とある学校法人にこの本が刊行された1980年に就職しました
これからは経済的な心配をしないで生活ができると安堵しました
目指していた教員という職業にはつけなかったにしろ
同期生10人で数か月の研修をうけたあと経理課に配属されました
自分の懐さえどんぶり勘定なのにソロバンが必須の職場にまわされたのです
仕事との相性の悪さもさることながら致命的だったのは筋違いの職場文化でした
仕事はあくまで完璧に、余暇は職場のみんなと家族もそろって仲良く楽しく
そのどちらも性に合いませんでした
窓の小さな事務所で金勘定に明け暮れる日がつづきました
最初の半年は笑ってごまかし、1年たつと顔がひきつり、2年目からは不眠になりました
自分はどうなってしまうんだろうと思い詰めていた頃にこの本を読みました
この呑気な書名だけではあの頃とても読んでみようという気が起きなかったでしょう
きっと新聞の書評かなにかで内容が紹介されていて読む気になったのだと想像します
いまもそのようにして読む本を選ぶことが多いので
自分が置かれた状況からの救いを求めてこの本を手にしたのでしょう
この本に書かれていることは書名からはおよそ想像のつかないことです
それは人間はどのように暮らし働いたらいいのかという根本的な問いかけでした
あのころ共感を覚えただろうところをひろいながら40年ぶりに再読しました
ーー
…現在では、自分の技術能力を自分自身で正確に評価できるものは、遊びの世界にしかないかもしれない…
…かつて我々はもっと一年のサイクルを利用して生きてきたのではなかったのだろうか。春には春の仕事が、夏には夏の仕事が、そして冬にも秋にもそれに適した仕事と生活があった。そのリズムを崩してきたのは、都市の労働と生活である。
(山村での)労働と生活の間には都市のような明瞭な区別がない。労働の密度が濃くなることは、一面では生活の密度が濃くなることと同義である。
そして労働の密度も、自然条件との関係のなかで、自然条件を利用しながら決定される。一年の生活と労働の四季がそこにあらわれる。
都市の労働と生活は、自然条件を克服しながら発展してきた。それは他面で自然条件の利用を忘れることにつながった。自然条件の利用はいまでは都市の外で、素朴なかたちで継承されることになった。
都市の労働が本質的には自然の人間化という労働の概念を逸脱するものではないとしても、個人としての労働者のなかには、自分が自然に向き合い、それを加工しているのだというプロセスが視野には収まらないのである。だからそこでは労働の楽しさが喪失されている。
…村人は毎日自分の労働と生活から山と川のもつ空間の意味を見通している。いわば山里にいながら、山村と地方と東京、ときに世界と自分との関係を認識しうるのである。人間の認識という行為の純粋なかたちがそこにある。こうして認識されていく村人の視野は、東京に棲む人間が抽象的に日本、世界をみていくときよりはるかに深い洞察であるように思える。
山と川とのコミュニケーションのなかに山里の生活をつくりだそうとすれば、どうしても労働は雑多なものになっていかなければならない。
マルクスは初期の著作のなかで、社会主義社会とは労働の開放ー人間の開放によって達成されると述べた。この論理に従えば社会主義社会における労働とは労苦ではない。労働自身が一つの人間的営みであり、楽しみにならなければならない。
しかし後にマルクスは、社会主義社会における人間性の回復は労働時間(労働日)の短縮であり、自由時間(自由処分時間)の拡張によって達成されると読めるような記述を残している。それは彼の経済学のなかに散見されるが、ここではマルクスもまた、社会主義社会になっても労働はやはり労苦であることを承認しているように思える。
本来人間にとってはすべての行為が労働であった。人々は物をつくり、一部を交換し、一部を消費しながら暮らしてきた。ところが近代以降の商品経済の歴史のなかでは、商品を作る労働、商品の価値をつくりだす労働という、狭義の労働だけが労働として承認されるようになった。その傾向は資本制生産様式の成立によって決定的になる。
そこから労働と生活の分離が生じ、また労働が賃金を得るための労苦になった。そうなると人間はますます生活を楽しむことに専念するようになる。こうしてできあがっていくのが現代の市民社会である。
はじめに個人が確立し、その確立した個人が自然や村の共同性の社会と関係を持つのではなく、自然との関係や共同性の社会との関係が、村人個人をもつくりだしていくのである。この人間存在のあり方を支えているものは何なのだろうかと、私は考えていた。そして再び腕と知恵の世界をみつめなおした。自然との多様な関係をつくりだすことができる村人の腕と知恵、村という共同性の社会のなかで有意義な人間でいつづけられる村人の腕と知恵、それらが山里の世界を基底で支えている。
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経理課に配属されてから二年後の春に上司に職場の異動を申し出て認められました
そう思い切れたことにこの本がどれくらいの力があったのかは分かりません
思えばほかに直截でインパクトのあるアドバイスをくれた先輩もいたからです
その後も職場を転々とするたびに浮沈を繰り返しました
どこの職場でも多かれ少なかれ妥協しがたい状況があったのです
それでもどうにか定年退職にまでたどりつくことができました
こうしていまこの本を再読できてただ有り難いと感じました
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