2019年8月27日火曜日

ほろ苦い懐かしさ

先日ふるい友人とひさしぶりに会いました
会うきっかけはこの夏にお互いヨーロッパへ行ったことです
わたしは自転車旅で彼はハイキングでした
それぞれの土産話を聞こうということになったのです

あちこちの写真を見ながら話に花が咲きました
そのなかで彼が撮ってきたアルプスの峰々の写真に目がとまりました
それは40年前にわたしが見た姿とあまりに違うように感じられました
それを裏付けるように友人は教えてくれました
すべての展望台の案内プレートが「この数10年でいかに氷河が後退したか」を説明していたと

アルプスの氷河が後退しているという話は以前に聞いたことがあり、悲しい気がしました
自分が若い時に見た風景がもう見られないのかと思ったからです
その事実を友人が今夏撮ってきた写真ではっきりと示してくれました

写真の山はアイガーです
左が1978年8月にわたしが撮った写真で、右が今年7月に友人が撮ったものです
左は降雪直後であることを割り引いても変化は顕著です
以前は岩壁の基部や中間部や山頂付近に氷河がありました
それらが今はほとんど消えかかろうとしています
1978年8月
2019年7月
下の写真はマッターホルンです
岩壁のすその氷河のボリュームが明らかに小さくなっています
1978年8月
2019年7月

下の写真はゴルナーグラートから見たリスカムです
手前に落ち込む大きな氷河の右側の岩峰にべっとり着いていた氷河が半分以下になっています
1978年8月
2019年7月
これはモンブランからシャモニの谷へと落ちるボソン氷河です
氷河が後退して黒い山肌がはっきりと見える部分が増えています
1978年7月
2019年7月





















これから温暖化の影響はもっと顕著になっていくでしょう
悲しいなどというレベルではなくて身の危険が生じる状況かもしれません
そうなるのを座視してはいられません

2019年8月22日木曜日

冬瓜のあんかけ

冬瓜のあんかけ
夏野菜なのに冬までもつので冬瓜というそうです
知り合いから大砲の弾みたいにおおきいのをいただきました

冬瓜を料理するのは初めてでした
最初はやはりあんかけかな、と作ってみましたところ美味しく炊けました

家で食べて、友達にもあげて、それでもまだ生が冷凍庫にたくさんあります
この秋は冬瓜まつりかな

2019年8月21日水曜日

『民衆の芸術』 ウィリアム・モリス


「そこには所謂歴史なるものがその名と事蹟とを書きのこした人々とは別の人間がいたようにおもわれる。この人々は国庫と奴隷市場との原料のようなもので、今日われわれはこれを『民衆』と呼んでいる」

「歴史は破壊を行ったがゆえに、王様や武人のことを記憶している。芸術は、創造を行ったがゆえに、民衆を記憶しているのだ。」

旅をしていて壮大な城に遭遇します
それを見てその規模や威圧的なたたずまいに「すごい」と自動的に思います

そのあとすぐに何が「すごい」のかと思います
戦に負けないためにこれだけの建物を作ったことが「すごい」のか
「すごい」とは思っても、「美しい」とは思えない

聖堂の中にかすかにほほ笑んだ古い彫刻を見たことがあります

何を思ってこの彫刻を作ったのか伝わってくるものがあります
まったく「すごい」ものではないけれど「美しい」

「すごい」ものには魅かれません
「すごい」もののなかには悲しいものが声もなくたくさん詰まっているからです
「美しい」ものに魅かれます
「美しい」もののなかには喜びが感じられるからです

「すごい」ものを作るのは悲しいことです
「美しい」ものを作るのは楽しいことです

日々に楽しむことが必要です

「新しい旗がかかげられたばかりの旗竿から立ち去り、新秩序を宣言する喇叭の音がまだ耳もとに響いているとき、今度はわれわれは何処にむかっていくのか。何処にむかっていく必要があるのか。
 われわれの仕事、日々の労働以外の何にむかっていくのであろうか。
 われわれがまったく自由に、理性的な存在になったときに、今度はわれわれはそれを何で飾るのであろうか」

2019年8月16日金曜日

三十三見当

ベンジャミン・フランクリンさんがこういいました

People are best convinced by things they themselves discover.
「人は、自分自身が発見した事柄に最もよく納得する」

わたしは3という数字が自分に合っていると思っています
幸運を呼び込んでくる数のようなのです
これといった理由はありません
強いて言えば自分の名前に漢字の三がついているからかもしれません

好きなことはなんでも三つしようと思っています
ものを作ることを三つしています
藁細工、竹細工、茅葺き

三つもやるのは大変じゃないかと思われるかもしれません
たしかに一つ、二つよりも時間も根気もお金も必要です
それでもわたしはなぜか三つやりたいのです

ブログは三本作って、書いています
藁竹茅、人力遊山記、一入亭日乗
三つ書くのは大変です
でも自分ではそれぞれに意味があると思ってやっています

息子は三人います
三人寄れば文殊の知恵といいます
まあこれはじっくりと今後を見てみましょう

わたしは三にこだわっています
三はわたしのラッキーナンバーかなと思うからです
それで日常の行動は項目ごとに三つ立てています
行動の項目が11あるので11×3、つまり33種類の行動をしています

この33に含まれない種類の行動も例外としてあります
日常的には33種類の行動でほとんど収まって居ます

33種類の行動をするのは結構忙しいです
それでも一所懸命、ながいあいだやっていると、それなりに成果がでます
行動の種類を明確にしているので成果は見えやすいです

こんなことをしている人がほかにいるでしょうか
わたしのほかには聞いたことがことがありません

わたしがこのように行動しているのには理由があります
それは毎日を楽しく暮らしたいからです
そしてそれには自分が楽しいと思える行動で日々を満たすのが一番だろうと考えたからです
お気に入りの33の行動を日常としていれば楽しいのじゃないかなと見当をつけたのです
それでこれら33の行動を「三十三見当」と呼ぶことにしました

それを実践してみたところ確かに楽しいです
「三十三見当」はわたしが自分でみつけた方法です
他の人がこんなことをしているなどと聞いたことはありません

「三十三見当」はわたしがわたし自身のために編み出した方法です
いまのところこの方法はとてもうまくいっています

お金をたくさん使うことはないし
体は健康に保てるし
暇で退屈することもない

「三十三見当」という生き方をわたしは気に入っています

2019年8月14日水曜日

虹を見ました

きょうは台風の余波で午前中から時折強い雨が降る天気でした
いつも午後遅くに散歩に出かけます
そのタイミングを計りあぐねていました
ようやく四時過ぎに、もう降らないだろうと踏んで、出かけました

入間川自転車道を入間大橋から時計と反対回りに進んでいきます
落合橋を過ぎたあたりで西の空に虹が見えました
北の方が四分の一ほど欠けています
それでも久しぶりに虹を見ることができました

虹とは不思議なものです
この天気であれば虹が見えるかもしれないと期待しているときにはまず見えません
ところがこうして虹のことなど何も考えていないときにぱっと見えることが多いのです
きょうがまたそうでした

カメラを持っていなかったのでその虹は撮れませんでした
せめて気持ちだけをお伝えします

2019年8月13日火曜日

スイカを丸一個買う

小家族ですからスイカを丸一個で買うのははばかられます
かといって8分の1に切られたスイカを買うのは寂しい
子供のころにワリワリとたくさん食べた記憶がありますから
最近の高級果物のような扱いは気に入りません

夏の盛りに年に一度だけでも丸1個買って食べたいもの
そう思いお盆に家族が集まるのを見計らって買いました
川越総合市場で山形は尾花沢産の立派なもの丸一個

食べる2、3時間前に切って冷やすと美味しいそうです
そうやって食べました
うーん、丸一個のスイカはやっぱりうまい!

2019年8月11日日曜日

中元にかごやざるを贈る

菊底かご
数えるほどですが中元や暑中見舞いが贈られてきます
その人たちにわたしが作ったかごやざるを贈ります
きょうも従兄に贈りました

四ツ目かご、いかだ底かご、菊底かご、麺ざる
いまの実力ですから不出来なものばかりです
それが家にたくさんあるのです

売りものにならないので親類縁者、知人友人に贈ります
歳暮としてもずいぶん贈っています

贈り先より生産量の方が多いので家にたまります
それを贈るのです
送料はかかりますが菓子などを贈るよりは安く済みます

贈って本当に役に立つかどうかは分かりません
それは受け取った方次第でしょう

わたしはともかくかごやざるを贈ります

2019年8月10日土曜日

オクラに二度助けられた話

夏も盛りになってオクラが野菜売り場に目につく季節になりました
緑のシュンとした鞘を見るとほとんどオートマティックに二つの夏を思い出します

高校一年生の夏休みに入って間もなく、山岳部の合宿に参加しました

行き先は北アルプスの裏銀座コースというところで行く前から期待は胸にふくらんでいました
入山口から雨にたたられ少し歩いては雨で停滞する繰り返しでした
ようやく槍ヶ岳を越えたころには燃料も食料も尽きかけていました
初めての三千メートルを越す峰歩きで私はすきっ腹をかかえて気落ちしていました

その晩に私が泊まったテントには顧問のA先生がいました
やっと夕飯の準備ができてみんなで食べ始めました
どんな献立だったか思い出せない、残り物の寄せ集めでした
皆で押し黙って食べているとA先生はリュックから何やら青く長細い野菜を何本か出しました
それをナイフで細かく刻み醤油と鰹節をかけて箸で混ぜると納豆のような糸がたちました
A先生はそれを私のご飯の上にかけてくれました
とても美味しくてご飯がつるりとのどを通っていきました
それがオクラというものだとはじめて知りました

大学を卒業し就職して二年目の夏にインドへ行きました
仕事になじめずにたまったストレスをおもいきり山スキーにぶつけるつもりでした
インドヒマラヤの六千メートル峰に登り、スキーで滑り降りて来る計画でした
日々の忙しさの中でたてた計画はずさんで、同行者もなく装備も不十分でした
一週間ほど登山口のあたりをトレッキングしてから計画を変更しました
鉄道でインドを一周することにしました

ニューデリーからマドラス(いまのチェンナイ)へ行きベンガル湾で泳ぎました
さらに南のコモリン岬へと向かいました
小さなホテルで渇きをいやそうと飲んだ水がいけませんでした
ひどい下痢になり一時間おきにトイレに行く状況になりました

しくしく痛む腹をかかえながらそれでもカルカッタ(いまのコルカタ)まで行きました
無理をしたのが良くなかったのかカルカッタで症状は一層ひどくなりました
ようやく見つけた安ホテルで食事もとらずに寝ていました

なんにちか水ばかり飲んだ後、何か食べるものを買おうと市場へ行きました
そこで昔見た野菜を見つけました
オクラです
それと醤油を買ってホテルに戻りました
刻んで醤油をかけ、糸を引くまで混ぜ合わせてどんぶり一杯食べました
ひさしぶりにおいしくのどを通るものを食べた気分でした

こうして二、三日寝ているあいだに下痢は止まり、体力がもどりました
これで大丈夫と、ようやくニューデリーへ行く列車に乗りました

こんなふうに私はこれまで二度オクラに助けられました
これから三度目があるかもしれません
たとえなくても(ないほうがいい)今はオクラをふつうに楽しめてしあわせです

2019年8月7日水曜日

『人類史の中の定住革命』 西田正規


人類は今から1万年ほど前の新石器時代から一か所に定住する生活を始めました
新石器時代は日本では縄文時代の中頃にあたります

それまで人は暮らしやすい環境を求めてあちこちへと移動する生活をずっと続けていました
暮らしやすいとは食料や水がふんだんにあり、ゴミや排泄物で汚れていないということです
初期の人類が出現した400万年前からそういう場所を求めて移動しながら生きてきたのです
このような生活スタイルを遊動生活といいます

遊動生活とは実際にはどのようなものだったのでしょうか

人は空腹になると獲物をとり、ゴミはその辺に投げ捨て、排せつも所かまわずしていました
そのため一か所にとどまっているとそこに獲物は少なくなり、辺りは汚くなりました
そこで獲物が豊富で清潔な水のあるところを求めて移動していきました
移動のときには生活に必要な最低限のものしか携えていなかったはずです
夜を安全に過ごすためにさまざまな注意を払います
病気になったときは薬草を使ってなおしました

もちろんすべてが完璧にはいかなかったと思います
それでも徐々に遊動生活に必要な知識を蓄え、持てる能力を駆使して暮らしていたでしょう
その生活は厳しくも充実したものだったに違いありません
でなければ幾度もの氷河期を乗り越えて生き続けられなかったはずだからです

その遊動生活が今からおよそ1万年前の氷河期の終りとともに不可能になりました
地球が温暖化して主に食料としていた大型の獣が減少したためです
反面、農耕や漁撈が可能な土地が広がったことで定住生活の条件が整ってきました
400万年という人類の歴史からみれば定住生活が始まったのはついこの間のことなのです

定住生活を始めたことにより人類は革命的な進歩を遂げることになります

2019年8月5日月曜日

かたる 日本語 泳げない漁師と泳げるゾウ

「ぼやき川柳」というラジオ番組で意外なことを耳にしました

「泳げない漁師がいるそうです」それから
「泳げるゾウがいるそうです」

泳げない漁師なんて本当にいるのでしょうか?
漁師の職場環境から考えると泳げないなんて致命的ではないかと思います
信じがたいことです
大型マグロ漁船ならともかく近海の小型漁船の乗組員がかなづちじゃ勤まならないでしょう
半信半疑で検索したところ海上保安本部のHPに泳げない漁師の救助事例が載っていました
この漁師さんはなんと漁師歴40年ではじめて仕事中に海に転落してしまったそうです
泳げないのにどうして助かったのでしょうか?
ライフジャケットを身につけていたんですね
やっぱり泳げないからその辺は慎重だったのでしょう
それにしても泳げない漁師がいるなんてびっくり...

かたや泳げるゾウはたくさんいるようです
こちらも検索すると豪快に泳ぐゾウの水中写真がたくさん見られました
ゆったりと歩くゾウのイメージからはかなり遠い!

とくに水辺に住むゾウは泳ぎが得意なようです
川を渡ったり、危険を回避したりするためには泳げないと困りますからね

あの巨体では泳ぐのは不得意だろうと想像したのは間違いでした
身体に浮力があり、太い手足は水を掻きやすく、長い鼻はシュノーケル替わりになります
スピードこそ出せませんが体形は泳ぎに適しているといってもいいくらいのようです
これも意外な話でした

もちろん泳げる漁師というのが多数派で、なかには泳げないゾウもいるでしょう
それにしても先入観をくつがえすような真実が存在するのは間違いないようです

2019年8月4日日曜日

『幸福論』 バートランド・ラッセル


イギリスの哲学者ラッセルはこの本の中で

教育は、かつては多分に、「楽しむ能力」を訓練することであると考えられていた

と書いています

楽しい生活をしていくためには何が必要でしょうか?
わたしたちはそれを、たとえばお金や余暇など、外在的なものに求めがちではないでしょうか?
楽しいことの条件は自分の外にあり、それを手に入れられれば楽しくなると考えやすいのです

しかしじっさいには何かを楽しむためにはまずそれなりの能力が必要です
衣食住はもちろん、娯楽や芸術でもその分野の高い能力があれば楽しみはより深まります
そのような能力はやはり訓練することなしには身につけられないと思います
「楽しむ能力」は自分で意図して身につけなければなりません

人生を楽しめる能力を身につけておくことはとりわけ高齢になってから大切です
自らの能力を活用して楽しく暮らしていくことが質の高い老後には欠かせないからです

2019年8月3日土曜日

『老後はひとり暮らしが幸せ』 辻川覚志


人は何かをして自分が満足すると良かったと感じます
日常生活においても同様で、日々を満足して暮らせば良い暮らしをしたと感じます

日常生活の満足度にかかわる因子としてつぎのようなものがあります

年齢、性別、悩み度、健康意識、世帯構成、子の有無と遠近、外との接触の多寡、等

一番大きな影響を与えているのは悩みやストレスです

<独居を支えるもの>
①自由で勝手気ままな暮らし
 ⇒ストレスや悩みがたまりにくい

②信頼のおける友人や親戚
 ⇒悩みを聞いてくれて、適切なアドバイスから悩みを減らしてくれる

③住み慣れた土地
 ⇒自らがゆったりと過ごせる空間を提供してくれる

 人に頼らずすべて自分で何でもやろうとすれば、当然相当な身体能力を使います
 そうすることで自らの能力をできるだけ低下させずに済みます

 自らのことは、最期までできるだけ自分でこなさなければならないと覚悟を決めておきます
 そうすると最期まで自分の意思で、満足の行く生活をおくることができます

 ひとり暮らしは炊事、掃除、洗濯を全て自分でやらなければいけないのに満足度は高いのです
 その理由は明確です
 自分が思っている通りの生活ができるからです

<ひとり暮らしを長く楽しめる7つの秘訣>
①生活環境をできるだけ変化させず、自宅を終の棲家にできるようにしておく
 ⇒何も同じ家に住む必要はありません
  友達と会うのに便利で、土地勘のある近くの便利な所に移り住むのはいいことです

②友達を維持する。信頼のおける人を持つ
 (1)自分が置かれている状況について、親身になって心配してくれる人
 (2)どんなことでも話せて、自分を裏切ったりする心配のない人
 (3)自分が考えている価値観を尊重してくれ、何かを強制したり説教したりしない人
 信頼できる人たちと何らかの通信手段でゆるやかにつながっている
 そう感じられることがひとり暮らしの安心につながります

③毎日何かやることをつくる
 (1)お金をかけなくても、自由な発想で、毎日外に出る用事をつくる
 (2)自分にとっても役立つような情報を収集し、心身の活性化に役立つように活動する
 (3)何かを完成させたり、眺めたりできるようにする
 (4)ブログなどで活動の成果を発信する機会をつくる

④できるだけ自分で何でもする
 人間は非常に合理的にできていています
 使わなければすぐにその機能を衰えさせ、身を軽くさせる働きを持っています
 年齢を重ねると、もともとの余力があまりありません
 そのため少し使わないとあっという間に能力が低下してしまいます
 そしてその回復に若い頃よりも時間がかかります
 それを防ぐためにできるだけ体を使い自分で何でもやろうとすることは良いことです

 年を重ねると目や耳から入ってくる情報が減ります
 脳が休み始めると、急速に認知症が進んでくる場合があります
 独居生活で他からの働きかけが少なくなると刺激のない生活になります
 そうしていると、どうしても脳機能が低下することを避けることはできません

 認知症予防には、魚を中心に食べて、緑茶や赤ワインを飲むようにします
 また、人と話をしたり、運動したりして、他者との関わりを持つことが重要です
 このようにして身も心も使い続けることが大切なのです

⑤ひとり暮らしの寂しさを少しでも減らす
 孫、ペット、音

⑥緊急時の対策を決めておく
 見守りシステム

⑦自分の希望を周囲に伝えておく
 エンディングノート

<ひとり暮らしが無理になったら>

 契約家族 NPO法人りすシステム 生前50万円、死後100万円

<満足度が高い老後の独居>
老後の生活満足度を決定づけるもの
・慣れ親しんだ土地
・真に信頼のおける友(親戚)
・勝手気ままな暮らし
これらはどんなに高級な高齢者向け施設にも存在しえないものです
身体能力が低下すれば、当然苦しくなっていきます
それは同居でも同じです
さらに、これに家族への気遣いが加わるために二重に苦しむ結果に終わります

自由でやりたいことができることは、その人が最も望んでいることです
元気な間にまずできるだけ自分で何でもやる習慣を身につけましょう
そして年齢とともに体が不自由になっていってもその習慣を守るようにしましょう
そのことがより満足度の高いする老後生活を送るためには必要です

独居生活は最期のときまで自分の意思で暮らすことができる可能性が高いといえます
ですから老後は独居が一番幸せに近い形なのではないでしょうか