2018年7月14日土曜日

『定年おめでとう』 渡辺格



筆者が68歳のときの著作です
この方の父は東大のフランス文学の教授でした
ご自身も東大でフランス語を勉強したあと大手航空会社に就職しました
組織の中で働くのが心底いやだったようで定年後の自由な暮らしを只管待ち望んでいました
この経歴からすると退職後も経済的にはほとんど問題なかったことと思います
都区内に持ち家もありましたからね
もっともその建て替えにあたっては

「私がつけた注文はただ三つ、断熱材を豊富に用い、風通しがよく、二重窓にするというだけのことで、建材などは一切指定しなかった」

ということで決して豪壮なすまいではありません

健康上の理由で57歳で会社を早期退職したときはさぞかし嬉しかったのではないかと推察します

「…無駄な会議の席に目をこじ開けて着席している苦しみ、絶好の釣日和をよそに書類を作るせつなさ……これらの苦痛は完全に過去のものとなった」

と快哉を心の中で叫んだのではないかと思います

この方の一日のスケジュールは次の通りです

七時半 起床
八時 座禅、読経、腰痛体操、真向法
八時半 食事
九時 拭き掃除
十時 ゴミ燃やし、庭を見て回る
十一時頃 読書など
十一時~十二時 青竹踏み
十三時 昼食
十四時 午睡
十四時半~十六時 読書あるいは庭仕事
十六時 散歩、腰痛体操、真向法
十七時 入浴
十八時 夕食
十九時 テレビで野球観戦
二十二~二十三時 就寝

このスケジュールからはとりたてて楽しそうな生活の様子は想像できません
この方がこのような生活に満足しているのはつぎの言葉からうかがい知ることができます

「彼岸に渡るまでに残された定年後の人生こそが、私にとって一番輝ける瞬間なのであろう」

この人には「園芸」「釣り」「犬」の三つの趣味があります
定年後は趣味が三つぐらいあればたいがい退屈せず毎日を過ごせると思います
一つでは単調だし五つも六つもあると時間もお金も足りないということになります

この人には奥さんがいてその存在を相当に気にかけている様子です

「全ての幸せの裏には、それだけの不自由が存在するのだ。家庭内外のいさかい、掃除の手間、余分な出費…」

それでも日々を楽しんでいる様子をつぎのように書いています

「好きな時、長椅子で横になれるとは何たる贅沢であろうか。気力充実し、条件が良いと見ればいつでも出漁できる。海に出るには風が強すぎれば、菜園の手入れをする」

そして

「このような私の生き様にいささかの賛意を表してくださる方々のために、この本を書いた」

とあります
このような退職後の人生が良いか悪いかについては人により意見の分かれるところだと思います

「世の中には、それは「良い」あるいは「悪い」という二者択一を迫る言葉が氾濫しているが、本来、すべての善悪には、何を前提としてそれを論ずるか、という基礎を明確にしなければ意味はない」

人の定年後を「良い」か「悪い」かという視点で評価するのは誤ったことです。
定年後の価値はその人自身が決めるものだと思うからです

2018年7月11日水曜日

『健康診断を受けてはいけない』 近藤誠



「安全に長生きするためには、健康なときには検査を受けないこと、医者に近づかないことに尽きます。検査が、アリ地獄に落ちるきっかけになるからです」

厚生労働省が健康診断の受診を勧める政策を推進したので近年がんの発見率が高まりました
ところががんによる死亡者数は減少していません
がん患者は増えているのにがんで死ぬ人の数はほとんど変わっていないのです
がん検診とがん治療にかかる費用と時間が増大する一方で効果は表れていません

では検査を受けないほうがいい健康なときとはどんなときでしょうか?

「元気で体調がよく、ご飯が美味しくて、日常の生活動作に不自由がないときです」

これであればかなり多くの人が健康診断は受けなくていいことになりますね

「年をとれば腰の痛み、膝の痛みなど、多少の不具合が生じてくるものです。それらは老化現象なので、多少の症状があっても、元気に生活できていれば、やはり健康であるのです」

健康診断を受けないでいたらある日自治体から検診を勧める電話がかかってきました
もし受ける気がない時はどうしたらいいでしょう

「検診を受けたら寿命がのびるという確実なデータがありますか?」
「受けたら健康になると保証してくれますか?」

などと問い返すと二度と電話はないようです

「健康には、追い求めると不健康になるという背理ががあります。そして健康な人が長寿を願うと、クスリや手術で命を縮めかねない矛盾があります」

「健康長寿を目指すなら、医者と医療を信じることをやめることです」

「私たちにとって大切なのは、自由に生きる、なにものにも煩わされずに生きることではないでしょうか。そのためには死ぬまで、やまいから解放される必要があるはずです」

まったく深く頷くしかありません
そして最後にきちんとまとめていただいています

「もし人々が、そのことに気づき、考えを変えれば、多くの病気から今すぐ解放され、医者たちの呪縛から逃れることができます。
 そして、やまいを心配するかわりに、今日一日を楽しみ、生きていることと、自分を生み出してくれた宇宙に感謝し、明日への希望を心にともしましょう。
 長寿というのも、一日一日の積み重ねでしかありません。10年先、20年先をあれこれ案じるよりも、一番大切な今日という日を楽しく暮らすことに集中しましょう。
 そして天地の摂理に身をゆだね、あるがままに日々を過ごして老いを迎え、やがて枯れるように大地に還っていく。
 そのような心構えを持つことができれば、医者や医療に頼るよりも確実に、健やかで安全な人生を送ることができます」


2018年7月10日火曜日

『穏やかな死に医療はいらない』 萬田緑平


もし医師からがんを宣告されたらこう願うでしょう

なんとかがんを治して身体から消してもらいたい
それが無理であれば一日でも長生きできるようにしてもらいたい

いまどきの人として当然の願いかなと想像します
がんになるともう普通の生活を送ることが難しくなると思うからです
がんになればもう長く生きることはできないだろうからです
直観的にそうに思うのではないでしょうか
これと呼応するような医師の職業観が紹介されます

「病院の医師にとって治療の目標は患者さんにとっていい人生を送ってもらうことではなく、少しでも長生きさせることです。「医師の仕事は治してあげること」という思考が染みついていて、これを生きがいとして仕事をしています」

これは「がんですよ」と言われた人の願いと矛盾しませんから問題ないように見えます
がんを治して消してくれて長生きができるのであればそれに越したことはありません
このような前提でがん検診やがん治療が行われています
その有効性はどのようでしょうか

効果のないがん治療のために多くの人が精神的、身体的、経済的に苦しめられています
その典型が抗がん剤治療です

「がんを退治してくれる可能性もある反面、劇薬でもあります。もし健康体の人ががん患者さんと同じ抗がん剤治療を受け続けた場合、おそらく数年以内、抗がん剤やその人の体質によっては、数週間で亡くなってしまうことでしょう。抗がん剤治療とは、体中に毒ガスを撒くようなものです」

抗がん剤治療とはがんとがんを宿す身体を共に痛めつけ命を縮めてしまうものなのです

「この治すことの真逆にあるのが緩和ケアです。さらに言えば、在宅緩和ケアは医療設備ゼロの自宅でこの真逆のことをやるのです。先端医療を実践している病院医師の感覚と僕たちがしている医療は、なかなかなじまないかもしれません」

緩和ケアとは残された人生を自分らしく生きる支援コースのことをいいます
死に直面した患者さんやそのご家族の心身の痛みを予防したり和らげたりすることです
病院医師から在宅緩和ケア医への橋渡しをうまくやることがたいせつです

「今あるエネルギーを一番効率よく使うのであれば、身体の訴えを信じ、枯れるようにやせていくのが一番です。もちろん、その先には必ず死があります。けれどもその自然の流れに乗れば実はもっと長生きができるし、苦しくもありません」

このことをどのくらいの病院医師が認識しているのでしょうか

「死を認めれば、死は苦しくなく、むしろ少し長く生きられる。死を認めなければ、死は苦しく、命は短くなる」

緩和ケアの情報はつぎのところで得られます
・各都道府県の在宅緩和ケア支援センター
・公的機関
・NPO団体

2018年7月9日月曜日

スズメバチの巣を駆除

一入亭に来ています
地上波デジタルテレビの受信状態が良くないのでアンテナを点検することにしました
風が吹いたり雨や雪が降ったり樹木が繁茂したりすると受信状態が悪くなるのです

アンテナは放送中継局の方向に向けて後中門の軒下、地上から約4mの高さに設置してあります
外壁に梯子を掛けてなにげなく上を見るとアンテナの奥に丸いものが見えました
直径が15㎝ほどの短楕円形で表面に三日月形のまだら模様があります
下端部には直径2㎝ほどの穴が開いていて時折大きな蜂の顔がのぞいています
小さいながら間違いなくスズメバチの巣ですね
スプレー噴射で巣の外側が破れました


ミツバチやアシナガバチは比較的おとなしいですがスズメバチは攻撃的です
簡単に叩き落すわけにはいきません

スズメバチの巣の駆除方法をウェブで調べてみました
巣が小さいうちは自力でも駆除できるが大きい場合は専門業者に依頼したほうが無難なようです
依頼すれば間違いなく1,2万円はかかるでしょう
この出費はスズメバチに刺されのと同じくらい痛い(かもしれない)
あの巣はまだ小さいと判断して自分で駆除することにしました

ホームセンターで次のものを購入しました
・蜂の巣駆除用のスプレー 2缶
・雨具上下
・頭にかぶる防虫ネット
・赤い下敷き

まず懐中電灯と駆除用スプレーを下準備しておきます
・懐中電灯の先端には赤い下敷きを丸く切って粘着テープでとめる
・駆除用スプレーのストッパーをはずしておく

すべてのスズメバチが巣に帰りおとなしくしているであろう21時に出動しました
いでたちは次の通りです

・厚手の長ズボンの上に雨具の下をはく
・長靴を履きその上に雨具の裾をかぶせて紐ですねのところをしばる
・雨具の上の背中にある通気口を粘着テープでふさぐ
・厚手のシャツの上に雨具の上を着てへその上あたりでバンドをしめる
・タオルでほっかむりして雨具のフードをかぶる
・フードの上から帽子をかぶりさらにその上に防虫ネットをかける
・革の手袋をして袖口を雨具のマジックテープでふさぐ
・左手に懐中電灯、右手に駆除用スプレーを持つ

いよいよ駆除開始です
・懐中電灯で巣の位置を確認してから静かに梯子を登ります
・巣のした約1mから巣の下端の穴めがけてスプレーを噴射します
・穴から次々と成虫が落ちてきます
・かまわず噴射し続けていると巣の外側が破れました
・すべての成虫が落下したのを確認してスプレーの噴射をやめます

翌朝梯子の下にスズメバチの死骸を見つけました

顔や腹の模様の特徴からするとコガタスズメバチのようです
スズメバチとしては中型で威嚇性・攻撃性は高くないとのこと
巣を襲われると激しく攻撃してくるため日本では被害例が多いそうです

営巣の初期段階で見つけてよかった

なお、テレビの受信状態が悪いのは中継放送局とアンテナの間の立木が茂ったためのようでした

2018年7月7日土曜日

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 中村仁一


この中村仁一さんという人の言うことはとても歯切れがいいです
長いこと医者をしてきた経験の上に立ってものを言っています
それなので曖昧な物の言いかたをしません

はっきりと言いすぎてはいませんかと思うこともあります
たとえば

「がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいきます。以前から「死ぬのはがんに限る」と思っていましたが、年寄りのがんの自然死、60~70例を経験した今は、確信に変わりました」

と書いています
これが本当であるなら随分と救われます
本当でしょうか?

「死ぬのはがんに限る」という大胆な結論を導くのに60~70例で十分なのか分かりません
若干少ないような気もします
医者一人でそんな何千例も経験できるわけはありません
この人はそれで確信したんですね

人には自然治癒力があるのだから少々のケガや病気は放っておいても治るとのこと
がんになって最期食欲がなくなったら点滴も何もせずいれば7日から10日で亡くなるそうです
それも苦しまずに眠るように亡くなるのだそうです

このような死を自宅で迎えるためのいくつかの条件を示しています
1.在宅で死にたいという本人の意思、希望、決心
2.家族に「看取りたい」という意欲があり、体力、時間があること
3.在宅死に理解のある医者や看護師、ホームヘルパーなどの協力が得られること
4.住環境、できれば専用の個室が欲しい

これはテクニカルなことですが死生観についても述べています

「長生きも結構ですが、ただ長生きすればいいというものではないでしょう。どういう状態で生きるかが重要だと思うのです。私自身はぼけたり、いつ死ねるかわからないままの寝たきりや植物状態で生かされているのは願い下げです」

「「自分の死」を考えるのは「死に方」を考えるのではなく、死ぬまでの「生き方」を考えようということなのです。すなわち、いのちの有限性を自覚することで、「今こんな生き方をしているが、これでいいのか」と現在までの生活の点検や生き方のチェックをし、もし「いいとはいえない」というのなら、軌道修正を、その都度していこうということなのです」

人類の進歩とは苦悩する人々へしあわせへの道筋を示すものであってほしいと願っています
このことについて中村さんはこう言っています

「本来、苦悩は自分で悩んで苦しんで、時間をかけて乗越えていくしかないものではないでしょうか。誰かが代わって苦悩を解決してくれるわけではありません」

時間をかけて苦悩を乗越えていきなさいと言っているのですね
人生最後の苦悩である「死」について「死ぬのはがんに限る」と言い切ったのはすごいです
この言葉に多くの人が救われた気分になったのではないでしょうか

おしまいに次の言葉はこころにストンと落ちました

「人は誰しも、自分の過去を眺めた時、今、自分がここにこうしてあるのも「あのことがあったから」「あの人と出会ったから」という転機となった出来事が5つや6つはあるはずです」

それをまとめておくと

「目をつぶる瞬間、「いろいろあったけれど、そう悪い人生ではなかった」と思え、親しい周囲との永遠の別れに対しても感謝することができ、後悔することが少なくてすむ」

そうです

2018年7月3日火曜日

『定年バカ』 勢古浩爾


世の中に定年本があふれています
定年本とは定年後をどう生きるかについて書かれた本です
内容は健康、お金、生きがいなど多岐に渡ります
定年本が良く売れるのは定年になることに戸惑っている人がたくさんいるからに他なりません

このような傾向を揶揄し、たかが定年ぐらいでがたがた騒ぐなバカ、と著者はいいます
定年本の多くがいかに読むに値しないかを具体的な例をあげてズバズバと切ります

多くの定年本では退職後の「いきがい」を見つけ日々を「充実」させるための一般論が説かれています
それに対して著者は普遍的な「いきがい」や「充実」というものはないといいます
一人ひとり経歴、性格、お金、健康、家族、勤務先、交友は絶対にちがうからです
もし「いきがい」を欲するのであれば「自分自身でつくらないと」いけないと著者は主張しています

定年になってからも健康であることに越したことはありません
定年本の中では健康診断を毎年受けることを進めている場合が多くあるといいます
日常生活に支障がないにもかかわらず健康診断を受けて病気とされるケースがあるそうです

定年本ではお金のことも重要なテーマになっています
そこで扱われているのは多く官庁や大企業を定年になったような人です
恵まれた退職金や年金が保証されている人々です
個人事業者や零細企業に勤めていた人のことはほとんど出てきません

定年後をどう生きるかは定年本の一般論では具体的に決めることはできません
それぞれがそれぞれの置かれた状況の中で自分の意思に基づいて決めることです
そのようにして決められたものであればそれがどのような形であっても構いません
このように著者は言っています