道教についてわたしは仏教やキリスト教のように宗教として強く意識することはありません
また儒教に感じるような圧迫感もあまりありません
率直にいうと仏教やキリスト教の世界は現実的な欲にまみれていて親しみが持てません
儒教は統治者に利用されてきた歴史が色濃くてなじめません
イスラム教やヒンドゥー教などはこの身からは遠い世界のように感じます
道教にはそのような違和感や先入観みたいなものがあまりありません
道教は現代の日々の暮らしの中ではほとんど縁のない宗教です
身の回りの人が道教について話しをするのを聞いたことがありません
わたしは道教がとりわけ気に入ったり、それを信じたりしているわけではありません
ただ20年ほど前に何かのきっかけで『老子』を読んだことがありました
そしてその中に自分の気持ちに符合する文言をいくつかみつけたのです
それでそのいくつかを一入亭の
チャノマに書きつけたりしました
わたしには道教イコール老子というイメージがありました
そうではないのですね
道教は老子という一人の人間が始祖ではないということです
だいたい老子というひとが実在したかどうかすら疑わしいそうです
それは道教のマイナス面ではなくて、成り立ちの真実に近いことではないかと思います
一人の偉大な教祖が実在して何もかもがそこから始まったというのはどうにも胡散くさいです
それはひとの歴史のありようにそぐわない強弁のように聞こえます
老子という人が何かの拍子に先人の積み重ねの中からちょっぴりひらめきをえた
そのひらめきを後世の人が延々とこねくり回して『老子』という約五千文字が成り立った
それについてさらにいろいろな解釈が生まれ、人々に受容されていった
このように考えるのがよほど自然だと思います
この「道徳」はいまの社会でいっぱんに使われている「道徳」とは重みがちがいます
「道」は天地万物を生ずる偉大な働きです
「徳」は生じた万物を養い育てる働きです
この「道」と「徳」をあわせて「道徳」といったのです
たとえば女のひとが赤ん坊を生むというのが「道」です
その赤ん坊を周りの人がだいじに育てるのが「徳」です
女のひとは存在そのものが偉大なのです
男のひとは「徳」の方面でひたすら頑張るしかありませんね