自分からは手にしない類の本です
ペスカタリアン(魚介類は食べる菜食主義者)の友人に「読んでみて」と渡されました
友人は若いとき自らの食志向を周囲から揶揄された苦い経験を持っています
この本を読み自分のあり方に誤りはなかったと勇気づけられたと言います
著者は社会心理学の方法でカーニズムの否を論難しています
ざっくり言えば
「人と同じように愛情を持っている動物を殺して食べてはいけない!」
肉食を厭わない私はこの本を読むほどに窮地に追い込まれていきました
かわいそうな食用動物を食べていいのか?
ノー天気な私の食生活の運命やいかに!
幸か不幸か読後も自身の食生活を変える必要までは感じていません
牛ステーキを食べる量をこれからは少し減らしてもいいかなとは思います
そしてこんな景色が明瞭に思い浮かびます
ある日のサバンナ
ヌーの大群が草を食んでいる
それを草陰から狙うメスのライオン
素早い身のこなしで一頭のヌーを難なく仕留めました
まもなく藪から数頭の子ライオンがバラバラと姿を現しそのヌーにかぶりつき始めました
腹を満たしたライオン親子がそこから去るとすかさずハイエナやハゲワシがやってきました
やがてヌーは骨だけになりました
昔はこの景色の中におどおどとしたヒトの影がありました
ときにはライオンの食べ残しを頂戴したことも
いつの頃からかヒトの姿がほとんど見えなくなりました
森を離れてどこかへ行ってしまったのです
いまヒトはアフリカの森でのあの暮らしのことをすっかり忘れてしまいました
まいにち食べるものを求めてきゅうきゅうとしていたあの日々を
ヒトはいま議論を事にしたり肉を食い散らかしたりして好き放題です
森から遠く離れて・・・
個々の人の肉食の実態ってじっさいどのようなことになっているのでしょう?
人は夥しい数の食用動物を劣悪な環境下で飼育し屠殺し解体し食べています
その食肉の消費を人毎に把握してみてはどうだろうか?
同じヒトとはいえ人によってその消費量が天と地ほど違うでしょう
いまグローバリズムの嵐が多彩な食文化の存続を脅かしています
まだ地球上にはあちこちに暮らしに根差した個性的な食生活がなんとか存在しています
肉食はその中に色モザイクのようにちりばめられています
そのかけがいのない文化をカーニズムと一緒くたにして議論してはいけません
この頃は国内でも極端な焼肉好きとかスウィーツ好きとか見かけます
何かそれが食生活の頂点にあるみたいな勘違いです
そのような人たちにこの本は向いています
ヒトのDNAは大昔のままです
ヒトが脂肪や甘いものに目がないのはそのDNAの命ずるところです
そのDNAを書き換えられる技術は既に存在します
カーニズムの人のDNAを書き換えることは可能になっています
そうしますか?
いま欲望の時代を生きている私にはもっと広い展望がそれこそ欲しい
産業革命以前にはカーニズムだけでなくいま存在する他の多くの欲望は伏せられてきました
多くの人々が多くの物を手に入れられるようになって欲望というパンドラの箱が開きました
カーニズムはそのような人間生活の根本的な変化から生まれたものの一つです
なぜそのような変化が生じたのか?
欲望はどのように暴走しているのか?
暴走はどうしたら止められるのか?
ヒトの滅亡が刻々と現実味を帯びてきたいま知りたいのはそのことです
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