就職浪人をした大学5年生のときに公務員試験をいくつか受けました
そしてすべて不合格になりました
残る選択肢はわたしの趣味である登山に関連した出版社しかありませんでした
結局その出版社への応募も途中で辞退して母校の大学職員になりました
そしてそこにほとんど40年勤めました
その40年間で仕事が面白いと感じた期間はわずか4年ほどでした
海外の大学との交換留学を担当する部署にいた時だけです
それ以外の期間は仕事が面白いとは感じられませんでした
大学職員になるのは生活をしていくために必要なことだと自分に言い聞かせていました
だから面白くない仕事でもなんとかやるしかないと思っていました
管理職になってからの20年間はつまらない仕事をいやいややっていました
こういうわたしが40年間大学職員をやっていられたのは何故だったのでしょうか?
それは登山やスキーといったアウトドアの趣味があったことがまず第一です
学生の頃から続けていて職員になってからも気晴らしによく出かけていました
30代の後半からは古民家の修理と藁細工や竹細工などの手仕事に興味を持ちました
日常生活を離れて何かを作るということは気分が良くなる活動でした
仕事は面白くないけれど給料をもらうためには仕方がないと割り切っていました
そうは言いながらも60歳に近づくころからいよいよ仕事が苦痛になってきました
子供も大学を卒業する見込みが立ちお金もあまり必要にならなくなっています
それで60歳を目前にして大学職員を辞めることにしました
それからは藁細工と竹細工と古民家の茅葺きを思う存分やることにしました
それぞれサークルや道場や研究会に入って5年ほど一流の人に教えを乞いました
自分が楽しいと感じることに自由に時間を費やすことができるのが幸せでした
そうしているうちに人から手仕事のワークショップをやってみないかと声をかけられました
ちょっと躊躇しましたがやってみるとそれは想像以上に面白く満足感のある活動でした
今は個別のレッスンもして多くの方に手仕事をお伝えすることができています
「満足とは、求めていたことが得られることであり、自分が思い描いていた状況に実際になることだ。人間の脳は、頭に思い描いたことが現実になることを欲している」
著者はこの状況を「自由」と定義しています
「「面白い」というのは、この自由へ向かう方向性を感じている状況であり、いうなれば、いずれ自分は満足するぞ、という予感が、その人を笑顔にさせるのである」
「面白い」と思うとついニヤニヤしてしまうのはこういう訳なんですね
「「面白い」生き方をするコツは、自分が「面白い」ことを思いつくことです。そこさえ思いつければ、実行あるのみなのです」
これがなかなか思いつけなくて「どうしたらいいかわからない」という人は多いです
「もし世界中の人たちが自分の楽しみをちゃんと見つけることができて、それを実現することに夢中になっていれば、戦争なんて起こらないし、世の中の争いもずいぶん減るだろう、とは想像します」
「他者がいないと生じない「面白さ」しか知らない人は、一人になったときが地獄のように苦しく感じられるらしい。生きることは、楽しさあってこそであり、面白いことがなくなれば、生きた心地もしない、というわけである」
「自分一人の「面白さ」の方が、大勢のときの「面白さ」よりも、ずっと大きいし、長続きするのである。僕は、「一人の面白さ」こそ、本物だと考えている」
「一人暮らしであっても、今はネットがある。どこでも誰とでもコミュニケーションは取れる。一人で楽しめる趣味も多いし、「面白い」時間を過ごすことは、むしろ一人の方が手軽だ。誰にも気を遣う必要もなく、自分のペースで生きられる。まさに「自由」が感じられる体験といえる」
「世の中は、今や「面白さ」の交換によって成り立っている。「面白さ」は天下の周りものなのだ」
「映画もそうだし、遊園地もそうである。旅行も安くなり、大衆化した。あらゆるレジャが、大衆の手が届く商品になった。こうして大部分の人たちが、これら商品化した「面白さ」を買う消費者となった」
「新たな「面白さ」に鞍替えすると、初期のコストパフォーマンスに優れた「面白さ」からスタートできるので、そちらの方がずっと楽しめる、ということになりがちである。
したがって、大衆はどんどん次の「面白さ」を求めるようになる」
「アウトプットする「面白さ」は、インプットする「面白さ」の何十倍も大きい」
「(バーチャルでは「面白さ」が得られないのではないか)それに気づいた人は、少しづつ増えるはずだ。そのあとには、やはり、リアルの「面白さ」を作り出すものへの揺り戻しがある」
「辛いときこそ、「面白さ」を探すことだ。それを忘れないように。
「面白さ」は最初は小さい。しかし育てることで大きくなる。「面白い」と思えるものを大事にして、磨きをかけることが、これまた「面白い」のである」