生活をすることにしました
そして今はその生活を楽しんでいます

わたしは私立大学の職員として40年間にわたり事務の仕事をしました
妻の死をきっかけにその仕事を辞めて自分のしたい暮らしをすることにしました
そして今はその生活を楽しんでいます

2024年9月5日木曜日

砂のメダイユ


 記憶は薄れゆき        New!そして留学に至る 1992年3月~1993年3月
 写真は色あせる          好きを仕事に  1988年6月1日~1992年3月25日
 文書はちりうせ          夜の仕事と遊山 1982年6月1日~1988年5月31日
 人々はいく            人生のリセット 1980年4月1日~1982年5月31日
                  就職浪人    1979年4月1日~1980年3月31日
 砂浜にしるした          自立への模索  1975年4月1日~1980年3月31日
 かすかな足あとを、        大学受験浪人  1974年4月1日~1975年3月31日
 波が消し去る前に、        山登りをバネに 1971年4月1日~1974年3月31日
 ひょいと拾いあげ         浮かない日々  1968年4月1日~1971年3月31日
 胸もとに小さくかかげる      三人の担任   1962年4月1日~1968年3月31日
 このように生きたのです、と    古川地方の方言
                  生い立ち    1956年2月14日~
                    ちょっと長めのプロローグ



2024年9月4日水曜日

集中力はいらない 森 博嗣

世間の常識として「集中力は大切」というのがあります
ここに偽りがあると自らの経験から解き明かす森さんの本です

まずなぜ世間の人は偽りの常識を信じてしまうのでしょうか?

「空気を読むことで多数派に入ろうと必死になっている人たちは、多数派であることに価値があると信じている」

多数派になりたい人は常識が真実であろうとなかろうとそれは常識だから信じるのです
このような常識は世の中にはたくさんあると直感的に思います

「自分の問題を解決するのは自分であり、自分で考えた手法は、その後も自身の拠り所になる」

わたしは永く勤めた仕事を退職した頃に自分の人生の出来事を時系列で振り返ってみました
具体的には自分にとって大切なライフ・イベントを可能な限りピックアップしたのです
すると記憶や記録に残っているイベントは1,000ほどありました

しばらくある種の感動をもってそのリストを眺めました
あんなこともあったなあ、こんなこともあったなあ、と・・・

その感動が過ぎてから今度はそのリストをもっと冷静に見てみました
すると1,000のイベントの生起にはひとつのパターンがあるような気がしました
そこに自分なりの処世のしかたがあったのではないか、と・・・

それは本当かと問われれば自信をもって「ハイ」とは言えません
言えないけれども自分はこのリストにあるように生きてきたのは間違いないのです
これが「自身の拠り所」なのかもしれません

この「拠り所」についてわたしは『砂のメダイユ』で書いていこうと思います


2024年9月3日火曜日

稲架(はさ)建て

家の南面に掛けた稲架
今日は初めて稲架というものを建ててみました

来週、川島町の農家から藁を大量にもらう予定です
藁細工で使うためです

刈り取ったばかりの藁はまだたっぷり水分を含んでいます
なのでこの稲架にかけて2週間ほど乾燥させるつもりです

材料は直径8㎝の丸竹と太さ6㎜の麻紐です

丸竹は長さ4.3mが4本、3.6mが5本、そして2.6mが3本です
2.6mは縦地、4.3mは横地、3.6mは斜めに立てかける支えに使います

丸竹の十字の部分はハコ縛り、斜めの部分はトックリ結びで麻紐で結束しました
さらにワラの重みで二段目の横地竹がずり落ちないように一段目から麻紐を掛けました
結束した丸竹
1時間半で差し渡し8.2mで二段の稲架が完成しました

あとは藁を縛る麻紐(太さ2㎜、長さ50㎝、135本)を用意して藁をもらう日に備えます


2024年8月26日月曜日

「自分」の壁 養老 孟司


和田秀樹という精神科医が高齢者向けの本をたくさん書いています
和田さんはこのような本を月に(年にではなくて)5、6冊書くというのです
いきおい和田さんの本には内容に甚だしく重複があります

先日読んだ『60代からの見た目の壁』は目新しいところはほとんどありませんでした
ただその中にたしか和田さんの師匠は養老孟司だと書いてありました
(間違えていたら済みません)
それで養老さんの本を読みたくなりました

この本の中で目にとまったのは2か所です

養老さんは現実をしっかりと見るために自然に接することをすすめています
「頭が良くなりたいならば、自然のものを一日に10分でいいから見るようにしなさい」

新潟の一入亭には夏の間に雑草がおびただしく生えます
今日は午前中にそれを2時間ほどながめました
雑草も自然ですよね

雑草をながめたのは草刈りをしたからです
草刈りをしている間にいろいろとりとめもないことを考えました

・ここに生えている草の中には以前よりもツタ類が増えたな
・となりの錦鯉の養殖池の周りはまた除草剤がまかれて草が枯れているな
・あの池を再び田圃に戻したときに除草剤の害はないのだろうか
・道芝が元気に生えているのでこれは来年採取できるよう刈らないでおこう
・このごろはフキよりもシダの方が元気があるな

草刈りをして頭が良くなるのか分かりませんがいろいろ考えるきっかけになるのは確かです

もう一か所は自信の育て方です
人は社会で生きていけばいろいろな問題にぶつかります
その問題から逃げずに取り組んでいけばやがて自信を持つことができると養老さんは言います

「(社会で生きていけば)なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返すことになります。しかし、そうやって自分で育ててきた感覚のことを「自信」というのです」

なんか詩的ですてきじゃないですか?