内山節さんの『山里の釣りから』を読んだ1982年頃「働く」がテーマの本を数冊読みました
自分が置かれた状況からの出口を見つけ出せるような本を読んでいたのですね
自分が置かれた状況からの出口を見つけ出せるような本を読んでいたのですね
そのなかでいまでもよく覚えているのは黒井千次さんの『働くということ』です
「働く」とはどういうことなのか学生の時は真剣に考えていませんでした
就職して自分に合わない職場に配属されて初めて働くことの意味を考えさせられました
その状況についてはこのブログの9月25日の記事にちょこっと書きました
黒井さんの作品では『時間』も印象深かったはずでした
というのもタイトルだけは記憶していたからです
内容をまった覚えていないのが不思議で『時間』も40年ぶりに再読してみました
まるで初めてこの作品を読むようでした
それでもなぜタイトルを覚えていたのかはおおよそわかりました
おそらく主人公の心情に共感したからです
あの頃学生運動のトラウマを引きずって生きている人はめずらしくありませんでした
世代的にはもう激越な闘争の時代は過ぎていました
それでもまだ前の世代の怨念のようなものが時折のしかかってくるのでした
そのような時間を経て就職し実社会にもまれた幾人かのメンタルはかき乱されます
日々の仕事と折り合いをつけられず転職したり退職したりする人もいました
まわりの人のアドバイスで踏みとどまったとしてももがき続けるしかありませんでした
ひとつの決心をかためてある行動にでたことがその後の人生を方向づけたようです
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