2020年10月6日火曜日

『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』 内山 節


群馬県と新潟県との境に三国峠という標高1,300mを超える峠があります
両県の麓から続く長く急な坂道の国道17号線が峠直下の三国トンネルを通過しています
一入亭への行き帰りにその道を車でよく通ります

数年前の晩秋の小雨が降る日にその群馬県側で目を疑うような光景を見ました
中年の男性が荷物をたくさん積んだ台車を押しながら峠の坂道を上がっているのです
身なりや荷姿から彼が何かの作業をしているのではないことは確かでした

麓からトンネルまでの標高差は800mほどあります
前傾姿勢で台車を押す彼の背中からは湯気がたっていました
こうして上まで登り、暗い三国トンネルを抜けて、新潟県側の急坂を下るのでしょう
考えただけでもたいへんな道のりです

「旅」というにはあまりに過酷なのですが彼はいったい何をしているのでしょう
おそらく彼はこのようにして暮らしているのでしょうね
どこへ行って何をするといった格別な目的はないのかもしれない
そんなことを考えながら一入亭へ向かいました

一入亭での用事を済ませ二日後に同じ道を帰りました
すると六日町市街で日本海の方へ向かって台車を押している彼とすれ違いました
あそこから二日かけてここまで来たのです

その日は天気も良く前を向いて台車を押す彼の足取りは軽々としていました
彼が二日のあいだどこに泊まり、何を食べ、何をしていたのかは一切わかりません
それでも彼の様子を見ればここ数日を問題なく暮らしてきたことが伺われます

彼はけっして特別な例ではありません
というのも昨年その峠道で今度は年配の男女を見かけました
その日も雨模様で二人はうすいビニールのレインコートを着ていました
台車ではなく少し大きめのキャリーケースを引いていました
前を行く男性が後ろで立ち止まる女性に何か声をかけていました

毎年何人もの人たちがこのようにしてこの峠道を越えるのでしょう
どういったことで彼や彼女らがそうしているのかは知りません
今度同じような人を見かけたら車から降りて挨拶をしてみようかなと思います


さてキツネにだまされなくなった日本人はその後どうなったでしょうか?
町中に出ていろいろなものにだまされるようになりました
仮想通貨、架空請求、振り込め…
健康食品、サプリメント、薬品…

詐欺が蔓延するのは不安におののく人がそれだけたくさんいるからでしょう
お金のこと、健康のこと、家族のことなどで大勢の人が心配をかかえています

資産がそこそこあり
平均寿命が80歳を超えていて、
社会には民主的な制度が整い
民族紛争や戦争もなく、
自然災害はあるとしも
気候温暖で風光明媚な国土に
ひどい公害もない、
食料はかなり輸入品だけどある

このような国に日々の不安に苛まれている人があふれています
これはいったいどうしたことでしょう?
その疑問にこの本は答えてくれています

再びキツネにだまされるようになるには身体性や生命性と結びついた生活に身をおくことです
そうかといって1965年以前の社会にはもどれません
今できるのはどんな生活でしょうか?

毎日の生活は切れ目なく続きます
浮き世が清浄な地になる日まで待ってはいられません
いっそ町中を修行の場として生活してはどうでしょう
状況ではなく自らの世界のとらえかたを変えてしまう修行です

身の回りで手に入るものを最大限に利用しながら充足感の高い生活を目指します
自然との結びつきを保ちながら身体性と生命性を維持していくことがたいせつです
たくさんの禁忌、節制、鍛錬、超越などを自らに課すことになるでしょう
「山林修行」ならぬ「町中修行」です

「山上がり」の街角版である「町下り」はどうでしょう
これは「町中修行」がいろんな理由で困難な場合の選択肢です
もうすっかり町の恩恵にあずかってしまう生活です

町にはオアシスとはいえないまでも公私の、有形無形のシェルターがそこかしこあります
ふだんはそれが見えにくかったり使うのに抵抗があったりします

まずはシェルターを利用することへの抵抗感を振り払います
(これはこれでけっこうたいへんなことだと思います)
つぎに自分に適したシェルターを見つけ出します
(これにもかなりの努力が必要だとは思います)
そのシェルターで自然との結びつきがあり身体性や生命性が確保された生活をします
(これがいちばんむずかしくてそれなりの経験や技能が必要です)

そうして人の間へ出ていく気持ちになれるまでシェルターに退避しています
これが「町下り」です

「町中修行」はその気になればいまからでもはじめられそうです
「町下り」はもしもの時のためにとっておくことにします



0 件のコメント:

コメントを投稿