年に何回か友人と酒を酌み交わすことがあります
たいがいは「さし」で、どちらかの家で、手料理で、という感じです
そんな機会に、わたしの暮らしについて、友人3人から同様のコメントがありました
「仙人のような暮らしだ」と言うのです
はじめは、一人の友人と飲み食いしながら取り留めなく話をしていた時だったと思います
「仙人のような」と言われて、何を言っているのだろうと思いました
けれどさして頓着もせず、なんと返事したのかもよくおぼえていません
別の機会に別の友人から同じようなことを言われた時は、また来たかと思いました
そして、「それは仙人の定義によるなあ」とややツッケンドンな返事をしました
じつは、「仙人」と言われてあまりいい気分でなかったからです
わたしの「仙人」のイメージはこうです
長い着物を引きずった高齢の男性で、白髪を束ばね、髭を生やし、杖をついている
こういう老人のイメージがまず浮かんだので「仙人のようだ」を否定したくなったのです
「定義」について、この友人ははっきりこたえませんでした
それほど深く考えていたわけでもなく、ふとそのように感じて口にしたからでしょう
ほかにももう一人、わたしを「仙人」と見たてた友人がいるのです
「仙人」とはどんな人か調べてみました
①道家の理想的人物。人間界を離れて山中に住み、穀食を避けて、不老・不死の法を修め、神変自在の法術を有するという人。
②(仏教用語で)世俗を離れて山や森林などに住み、神変自在の術を有する修行者。多く外道を指すが、仏を仙人のなかの最高の者の意で大仙あるいは金仙ということもある。
③浮世離れした人のたとえ。
①と②は、いずれも神変自在というスーパーパワーを身につけた人です
神変自在というのは、神通力のような普通の人間にはない力です
友人たちは、そのような超人とわたしとを同一視したわけではないのは明らかです
③は、数こそ少ないけれど、どこにでも居そうなタイプです
友人たちが③の意味、「浮世離れした人」として見立てたのは、ほぼ間違いありません
これでわたしから「定義」を尋ねられた友人が、はっきり答えなかった理由もわかります
「浮世離れした人」とあからさまに言って、わたしの気分を害したくなかったのでしょう
わたし自身は①の人物にあこがれている部分があります
一入亭のチャノマの襖に老子の教えをいくつか墨書してときどき眺めています
友人たちにもそれを見せたらどういう反応があるか見てみたいものです
老子道徳経 抜粋 |
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