三枚におろし、塩水(1ℓの水に50gの塩)に1時間漬け、表面が乾き始めるまで天日に干す
2021年8月28日土曜日
2021年8月26日木曜日
2021年8月25日水曜日
2021年7月21日水曜日
『ブッダの瞑想法 ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』地橋秀雄
わたしにとってこれまで仏教との関わりは葬式などの弔いを通じてだけでした
誰かの死に際して手を合わす、仏教はそれ以上でもそれ以下でもありませんでした
高い戒名料や布施を寺に払うたびに「仏教とは何ぞや?」という思いにかられました
「仏教は死者だけでなく生きている者のためにもある」
そういう耳寄りな話をどこかで誰かから聞いた気がするのだけど...
仏教はどのようにして現に生きている人のためになるのでしょうか?
僧侶は死者に経をあげるだけでなく生きている者にも有益な説法ができないのでしょうか?
そもそも人々の心に響く話しができる住職がいったいどれだけいるのでしょうか?
仏教はわたしにとって?だらけだったのでした
ヴィパッサナー瞑想のことはユヴァル・ノア・ハラリの本を通じて知りました
彼はこの瞑想法を自分の生活に取り入れその効果を絶賛していたのです
それがどのようなものかもっと知りたくなりました
例により川越市立図書館で関連の本を探してみました
何冊かあった本のなかでこの本が一番読みやすそうでした
読んでみたところ瞑想の説明が分かりやすいだけでなく仏教についての理解も深められました
ヴィパッサナー瞑想とは何か、多くの人は知らないでしょう
まずこのことについて明快に説明されています
それはとても実用的、実際的、実践的な日常生活で使える瞑想法だと思います
それを知ることができたのが第一の収穫でした
予期しなかった収穫は仏教における瞑想の大切さを知ったことです
というか瞑想こそ仏教の核心ではないかとさえ思います
人々を苦悩から解放するという仏教の智慧の中身がヴィパッサナー瞑想なのです
ヴィパッサナー瞑想は釈迦の説法に基づき、人生の苦悩の解決の道を教えるものです
ここに立ってみれば私がこれまで見てきたのは金欲にまみれた葬式仏教でしかないのでした
2021年7月7日水曜日
2021年7月6日火曜日
草刈りなど
今夏二回目の草刈りをしました
例の選択的草刈り方式でやったところ、2時間かかりませんでした
なので他もこまごましたこともやりました
1蔓切り
地球温暖化のせいか近年ウドに蔓がすごくからむような気がします
憎らしいのでウドの下に入って蔦を切りました
2ムジナ返し
昨夜寝ていたらムジナが床下に入ってキャッキャ騒いでいました
当人たちは騒いでいるつもりはないのでしょうがうるさいのでフタをしてしまいました
3茅上げ
先月に差し茅をして残った茅(28束)を前中門の軒下に入れました
ここであればほとんど濡れませんから
差し茅したところは雨に濡れています
2021年7月5日月曜日
籾摺り
昨秋に府中農場で藁細工用に古代米を刈り取りました
稲穂がたわわに実っていたのでこれを食しようと思いました
食べるには脱穀→籾摺り→精米しなければなりません
脱穀は時間をかけててでやりました
ところが籾摺りを手でやるのはとてもたいへんです
食べるのを半ば諦めていたところジョイフル本田の新田店に籾摺り機を発見しました
6㎏まで50円の籾摺りをしたところこうなりました
これをさらに隣の6㎏まで100円の精米機にかけてこうなりました
だいぶ目減りしてしまったので八分づきぐらいでも良かったかもしれません
炊いて食べたらふつうに美味しかったです
2021年7月4日日曜日
川越幸すしのムスリム・ヴィーガン対応メニュー
とある講座の一環で今日は川越幸すしのムスリム・ヴィーガンメニューを体験しました
角皿が寿司、左の小鉢がすき焼きご飯、右の小鉢がうなぎの蒲焼ご飯、そして餡かけです
普段お店で出しているものを少しずつサンプルした特別メニューです
それぞれ本物と見まがう造りの繊細さに目をみはるばかりでした
味付けも本物に近くて二度驚きました
寿司だけはカボチャ、トマト、アボガドの味がストレートにしていましたが...
似せるだけではなく、そのものとして満足してもらおうという職人の心意気を感じました
2021年6月21日月曜日
「村の一年(写真で見る日本生活図引別巻)」 熊谷元一=写真 須藤功=編
写真集なので「見終わりました」というのが正しいかもしれません
この写真集は高度成長の波が押し寄せる直前のある農家の一年をとらえたものです
今から65年前のその暮らしはじつに自給自足的で現代の感覚からすると貧しいです
一家は衣食住のほとんどすべてを自分たちの手でなんとかしていました
だからとても忙しくて体だけでなく頭もとても疲れたことと思います
それなのに、というか、それだからこそ家族の表情がとてもいいのです
とりわけ子供たちの明るい笑顔に心を打たれます
つましい暮らしの中でこれほどに幸せそうにしていられたのはなぜでしょうか?
貧富を問わず、今この家族のように暮らせている人たちはどれほどいるのでしょうか?
この写真集を編集した須藤功という人が本のはじめに
「豊かさの初めに掲げるべき思いやりの心を、家族も村人も等しく持っている」
と書いています
私たちは豊かになるとともに笑顔も思いやりの心も失ってしまったようです
つつむ、きく、このあい
これですべてです
「つつむ、きく、このあい」の「つ」は「作る」の「つ」です
自分で作るのが好きです
たくさん作りたいものがあるうちでとりわけ三つに集中しています
「藁細工」
「竹細工」
「茅葺き」
「つつむ、きく、このあい」の「つ」は「伝える」の「つ」です
自分だけでなく誰でも見られるようにブログに記録しておきます
「藁竹茅」は藁細工、竹細工、茅葺き
「人力遊山記」は山歩き、自転車旅、舟遊び
「一入亭日乗」はそれら以外すべて
「つつむ、きく、このあい」の「む」は「睦む」の「む」です
人との睦みあいこそ喜びの源泉です
「息子」
「友人」
「すべての人」
「つつむ、きく、このあい」の「き」は「気づく」の「き」です
見る、聴く、読むをとおしての気づきです
「見聞」は人の話し、テレビ、ラジオなど
「学ぶ」はサークル、講座など
「読む」は新聞や本です
「つつむ、きく、このあい」の「く」は「暮らす」の「く」です
暮らしのためになおざりにできない事の数々です
「衣食住」
「経済」
「諸事」
「つつむ、きく、このあい」の「こ」は「言葉」の「こ」です
大切な言葉を慈しみます
「日本語」は母なる言葉です
「英語」はグローバルなコミュニケーションのための言葉です
「仏語」は異文化への扉となる言葉です
「つつむ、きく、このあい」の「の」は「遺す」の「の」です
ささやかな人生の遺物として三つあります
「農家」とは新潟の一入亭のことです
「町家」とは川越のハーミ亭のことです
「車」とは一入亭とハーミ亭を結ぶものです
「つつむ、きく、このあい」の「あ」は「遊ぶ」の「あ」です
三つのジャンルの遊びに集中します
「山歩き」として登山とスキーをします
「自転車旅」を国内外でします
「舟遊び」は新河岸川の船頭と海で波乗りです
「つつむ、きく、このあい」の「い」は「癒す」の「い」です
いろいろな癒しのうちでとりわけ三つのことです
「睡眠」は質の高い眠り
「運動」は散歩、ダンス、筋トレ・ストレッチ
「音楽」はジャズとクラシック
「つつむ、きく、このあい」
今はこれがすべてです
2021年6月8日火曜日
草刈り
今年最初の草刈りです
まだフキが元気なのでそれをよけながら刈ります
「フキ以外の雑草を刈ると年々フキが優勢になっていつか一面がフキだらけになる
そうしたら庭は食べ物で一杯になるし草刈りはずっと楽になる」
これを「選択的草刈りプロジェクト」と名付け一人静かに昨年から展開中です
10年ぐらいするとその結果がわかるでしょう
今年は梅雨入り前に茅葺きも草刈りも終えることができてほっとしました
沈む夕陽を肴に水割り焼酎を傾けました
2021年6月5日土曜日
マソイの煮付け
いつもの土曜日のように川越市場に買い出しに行きました
今日は曇り空で干物を干すには向いていないなと思いながら自転車をこいでいきます
市場の魚店を見て回っていると売れ残りの形のいいマソイが目にとまりました
これを煮付けよう!
筋肉質の身に脂がのっていて美味しかったです
2021年5月6日木曜日
「予想どおりに不合理」 ダン・アリエリー
ソクラテスは、吟味されない人生は生きる価値がないといった。
社会規範と市場規範を別々の路線に隔てておけば、人生はかなり順調にいく。
一番高いセックスは無料のセックスだ。
人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。
市場規範が少なめで社会規範が多めの生活のほうが、有意義に実感をもって楽しく暮らせると確信できた。
社会規範は人々に他者の幸福を思い出させ、その結果、利用できる資源に負担をかけない程度まで消費を抑えさせる。
値段を持ち出さないことが社会規範をもたらし、社会規範があることでわたしたちは他者のことをもっと気にかけるようになる。
2021年5月4日火曜日
ウマヤ
中門造りの民家に入るとすぐのところにウマヤがあります
ここで農耕用の馬や牛が飼われていました
耕運機の普及によりそれらの役用動物は飼われなくなり空間だけが残りました
| 右側の半分ほどがウマヤ |
![]() |
| チュウモンの「通り」の左側がウマヤ |
一入亭のウマヤを便所、風呂場、そして洗面所に改造しました
試行錯誤しながら25年かけて今年ようやく完成しました
ウマヤへはニワから2mほどスロープを下って入ります
スロープ下の右手が洗面所です
| 洗面台にはふだんフタをしておきます |
その奥が便所です
| 水洗トイレです |
古い引き戸を開けたところが風呂場です
脱衣スペースには洗濯機がありその上に脱衣かごを置いています
| 床や洗い場は杉に柿渋塗り、湯舟はステンレスです |
| 里の景色を眺めながら入浴するのが好きです |
2021年5月2日日曜日
ハーミ亭 庭にハーブ
レモンバーム ハーブティーで元気が出る
ルッコラ ゴマ味で抗ガン、抗菌、血栓予防
イタリアンパセリ ビタミンなどが豊富で体が喜ぶ
ジャーマン・カモミール ハーブティーで安眠
ローズマリー 血行を良くし疲労回復
ブロンズ・フェンネル 老廃物を外に出す
モヒート・ミント 血行を良くし腸を整える
これらを東側の庭に並べて植えました
2021年4月24日土曜日
「ホモ・デウス 下」 ユヴァル・ノア・ハラリ
宇宙は盲目的で目的のないプロセスであり、響きと怒りに満ちているが、何一つ意味はない。芥子粒のように小さい惑星で無限小の時を送る間、私たちはあれこれ頭を悩ませ、あちこち歩き回り、そして、やがてそれきりとなる。
現代の生活は、実際的なレベルでは、意味を持たない世界の中での力の追求から成る。現代文化は史上最強で、絶え間なく研究や発明、発見、成長を続けている。同時に、これまでどの文化も直面したことのないほど大きな実存的不安にさいなまれている。
現代における力の追求は、科学の進歩と経済の成長の間の提携を原動力としている。これまでほとんどの時代で科学はカタツムリが這うようにゆっくりと進歩し、経済は完全な凍結状態にあった。人口が徐々に増えていたので、生産もそれに比例して増え、散発的な発見が一人当たりの生産量の増大につながることさえときどきあったが、それはじつに緩慢な過程だった。
近代に入り、人々がしだいに将来を信頼するようになり、その結果、信用に基づく経済活動の奇跡が起こったおかげで、この悪循環がようやく断ち切られた。信用(クレジット)とは、信頼の経済的な表れだ。
人々が何千年にもわたって将来の成長をほとんど信じなかったのは、愚かだったからではなく、成長が私たちの直感や、人間が進歩の過程で受け継いできたものや、この世界の仕組みに反しているからだ。自然界の系の大半は平衡状態を保ちながら存在していて、ほとんどの生存競争はゼロサムゲームであり、他者を犠牲にしなければ繁栄はない。
人類は何百万年もかかって進化する間、チスイコウモリやキツネやウサギなどと同じような状況にあった。だから、人間も成長を信じるのが苦手なのだ。
現代は、経済成長は可能であるばかりか絶対に不可欠であるという固い信念に基づいている。祈りや善行や瞑想は慰めや励みとなるかもしれないが、飢饉や疫病や戦争といった問題は成長を通してしか解決できない。この根本的な心情は、一つの単純な考え方に要約できる。「もし何か問題が起こったら、おそらくより多くのものが必要なのだ。そして、より多くのものを手にするには、より多くを生産しなければならない」
「より多くのもの」という信条は、社会の平等を維持したり、生態の調和を守ったり、親を敬ったりといった、経済成長を妨げかねないことはすべて無視するように個人や企業や政府に強いる。
資本主義は、人間が経済を、あなたの得は私の損というゼロサムゲームと見なすのをやめて、あなたの得は私の得でもあるという、誰もが満足する状況と見るように促すことで、全世界の平和に重要な貢献をしたことに疑念の余地はない。
世界は決まった大きさのパイであるという伝統的な見方は、世界には原材料とエネルギーという2種類の資源しかないことを前提にしている。だがじつは、資源には3種類ある。原材料とエネルギーと知識だ。原材料とエネルギーには量に限りがあり、使えば使うほど残りが少なくなる。それに対して、知識は増え続ける資源で、使えば使うほど多くなる。実際、手持ちの知識が増えると、より多くの原材料とエネルギーも手に入る。
したがって私たちには、資源の欠乏という問題を克服する可能性は十分ある。現代の経済にとっての真の強敵は、生態環境の崩壊だ。科学の進歩と経済の成長はともに、脆弱な生物圏の中で起こる。そして、進歩と成長の勢いが増すにつれて、その衝撃波が生態環境を不安定にする。
経済が成長さえしていれば、科学者と技術者がいつも世界の破滅から私たちを救ってくれると信じている政治家や有権者があまりに多すぎる。
資本主義の世界では、貧しい人々の暮らしは経済が成長しているときにしか改善しない。したがって彼らは、今日の経済成長を減速させることによって将来の生態環境への脅威を減らす措置は、どんなものも支持しそうにない。
現代の世界は成長を至高の価値として掲げ、成長のためにはあらゆる犠牲を払い、あらゆる危険を冒すべきであると説く。集団のレベルでは、各国の政府や企業や組織は、自らの成功を成長という物差しで測り、平衡状態は悪魔であるかのように恐れることを奨励される。個人のレベルでは、私たちは絶えず収入を増やし、生活水準を高めるように仕向けられる。たとえ現状に十分満足しているときでさえ、さらに上を目指して奮闘するべきなのだ。
現代社会を崩壊から救ったのはだれか? 人類を救出したのは需要と供給の法則ではなく、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭だった。
伝統的には宇宙の構想が人間の人生に意味を与えていたが、人間至上主義は役割を逆転させ、人間の経験が宇宙に意味を与えて当然だと考える。人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけでなく森羅万象の意味も引き出さなくてはならないという。意味のない世界に意味を生み出せーこれこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律なのだ。
浮気について現代人の意見はさまざまだが、彼らはたとえどんな立場を取ろうと、聖典や神の戒律ではなく人間の感情の名において、その立場を正当化する傾向にある。物事は、そのせいで誰かが嫌な思いをするときだけ悪いものになりうることを、人間至上主義は私たちに教えた。
仮に私が神を信じていたら、そうするのは私の選択だ。私の内なる自己が神を信じるように命じるのなら、私はそうする。私が信じるのは、神の存在を感じるからで、神はそこに存在すると私の心が言うからだ。だが、神の存在をもう感じなければ、そして、神は存在しないと突然自分の心が言い始めたら、私は信じるのをやめる。どちらにしても、権威の本当の源泉は自分自身の感情だ。だから、神の存在を信じるといっているときにさえも、じつは私は、自分の内なる声のほうを、はるかに強く信じているのだ。
人間たちが自分に自信を持つようになると、倫理にまつわる知識を得るための新しい公式が登場した。知識=経験×感性だ。倫理にまつわるどんな疑問に対しても答えを知りたければ、自分の内なる経験と接触し、この上ないほどの感性をもってそれを観察する必要がある。そんなわけで、私たちは経験を積み重ねるために何年も過ごし、その経験を正しく理解できるように自分の感性を磨くことで、知識を探し求める。
人間至上主義においてはこのように、経験を通して無知から啓もうへと続く、内なる変化の過程の漸進的な過程として人生を捉える。人間至上主義の人生における最高の目的は、多種多様な知的経験や情動的経験や身体的経験を通じて知識を目いっぱい深めることだ。
じつは「自由」という神聖な単語は、まさに「魂」と同じく、具体的な意味などまったく含まない空虚な言葉だったのだ。自由意志は私たち人間が捜索した様々な想像上の物語の中だけに存在している。
私は自分の欲望を選ぶことはない。私は欲望を感じ、それに従って行動するにすぎない。それにもかかわらず、人が自由意思について論じ続けるのは、科学者までもが時代遅れの神学的な概念を相変わらず使っていることがあまりに多いからだ。
なぜこの考えを思いついたのか?一瞬前にこのことを思いつくことにして、それからようやく思いついたのか?それともこの考えは、私の指示も許可もまったくなしに、自然に湧いてきたものか?もし私が本当に自分の考えや決定の主人公なら、これから1分間、何も考えないことにできるだろうか?
矛盾するようだが、私たちは空想の物語のために犠牲を払えば払うほど執拗にその物語にしがみつく。その犠牲と自分が引き起こした苦しみに、ぜがひでも意味を与えたいからだ。
私たちのそれぞれが手の込んだシステムを持っており、自分の経験の大半を捨てて少数のより抜きのサンプルだけを取って置き、自分の見た映画や、読んだ小説、耳にした演説、ふけった白昼夢と混ぜ合わせ、その寄せ集めの中から、自分が何者で、どこから来て、どこへ行くのかにまつわる筋の通った物語を織り上げる。この物語が私に、何を好み、誰を憎み、自分をどうするかを命じる。私が自分の命を犠牲にすることを物語の筋が求めるなら、それさえこの物語は私にやらせる。
21世紀の経済にとって最も重要な疑問はおそらく、膨大な数の余剰人員を一体どうするのか、だろう。ほとんどなんでも人間より上手にこなす、知識が高くて意識を持たないアルゴリズムが登場したら、意識のある人間たちはどうすればいいのか?
太古の狩猟採集民は、生き延びるために実に様々な技能を身につけた。だから、ろぼっとの狩猟採集民を設計するのは途方もなく難しいだろう。そのロボットは、火打石から槍の穂先を作ったり、森で食べられるキノコを見つけたり、マンモスを追い詰めたり、10人余りの仲間と連携して攻撃を仕掛けたり、そのあとで薬草を使って傷の手当てをしたりする方法を知っている必要がある。
アルゴリズムが人間を求人市場から押しのけていけば、富と権力は全能のアルゴリズムを所有する、ほんのわずかなエリート層の手に集中して、空前の社会的、政治的不平等を生み出すかもしれない。
21世紀には、私たちは新しい巨大な非労働者階級の誕生を目の当たりにするかもしれない。経済的価値や政治的価値、さらには芸術的価値さえ持たない人々、社会の繁栄と力の華々しさに何の貢献もしない人々だ。この「無用者階級」は失業しているだけではない。雇用不能なのだ。
人はたいてい、不運な祖先とではなく、もっと幸運な同時代人と自分を比較する。
2021年4月19日月曜日
シート回収
この冬に風に吹き飛ばされたシートをようやく回収しました
雪の下に埋まってしまったので今まで放っておいたのです
点検したところ
前山 破損が甚だしいため来冬は新調する必要あり
後山 破れているところを補修すればあと一、二冬使えそう
後平 まだ使える
2021年4月15日木曜日
「ホモ・デウス 上」 ユヴァル・ノア・ハラリ
人間は幾世代となく、ありとあらゆる神や天使や聖人に祈り、無数の道具や組織や社会制度を考案してきた。それにもかかわらず、飢饉や感染症や暴力のせいで膨大な数の人が命を落とし続けた。
新たなエボラ出血熱が発生したり、未知のインフルエンザが現れたりして地球を席巻し、何百万もの人命を奪うことがないとは言い切れないものの、私たちは将来そういう事態を、避けようのない自然災害と見なすことはないだろう。
ほとんどの地域では、戦争はかってないほど稀になった。古代の農耕社会では死因のおよそ15パーセントが人間の暴力だったのに対して、20世紀には、暴力は死因の5パーセントを占めるだけだった。そして21世初頭の今、全世界の死亡率のうち、暴力に起因する割合はおよそ1パーセントにすぎない。
ペルーやハイチ、フィリピン、アルバニア(貧困と政情不安に苦しむ開発途上国)で毎年自殺する人は10万人当たり5人程度だ。一方、スイスやフランス、日本、ニュージーランドのような豊かで平和な国では10万人当たり10人以上が自ら命を絶っている。韓国は…今日では10万人当たり36人にのぼる。
私たちは一人残らず、特定の歴史的現実の中で生まれ、特定の規範や価値観に支配され、特定の政治経済制度に管理されている。そして、この現実を当たり前と考え、それが自然で必然で不変だと思い込んでいる。私たちの世界が偶然の連鎖で生み出されたことや、歴史が私たちのテクノロジーや政治や社会だけでなく、思考や恐れや夢までも形作ったことを忘れている。
歴史を学ぶ目的は、私たちを押さえつける過去の手から逃れることにある。
「アルゴリズム」は、私たちの世界で間違いなく最も重要な概念だ。私たちの生活と将来を理解したければ、アルゴリズムとは何か、そしてアルゴリズムが情動とどう結びついているかを理解するために全力を挙げるべきだ。
アルゴリズムとは、計算をし、問題を解決し、決定に至るために利用できる、一連の秩序だったステップのこという。アルゴリズムは特定の計算ではなく、計算をするときに使う方法だ。私たちが感覚や情動とか呼ぶものは、じつはアルゴリズムに他ならない。
配偶者やキャリアや居住地などにかかわる、人生でもとりわけ重要な選択も含め、私たちが下す決定の99パーセントは、感覚や情動や欲望と呼ばれる実に精密なアルゴリズムによってなされる。
2万年前、平均的なサピエンスはおそらく、今日の平均的なサピエンスよりも知能が高く、道具製作機能も優れていただろう。
じつのとろ、ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークの中でしか意味がない。
歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりするのをながめ、ある時代の人々にとって最も重要に見える事柄が、子孫には全く無意味になるのを理解することだ。
人々は意味のウェブを織り成し、心の底からそれを信じるが、遅かれ早かれウェブはほどけ、後から振り返れば、いったいどうしてそんなことを真に受ける人がいたのか理解できなくなる。
2021年3月27日土曜日
2021年3月26日金曜日
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