2019年8月21日水曜日

『民衆の芸術』 ウィリアム・モリス


「そこには所謂歴史なるものがその名と事蹟とを書きのこした人々とは別の人間がいたようにおもわれる。この人々は国庫と奴隷市場との原料のようなもので、今日われわれはこれを『民衆』と呼んでいる」

「歴史は破壊を行ったがゆえに、王様や武人のことを記憶している。芸術は、創造を行ったがゆえに、民衆を記憶しているのだ。」

旅をしていて壮大な城に遭遇します
それを見てその規模や威圧的なたたずまいに「すごい」と自動的に思います

そのあとすぐに何が「すごい」のかと思います
戦に負けないためにこれだけの建物を作ったことが「すごい」のか
「すごい」とは思っても、「美しい」とは思えない

聖堂の中にかすかにほほ笑んだ古い彫刻を見たことがあります

何を思ってこの彫刻を作ったのか伝わってくるものがあります
まったく「すごい」ものではないけれど「美しい」

「すごい」ものには魅かれません
「すごい」もののなかには悲しいものが声もなくたくさん詰まっているからです
「美しい」ものに魅かれます
「美しい」もののなかには喜びが感じられるからです

「すごい」ものを作るのは悲しいことです
「美しい」ものを作るのは楽しいことです

日々に楽しむことが必要です

「新しい旗がかかげられたばかりの旗竿から立ち去り、新秩序を宣言する喇叭の音がまだ耳もとに響いているとき、今度はわれわれは何処にむかっていくのか。何処にむかっていく必要があるのか。
 われわれの仕事、日々の労働以外の何にむかっていくのであろうか。
 われわれがまったく自由に、理性的な存在になったときに、今度はわれわれはそれを何で飾るのであろうか」

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