2022年9月17日土曜日

『日本詩歌の伝統』川本皓嗣

この方は七五調で詠われる日本の詩歌の特色として三つのことを指摘しています
専門用語でなく言えば「決まりことば」と「俳句のことば使い」それに「音のリズム」です
この伝統が(私を含め)市井の人々の間に今も深く染み込んでいることに驚きます


夏の暑さがまだ収まらないそれでいて秋の兆しを感じ始める頃によく聞くぼやきがあります
多くは女性の「もう夏が終わり秋が来てさびしい」というような言葉です
毎年誰かがこのようにぼやくのを私は聞いてきました

「秋はさびしい」ともう1,000年以上も前から日本の詩歌に歌い込まれています
ずっと昔から秋はさびしいものと詩歌の世界では決まっているのです
景気のいい秋とか華々しい秋というのはこと日本の詩歌ではありえないのです

この決まりごとは長い間に詩歌の世界だけではなく一般庶民にも浸透しました
何しろ名歌はことごとく「さびしい秋」を歌っているわけですからみんなそう思うわけです
秋はさびしいものなんだなと

四季折々が好きな私でもススキの穂が出始めたのを見て「さびしい」と思うことがあります
もう秋になってしまったと


俳句はとりわけ芭蕉に惹かれます
芭蕉に惹かれない人の方が少ないのではないかと思うので珍しいことではありません
芭蕉のことば使いはとても面白いので私も時々真似して駄句をひねり出しています
恥を忍んでそのいくつかを掲げてみます

この道や行く人無しに秋の暮れ 芭蕉
オサカナのオの油濃き秋の暮れ 一入亭
あらたふと青葉若葉の日の光  芭蕉
あらたふと暮らしに活きるetc. 一入亭
旅に病んで夢は枯野を駆け巡る 芭蕉
手仕事を御師に枯野を愛で歩き 一入亭

俳句というより川柳になちゃってますがこんな具合に使わせていただいています
言葉で遊ぶというのはとても面白いものです
こんなことができるのも多く残された秀逸な詩歌があればこそです


最後に音のリズムです
これはもう独特のものでこの良し悪しで詩歌のイメージは根本的に変わってしまいます
というのも七五調の詩歌にはそれを朗誦するルールがあるからです

今はだいぶ廃れてしまいましたが数十年前は正月に百人一首で遊びました
その中で七五調の詠み方が伝えられたのです


このような日本詩歌の伝統は人々の間に今もかろうじて息づいています
ところが昨今のことを考えるとちょっと気持ちが暗くなります
みんなゲームばっかりやってるから日本詩歌の伝統は早晩消えてしまうのではないかと

そう思うのは早とちりであることを願います
そして誰かがこの本とはまた違う視点から伝統の在り処を探し出してくれるとうれしいです

きっとそうあってほしいと願いつつ箸をではなくペンをおきます
というかキーボードを打ち止めにします
(最後のフレーズがしまらなくて残念です)

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