2022年10月27日木曜日

名刺

太陽さんに制作をお願いしていた名刺ができました
表には自筆の「藁竹茅」のスタンプを一枚ずつ捺します
裏には小さく名前それにメールアドレスとブログのURL

シンプルですが高価なのでバラまきはしないつもりです

2022年10月22日土曜日

『「昭和」を送る』 中井久夫

中井さんは精神科医で専門は統合失調症です
この本は表題を含め多彩なエッセイが収められています
それらを読んでいて何度もドキッとする一文に目を覚まされました


日大の家族研究では「いちばんまともな家族成員が統合失調症になる」との結論だそうです
これは思いもよらないことでした
正直に言ってむしろその逆ではないかと思っていました
そう思ってしまったのはなぜなのでしょうか
家族に統合失調症の人がいると家族に迷惑がかかるからという断定です
そして家族に迷惑をかけるのはまともなことではないと
家族の誰かが統合失調症になるとその家族はいろいろなことを考えざるを得なくなります
その一つが「なぜ彼あるいは彼女は統合失調症になったのか?」という疑問です
日大の研究結果はそれを考える家族にとってとても重いものです


「生きるということは、多数の可能性を一つの現実に変えていくことである」
以前ずっと年若の女性と話していて困ったことがありました
私にはその人が日ごろ余りにいろいろ方向性もなくやっているように見えていました
もっと何か目的を持って集中的にやった方がいいのではと思っていました
ある時そのことを話してみました
すると5年後には死んでいるかもしれないから将来の計画などしても仕方がないと言うのです
身もふたもないこととはこういうことを言うのでしょうか
確かに死ぬかもしれないしけど死なないかもしれない

どうして彼女はそのように発想したのかと考えてみました
これまでいつも目的を持って集中的に取り組むことができない環境にあったのかもしれません
就職、結婚、子育てと切れ目なく続いた人生ではそんなことは考える暇がなかった
でもこれからは違うはずです
自分の生き方を思い描く力は誰にもあるはずです
あるいはそんなことではぜんぜんないかもしれません
もし機会があったらまた話してみたいと思います


「医学は「三大脅迫産業の一つ」だという陰口があります。後の二つは「教育」と「宗教」なのですが、いずれも、いうことをきかないと大変なことになりますよ、という点で、たしかに共通であります」


彼は言った。「日本文の構成原理は中国の詩法がもとの「起承転結」。日本人の論文がアメリカの雑誌で低く評価されるのは、そのためです」
「え、アメリカではどうなの?」
「起、承、承、承、承、・・・と続いて結にするのです。転はなし」
「日本人はそれを一本調子といい、単純とみなされる。別の角度からの見方も述べ、今後の問題にも触れ、保留すべきは保留するのが良いとされます」
「それは米国では弱さとみられます」
これは先日読んだ本に書いてあったことを裏打ちするような具体的エピソードです


「友情も、恋愛も、情事も、結婚生活も、憧れから始まり、理想化を経て熱中へ、そして現実が見えて、たとえ素晴らしくとも違和感が生まれ、この有為転変の繰り返しはまさにフーガである」
友情が恋愛・情事・結婚生活と同列に置かれていることに若干の違和感があります
この一文に友情を含めるのはどうかなと思います
恋愛・情事・結婚生活についていえばこのとおりかなとすこし寂しいですが思います


2022年10月17日月曜日

一行レシピ キウイジャム

芯が赤くてとても甘いキウイをもらいました
皮剥き銀杏切り砂糖加え30分置き強火のあとレモン汁加え弱火で煮詰め煮沸した瓶に入れる

<材料> キウイ 750g(皮をむいた状態)
     三温糖 375g 
     レモン 1個

砂糖を混ぜ合わせて30分置くと水分が出るので煮ても焦げ付きません
キウイは固形分が少ないので煮詰めるとどんどん量が少なくなります


五戒で人を観る

地橋さんはこの本で原始仏教の修行は五つの戒を守ることから始まると言っています
その五戒とは倫理的な行動規範でつぎの五つです

①不殺生戒(殺さない)
②不偸盗戒(盗まない)
③不邪淫戒(不倫をしない)
④不妄語戒(嘘をつかない)
⑤不飲酒戒(酒や麻薬など酩酊させるものを摂らない)

人を観るときこれら五つの戒をどの程度守っているかが一つの判断基準になります

世の人は五戒をどの程度守っているでしょうか?
おおよそつぎのようかと思われます

①と②については多くの人が守っている
③については守っていない人がけっこういる
④と⑤については③よりももっと多くの人が守っていない

それにしても「守っているか/守っていないか」という問いのたて方が疑問です
「白か/黒か」と尋ねているのですが実際には灰色の人がたくさんいると思うからです

それに灰色といっても大きな程度差があります
たとえば不殺生については殺すのが人なのか蚊なのかで意味合いは大きく異なります
飲酒についても飲む量が乾杯の一杯だけなのか前後不覚になるまでなのかで全く違います
ほかの戒についてもさまざまに大きな程度の差が考えられます

もっと丁寧な問いのたて方をしないと五戒で人を観ることは無理です
たとえばこのように考えたらどうでしょうか?

まず各戒がどの程度守られているか具体的に5段階に分けます

①不殺生戒 殺さない⇒殆ど殺さない⇒蚊を殺す⇒食用動物を殺す⇒人を殺す
②不偸盗戒 盗まない⇒殆ど盗まない⇒鉛筆を盗む⇒自動車を盗む⇒他国を盗む
③不邪淫戒 不倫しない⇒殆ど不倫しない⇒らしきことをする⇒稀に不倫する⇒不倫している
④不妄語戒 嘘をつかない⇒殆ど嘘つかない⇒稀に嘘をつく⇒些細な嘘をつく⇒大嘘をつく
⑤不飲酒戒 飲まない⇒殆ど飲まない⇒飲んでも乱れない⇒飲むと乱れる⇒アル中である

そして戒が完全に守られていれば0点を全く守られていなければ4点を付けます
グレーゾーンはその程度に応じて1点から3点を付けます
各戒について採点してその点数を合計します

このようにして自分自身や任意の他者の倫理的な行動の度合いを観るのです
いかがでしょうか?



2022年10月14日金曜日

『私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか』 メラニー・ジョイ

カーニズム(肉食主義)の問題を世に知らしめようとする本かな?
自分からは手にしない類の本です
ペスカタリアン(魚介類は食べる菜食主義者)の友人に「読んでみて」と渡されました

友人は若いとき自らの食志向を周囲から揶揄された苦い経験を持っています
この本を読み自分のあり方に誤りはなかったと勇気づけられたと言います

著者は社会心理学の方法でカーニズムの否を論難しています
ざっくり言えば
「人と同じように愛情を持っている動物を殺して食べてはいけない!」

肉食を厭わない私はこの本を読むほどに窮地に追い込まれていきました
かわいそうな食用動物を食べていいのか?
ノー天気な私の食生活の運命やいかに!

幸か不幸か読後も自身の食生活を変える必要までは感じていません
牛ステーキを食べる量をこれからは少し減らしてもいいかなとは思います
そしてこんな景色が明瞭に思い浮かびます


ある日のサバンナ
ヌーの大群が草を食んでいる
それを草陰から狙うメスのライオン
素早い身のこなしで一頭のヌーを難なく仕留めました

まもなく藪から数頭の子ライオンがバラバラと姿を現しそのヌーにかぶりつき始めました
腹を満たしたライオン親子がそこから去るとすかさずハイエナやハゲワシがやってきました
やがてヌーは骨だけになりました

昔はこの景色の中におどおどとしたヒトの影がありました
ときにはライオンの食べ残しを頂戴したことも

いつの頃からかヒトの姿がほとんど見えなくなりました
森を離れてどこかへ行ってしまったのです

いまヒトはアフリカの森でのあの暮らしのことをすっかり忘れてしまいました
まいにち食べるものを求めてきゅうきゅうとしていたあの日々を

ヒトはいま議論を事にしたり肉を食い散らかしたりして好き放題です
森から遠く離れて・・・


個々の人の肉食の実態ってじっさいどのようなことになっているのでしょう?
人は夥しい数の食用動物を劣悪な環境下で飼育し屠殺し解体し食べています
その食肉の消費を人毎に把握してみてはどうだろうか?
同じヒトとはいえ人によってその消費量が天と地ほど違うでしょう

いまグローバリズムの嵐が多彩な食文化の存続を脅かしています
まだ地球上にはあちこちに暮らしに根差した個性的な食生活がなんとか存在しています
肉食はその中に色モザイクのようにちりばめられています
そのかけがいのない文化をカーニズムと一緒くたにして議論してはいけません

この頃は国内でも極端な焼肉好きとかスウィーツ好きとか見かけます
何かそれが食生活の頂点にあるみたいな勘違いです
そのような人たちにこの本は向いています

ヒトのDNAは大昔のままです
ヒトが脂肪や甘いものに目がないのはそのDNAの命ずるところです
そのDNAを書き換えられる技術は既に存在します
カーニズムの人のDNAを書き換えることは可能になっています
そうしますか?

いま欲望の時代を生きている私にはもっと広い展望がそれこそ欲しい

産業革命以前にはカーニズムだけでなくいま存在する他の多くの欲望は伏せられてきました
多くの人々が多くの物を手に入れられるようになって欲望というパンドラの箱が開きました
カーニズムはそのような人間生活の根本的な変化から生まれたものの一つです

なぜそのような変化が生じたのか?
欲望はどのように暴走しているのか?
暴走はどうしたら止められるのか?

ヒトの滅亡が刻々と現実味を帯びてきたいま知りたいのはそのことです

2022年10月8日土曜日

『基礎からわかる論文の書き方』 小熊英二

論文というのは相手を論証で説得する技法から発達したそうです
その源をたどると古代ギリシャのアリストテレスに行きつくとか
ニコマコス倫理学のアリストテレスです
その技法は ①主題提起 ②論証 ③主題の再確認でした

この型の論文はアメリカ式と言うそうです
別にフランス式というのがあってその展開の仕方が興味深いです
対立する見解を示しながらそれらを止揚してそのどちらとも異なる見解を出すのだそうです
アメリカ式のように自分の主張を一方的に論証するだけではないのです

小熊さんは論文の書き方は学問研究だけでなく実社会にも応用できると何度も言っています
自分の経験に照らしてその通りだと思いました

わたしは日本の手仕事を次世代へ伝承することを目的としたブログを書いています
「藁竹茅」といい藁細工と竹細工と茅葺きの3つを主題にしています
それぞれの作品の製作過程を写真や動画に説明文をつけて公開しています

そのブログ記事を作成する際のスタンスが数学などの科学と同じであることに気がつきました
つまり
①どういうプロセスでやったのかを公開する
②それに異論があったら再びやってみる
③その繰り返しで定着したものをみんなで共有する
④そのうえでさらに工夫をする

「科学と『魔法』はどこが違うか、明らかです。魔法はプロセスを公開しません。魔法では、プロセスを秘密にし、結果だけ見せて『すごい』と思わせます。それに対し科学は公開が原則で、誰でも疑っていいし、お互いに批判や対話しながら進歩できます。」P.76

知らず手仕事を科学していたのかとちょっと快感です