2017年3月15日水曜日

春迎(はるむかえ)


一入亭(表側)

こんばんは、藁竹茅です。きょうは一入亭の春迎をしました。
11月にやった屋根のシートかけや囲い板などの冬に向けた準備が冬迎です。
http://hitoshio.blogspot.jp/2016/11/blog-post.html
冬迎を解くのが春迎です。毎年3月の春分の日のあたりにやります。

今冬は昨冬につづき小雪(こゆき)でした。いま家のまわりの積雪は1mほどです。例年であればまだ2mほどの雪が残っています。

一入亭(裏側)


裏側のダキ(抱き=入り隅)には雪がみっちり詰まってます。屋根シートをはずすにはまず雪堀(ゆきほり)をしなければなりません。



スノーダンプで雪堀
はい、さっぱりしました
ブラックチェリーの養生も明日とってあげましょう

囲い板は4月になったら外すことにして、きょうはゆっくりします。

参考:スノーダンプの使いかた。







2017年2月25日土曜日

2017年1月21日土曜日

ホタテのドリア

次男作、ほうれん草が入っていておまけにキャベツのサラダ付き!

2017年1月1日日曜日

コラボおせち

男四人でそれぞれいろいろ作りました
だいぶ食べてからあわてて写真を撮りました

2016年12月2日金曜日

冬迎(ふゆむかえ)

こんにちは、一入亭の藁竹茅です。

毎年11月の勤労感謝の日のころに一入亭の冬迎(ふゆむかえ)をします。
これは一入亭が冬を迎えるための準備です。

年によって前後しますがこのあたりでは12月中旬に根雪になります。その
後はシベリアからの寒波が日本列島に押し寄せてくるたびにずんずんと
雪が積み増します。雪がいちばん深くなるのは2月です。大雪の年には
3メートルを超えることもよくあります。3月の声を聞くと降る雪がへり、融ける
雪がふえます。そして春分の日のころに春を迎える準備=春迎(はるむかえ)
をします。暖かい春の陽がどっさり残った雪のうえにそそぐ日にやります。

冬迎の内容は屋根へのシート掛、家の戸・窓への囲い板、植木の養生です。
春迎はそれらを取り外す作業です。

シート掛
これは茅葺屋根をすっぽりとシートで覆ってしまうことです。
なぜそんなことをするのかというと雪が茅葺屋根を痛めるからです。

一入亭の軒(屋根の下端)の高さはおよそ3.6メートルです。大雪の冬には
屋根から落ちた雪と風下に吹きだまった雪が加わって屋根の半分ぐらい
まで雪に埋まります。これが茅葺を痛める原因になります。

雪が茅葺屋根を痛める具体的なパターンにはおもにつぎの3つです。
1 茅葺屋根に凍結した雪が落下する際に茅を引き抜く
2 屋根まで積もった雪が下に引っ張られて軒先を曲げる
3 除雪の際にスコップやスノーダンプで茅を削ってしまう

夏場は大雨や強風で屋根が傷みますが、冬場もそれと同じかそれ以上に
茅葺屋根にとって厳しい季節といえます。

一入亭の屋根は喜多村暁さん(2010年に他界)という屋根職人がずっと
補修してきました。この方が茅葺屋根を雪から守る方法=シート掛を考案
しました。

正方形や長方形のシートをそのまま中門づくりの茅葺屋根に掛けたのでは
屋根の凸部や凹部に掛けたシートが風をはらみ雪をため込んで破れます。
喜多村さんはシートを屋根の形状に合わせて縫製して掛けるようにしました。
シートは破れにくくなり長い冬のあいだを通じて風や雪から茅葺屋根を守れる
ようになりました。

喜多村さんが亡くなったあと昨冬まではこのシート掛を地元の屋根職人に
お願いしてきました。それを今冬からは自分でやることにしました。

シートの縫製
ことしの春迎のときに前後の中門の先端に掛けるシートが
長年の使用であちこち破損していました。シートの寸法を測ったうえでそれらを処分しました。今冬のシート掛ではその部分のシートを自分で縫製して使うことにしました。この際ブルーシートはやめて銀色のUVシートを使うことにしました。シートを寸法どおりに裁断して家にあった古いミシン(ジャノメ トピアエース802 1973年製)で縫いました。


右の図が前中門の左側に掛けるシートの図面です。数字の単位がメートルですのでけっこう大きいことが分かると思います。このほか前中門の右側、後中門の左右と全部で4枚縫いました。


一入亭のチャノマ(17.5畳 6.3m×4.5m)にシートをいっぱいに広げて裁断し、縫いました。針は14番、糸は30番のスパンミシン糸ジーンズ厚地用です。












シート掛の作業
<道具>
ハシゴ(大)、ハシゴ(小)、ロープ(ポリエステル ダブルブレード10㎜×40m)、アッセンダー、カラビナ20コ、ハーネス、鋏、金槌
<材料>
シート、PP縄(6㎜)、トタン釘
 
ハシゴ(大)を軒端にかけ、さらにその上にハシゴ(小)をグシ(屋根の上端)に届くようにかけます。ハシゴ(小)の下端はハシゴ(大)に、上端はグシの番線にPP縄で結びつけます。



グシにのぼりグシの上に安全確保用のメインロープを渡します。方法はグシの番線にカラビナをかけ、そこにメインロープをクローブヒッチでつないでいきます。ハーネスにつけたセルフビレー用のロープをこのメインロープにカラビナでつなげます。万一転落した場合はメインロープが食い止めてくれるはずです。




シートは上端をアングルに結びつけるかトタン釘でグシに打ち付けます。グシをシートで覆えないところにはシートを切って作ったグシカバーを掛けます。シートの下端は軒下の木部に打った釘にPP縄で固定します。

このあと戸・窓へ囲い板をかけ、植木(サクラ・モミジ・ナンテン)の養生をして冬迎は終わります。

冬迎の作業時間(一人でやった場合)
道具・材料の準備=半日
シートの縫製(4枚)=1日
シート上端掛け=1日
グシカバー掛け=半日
シート下端縄掛け=半日
囲い板掛け=半日
植木養生=半日


2016年9月5日月曜日

柿渋つくり(2)搾り

こんにちは、藁竹茅です。

8月15日に柿渋を仕込んでから毎日2回撹拌しました。
撹拌し忘れた日もありました。

仕込んで1週間

空気に触れた柿の皮が茶色くなっています。
撹拌すると発酵で生じた泡があがってきます。



仕込んで2週間

2週間たち依然としてよく泡があがってくる樽と
そうでない樽があります。なぜでしょうか?




しぼる

きょうで仕込んで3週間たちましたのでいよいよ搾ります。
仕込みと同様に世田谷区の次大夫堀民家園で毎年行われて
いる方法を参考にして搾りました。

<材料> 柿渋30リットル×3樽

<道具> バケツ、ヒシャク、ゴム手袋、搾り袋(自作)
       ※搾り袋は古布をミシンで縫って作りました。







ヒシャクを使って樽からなるべく汁を汲みだして
バケツに入れます。そのあと残った実を搾り袋に
入れます。たくさん入れすぎると搾る時に力が入り
ません。         
                    

      


一時間以上かかってようやく全部搾り終えました。
40リットルぐらいになりました。樽の上に布をかぶせ
フタをして物置に保存しました。

搾りかすは庭の植木の根元にうめました。


物置で一年間ねかせたあとペットボトルに詰め替えて
さらに一年間ねかせて完成です。気の長い話ですね。

うまく熟成すると一年後には濃い麦茶のような色になり
ます。次大夫堀民家園で失敗した年があったそうです。
渋柿にいくつか甘柿がまじっていたために熟成せず
いつまでもミルクティーのような色のままだったとのこと。

大丈夫。一入亭の青い渋柿ばかりで作りましたから。
来年のいまごろきっといいご報告ができると信じてます!

2016年8月15日月曜日

柿渋つくり(1)仕込み




一入亭の庭のかたすみに毎年たくさんの実をつける柿の木があります。

渋い柿なので食べませんでした。その実が秋に色づいて落ちるとタヌキが山から食べにきていました。

このタヌキがついでに隣家の畑をあらしたり一入亭の縁の下にはいってキャッキャとさわいだり好き放題しています。
     

         この柿をつかって柿渋をつくることにしました。
           一入亭では柿渋をあちこちに使っています。

風呂場
風呂場の床

 風呂場の床や腰板の上に柿渋を塗りました。柿渋には木の表面を固くして防水する効果があります。塗ってしばらくすると柿渋色(団十郎茶)に変わりました。窓の外の緑とのコントラストがきれいです。


風呂場からの眺め



茶の間の床を張りなおしたときにも上に柿渋を塗りました。柿渋には防水に加えて防虫の効果もあります。ここで昼寝をしていて虫さんが顔のうえを歩かないことを期待しました。




このほかにもさまざまな効用がある柿渋ですが市販品はいささか高価です。もっぱらタヌキのエサになっていた庭の柿で柿渋をつくってみることにしました。


柿渋の仕込み

今回は世田谷区の次大夫堀民家園で毎年行われている方法で仕込んでみました。

<道具>
柿もぎ(自作)、ハシゴ、カゴ3個、ステンレス包丁、ポリ袋厚口10枚、ハンマー、カルキ抜きした水30リットル、プラスチック樽30リットル3個

落とす


ハシゴにのり柿もぎを使って枝ごとガシガシ落とします。




自作の柿もぎです。柿のなっている枝を中央の溝に差し込んでひねるといい具合に枝が折れます。



もぐ

  
落とした柿を枝からもぎます。割れたり黄変している実はつかいません。収穫した柿は重さ約40㎏で1,000個以上ありました。



洗う






柿の表面のゴミなどをかるく洗いおとしました。
 切る






ステンレスの包丁で実を半切りにしました。1000個もあるのでたいへんです。
切った柿を厚口のポリ袋に入れ口をしばりました。


潰す


ポリ袋に入れたハンマーで柿を潰しました。これまた数が多いしハンマーが重たいしで「たいへんだ、たいへんだ」といっている人がいました。




浸す



潰した柿をプラスチック樽にいれカルキ抜きした水を加えます。





発酵で出た泡が見えますね。
これで仕込みはおわりです。
3週間ねかせたあと絞ります。
それまで1日2回撹拌します。



 「柿渋つくり (2)しぼり」へつづく

2015年6月21日日曜日

2010年8月18日水曜日

吉村昭 2010年8月18日 高熱隧道(1967)


黒部第四ダムはまったくの異体です
大町から西に入った扇沢から関電トンネルをトロリーバスでくぐって行きます
すると黒部峡谷の真っただ中に巨大なコンクリートのアーチが現われます

このダムの下流に発電所を作るために黒部川にそった鉄道がまず必要でした

今は観光のトロッコ列車が走る黒部峡谷鉄道です


「高熱隧道」はこの鉄道を通すためのトンネル建設の物語です

どれほどの困難がありどれほどの犠牲を伴った事業だったのでしょうか

それが克明に描かれています



2010年8月7日土曜日

吉村昭 2010年8月7日 戦艦武蔵(1966)

日本海軍の関係者は巨大戦艦「大和」と「武蔵」を完成させることに国の命運を賭けた
この二隻で大東亜戦争に勝利できると自ら信じた

「武蔵」の建造を民間造船会社が受注した
会社の人々は、いちにちも早く「武蔵」を作りあげることに力をふり絞った
彼らもまた、この巨大な新型戦艦が海上に浮かべば国土は守られるであろうと信じていた

沢山の人々の夥しい努力によってようやく「武蔵」が完成した

その時すでに太平洋戦争の勝敗を決するのは巨大戦艦ではなくなっていた

多数のあるいは巨大な戦闘機が主役になっていた



2010年8月1日日曜日

吉村昭 2010年8月1日 桜田門外の変(1990)


次男が近日封切りになる「桜田門外の変」を見たいという
その原作が吉村昭の本だと知ったのでまずそれを読むことにしました

その出来事は日本の歴史の転換点というべきテロ事件です
規模の大きい、周到に準備されたやくざの出入りという感じ

吉村はこの事件を一人の首謀者の視点から詳細に描きました
その人の生い立ちや実際に生活した場所、逃げ回ったところなどに訪れて盛り込んでいます
存命の人の証言は小説にリアルさをもたらしています

2010年6月17日木曜日

『密会』 吉村昭

NHKラジオの長寿番組に「日曜名作座」というのがありました

森繁久弥と加藤道子が、脚本された文芸作品を朗読しました

テーマ音楽と劇中曲の作曲は古関裕而でした

このシンプルな番組は50年にわたり放送されました


わたしの母はこの番組を枕元の小さなラジオでよく聞いていました

いつの頃からか二人の名優が展開する劇のおもしろさに心を惹かれるようになりました

原作は吉村昭というはじめて名前を聞く小説家でした


わたしは川越市の市立図書館でよく本を借りて読みます

その図書館の蔵書を「吉村昭」で検索してみると250冊ほど収蔵されていました

そこでまず「日曜名作座」の作品のイメージに近いこの本を借りてみました


この本は市井に暮らす男と女の関係を描いた短編集です

その後知ったことですがこの作品は吉村昭としては珍しい部類の作品でした


2009年11月3日火曜日

『天狗争乱』 吉村昭

わたしが本を読んでみようと思うきっかけは、

・新聞で書評を読み、面白そうだと思った場合

・ある本にその本について取り上げられていて、面白そうだと思った場合

・図書館で見かけて、面白そうだと思った場合

などです


わたしは独身の頃は小遣いがふんだんにありました

書店で本を立ち読みしていて面白いと思ったらすぐに買うこともよくありました

このごろはほとんど本を買わずもっぱら川越市立図書館で借りて読んでいます


吉村昭という作家の名を初めて知ったのは日曜名作座というNHKのラジオ番組でした

古関裕而の郷愁のこもったテーマ音楽とともにはじまるこの番組は51年間放送されました

この番組を知ったのはわたしの母を通じてです

ラジオの音量を小さくして寝しなによく聞いていました


わたしも50歳を過ぎて日曜の夜にこの番組を聞くとなんだかほっとして寝られるのでした


ある晩に吉村昭が原作のドラマが流れました

そのストーリーに惹きつけられてこの人の本を読んでみようと思ったことを覚えています


「天狗争乱」は江戸末期に幕府に対して一種の反乱を起こした水戸藩士達の物語です

彼らの行動はわたしの持っていた江戸武士のイメージとはかけ離れていました

躍動的でとても生き生きとしていたのです


わたしはこの本を面白いと思いました

しかしその後吉村昭の著作を全部読むことになるとはこの時は思いもしませんでした

 

1989年11月3日金曜日

スバル・レガシー

長男が生まれて、ようやく首が座った頃、レンタカーを借りてドライブへ行った。行先は埼玉県東松山市にある森林公園である。行ってみたところ、あいにく休園日だったので、近くの河原でピクニックをした。家族で車で出かけるのは楽しかった。それで今度引っ越したら車を買おうと思っていた。

妻の妹は、大学を卒業後しばらく東京スバル販売という会社で働き、結婚後に退職していた。それで彼女に知り合いを紹介してもらい、その店で購入した。知り合いということで、かなりの値引きをしてもらったのだろうが、詳細は覚えていないし、記録も残っていない。

スバル・レガシーは水平対向の4気筒エンジンが特徴である。わたしが高校生の時、山岳部の顧問だったM先生が、スバル1300という車に乗っていて、そのエンジン音ときびきびとした走りに魅力を感じた。またレガシーはワゴン車なので、人も荷物もたくさん載せられるのが良かった。スキーや山登りで雪道を走るだろうから4輪駆動を選んだが、購入費用を抑えるためにマニュアル・シフトでエアコンのないもっとも廉価のタイプにした。

この車に結局10年ほど乗ったのだが、最後はあちこち擦ったりぶつけたりしたあとができ、おまけにマフラーに穴が開いて暴走族車の排気音のようになってしまった。子供も増えて手狭になったので、ホンダのステップワゴンに乗り換えることにした。このレガシーはホンダのディーラーに下取り価格ゼロ円で引き取られていった。