表札
自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。
自分の寝泊りする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。
病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。
旅館に泊っても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場の罐にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?
様も
殿も
付いてはいけない、
自分の住むところには
自分の手で表札をかけるに限る。
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。
貧しい町
一日働いて帰ってくる、
家の近くのお惣菜屋の店先きは
客もとだえて
売れ残りのてんぷらなどが
棚の上にまばらに残っている。
そのように
私の手もとにも
自分の時間、が少しばかり
残されている。
疲れた 元気のない時間、
熱のさめたてんぷらのような時間。
お惣菜屋の家族は
今日も店の売れ残りで
夕食の膳をかこむ。
私もくたぶれた時間を食べて
自分の糧にする。
それにしても、
私の売り渡した
一日のうち最も良い部分、
生きのいい時間、
それらを買って行った昼間の客は
今頃どうしているだろう。
町はすっかり夜である。
定年
ある日
会社がいった。
「あしたからこなくていいよ」
人間は黙っていた。
人間には人間のことばしかなかったから。
会社の耳には
会社のことばしか通じなかったから。
人間はつぶやいた。
「そんなこといって!
もう四十年も働いて来たんですよ」
人間の耳は
会社のことばをよく聞き分けてきたから。
会社が次にいうことばを知っていたから。
「あきらめるしかないな」
人間はボソボソつぶやいた。
たしかに
はいった時から
相手は会社、だった。
人間なんていやしなかった。
花のことば
昔々 立身出世という言葉がありました。
それはどういうことですか
意味はさっぱりわかりません
咲いている花が 尚その上にお化粧することを考えた
そんな時代の言葉です。
しあわせなことに私たち
唯 咲くことに一生懸命
いのちかたむけて ひらくばかりの私たち。
いくさの季節
爆弾が炸裂して
人間の顔や手足がちぎれ飛び
血がどろどろと流れ出るような
そんな報道から
鼻をつまみたくなるような
臭気が発散しはじめると
わきが病みが
夏、自分のからだに
香水をふりかけるように
あわてて天使だの
勇士、だのと書きたてる、
ああ あの安香水の
ふんぷんたる季節が
すぐ、そこに来た。
犬
シロや
シロや
私はお前が好きだ。
この隣家の犬
責任のない愛の身軽さよ
その身軽さが飛びついてくるようだ。
シロ、
お前のよごれた足をかかえ
おお
愛はこんなのでよい
こんなのでたくさんだ、と思う
家は重すぎる
いかにも重すぎる。
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