前穂高岳北尾根にて 1984年8月 |
いまの自分はどのようにしてこんなふうになったのだろうか?
わかったら面白いかもしれないけれど、わかりません
たぶん、人生のいろいろが積もり重なり、何かの反応を起こしこうなったのかなと思います
そうとしか考えようがないといったほうがいいかもしれません
これまでのいろいろの中には、良いことも、悪いことも、数え切れないほどありました
多くは忘れてしまいましたが、何かの拍子に思い出すいくつかがあります
Kさんとの滝谷登攀もそのひとつです
滝谷は北アルプス北穂高岳の西側に広がる急峻な岩場です
滝谷と聞いただけで身の引き締まる思いがしたクライマーも少なくないでしょう
わたしもそんな一人でした
大学3年の秋にわたしを滝谷に誘ってくれたのはKさんでした
Kさんはわたしの高校時代の山岳部の顧問でした
顧問というのは、部員である生徒の指導を自主的に希望した教員のことです
わたしはもう一人の顧問のMさんと翌年にヨーロッパ・アルプス行きを控えていました
Mさんとわたしはすでにそのトレーニングのための岩登りに数回出かけていました
そんな折にKさんから、Mさんとどんなルートを登ったのかたずねられました
わたしはこれまで登ったルートをいくつかあげました
いずれも初心者向けのルートでした
Kさんはそれを聞くとしばらく考えて、「おれが滝谷につれていってやる」と言いました
Kさんは普段から忙しく、体調も十分には見えません
それなのに大丈夫かな、と思いました
それでも滝谷へ行きたい気持ちは強く、有り難く連れて行ってもらうことにしました
Kさんとの滝谷クライミングには北穂高岳山頂の小屋をベースにしました
そこへ至る尾根にはナナカマドの実がもう真っ赤に色づいていました
このあたりでは毎年9月中旬ころから初雪を見るのです
ときおり赤い実に目をやりながら、わたしはゆっくり歩くKさんのあとをついていきました
初日の午前は、滝谷の入門コースとして人気がある第4尾根を順番待ちしながら登りました
午後は中級向けの第2尾根P2フランケ早大ルートを充実感をもって登りました
翌日の午前が早くも今回最後のクライミングでした
Kさんは中級向けのドーム西璧雲表ルートを選びました
早朝に小屋を出て、スタート地点にどのパーティーよりも早く着きました
Kさんがトップで登攀を開始しました
わたしはセカンドとしてその場で確保姿勢をとります
トップがスリップした場合、ロープを引いて転落を食い止める役です
Kさんは岩の感触を確かめるように慎重に登りはじめました
10メートルほど登るともう確保地点からはKさんの姿が見えなくなりました
そして順調に繰り出していたロープの出が遅くなりました
Kさんがどうしているのか様子がわかりません
わたしが確保をしている場所は日陰で、冷たい北風も吹きつけてきます
30分以上同じ姿勢でじっとしていると、体が冷えきってガタガタと震えてきました
Kさんは一体何をしているのだろう?
こちらは寒さに耐えながら待っているのに、登攀をゆっくり楽しんでいるのだろうか?
そんな気持ちまで起きて、つい「どうしたんですか?」とKさんに何度か声をかけました
ようやくKさんから「登って来い」とコールがきたので、わたしは登りはじめました
するともうさきほどのイライラは消え失せて、調子よく登れました
Kさんと何度かトップとセカンドを交代して無事ルートの終了点につきました
ドームの頂上で登攀具を片付けていると、Kさんが言いました
「確保をしている時には、パートナーの命を預かっていることを忘れてはいけない」
たとえ姿が見えなくてもトップにはセカンドの様子が分かるのです
それはセカンドに自分の命を託しているからです
セカンドはつねにトップの万が一に備えていなければならないのです
Kさんにはわたしが確保に集中できていないことがよく分かったのでしょう
わたしが集中できなかったのには他にも理由がありました
わたしにはKさんよりも自分の方がうまく登れるという慢心があったのです
そのためKさんがトップで登り、行き詰っていることに耐えられなくなっていたのです
昨日中級レベルのルートを初めて登ったわたしは、早くも有頂天になっていたのでした
そんなわたしを諫めてくれたKさんは2003年に早逝してしまいました
ナナカマドの実が今年も色づく頃になりました
追伸
滝谷ドーム西璧雲表ルートをネットで検索してみました
なんと2000年頃にルートの下部が崩落し、ルートが失なわれてしまったようです
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