2020年6月26日金曜日

『職人』 竹田米吉

印半纏(しるしはんてん)
半纏には二種類ある。「仕事半纏」と「通い半纏」である。通い半纏はよそいきで正装で、祝儀不祝儀には、ま新しいのを着た。大工ならよいおとくい(旦那といった)の、また棟梁の印を染めぬいた半纏を着るのを誇りとした。おとくいの屋敷に伺うときはその旦那の名入りの印半纏を着て行く。

小回り
昔は土方の専門用語で、一日にし遂げる仕事の分量を指す。彼らの賃金は規則で一定であるから、小回りは仕事の分量の指示のみですんだ。

常傭(じょうよう)
雇用形態のいかんを問わず、期間を定めず常時雇用される労働者。

2020年6月23日火曜日

蛍の光

寝る前に涼しい風に当たろうかと外に出ました
風はありませんが少し涼しいようです
月が西の山に沈もうとしています
暗がりに蛍が飛んでいます
久しぶりに光を見ました

『不便益のススメ』 川上浩司

ポーランドで民主化が成功する前夜(1980年代)の不便だった思い出を、友人は語り出しました。食料配給にまず早起きのお婆ちゃんが並び、次に学校へ行く前の自分が交代し、学校へ行く時間頃にお母さんが交代しに来るのが、毎日の日課だったそうです。今の日本ではあり得ない光景です。効率化最優先の社会では、忌避すべき状況です。ただ、ポーランドの友人は、この状況を嬉しそうに語るのです。家族の結束は、この時が一番強かったと。この時は、お婆ちゃんも僕もお母さんも、誰一人として家族からかけてはならない存在だと、みんなが思っていたんだと言っていました。

・・・

あちこちにあるコンビニ・自動販売機・夜遅くまで開いているお店に違和感があり、生きづらいと感じる。その理由を二人(著者とニュージーランドから帰国したばかりの同僚研究者)で考えてみたところ、便利が前提になっている社会は個人が不便益を得ることを許してくれないからではないかと結論しました。

・・・

不便なことだらけのわたしの自転車旅がなぜとても楽しいのかこの本を読んで考えました

「主体性」
旅のかたちは色々です
団体旅行、パック旅行、現地解散・現地集合の往復旅行、などなど。
自転車旅は家を出てから、帰ってくるまですべて自分がしたいようにする旅です
そこには不便がたくさん詰まっています

例えば自転車を入れた重たい袋を家から空港まで運ばなくてはなりません
たったこれだけのことですら時間や費用や労力のかかり方が違ういろんな方法があります
旅にまつわるそんな一切合切を自分の考えに沿ってなんとかしていくこと
それをやり遂げることが快感なのです

「工夫できる」
アムステルダムという魅力的な都市に何日も滞在して観光したいと思いました
街の中心部にキャンプ場はないしホテル代は高いです

南へ自転車で15㎞ほど走ったところにあるキャンプ場に泊ることにしました
市の中心部に自転車で行きそのままいろいろなスポットを見て回りました

中心部を往復するコースを変えただけで道沿いに面白いものをいくつも発見しました
かわいらしい跳ね橋や土地の人に人気なレストランや古い運河沿いの自転車道...

旅の最終日も自転車に乗ってしめくくりました
キャンプ場から日本へ飛行機が飛び立つスキポール空港へはわずか11㎞でした
離着陸するジェット機の下を潜り抜けて空港ターミナルまで走りました

「発見できる」
スマホを持っていないので紙の地図を頼りに道をたどり名所やキャンプ場を探しました
夕方遅くやっと見つけたキャンプ場が廃業していたこともありました。
何度何度も道を間違えました。

こんなわけで面白いところに出くわしたときの喜びや驚きはひとしおです
ライン川のレマーゲン鉄橋の博物館やドナウ川のエステルゴム大聖堂などがその例です

わからないことは現地の人に尋ねることにしています
聞かれた人たちはたいていは親切に教えてくれます

「対象が理解できる」
2017年にはライン川をアルプスの山中から北海の河口まで
2018年にはロアール川を地中海に近い中央高地から北大西洋の河口まで
そして2019年にはドナウ川をシュバルツバルトからブダペストまで

源流から河口へ向かって走ることにで広大な地域を連続的にたどることになります
こうすることその土地をより密接に感じることができ理解した気になれます

「不安がなく信頼できる」
自転車旅はエージェントを通さずに自分で企画し実践する旅です
日本から現地往復のための飛行機や列車以外は自転車で行きます

地面の上を走っていくことに困難はあっても得体のしれない不安はありません
不確かな第三者に依頼するより自分でやる方が安心も信頼も(諦めも)できます

「上達できる(飽和しない習熟)」
最初の海外自転車旅ではちゃんと日本に帰ってこられるか不安でした
その旅を毎年3年続けてそれなりに思いもしなかった楽しい経験ができました

もっといい旅ができたかもしれないと今は思います
現地の言葉や地域文化をもっと理解できるようになっていたらよかった
だからこれからはもっといい準備をして旅に出ようと思っています

「自分だけの旅を創った感」
自転車旅は自分だけのものです
自分の心と体を使いつつ出会った人と共感しながら走り続ける旅です
それを完遂したあとの喜びはとても大きいです

「能力低下を防ぐ」
自転車旅では荷物をどっさり積んだ自転車を漕ぎます
毎日毎日山坂のある初めての道を一日80㎞ぐらい走ります
目的地についたら観光したり買い物したりキャンプしたりします
このように絶えず五感五体を駆使する旅は心身をすっかりシェイプアップします

これからも自転車旅の不便をなんとかしながら自らの視野を広げていきます


2020年6月21日日曜日

写真で見る日本生活図引『村の一年』熊谷元一写真 須藤功編

日本人の生活の原点を見詰め直すための、これ以上の資料はないのではないかと思う。自動車はもとより、電燈とラジオの外に、家庭電気製品と名のつくものは何もない生活であっても、決して貧しかったわけではない、ということが伝わってくる。豊かさの初めに掲げるべき思いやりの心を、家族も村人も等しく持っている。それぞれが自分の時間を守っていることも、写真のそこかしこに読むことができる。

撮影は昭和31年6月21日から始まった。

多くの農山村がそうであるように、阿智村も、昭和30年代後半からの高度経済成長期の変動は大きかった。

昭和30年代後半から全国的な傾向になる省力による能率化、いわゆる農業の機械化である。機械化の発端と、それによってもたらされた変化は、村によってそれぞれ異なるが、ほぼ共通しているのは、機械と一緒に金を必要とする生活が農家にもはいってきたということである。むろんそれまでも金を必要としなかったわけではないが、必要最小限度にとどめ、農家が大きな経済の渦に巻き込まれることはなかった。これは、供出米の外は、自分の家で食べる食料の確保、いうならば食糧の自給のために働き、それが満たされれば十分というのが、多くの農家の営みだったからである。そこにはいってきたのが、車、テレビ、家庭電化製品、家具、服などの新しい生活用品である。これらは、供出米と繭の代金、それにわずかな雑収入だけではとてもすぐに買うことができない。しかし手に入れないと時代遅れになる。その感覚が村の変動の一つの要因となる。

夏 太陽の下の日々
農作業がほぼ自然と共にあったころには、暑い季節には暑く、寒い季節には寒くというのが農家にとっては望ましいことで、これによって作物がよく育つと考えられていた。

蚕飼い(こがい、養蚕)は、天候や生糸相場など、収入に不安定な要素が少なくないが、繭を出荷しさえすればとにかく金になるという現実は、農家にとって他に替え難いものがあった。

農家のもう一つの収入源は米である。

一つだけいえることは、汗を流すわりには、米の収入は少ないということである。これは今も変わりないが、それでも昭和30年代前半までは、少ないなりに農家は農業で生活できた時代だった。

2020年6月15日月曜日

『技術への問い』 マルティン・ハイデッガー

茅葺きはAIなどに比べれば桁違いに素朴でアナログな技術です
シンプルな技術だからこそ技術というものの本質をありありと見せてくれます

茅葺きの材料はその辺の空き地によくボウボウと生えている茅です
茅とはチガヤ スゲ ススキなど屋根葺きに使う草の総称です
この茅を使って屋根を葺く技術が茅葺きです

茅葺きの屋根は長年にわたって家を護ってくれます
夏の日差し 台風の雨風 冬場の雪に10年も20年も耐え抜く力が茅にはあります
ただの草に見える茅は屋根材として適切に使われた時に驚異的な力を発揮するのです

技術の本質は素材となる自然をいじくりまわしてそこから何かを作ることではありません
自然の中にあるいろいろな力をただこちら側に持ってくることにあるのです

2020年6月12日金曜日

『<郊外>の誕生と死』 小田光雄

1955年に始まる高度成長は、農耕社会から重工業社会へと産業構造を転換させていく過程であり、その後四半世紀のあいだに起こる「日本人の1.6倍」というドラスチックな人口移動の開始を告げるものであった。

地方から都市へ 都市人口 1890年   7.8%
             1955年 56.6%
             1975年 75.9%

郊外化
1955年以降「5年ごとに人口増加のピークが10㎞ずつ郊外化してきた」

産業構造の転換        1960年  1970年  1974年
        第一次産業   30.2   17.4   12.9
        第二次産業   28.0   35.1   36.3
        第三次産業   41.8   47.5   50.8

1973年から1975年にかけて日本の社会がモノを生産する社会からモノを消費する社会へと突入した
あらゆるものの価値や思考が生産の側から消費の側に転換した 

2020年6月10日水曜日

バイカウツギ

きれいだなあと毎年眺めていた花が今年はことのほかよく咲きました
ひかえめないい香りがします
名前を知らなかったので調べてみました
バイカウツギのようです
「夏は来ぬ」という歌が好きです
その歌い出しは「うのはなの におうかきねに」ですね
この「うのはな」はバイカウツギのことかなと思いました

2020年6月2日火曜日

マルベリー(桑の実)・ジャム

6月が近づくといつもの自転車散歩のコースに異変が起きます

ロードバイクで散歩するときは、いつも前方の路面を注視しています
タイヤが細い(幅23ミリ!)ので荒れた路面には弱いからです
溝だとか、砂利だとか、水たまりだとか
それにハマって何度転倒したことか・・・

自転車道の路面の異変は土留め色に広がる物体?
正体は桑の実です!
たわわに稔った桑の実が自重を支えきれなくなったとき自転車道に落下するのです

走るのには邪魔ですが、迷惑ではありません
これでおいしいマルベリー・ジャムを作れるからです
作り方はとても簡単です

ーマルベリー・ジャムの作り方ー
・桑の実を水を何回も替えて良く洗う
・桑の実の半分の重さの三温糖を加えて煮る
・桑の実200gにつき大さじ1杯のレモン汁を用意する
 (レモン汁は「裏わざ」で搾ると楽です)
・トロトロ(堅くなる前)の状態でレモン汁を加えて軽く煮る
・熱いうちに煮沸ずみの容器に入れる
・冷蔵庫で保存する
朝のヨーグルトにトッピングすると、しあわせが長持ちします