筆者が68歳のときの著作です
この方の父は東大のフランス文学の教授でした
ご自身も東大でフランス語を勉強したあと大手航空会社に就職しました
組織の中で働くのが心底いやだったようで定年後の自由な暮らしを只管待ち望んでいました
この経歴からすると退職後も経済的にはほとんど問題なかったことと思います
都区内に持ち家もありましたからね
もっともその建て替えにあたっては
「私がつけた注文はただ三つ、断熱材を豊富に用い、風通しがよく、二重窓にするというだけのことで、建材などは一切指定しなかった」
ということで決して豪壮なすまいではありません
健康上の理由で57歳で会社を早期退職したときはさぞかし嬉しかったのではないかと推察します
「…無駄な会議の席に目をこじ開けて着席している苦しみ、絶好の釣日和をよそに書類を作るせつなさ……これらの苦痛は完全に過去のものとなった」
と快哉を心の中で叫んだのではないかと思います
この方の一日のスケジュールは次の通りです
七時半 起床
八時 座禅、読経、腰痛体操、真向法
八時半 食事
九時 拭き掃除
十時 ゴミ燃やし、庭を見て回る
十一時頃 読書など
十一時~十二時 青竹踏み
十三時 昼食
十四時 午睡
十四時半~十六時 読書あるいは庭仕事
十六時 散歩、腰痛体操、真向法
十七時 入浴
十八時 夕食
十九時 テレビで野球観戦
二十二~二十三時 就寝
このスケジュールからはとりたてて楽しそうな生活の様子は想像できません
この方がこのような生活に満足しているのはつぎの言葉からうかがい知ることができます
「彼岸に渡るまでに残された定年後の人生こそが、私にとって一番輝ける瞬間なのであろう」
この人には「園芸」「釣り」「犬」の三つの趣味があります
定年後は趣味が三つぐらいあればたいがい退屈せず毎日を過ごせると思います
一つでは単調だし五つも六つもあると時間もお金も足りないということになります
この人には奥さんがいてその存在を相当に気にかけている様子です
「全ての幸せの裏には、それだけの不自由が存在するのだ。家庭内外のいさかい、掃除の手間、余分な出費…」
それでも日々を楽しんでいる様子をつぎのように書いています
「好きな時、長椅子で横になれるとは何たる贅沢であろうか。気力充実し、条件が良いと見ればいつでも出漁できる。海に出るには風が強すぎれば、菜園の手入れをする」
そして
「このような私の生き様にいささかの賛意を表してくださる方々のために、この本を書いた」
とあります
このような退職後の人生が良いか悪いかについては人により意見の分かれるところだと思います
「世の中には、それは「良い」あるいは「悪い」という二者択一を迫る言葉が氾濫しているが、本来、すべての善悪には、何を前提としてそれを論ずるか、という基礎を明確にしなければ意味はない」
人の定年後を「良い」か「悪い」かという視点で評価するのは誤ったことです。
定年後の価値はその人自身が決めるものだと思うからです