2021年3月27日土曜日

一行レシピ はるかのマーマレード

 

千切りし二回煮こぼし水切し60%の重さのグラニュ糖とひたひたの水で強火➡弱火で煮詰める

2021年3月26日金曜日

焼き肉のたれ

 2人前   しょうゆ 大さじ3
       さとう 大さじ1 1/3
       みりん 大さじ1
         湯 大さじ1
       ゴマ油 大さじ1
     白すりゴマ 小さじ1
   おろしニンニク 小さじ1/2
      コショウ 少々


『サピエンス全史 下』 ユヴァル・ノア・ハラリ


人類は数百万年前から現在に至るまであれやこれやと重ね重ねやってきました
それらを概観したうえで人類の現在地を幸福という視点から眺めなおしています
そして仏教の幸福探求の立場がもっとも興味深いと結論しています

「仏教によれば、たいていの人は快い感情を幸福とし、不快な感情を苦痛と考えるという。その結果、自分の感情に非常な重要性を認め、ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになる。脚を掻くことであれ、椅子で少しもじもじすることであれ、世界大戦を行うことであれ、生涯のうちに何をしようと、私たちはただ快い感情を得ようとしているにすぎない。
 だが仏教によれば、そこには問題があるという。私たちの感情は、海の波のように刻一刻と変化する、束の間の心の揺らぎにすぎない。五分前に喜びや人生の意義を感じていても、今はそうした感情は消え去り、悲しくなって意気消沈しているかもしれない。・・・
 人間は、あれやこれやのはかない感情を経験したときではなく、自分の感情はすべて束の間のものであることを理解し、そうした感情を渇愛することをやめたときに初めて、苦しみから解放される。それが仏教で瞑想の修練を積む目的だ。」

このようなブッダの教えは「ダルマ」という普遍的な自然の法則と見なされています

        苦しみは渇愛(快さをつねに希う気持ち)から生まれる

 苦しみから解放される唯一の道は渇愛から解放されることにある
渇愛から解放される唯一の道は心を鍛えて現実をあるがままに経験することである

仏教の第一原理は、「苦しみは存在する。それからどう逃れるか?」です


あとがき—神になった動物

 七万年前、ホモサピエンスはまだ、アフリカの片隅で生きていくのに精一杯の、取るに足りない動物だった。ところがその後の年月に、全地球の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえも手に入れかけている。
 不幸にも、サピエンスによる地球支配はこれまで、私たちが誇れるようなものをほとんど生み出していない。私たちは環境を征服し、食物の生産量を増やし、都市を築き、帝国を打ち立て、広大な交易ネットワークを作り上げた。だが、世の中の苦しみの量を減らしただろうか?人間の力は再三にわたって大幅に増したが、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増進しなかったし、他の動物たちにはたいてい甚大な災禍を招いた。
 過去数十年間、私たちは飢饉や疫病、戦争を減らし、人間の境遇に関しては、ようやく多少なりとも真の進歩を遂げた。とはいえ、他の動物たちの境遇はかつてないほどの速さで悪化の一途をたどっているし、人類の境遇の改善はあまりに最近の薄弱な現象であり、けっして確実なものではない。
 そのうえ、人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらずに不満に見える。カヌーからガレー船、蒸気船、スペースシャトルへと進歩してきたが、どこへ向かっているのかは誰にも分からない。私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいのかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いが無く、自ら神にのし上がった私たちが責任をとらなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど求めないが、それでもけっして満足できずにいる。
 自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?


Post-scriptum - Un animal devenu un dieu

Il y a 70 000 ans, l'Homo sapiens était encore un animal insignifiant à vivre dans un coin d'Afrique. Cependant, dans les années suivantes, il est devenu le maître de toute la terre et a menacé l'écosystème. Aujourd'hui, Homo sapiens est sur le point de devenir un dieu, gagnant non seulement la jeunesse éternelle, mais même la capacité divine de création et de destruction.
Malheureusement, la domination de Sapiens sur la Terre a jusqu'à présent produit peu de choses dont nous pouvons être fiers. Nous avons conquis l'environnement, augmenté la production alimentaire, construit des villes, établi des empires et créé de vastes réseaux commerciaux. Mais a-t-il réduit la quantité de souffrance dans le monde? La puissance humaine a augmenté de manière significative à maintes reprises, mais le bien-être des sapiens individuels ne s'est pas nécessairement amélioré, et d'autres animaux ont généralement subi une énorme catastrophe.
Au cours des dernières décennies, nous avons réduit la famine, la peste et la guerre, et avons enfin fait de réels progrès en termes de conditions humaines. Cependant, les conditions des autres animaux se détériorent plus rapidement que jamais, et l'amélioration des conditions humaines est un phénomène faible qui est si récent qu'il n'est en aucun cas certain.
De plus, bien que les humains puissent faire beaucoup de choses étonnantes, nous restons incertains de notre objectif et paraissons toujours insatisfaits. Nous avons progressé des canoës aux galères, aux bateaux à vapeur et aux navettes spatiales, mais personne ne sait où nous nous dirigeons. Nous sommes plus forts que jamais, mais nous ne savons guère à quoi utiliser ce pouvoir. C'est encore pire parce que l'humanité semble plus irresponsable que jamais. Nous n'avons que les lois de la physique, et nous qui sommes montés à Dieu par nous-mêmes n'avons personne à qui assumer la responsabilité. En conséquence, nous avons dévasté nos compagnons animaux et les écosystèmes environnants, ne cherchant guère que notre propre confort et plaisir, mais néanmoins insatisfaits.
Y a-t-il quelque chose de plus dangereux que les dieux insatisfaits et irresponsables qui ne savent pas ce qu'ils veulent?


Postscript — An animal that has become a god

70,000 years ago, Homo sapiens was still a trivial animal to live in a corner of Africa. However, in the following years, it became the master of the whole earth and threatened the ecosystem. Today, Homo sapiens is on the verge of becoming a god, gaining not only eternal youth, but even the divine ability of creation and destruction.
Unfortunately, Sapiens's domination of the Earth has so far produced little that we can be proud of. We have conquered the environment, increased food production, built cities, established empires, and created vast trading networks. But did it reduce the amount of suffering in the world? Human power has increased significantly over and over again, but the well-being of individual sapiens has not necessarily improved, and other animals have usually suffered tremendous catastrophe.
Over the last few decades, we have reduced famine, plague, and war, and have finally made some real progress in terms of human conditions. However, the conditions of other animals are deteriorating faster than ever, and the improvement of human conditions is a weak phenomenon that is so recent that it is by no means certain.
Moreover, although humans can do many amazing things, we remain uncertain about our purpose and still look dissatisfied. We've made progress from canoes to galleys, steamships, and space shuttles, but no one knows where we're heading. We are stronger than ever, but we have little idea what to use that power for. It's even worse because humanity seems to be more irresponsible than ever. We have only the laws of physics, and we who have risen to God by ourselves have no one to take responsibility for. As a result, we have devastated our fellow animals and the surrounding ecosystems, seeking little but our own comfort and enjoyment, but nevertheless unsatisfied.
Is there anything more dangerous than the dissatisfied and irresponsible gods who don't know what they want?



2021年3月21日日曜日

『サピエンス全史 上』 ユヴァル・ノア・ハラリ

 
人類は発生から今日までどんな歴史をたどったのでしょうか?
そんなことはふだん考えもしません
たいてい日常の面倒なことや多少面白いことなどにかまけていて時間が過ぎます

ホモ(ヒト)属が進化して初めて道具を使いだしたのが250万年前
火が日常的に使われるようになったのが20万年前
永続的な定住生活をしながら植物を栽培化と動物の家畜化を始めたのが1万2千年前

定住する以前の数百万年間は人は移動しながら狩猟採集の生活をしていました
わたしたちヒトの本能はその長い狩猟採集生活のなかで形成されてきたのです

定住生活をはじめてからまだわずか1万年ほどしか経っていません
なので現代人のDNAは狩猟採集生活時代のままであり定住に適応できていないのです
ここに現代のヒトが抱える様々な問題の根本的な原因があります

定住を始めたヒトは移動生活をしていた時よりも楽になることを期待しました
ところが農業生産がどれだけ拡大しても労働時間は短くならず生活は豊かになりませんでした
農民が生み出した余剰生産物は常にエリート層に掠め取られてしまったからです
むしろ狩猟採集をしていた時代の方がヒトは幸せだったのです

ヒトは何百、何千世代にもわたる長い時間をかけて狩猟採集の生活を形作りました
さまざまな技術や知識を総動員して自給自足していく生活は充実したものでした
その頃のヒトは今よりも脳も身体も大きかったという証拠があります

このようなことを知ると今のヒトの生活はとても歪んだものなのだと気がつきます
自然と離れた生活をすればするほどその歪みは拡大していくと実感しています


2021年3月14日日曜日

『間違いだらけのクルマ選び 2021年版』島下泰久

クルマ選びは楽しいものです
この本はその参考になるようにと書かれています

著者はクルマについて広範な知識や運転経験があります
でなければこのような本は書けないでしょう
客観的にクルマを評価するのは難しいことでしょうから

主観に陥らずにクルマを選ぶためにこの本は一定の役に立つでしょう
あえて「一定」と留保したのはこの本だけではクルマ選びはできないと思ったからです

クルマは持ち主のライフスタイルをバックアップできるものであって欲しいです
そのライフスタイルは人さまざまです
自分自身のライフスタイルを見定めずにいいクルマ選びはできないでしょう
ライフスタイルと照らし合わせながら自分の求めるクルマを考えてみました

<自分のライフスタイルと必要なクルマの機能>
ひと冬に何度も雪山へ行くし夏は畑道も走る⇒駆動方式は四輪駆動で最低地上高が高い
長距離を余裕をもって走りたい⇒スムーズで高いシステム出力
維持費を抑えつつ環境にも配慮したい⇒高燃費
できるだけ化石燃料を使いたくない⇒普段使いはEV走行で可能
車中泊や災害発生時に役立てたい⇒外部に給電できる
出先で充電や給油を心配したくない⇒プラグイン・ハイブリッドで燃料タンクが大容量
取り回しが楽⇒最小回転半径が小さい
たくさんの荷物が積める⇒荷室容量が大きい
運転の疲労を少なくし事故は回避したい⇒予防安全性能が高い
万が一の事故に備えたい⇒衝突安全性能が高い

こんなところでしょうか

インターネットにはいろいろなクルマの情報があふれています
見ているとどのクルマが不都合ないのか分からなくなってきます
落ち着いて順を追って考えてみます

まずクルマのジャンルは自分のライフスタイルからするとSUVが最適です
高い外車は回避して国産の中から6台を選び、性能などを評価・比較してみました

<現行国産SUV比較>

この結果はRAV4 PHVが自分のライフスタイルに一番合っていることが分かりました
RAV4 from wiki
<RAV4 PHV>
駆動方式     電動式四輪駆動
システム     プラグイン・ハイブリッド(最高出力306ps)
燃費       22.2㎞/ℓ(WLTCモード)
EV走行距離     95㎞
1500W外部給電   3日間
充電時間     5時間30分(200V)
航続距離     1,316㎞(燃料タンク55ℓ)
最小回転半径   5.5m
最低地上高    195㎜
荷室容量     490ℓ
衝突安全性能   ★★★★★
予防安全性能   ASV+++
© yasuyuki suketomo

2021年3月12日金曜日

一行レシピ メバル煮付け

黒メバル 市場魚介類図鑑より

鱗と腸を取り水洗い湯通し、煮立った汁(水3醤油1酒1砂糖1)に入れ中火で10分煮る


2021年3月9日火曜日

『聞き書き 伝統建築の家 造る 住む 直す 職人の技』 原田紀子



読む本はたいてい家の近くの川越市立図書館で借りて読みます
先日そこへ本を返しに行った折りいつものように新刊書コーナーを眺めわたしました
するとこの本が目にとまったので借りてきました

たくさんの本を図書館で気軽に借りて読めるのはありがたいことです
借りた中にはどうしても読み進められなく途中で返却してしまう本があります
それでも懐が痛むことはありません
そうかと思うと自分のために書かれたのかと思うような本に出合うこともあります
そんな時は「図書館、ありがとう!」と心の中で叫びます

ーー

 家の基礎など下は法律(建築基準法)でとにかくしょうがないので、コンクリートをベタ打ちにして、布基礎立ち上げて、土台にアンカー入れるけど、上だけは、伝統工法でやりたいぞって、俺はずっと思ってきたわけ。
大工 星野 清信

 サラリーマンはいくら偉くなっても勤めているところから退いちゃうと何も残らないんじゃないでしょうか。大工は仕事をやめても物が残っている以上は、誰が造ったとか、どういうふうにやったんだとかが分かる。
大工 嶋澤 恭雄

 始めて半年から一年ぐらいのころやったと思う。東京からお遍路で回ってきた人が、自分の現場に来て、ふっと足場に乗って、「その紐、貸して」言うて、どんどん、どんどん、編み出した。手付きがすばらしゅうて、話しするうちにね、「兄さんに教えてやってもいい」言うた。
小舞 弘田 充

今ある茅葺き屋根は百年二百年と残っている実績のある建物なのに、それを残そうとするとどうしても文化財的な保存になりがちです。・・・それで普通の人が暮らして行けるような茅葺き屋根の家っていうのを提案していきたいんです。
茅葺き職人 松木 礼 

 旅行の前にはたいてい『日本の食生活全集』(農文協、全50巻)のその県の巻を読んで、伝統の食とか民俗的事象などいちおうの目標を持って出かける。
原田紀子

 職人は小千谷の手前、越後川口の和奈津という部落から来てくれていたんです。それが去年(2011年)棟梁(一入亭の茅屋根を葺いた喜多村 暁さん)がなくなって。その下に二人いらっしゃって引き続き来てくださるんですけども、なかなか二人ではやっていけないということで、どこかの組に入るそうです。
料理屋 南雲直子

 最近はとみに伝統建築の仕事がないと言う。なぜ日本人は自国のすばらしい文化を伝承しようとしないのだろうか。
原田紀子

ーー

伝統建築の家を建てようとすると普通の家の少なくとも倍のお金がかかります
大多数の日本人にとってはそれは無理な話です

どれくらいの日本人が伝統建築に心から親しんだ経験を持っているでしょうか
伝統建築の家に住んだり逗留したりした経験ない人が増えています
そのような経験なしに伝統建築の家を建てたいとは思わないでしょう
経験のないことを伝承しろと言われてもそれはできませんよね

いまは伝統建築のほかにも魅力的な家はたくさんあると認める方が妥当でしょう
日本人に限らず、人は自分に訴求力のある家を選ぶのです
「なぜ日本人は・・・」より「どのようにしたら日本人は・・・」と前向きに考えます


2021年3月4日木曜日

『川漁』 戸門秀雄


一入亭へは車で行きます
一般道を使い(国道17号経由)一年間で20回ほど通います
高速道路は通行料金が高い(往復で一万円近く)ので使いません

まず交通量の多い道を家から上越の山麓まで走ります
利根川の支流を遡り三国峠のトンネルを抜けると魚野川の流域に入ります
それから一入亭の近くまでおおよそ魚野川にそって下っていきます
家から一入亭まで片道5時間半ほどかかります

道々魚野川の川面がのぞけるようなところも走ります
梅雨の終わりごろからは鮎釣りをする人の姿が川辺に目立ち始めます
釣りはしないのでそれに気をとられることはありません

30年近く前に魚野川をカヌーで下りたいと思ってました
そんなに危なくなく景色も良さそうだからです
釣り人とのトラブルを先回りして心配したりもしました
川下りは実現することなく今に至っています

ある夏に一入亭の近くの魚野川の簗場に行きました
広い河原の中に簗があってとなりに足高の建物がありました
建物の中は座敷になっていて涼しい風が吹き抜けていました
アユの塩焼きやウナギなどを美味しく食べました
その後の豪雨でその建物は簗場もろとも押し流されてしまいました

その河原に一入亭の通り土間に敷く石を息子たちと拾いに行ったことがあります
河原にある手のひら大の丸くて薄い石をたくさん拾いました
それを通り土間のモルタルにはめ込みました

わたしと魚野川とはこの程度のつき合いでした

この本には魚野川と正面から向き合って暮らしてきた人たちのことが書かれています
川漁は単なる釣りではなくてこの地域の文化と深くかかわっていることが分かります
これまでそのことに思いが至りませんでした

魚野川での川漁は江戸時代から今日までおおきく変遷してきました
幕府や藩が鮭漁をどのように位置づけていたかなど想像したこともありません
遡上してくる鮭を漁業組合が捕獲し孵化させ放流していることも知りませんでした

川漁で使う道具は造船、鍛冶など様々な伝統技術が駆使されていました
わたしがやっている竹細工や藁細工も川漁にはなくてはならない技術でした
獲れた魚の調理や保存の方法は昔からの知恵が生きていて興味深いものです

これらのことが豊富な実例や資料とともにとても面白く書かれていました
自分の手元に置いておきたいと珍しく思うような本でした

「伝統漁」ということばがこの本のサブタイトルに使われています
その意味するところを考えてみました

「伝統」とはなんでしょう
昔から魚野川で漁をしてきた人々が作り上げてきた自然と社会への向き合い方でしょうか
たんなる漁法とかなんとか狭い意味でのことではないと思います

江戸時代から今日に至るまで魚野川の川漁は変わり続けてきました
幕藩体制のもとでは川漁にも冒しがたい厳しさがありました
今は資源としての魚が枯渇しないように漁法や漁期などを制限し増殖に取り組んでいます

川漁をとりまく環境の変化に柔軟に対応していくような姿勢が大切なのだと思います
そうでないと魚野川の川漁は途絶えてしまうでしょう
そうならないように知恵を絞り行動していくことにこそ「伝統漁」の意味があると思います

2021年3月1日月曜日

ふだんの朝食

 
いつも朝食は
トースト、ジャムをトッピングしたヨーグルト、野菜サラダ、おかず、紅茶、フルーツ
それぞれをほんの少し変えるだけで十分毎朝楽しめます

ジャムはブルーベリー、マーマレード、イチゴ...
おかずはハムエッグ、ベーコンエッグ、チーズオムレツ...
フルーツはリンゴ、いよかん、バナナ...
といった具合です