2024年11月19日火曜日

『小説家という職業』森 博嗣

著者は小説家です
小説家としてその職業をどのように営んできたかをこの本に書いています
それは小説家を目指す人にとって参考になるでしょう
私は小説家を目指していないけれどもこの本を読んでみました
それは森博嗣という人の生き方に共感する部分があるからです

この本を読んでみて小説家を目指していない自分にも援用できるような部分を発見しました
それらをここに書きとどめておき後々の参考にしようと思います

 大事なことは、「こうすれば」という具体的なノウハウの数々ではなく、ただ「自分はこれを仕事にする」という「姿勢」である。

 読者から、僕の作品に対して「感動した」というメールが届くと、僕はいつも「感動したのは、あなたの能力によるものです」と答えている。

 はっきりしている真実が一つある。どんなひどい作品でも、誰かは褒めてくれる。どんなに優れた作品でも、誰かは貶す。

 「人間というのは、自分が望んでいる以上のものには絶対にならない」

 マイナは、競争相手がいないという状況で、それを求めている消費者を確実に引きつける。むしろ、メジャな商品より安定して売れるだろう。

 よくある助言、格言というのは、たいていは「上手く立ち回るため」ための方策・・・

 小説というものは、文章しかない。音も映像も伴わない。この表現手段の不自由さは、現代では素晴らしく珍しい。

 僕は自著に対してデータを集計したことがある。すると、売れている本ほど、読者の祭典が低くなる傾向があることに気づいた。理屈は簡単である。採点が低いからよく売れるのではなく、よく売れるほど、その作品に合わない人へも本が行き渡るから、低い評価を受ける結果になる。逆に、ものすごくマイナで部数の少ない本は、コアなファンだけ買うので評価が高い。

 ようするに、褒められても貶されても、「真に受けるな」ということである。

 人は、結局は「人に感動する」ものである。それは、自然の中にあって、最も自分自身に近い存在だからだ。人間の行為、その行為の結果がもたらしたものを通して、その人間の存在を感じる。・・・その感じた自分を対面に置き、反響させて感動を増幅する。

 世の傑作というのは、たいてい、どうでもよい素材を集め、どうでもよい手法にこだわって作られたものである。



0 件のコメント:

コメントを投稿