2019年12月11日水曜日

スズメバチの巣

 シート掛けが終わりました
今年のシート掛けがこんなに遅くなってしまったのはこのスズメバチのせいです
この時期になると毒はなくなると言われてはいます
それでも大きなハチが飛んでいるそばで作業はできません
ハチの姿が消えたのは今冬二度目の雪が降ったあとでした

作業の手際は良くなり、

2019年12月10日火曜日

シート掛け

シート掛けができました
シート掛けとは?
冬季の多量の降雪の重さで屋根の下地が壊れたり茅葺き屋根の軒先が折れてしまいます
なので一入亭の茅葺き屋根には毎年晩秋にシートを掛けて茅葺き屋根が痛むのを防ぎます

要領
<手間> 一人一日6時間の作業で3日かかります
<材料> UVシート 13枚
     PP紐 太さ6㎜ 200m
     傘釘 150本
<道具> 梯子(大・中・小) 各1台
     ヘルメット 1個
     安全ベルト 1本
     安全確保用ロープ(両端にカラビナ付き) 2本
     手袋 1双
     カラビナ 20個
     ハサミ 1個
     カナヅチ 1本
     バール(小)1本
     道具袋 2個

シートを掛ける前の茅葺き屋根
準備
①道具(梯子を除く!)を身につけます
②PP紐を150㎝の長さに100本切ります
③シートを掛ける順に揃えて梯子の下におきます

梯子(はしご)掛け
①梯子を後中門に運びます
 中門は主屋よりも棟の位置が低いので上まで梯子を掛けやすいのです
②大きな梯子を屋根の傾斜(45度)に合わせて掛けます
③梯子の接地部分の地面をスコップで20㎝掘って梯子が滑らないようにします
④大きな梯子の上端に小さな梯子を結びつけます
⑤さらに小さな梯子の上端をグシ(棟の部分)に結びつけます
 
後ろ半分のシートを掛け終わったら前中門に梯子を掛け替えます
前中門に掛けた梯子
カラビナ掛け
グシの両斜面にアングル材が足場と支点兼用として取り付けられています
このアングルはグシの頂部をまたぐように番線で結ばれています
シートを運ぶ際にその番線に安全確保用のカラビナをかけておきます
グシの上を移動する際には安全確保用ロープをそのカラビナに掛けて転落を防止します
グシの番線にカラビナをかけ終わりました
シートの結びつけ
①梯子に一番近いところのシートを棟に持ち上げます
②シートを広げる際に上下左右の位置関係を確かめます
 特に「谷」のシートはかたちが複雑なので間違えないように注意します
③上端をPP紐でアングルに90㎝間隔で結びつけます
④どうしても紐で結べないところは傘釘を打って止めます
アングルに結びつけられたシート
このままだとグシ(棟の部分)に積もった雪でシートが破れてしまいます
なのでこの部分を細長いシートで覆い傘釘でグシに打ち付けて止めます
シートの下端はPP紐で止めます
落ちてきた雨水がたまらないようにシートのすそはたくし上げて紐で結びます

シート掛け完了です!
3日間の作業が終わりました
ぐるりと反時計回りに見てみましょう
シートの名前つきです
前左、前右
前右、あいだに半間幅のシートを足しました、前谷、前平
前谷、前平、前山
前山、後中、後左、後右
後中、後左、後右
後右、後谷
後谷、後平
後平、後山
後山、左中
前中、前左
一入亭にどれくらいの雪が降るか?
一入亭のある新潟県北魚沼地方は毎冬大雪が降ります
そこは日本の豪雪地帯のなかでも特に積雪の多い特別豪雪地帯なのです
降る雪の量はひと冬で累積10mを超します!
最も深雪になる2月にはずっしりと重い湿雪が3m以上に積もります
一入亭から最も近い気象観測地点(新潟県小出)の年ごとの最深積雪(㎝)は次のとおりです
一入亭は山の中にあるので積雪は小出よりさらに一割以上多くなります

茅葺き屋根の軒先は地面から3m以上の高さがあります
それでも屋根から落ちてきた雪や風下に吹き溜まった雪が屋根にまで達します
ある冬の一入亭
屋根にかけたシートが少し見えます
なぜシート掛が必要なのか?
どっさりと積もった雪はたいへんな重さがあります
日本気象協会によると締まった雪の重さは1立方メートルあたり500㎏です
大きめの普通自動車の重さは1,500㎏ぐらいです
屋根の上に積もった雪は自動車が何台も乗っているような重量になるのです!

茅葺き屋根は雪の重さだけでなく他の原因でも傷みます
・屋根の表面の茅に凍りついた雪が、落下とともに茅を引き抜いてしまう
・屋根の雪掘りをする際にスノーダンプやスコップで茅葺を傷つけてしまう

こうしたことを防ぐために冬季は一入亭の茅葺き屋根にすっぽりとシートを掛けるのです

シートの形
一入亭の屋根には喜多村暁さん(故人)という屋根職人にシートを掛けてもらっていました
喜多村さんのシート掛けはシートを屋根の形に合わせて縫製する点がユニークでした
一入亭は家の前後に曲り家の出た中門造りという独特の形をしています

屋根図(屋根を上からみたところ)
これを四角形のシートで覆うだけでは作業に手間がかかりシートもたくさん必要です
そこで喜多村さんは屋根の形状に合わせてシートを縫製することを考えました

具体的には下のように分割して屋根をシートで覆います
屋根シート図
赤字がそれぞれシートの名前で全部で12枚あります
このうち前左、前右、前谷、前山、後山、後谷、後右、後左の8枚が縫製したシートです
あとの前中、前平、後平、後中の4枚は四角いシートをそのまま使います
それぞれのシートは広げると次のような形をしています
屋根シート展開図
シートの縫製
シートは喜多村さんはブルーシートを使っていました
ブルーシートは安価ですが色合いがいまひとつなのとせいぜい三冬しか持ちません
今は色がシルバーで軽く耐久性の劣らないUVシートが出回っています
シート掛けを自分でやるのを機会にUVシートに徐々に更新していくことにしました

更新するには当然ながら8枚のシートを縫製しなければなりません
そこで生まれてはじめてミシン縫いをすることになりました

ジャノメ トピアエース802 1973年製
川越の家にあった古いミシンでやってみることにしました
ミシンを取り出してみるとページがバラバラになった取扱説明書が入ってました
表紙にはサイケなパンタロン(て、わかりますか?)をはいた娘がポーズしてます
うーん、やればできるかな?
試し縫いしたところなんとか出来そうなのでこれを一入亭に持っていきました

一入亭のチャノマ(17.5畳)にシートをいっぱいに広げてまず裁断します
縫う部分を洗濯ばさみで仮止めします
針は14番、糸は30番のスパンミシン糸ジーンズ厚地用を使います
上糸と下糸の調子を調整すると結構快適に縫えるようになりました
直線縫いで二重に縫います

ザクザク縫うのは思いのほか気持ちいいです
慣れてくると一つのシートを2時間ほどで裁断から縫製までできるようになりました
それにしても45年前のミシンがいぜん快調なのには驚きました

茅屋根がすっぽりとシートで覆われ冬を迎える準備が整いました

2019年11月11日月曜日

『世界はうつくしいと』 長田弘


ことばが信じられない日は、
窓を開ける。それから、
外にむかって、静かに息をととのえ、
齢の数だけ、深呼吸をする。
ゆっくり、まじないをかけるように。
そうして、目を閉じる。
十二数えて、目を開ける。すると、
・・・

人は、誰も生きない、
このように生きたかったというふうには。
どう生きようと、このように生きた。
誰だろうと、そうとしか言えないのだ。
・・・

日々の悦びをつくるのは、所有ではない。
草。水。土。雨。日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
・・・
素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
・・・
平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。

いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
・・・
一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史というようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
・・・
何一つ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

世界はわたしたちのものではない。
あなたのものでもなければ、他の
誰かのものでもない。バッハのねがった
よい一日以上のものを、わたしはのぞまない。

替えがたいものは、幸福のようなものだ。
世界はいつも、どこかで、
途方もない戦争をしている。
幸福は、途方もないものではない。
どれほど不完全なものにすぎなくとも、
人の感受性にとっての、大いなるものは、
すぐ目の前にある小さなもの、小さな存在だと思う。
・・・

2019年10月30日水曜日

『洞窟おじさん』 加村一馬


わら細工のサークル仲間と昼ご飯を食べていた時のことでした
「洞窟おじさん」という本が面白かったと何人かの人がいっていました
家出をした少年がどうやって長いあいだ独力で生きて来たか書いてあるそうです
さっそく川越市立図書館で借りてきて読みました

親からの虐待と学校でのいじめを避けるため彼は13歳で家出しました
そして足尾銅山の洞窟でひとりで暮らしはじめたのです

その経験は狩猟採集生活そのものだと思いました
人類が定住して農耕生活を始める前の、食べ物をもとめ遊動していた1万年前の生活です

テレビやラジオがないだけでなく新聞や本も読まない生活です
その生活はできる限り食料を求め、安心して寝ることでほとんど占められていました
食欲と睡眠欲を満たすことにほぼ全力を尽くしていたのです

空腹を満たすために食べられるものは何でも食べる
大きな獲物が穫れたら腹いっぱい食べ、残りは保存する
食料が得られないときはコウモリやネズミまで食べる

そんな彼も社会に触れると生活だけでなく心や身体まで変わっていきました
自分がなんのために生きているのか分からなくなり自殺しようと思ったこともありました
孤独な自給自足生活者から社会生活者へと変わっていったのです

転機は彼の気質と体質がすっかり変わってしまったことによって訪れました

ひとつは食料を買うために自動販売機をこわして現金を盗もうとしたこと
ひとつはむかしのように長いあいだ空腹を我慢することができなくなったこと

もう彼は狩猟採集の生活をできなくなってしまったのです

いま地球環境が激変しています
自然環境だけでなく、人間が作り上げてきた経済社会環境も危機的な様相を示しています
これからひとはサバイバルの時代に突入するかもしれません

加村さんが辿ったのと逆の道をひとは歩むことができるでしょうか?

2019年9月15日日曜日

気候変動から気候危機へ

今夏友人がアルプスで撮ってきた写真と、40年前の夏に自分で撮った写真を比べてみました
氷河の後退、というか消失はあまりにも明らかで、愕然としました
1978年8月
2019年7月
いま世界各地から気候変動のニュースは、事態がもう抜き差しならないことを伝えています
この事態をメディアはこれまで「気候変動」というタイトルで伝えてきました
英紙「ガーディアン」がそれを「気候危機」と改めることにしました
「変動」という表現が受け身で穏やかすぎるというのがその理由です

たしかに各地で頻発する被害の規模は深刻なものがあります
洪水で家が流され、熱中症で人が死に、作物に必要な雨が降らないのですから

わたしたちがこれから生きていくのはこういう世界です
そのために何が必要か考えます

2019年8月27日火曜日

ほろ苦い懐かしさ

先日ふるい友人とひさしぶりに会いました
会うきっかけはこの夏にお互いヨーロッパへ行ったことです
わたしは自転車旅で彼はハイキングでした
それぞれの土産話を聞こうということになったのです

あちこちの写真を見ながら話に花が咲きました
そのなかで彼が撮ってきたアルプスの峰々の写真に目がとまりました
それは40年前にわたしが見た姿とあまりに違うように感じられました
それを裏付けるように友人は教えてくれました
すべての展望台の案内プレートが「この数10年でいかに氷河が後退したか」を説明していたと

アルプスの氷河が後退しているという話は以前に聞いたことがあり、悲しい気がしました
自分が若い時に見た風景がもう見られないのかと思ったからです
その事実を友人が今夏撮ってきた写真ではっきりと示してくれました

写真の山はアイガーです
左が1978年8月にわたしが撮った写真で、右が今年7月に友人が撮ったものです
左は降雪直後であることを割り引いても変化は顕著です
以前は岩壁の基部や中間部や山頂付近に氷河がありました
それらが今はほとんど消えかかろうとしています
1978年8月
2019年7月
下の写真はマッターホルンです
岩壁のすその氷河のボリュームが明らかに小さくなっています
1978年8月
2019年7月

下の写真はゴルナーグラートから見たリスカムです
手前に落ち込む大きな氷河の右側の岩峰にべっとり着いていた氷河が半分以下になっています
1978年8月
2019年7月
これはモンブランからシャモニの谷へと落ちるボソン氷河です
氷河が後退して黒い山肌がはっきりと見える部分が増えています
1978年7月
2019年7月





















これから温暖化の影響はもっと顕著になっていくでしょう
悲しいなどというレベルではなくて身の危険が生じる状況かもしれません
そうなるのを座視してはいられません

2019年8月22日木曜日

冬瓜のあんかけ

冬瓜のあんかけ
夏野菜なのに冬までもつので冬瓜というそうです
知り合いから大砲の弾みたいにおおきいのをいただきました

冬瓜を料理するのは初めてでした
最初はやはりあんかけかな、と作ってみましたところ美味しく炊けました

家で食べて、友達にもあげて、それでもまだ生が冷凍庫にたくさんあります
この秋は冬瓜まつりかな

2019年8月21日水曜日

『民衆の芸術』 ウィリアム・モリス


「そこには所謂歴史なるものがその名と事蹟とを書きのこした人々とは別の人間がいたようにおもわれる。この人々は国庫と奴隷市場との原料のようなもので、今日われわれはこれを『民衆』と呼んでいる」

「歴史は破壊を行ったがゆえに、王様や武人のことを記憶している。芸術は、創造を行ったがゆえに、民衆を記憶しているのだ。」

旅をしていて壮大な城に遭遇します
それを見てその規模や威圧的なたたずまいに「すごい」と自動的に思います

そのあとすぐに何が「すごい」のかと思います
戦に負けないためにこれだけの建物を作ったことが「すごい」のか
「すごい」とは思っても、「美しい」とは思えない

聖堂の中にかすかにほほ笑んだ古い彫刻を見たことがあります

何を思ってこの彫刻を作ったのか伝わってくるものがあります
まったく「すごい」ものではないけれど「美しい」

「すごい」ものには魅かれません
「すごい」もののなかには悲しいものが声もなくたくさん詰まっているからです
「美しい」ものに魅かれます
「美しい」もののなかには喜びが感じられるからです

「すごい」ものを作るのは悲しいことです
「美しい」ものを作るのは楽しいことです

日々に楽しむことが必要です

「新しい旗がかかげられたばかりの旗竿から立ち去り、新秩序を宣言する喇叭の音がまだ耳もとに響いているとき、今度はわれわれは何処にむかっていくのか。何処にむかっていく必要があるのか。
 われわれの仕事、日々の労働以外の何にむかっていくのであろうか。
 われわれがまったく自由に、理性的な存在になったときに、今度はわれわれはそれを何で飾るのであろうか」

2019年8月16日金曜日

三十三見当

ベンジャミン・フランクリンさんがこういいました

People are best convinced by things they themselves discover.
「人は、自分自身が発見した事柄に最もよく納得する」

わたしは3という数字が自分に合っていると思っています
幸運を呼び込んでくる数のようなのです
これといった理由はありません
強いて言えば自分の名前に漢字の三がついているからかもしれません

好きなことはなんでも三つしようと思っています
ものを作ることを三つしています
藁細工、竹細工、茅葺き

三つもやるのは大変じゃないかと思われるかもしれません
たしかに一つ、二つよりも時間も根気もお金も必要です
それでもわたしはなぜか三つやりたいのです

ブログは三本作って、書いています
藁竹茅、人力遊山記、一入亭日乗
三つ書くのは大変です
でも自分ではそれぞれに意味があると思ってやっています

息子は三人います
三人寄れば文殊の知恵といいます
まあこれはじっくりと今後を見てみましょう

わたしは三にこだわっています
三はわたしのラッキーナンバーかなと思うからです
それで日常の行動は項目ごとに三つ立てています
行動の項目が11あるので11×3、つまり33種類の行動をしています

この33に含まれない種類の行動も例外としてあります
日常的には33種類の行動でほとんど収まって居ます

33種類の行動をするのは結構忙しいです
それでも一所懸命、ながいあいだやっていると、それなりに成果がでます
行動の種類を明確にしているので成果は見えやすいです

こんなことをしている人がほかにいるでしょうか
わたしのほかには聞いたことがことがありません

わたしがこのように行動しているのには理由があります
それは毎日を楽しく暮らしたいからです
そしてそれには自分が楽しいと思える行動で日々を満たすのが一番だろうと考えたからです
お気に入りの33の行動を日常としていれば楽しいのじゃないかなと見当をつけたのです
それでこれら33の行動を「三十三見当」と呼ぶことにしました

それを実践してみたところ確かに楽しいです
「三十三見当」はわたしが自分でみつけた方法です
他の人がこんなことをしているなどと聞いたことはありません

「三十三見当」はわたしがわたし自身のために編み出した方法です
いまのところこの方法はとてもうまくいっています

お金をたくさん使うことはないし
体は健康に保てるし
暇で退屈することもない

「三十三見当」という生き方をわたしは気に入っています

2019年8月14日水曜日

虹を見ました

きょうは台風の余波で午前中から時折強い雨が降る天気でした
いつも午後遅くに散歩に出かけます
そのタイミングを計りあぐねていました
ようやく四時過ぎに、もう降らないだろうと踏んで、出かけました

入間川自転車道を入間大橋から時計と反対回りに進んでいきます
落合橋を過ぎたあたりで西の空に虹が見えました
北の方が四分の一ほど欠けています
それでも久しぶりに虹を見ることができました

虹とは不思議なものです
この天気であれば虹が見えるかもしれないと期待しているときにはまず見えません
ところがこうして虹のことなど何も考えていないときにぱっと見えることが多いのです
きょうがまたそうでした

カメラを持っていなかったのでその虹は撮れませんでした
せめて気持ちだけをお伝えします

2019年8月13日火曜日

スイカを丸一個買う

小家族ですからスイカを丸一個で買うのははばかられます
かといって8分の1に切られたスイカを買うのは寂しい
子供のころにワリワリとたくさん食べた記憶がありますから
最近の高級果物のような扱いは気に入りません

夏の盛りに年に一度だけでも丸1個買って食べたいもの
そう思いお盆に家族が集まるのを見計らって買いました
川越総合市場で山形は尾花沢産の立派なもの丸一個

食べる2、3時間前に切って冷やすと美味しいそうです
そうやって食べました
うーん、丸一個のスイカはやっぱりうまい!

2019年8月11日日曜日

中元にかごやざるを贈る

菊底かご
数えるほどですが中元や暑中見舞いが贈られてきます
その人たちにわたしが作ったかごやざるを贈ります
きょうも従兄に贈りました

四ツ目かご、いかだ底かご、菊底かご、麺ざる
いまの実力ですから不出来なものばかりです
それが家にたくさんあるのです

売りものにならないので親類縁者、知人友人に贈ります
歳暮としてもずいぶん贈っています

贈り先より生産量の方が多いので家にたまります
それを贈るのです
送料はかかりますが菓子などを贈るよりは安く済みます

贈って本当に役に立つかどうかは分かりません
それは受け取った方次第でしょう

わたしはともかくかごやざるを贈ります

2019年8月10日土曜日

オクラに二度助けられた話

夏も盛りになってオクラが野菜売り場に目につく季節になりました
緑のシュンとした鞘を見るとほとんどオートマティックに二つの夏を思い出します

高校一年生の夏休みに入って間もなく、山岳部の合宿に参加しました

行き先は北アルプスの裏銀座コースというところで行く前から期待は胸にふくらんでいました
入山口から雨にたたられ少し歩いては雨で停滞する繰り返しでした
ようやく槍ヶ岳を越えたころには燃料も食料も尽きかけていました
初めての三千メートルを越す峰歩きで私はすきっ腹をかかえて気落ちしていました

その晩に私が泊まったテントには顧問のA先生がいました
やっと夕飯の準備ができてみんなで食べ始めました
どんな献立だったか思い出せない、残り物の寄せ集めでした
皆で押し黙って食べているとA先生はリュックから何やら青く長細い野菜を何本か出しました
それをナイフで細かく刻み醤油と鰹節をかけて箸で混ぜると納豆のような糸がたちました
A先生はそれを私のご飯の上にかけてくれました
とても美味しくてご飯がつるりとのどを通っていきました
それがオクラというものだとはじめて知りました

大学を卒業し就職して二年目の夏にインドへ行きました
仕事になじめずにたまったストレスをおもいきり山スキーにぶつけるつもりでした
インドヒマラヤの六千メートル峰に登り、スキーで滑り降りて来る計画でした
日々の忙しさの中でたてた計画はずさんで、同行者もなく装備も不十分でした
一週間ほど登山口のあたりをトレッキングしてから計画を変更しました
鉄道でインドを一周することにしました

ニューデリーからマドラス(いまのチェンナイ)へ行きベンガル湾で泳ぎました
さらに南のコモリン岬へと向かいました
小さなホテルで渇きをいやそうと飲んだ水がいけませんでした
ひどい下痢になり一時間おきにトイレに行く状況になりました

しくしく痛む腹をかかえながらそれでもカルカッタ(いまのコルカタ)まで行きました
無理をしたのが良くなかったのかカルカッタで症状は一層ひどくなりました
ようやく見つけた安ホテルで食事もとらずに寝ていました

なんにちか水ばかり飲んだ後、何か食べるものを買おうと市場へ行きました
そこで昔見た野菜を見つけました
オクラです
それと醤油を買ってホテルに戻りました
刻んで醤油をかけ、糸を引くまで混ぜ合わせてどんぶり一杯食べました
ひさしぶりにおいしくのどを通るものを食べた気分でした

こうして二、三日寝ているあいだに下痢は止まり、体力がもどりました
これで大丈夫と、ようやくニューデリーへ行く列車に乗りました

こんなふうに私はこれまで二度オクラに助けられました
これから三度目があるかもしれません
たとえなくても(ないほうがいい)今はオクラをふつうに楽しめてしあわせです