そして70代で亡くなるまで完璧に東北弁を使っていました
横浜の人々のあいだでズーズー弁を使うことにまったく抵抗がないようでした
家の中で両親は東北弁で話しをしていました
子どもたちは怒られるときも、褒められるときも(これはあまりなかった)東北弁でした
だからわたしは東北弁を読んだり、聞いたりすることに不自由はありません
わたしの日常で東北弁が役に立つことはほとんどありません
この本を読んでいて東北弁がわかるのはありがたいと感じました
やっぱり方言でなければ伝えられない思いとか、ニュアンスというのはあるのだと思います
全編を通じてそういう東北弁のリズムがこころに響きました
それと並行して言葉遣いを超えたいくつもの真実にも共感しました
「他人には意味もなく無駄と思えることでも夢中になれたとき、人は本当に幸せなのだろう」
「人は独り生きていくのが基本なのだと思う。そこに緩く繋がる人間関係があればいい」
「どこさ行っても悲しみも喜びも怒りも絶望もなにもかにもついでまわった、んだべ」
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