世間の常識として「集中力は大切」というのがあります
ここに偽りがあると自らの経験から解き明かす森さんの本です
まずなぜ世間の人は偽りの常識を信じてしまうのでしょうか?
「空気を読むことで多数派に入ろうと必死になっている人たちは、多数派であることに価値があると信じている」
多数派になりたい人は常識が真実であろうとなかろうとそれは常識だから信じるのです
このような常識は世の中にはたくさんあると直感的に思います
「自分の問題を解決するのは自分であり、自分で考えた手法は、その後も自身の拠り所になる」
わたしは永く勤めた仕事を退職した頃に自分の人生の出来事を時系列で振り返ってみました
具体的には自分にとって大切なライフ・イベントを可能な限りピックアップしたのです
すると記憶や記録に残っているイベントは1,000ほどありました
しばらくある種の感動をもってそのリストを眺めました
あんなこともあったなあ、こんなこともあったなあ、と・・・
その感動が過ぎてから今度はそのリストをもっと冷静に見てみました
すると1,000のイベントの生起にはひとつのパターンがあるような気がしました
そこに自分なりの処世のしかたがあったのではないか、と・・・
それは本当かと問われれば自信をもって「ハイ」とは言えません
言えないけれども自分はこのリストにあるように生きてきたのは間違いないのです
これが「自身の拠り所」なのかもしれません
この「拠り所」についてわたしは『砂のメダイユ』で書いていこうと思います
0 件のコメント:
コメントを投稿