2025年5月12日月曜日

職人ことばの「技と粋」 小関 智弘

私の竹細工の師匠は群馬県の青竹細工道場の八柳良介さん(故人)です
八柳さんの師匠は地元の職人の方だったようです
始めてから1年半の頃に底が筏のような形をしたかごの作り方を習いました
その時に八柳さんがちょっと気になる言葉を使いました
「このヒゴを半殺しにして曲げます」
「半殺し」とはヒゴが完全に折れないで曲っている様子をいいます
完全に折ってしまうとヒゴはほとんどの場合切れてしまいます
力が加わると抜けてしまういわゆる死んだ状態になります
曲がったままであればヒゴは切れないで力が加わっても持ちこたえることができます
これが「半殺し」といわれる状態です

物騒ですが竹細工の要点をうまく言い表した言葉だなと私は感心しました
八柳さんはおそらくこの言葉をご自分の師匠から伝え聞いたのではないかと推測します

技術を後進に伝えていくことは大切です
それをうまく伝えることができる職人は優れていると言えます

「ドイツでは、マイスターの資格を得るためには、自分の技術を後進に伝える能力があるかどうかの試験があって、それに合格しなければ、どんなにその職人の技が優れていても、マイスターにはなれません」


つたない手わざであってもこれまで続けてきて良かったなと思うことが何回かありました

たとえば知恵をしぼり時間をかけてようやくひとつ作り上げたとき
たとえばワークショップでお伝えしたことを参加した皆さんが喜んでくれたとき
たとえばこころを込めて作ったものを人が買い上げてくださったとき
「手は宝」というのだそうです

「ものづくりをする人たちの喜びはいつも、そのものを通して、人や社会から反射してくる光によって満たされるものだからです。それが生きる誇りとなるからこその宝です」


藁細工は日本の伝統工芸のなかでも地味なものだと思います
とびきり高価なものは無いし超絶的な技法というのもありません
それなのに青い藁で作った観賞用の高級な藁細工が高値で取引されています
このような傾向は伝統としての藁細工を衰退させるものだと考えます
切子というガラス細工の歴史を見るとそのことがはっきり分かります

「薩摩切子は、藩主が江戸から職人を呼んではじめたものです。藩主お抱えの職人ですから、つくるものが高級品になります。ところが藩が滅びてしまいます。お抱え藩主がいなくなれば、その技術も衰えます。反対に、江戸切子は一度も幕府に抱えられたことがないんです。江戸は、民間だから続いたのですね」

藁細工は有史以前から生活に用いる道具として発達し庶民のあいだで継承されてきました
なのでこれからもそのようにして守り続けていくのがふさわしいのだと思います


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