2020年10月19日月曜日

『老いる勇気』 岸見一郎


老という漢字
これは腰の曲がった長髪の老人が杖をついている姿をかたどった象形文字だそうです
その姿は仙人のイメージと重なります

この春に何人かの友人に「仙人暮らし」をしているといわれて釈然としませんでした
つまり仙人のように老いているということだな!、と抵抗があったのですね
いい年してこんなことも超越できないので困ります

せめて仙人に見られないようにこの夏から髪型を短髪にしました
ヘアスタイルを変えるのはじつに数十年ぶりだったのでじゃっかん逡巡しました
床屋さんにも何度も「切っちゃっていいんですか?」と聞かれました
それほどのことかと思いつつもいよいよバリカンが入る時は「あ!」という感じでした

その髪型を見たどなたからも「いいね!」とか「なにそれ?」とかありません
自分が気にするほど辺りは気にしていないということですね
癪ですがベリーショートはすぐ乾くし寝ぐせがつかないので気に入っています

さて定年退職して5年近くたちました
競争社会とはおさらばしたはずですが習い性はそうやすやすとは退散しません
いまだに人と自分とを比べたり知らずに人に勝とうとしているときがあります

この点アドラーのいう「健全な優越性の追求」はぐあいがいいですね

きのうの自分よりましな自分になるためにきょう何かすること
「健全な優越性の追求」をこのように理解しました
あくまでも過去の自分よりかは優れた現在の自分を目指すということです

自分の退職からこれまでをちらっと眺めかえしてみました
するとあの時はできなかったけど今はできるようになったということがいくつかありました
それが人に自慢できるコンテンツやレベルなのかはわかりません

もちろん自慢できなくてもいいのです
自分がやりたくてやっているだけですからね
こういう割り切り方が若いときからできていればよかったなと思います
後悔しているわけではなく年齢に関係のない大切なライフスタイルだと思うからです

さらにふと思いました
見てくれや健康を除く老いの問題の大半はじつは若い人にとってもだいじなことかもしれない


0 件のコメント:

コメントを投稿