写っているのは私ではありません 写真埼玉新聞 |
2022年3月27日日曜日
2022年3月24日木曜日
春迎え
春迎えというのは茅葺屋根に掛けたシートを外し雪囲いの板を外す作業のことです今年は例年になくシートがきちんと掛かったまま春を迎えられました
シートが掛かっていれば屋根がそれだけ傷まないので嬉しいです
今年の5月に差茅する場所だけを残してすべてのシートを外しました
シートを畳んで屋内にしまうのも含めて6時間の作業でした
まだ2メートル近く雪が残っているので雪囲いの板は外せません
外せるのはゴールデンウィークになるでしょう
2022年3月19日土曜日
庭を薬草木で満たすプロジェクト(2)
ようやく暖かくなってきました
きょうはこのハーミ亭の庭でめでたく冬を越したハーブたちの手入れをしました
ブロンズ・フェンネルは寒さに強く勢いもありました
ふわふわの緑を保ったまま春を迎えました
なので場所はこれまでどおりほぼ日陰のところです
新しい芽だけを残し古い葉はみんな切ってしまいました
ブロンズフェンネル |
一部の枝が枯れて小ぶりになりました
増えすぎると困るのでこれくらいがちょうどいいでしょう
葉の匂いを嗅ぐとグリルチキンが食べたくなります
ローズマリー |
ものすごく増えることを再確認しました
一枝だけをローズマリーとイタリアンパセリの間に植え替えました
ブレークしなくていいから
抑えて抑えて
モヒートミント |
バカに増えもせずそうかといって枯れもせず
この調子で長生きしてくださいね
イタリアンパセリ |
この冬は例年より寒かったのと元気なモヒートミントの隣が嫌だったのでしょうか
やっとのことで春を迎えた感じです
日当たりの良いところ方で再起してもらうことにしました
無理せずまたいい匂いさせてねー
パイナップルミント |
また緑になってきました
レモンマリーゴールドはカマキリの卵を枝に付けたまままだお休み中です
去年の秋にボケの種を蒔いた鉢から芽が二つむっくり出てきました
一重クチナシの苗(というには大きいが)をホームセンターで買って梅の根方に植えました
手前側を一度はがして堆肥を入れて埋め戻しました
ことしは実がなるかなー
楽しみだなー
ワイルドストロベリー |
レモンマリーゴールド |
ボケ |
クチナシ |
実成りクチナシ
アカネ科ガーデニア属
用途:庭植、鉢植、垣根
花期:6月~7月頃
草 丈:1.5m~2m
栽培方法
日当りと排水の良いところを好みます。 定植する場合は土をくずさない様にします。水やりは土の表面が乾いたらタップ リと与えて下さい。(乾燥に注意)
肥料:市販の肥料を適量与えて下さい。
ワンポイントアドバイス
花が咲き終ったら(実を楽しむ為にある程度残して)早目に剪定を行う。
春だなー
『六十代七十代 心と体の整え方』 和田秀樹
いろいろと参考になることが書いてありました
読んでいるあいだじゅう引っかかり続けたことがありました
段落の始めにたびたび接続詞を使われているのです
接続詞は文章の流れを分かりやすくするために用いられるものです
それを文章のあちこちに使うのは分かりやすくするための親切なのかもしれません
これにも限度があり雨あられと使われたのではかえって読みにくい文章になります
この本に頻出する接続詞は「しかし」「なお」などの一般的なものに限りません
「いずれにせよ」「ちなみに」「ともあれ」といったちょっと癖のある(とわたしは感じます)いろいろな接続詞が段落の始めに頻繁に登場するのです
ここまで接続詞だらけの本は珍しいと思いました
そこでこの本の段落の始めにしばしば登場する接続詞の数を数えてみました
本文が200ページほどですのでほんの軽い気持ちで始めました
「ところで」 25回(転換)
「ただ」 23回(補足)
「ともあれ」 22回(添加・累加)
「いずれにせよ」20回(添加・累加)
「さて」 19回(転換)
「しかし」 16回(逆説・対比)
「ちなみに」 15回(補足)
「なお」 15回(補足)
「一方」 13回(対比)
「また」 12回(並列)
以上がこの本に頻繁に登場する接続詞のベスト10です
いかがでしょうか?
「ともあれ」「いずれにせよ」「ちなみに」などという比較的インパクトのある接続詞がページをめくるたびに出てくるのです
これはすごく気になります
それに加えて「ただ」「さて」「しかし」などの軽い(?)接続詞もたくさん使われています
ひとつひとつは軽くてもそれを続けざまに使われるとこちらは相当なダメージを受けます
なんと2ページに渡って全ての段落が接続詞から始まる箇所さえありました
この本にはほかにも「このように」「したがって」「それでは」(以上順接)「けれども」「それでも」「とは言え」(以上逆説)「さらに」「それに」「それはともかく」(以上添加・累加)「一般に」(言換え・例示)「そもそも」「もっとも」(以上補足)などいろいろな接続詞が繰り返し登場します
この本には段落の始めに接続詞が228回も使われていました
それ以外にも「そうは言っても」「さらに言えば」のような接続詞的な表現が使われているケースが多々ありました
接続詞の種類としては補足、添加・累加、逆説が多いようです
このことから和田秀樹という人がどのような気持ちでこの本を書いたのか考えてみました
おそらく戸惑いや不安を抱えた多くの六十代と七十代の方々に心身ともに元気になってもらおうという気持ちからでしょう
この年代の人々の生きる意欲を掻き立てようと思われたのです
そのためには分かりやすくリズムよく語りかけるような文章が望ましいと思われたのではないでしょうか
その結果がこのおびただしい数の接続詞のオンパレードになってしまったのでしょう
わたしは文章を書く際にはめったに接続詞を使いません
接続詞が無くても理解できる文章を書きたいと常日頃思っているからです
その昔に英文のレポートをたくさん書かなければならない時期がありました
レポートを提出する前に必ずネイティブの英語教師のチェックを受けました
そして接続詞の使い方をたびたび注意されました
「接続詞の使用は必要最小限にし使うときは文頭に置かないこと」
論旨の展開がスムーズであれば接続詞がほとんどなくても分かりやすい文章になります
いまだそのような文章が書けるようなっていませんが昔の教えだけは守っています
軽い気持ちで始めたことに本を読むより時間をかけてしまいました
ーー
この本には高年者(高齢者のこと)が日常生活で気をつけることが書かれています
それらの多くは著名人の著作と筆者自身の経験とが元になっています
著名な人の著作
『99歳一日一言』 むのたけじ
「高齢者という言い方は侮辱である、青少年は低齢者か、歴代政府の「侮老」の高齢者政策はみんな落第だ」011
『九十歳。何がめでたい』 佐藤愛子
世の中の理不尽な出来事に毒づき、自分がついて行けないテクノロジーの「進歩」に腹を立て、加齢により次々と怒る体の不調を嘆き、といった内容がウィットに富みユーモアに溢れた文章で綴られています。020
『神経衰弱と強迫観念の根治法』 森田正馬
「あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方がない、あるがままでなければならない」084
『鎌田式「かかと落とし」と「スクワット」』 鎌田實 143
『資本論』 カール・マルクス
娘のジェニーから「好きな言葉は何?」と問われたマルクスは、「すべてを疑え」と答えました。彼の人生観を表現した言葉です。それは「常に自分の頭で考えろ」ということに他なりません。176
『患者よ、がんと戦うな』 近藤誠
『やってはいけない健康診断』 近藤誠・和田秀樹
近藤先生によれば、最もわかりやすい健康診断の弊害は、胸部エックス線撮影やCT(コンピューター断層撮影)による放射線被ばくです。言うまでもなく、放射線を浴びると発がん率は上昇します。194
筆者の主張
筆者は主張にはエビデンスが重要だと何度も強調しています
ところが筆者の経験論についてはエビデンスが不足している印象があります
会社生活が生活の中で大きな割合を占めるサラリーマンにとって、定年後の環境の激変は精神に直接影響を及ぼします。特に所属願望の強い日本人にとって、会社という「場」の喪失によりアイデンティティの揺らぎを引き起こすことが多々あります。014
団塊の世代は学校でも職場でも爍烈な競争に晒されながら生きてきました。団塊の世代が「競争の世代」とも言われる所以です。そして、その競争環境は日本社会にとって確実にプラスに働きました。039
人間の寿命とは細胞の寿命(細胞分裂の限界)と同義ですから、老化とは時間の経過とともにこの細胞が壊れたり減少したりすることによって、身体が形態的かつ生理的に衰退し、全体の生理機能が低下する現象ということができます。055
鬱病の発症を疑わせる症状としては次のようなものがある。
① 強い憂鬱感や不安感
② 物忘れの頻度が高くなる
③ 思考力や集中力の低下
④ 意欲の減退
⑤ 興味の喪失
⑥ 精神運動制止(体の動きが緩慢になり口数が少なくなったり声が小さくなったりす
る。あるいは逆に焦燥感が強くなる)
⑦ 自分が無価値であるという自信喪失による強い罪責感
⑧ 食欲の減退
⑨ 睡眠障害
⑩ 体重の急激な増減
⑪ 自死願望
鬱病は誰でも罹患する可能性がある病気であり、しかも治る病気なので、疑いのある時は躊躇せず精神科や心療内科で診察を受けるようにしてください。069
ガン予防に効果的とされている事項
バランスがとれて変化のある食生活。禁煙。過剰な飲酒を避ける。塩辛いものは少なめにする。熱いものは冷ましてから食べる。食べ物の焦げた部分は避ける。食べ物のカビに注意する。適度な運動。体を清潔にする。073
我々の生活の中で本当に必要な物はとても少ないはずです。そして「幸せ」という概念はあくまでも相対的な概念であり、考え方ひとつでどのようにでも変化するものなのです。089
目を凝らして周りを見渡せば、「幸せ」はそこかしこに点在しています。そして、意識的に行動すれば金をかけなくても幸福感は得られるのです。090
疎外感を感じやすい人は、周囲の人々に自分を合わせたいという同調圧力を常に抱えています。その一方で、自分という人間を認めて欲しいという承認欲求をも抱えていることから、潜在的にではあれ周囲に対して違和感を覚えた時、自己の内部で深刻なストレスが生じることになります。その結果、アイデンティティは大きく揺らぎ、孤独感にさいなまれることになるのです。094
自分という人間を認め、理解してくれる他者が一人だけでもいると、疎外感は大きく緩和されるはずです。特に高年になると、友と呼べる他者がとても大切な存在だと思う人が多いのではないでしょうか。096
高年世代にとって、心と体の大敵はストレスです。そして往々にしてストレスは「がまんする」ことから生じます。がまんして好感の持てない相手とでも付き合う、我慢して自分の意見と異なる意見に同調する、がまんして既に破綻している夫婦関係を続ける、がまんして買いたい物があっても買わない、がまんしてハードな運動をする、がまんして食事の量を減らす、そうした「がまん」はすべてよろしくありません。大変よろしくありません。152
高年世代の理想的生活のあり方は「心はのんびりと、脳と体は活発に」ということになりましょうか。154
一般に、農業や漁業に従事している人、職人さん、芸術やデザインといったクリエイティブな仕事をしている人など、つまり生涯できる仕事を持っている人は、ボケにくいとされています。180
その際、ポイントとなるのは、収入より自分自身のモチベーションを優先することです。大金持ちになろうとするより、やりたい仕事をしているという充実感を第一に考えるべきでしょう。181
高年になれば、誰でも水晶体が劣化することによって、老眼と白内障がセットになってやってきます。しかし、驚くべきことに現在では老眼も加齢性白内障も、レーシックを主体とする手術によって同時治療が可能になっています。手術時間は、わずか十五分足らずで、視覚の劇的な改善が実現します。もちろん、無痛手術です。184
極端に耳が遠くなったら補聴器の使用をお勧めします。補聴器は昔と比べて小型化し、性能もかなり向上しています。なお、補聴器による聴覚に満足できない場合は、人工内耳を装着する手術もあります。185
たくさん薬を使う研究はしても、薬を減らすという研究はしません。189
患者は「クスリと書いてリスクと読む」というくらいのセンスを持つべきだと思っています。192
体を臓器別に検査する健康診断や特定の部位を検査する検診は、有体に言えば病人を製造するシステムです。193
過剰な運動、過剰な節制、過剰な心配、そうしたすべての過剰は間違いなくストレスを生じさせ、心身に負担をかけます。繰り返すようですが、ストレスは高年世代の大敵であり、老化を促進し寿命を縮めます。アンチエイジングは、あくまで精神的、身体的に負担のかからない限りにおいて有効なのです。203
2022年3月17日木曜日
『草の根のファシズム』吉見義明
この本で「草の根」とは第二次世界大戦前後の民衆、庶民あるは大衆と呼ばれる人々です
そのなかで軍人や軍属として戦争に関わった成年男子のことが取り上げられています
これらの人々の職業は多く農民、中小企業労働者、職工など社会の底辺を支える仕事です
戦争を通じて彼らの社会意識や行動がどのよう変わったかをこの本は克明に描いています
もとになったのは日記や回想記あるいは筆者に宛てた手紙などすべて一次資料です
彼らの意識や行動は戦前・戦中・戦後を通じて大きく変化しました
行動の規範が「戦争の大義」から「自己の保身」へと塗り替えられたのです
戦前はまだ社会に大正デモクラシーの余韻が残っていました
戦争が始まると兵士は大東亜共栄圏の確立や八紘一宇という御旗のもとに故郷を離れました
兵器や食料・衣服などが欠乏する中で戦ううちに虐殺や略奪が日常化していきました
兵士は聖戦の名のもとにそれらを意識の下に押し込めようとしました
そして返す刀でアジアの人々を蔑視し優越的な意識を持ち続けました
悲しいかな人々の意識や行動はその置かれた状況によって大きく変化します
まぎれもなく自分もその人々の一人です
その自分がなんとか道を踏み外さないようこうしてブログを書いています
2022年3月9日水曜日
2022年3月5日土曜日
『さよなら、男社会』 尹 雄大
「社会と聞けば、歪みはあるかもしれないけれど、社会という無色の空間が広がっていると何気なしに思っていしまう。彼女たちにとって社会とはそんな透明性の高いものではなく、目前に感じているのはいつだって『男社会』に他ならない。なのに男にはそれが『社会』としてしか見えていない」018
「マジョリティであることを疑いもせずにすくすく育ってきたのならば、自分の感性を育てた環境が当たり前に過ぎて、目を凝らさない限り『(男)社会』の(男)の部分が見えない。だから『(男)社会=社会』と思えるわけだ」025
「けれども、その挑戦とは何かといえば、本当に新しい未知の事柄に向けてではなく、あくまで与えられた課題や試練に対してだった。・・・自分には現状のやり方が合わないから、違う方法で行おうとすれば『普通はそんなことはしない』と独自の判断に基づく行為はワガママだと退けられた。僕らは物事を『正しく』理解することを求められるだけだった。独自の判断は逸脱だとみなされる中で、次第に自分の感性を粉砕するように努力していた」053
「隣人と対等に付き合う関係においては、いたわりやケアは欠かせない。一方的に察してもらったりするのではなく、自分を開示する必要があるからだ。『僕はこう思っているのだが、あなたはどのように感じているのか』と率直に尋ねるとすれば、肩書などの属性の持つ力を誇示しない、飾り立てない自分として相手の前にいる必要がある。その上で落ち着いて話そうとすれば、互いのいまの自分の気持ちや感情、感覚を素直に伝えることから始めなくてはならないだろう」066
「自分とは全く違う生き方に出会ったとする。自分はその人ではないし、同じような人生を歩むことはできないから、当人の経験の意義は他人にはわからない。だとしてもその人の来し方、考えをジャッジすることなく、異なる立場に触れて沸き起こる感覚を味わうという体験はできるはずだ。マジョリティには、そういう感覚的体験が不足している」067
「家族というものが、親の抱く葛藤のストーリーに子供を巻き込む仕掛けでしか成り立たないのなら、何のために家族という形態を続けるのだろう。子供は親を選んで生まれたわけではなく、与えられた環境の中で生きるしかない。ある意味では子供は誰もがサバイバーなのかもしれない」095
「戦後のドラマやコミックは『頑固一徹』という非常に類型的な父親像を繰り返し描いた。感情表現が苦手。寡黙であったかと思うと激昂してすぐに殴る。怒鳴る。あれは不器用なのではなく、PTSD(心的外傷後ストレス障害)なのではないか。平和の訪れた時代であっても息子たちはPTSDを起因とする暴力を帯同した振る舞いを男性性として受け取ってしまったのではないか。その男性性には戦争という癒えることのない、圧倒的な暴力の記憶が刻み付けられているのではなかったろうか」097
「戦争を領導したエネルギーは、戦後の経済活動においても脈々と保たれていた。高度経済成長期には組織に忠誠を誓い、滅私奉公で働く社員を『モーレツ社員』と呼んだ。八十年代のバブル期において、栄養ドリンクのCMは『二十四時間戦えますか』と呼びかけた。まるで動員であった。過労死は今般の玉砕だ。すべてが戦いのアナロジーであったことに男たちは気づいていたのだろうか。
娯楽であるはずのスポーツにおいても、かつての戦争と同じく、勝利を度外視した根性と忍耐の精神主義が幅を利かせた」102
「僕たちは強化することで一人前のふりをして格好つけてきた。それは男社会を遊泳するには役立ったかもしれない。だが、その有用性は個人として彼女たちと向き合ったとき、いまや何かと足りていないし、物の役に立たない。社会をより良くするというスケールの話をする以前の問題だ。目の前の人が『何を思っているのか』に思いを致すのではなく、『自分の知りたいことを聞き出す』をまず優先させるような、人と関わる上でのでたらめを自らに許す配慮のなさを知的好奇心だと思えてしまう、それくらいの拙劣さが等身大なのだとはっきり認めなくてはいけない」178
「たとえば異文化の人間と出会えば、僕らはどういうふうに接するだろうか。共通の言葉がない状態では、ともにマイノリティだ。身振り手振りを交え時間をかけて互いにわかろうと努めるしかない。そこで痛感するのは、普段当たり前だと思っている言葉を用いた理解は、他者を知る上でほんの一部に過ぎないということだ。言葉以外の理解で迫らないとコミュニケーションはできない」188
小中学生の時は社会科が得意科目でした
山や川だけでなく街も田舎も好きだったからです
暗記すれば試験でいい点数が取れるのも性に合っていました
高校を卒業したあと大学へ行くことにしました
志望分野は社会学部とか社会学科とかともかく「社会」が付くところでした
それほど社会という言葉が好きだったのです
早稲田大学の社会科学部社会科学科というところに入学しました
入ってから自分がやりたかった学問分野とちょっと違うかなと思いました
それでもいまさら仕方がないので勉強して卒業しました
卒業後は早稲田大学の職員になりました
子どもの頃にあれほど好きだった『社会』の一員になったわけです
ところがそこはあまり居心地の良くないところでした
それがいったいなぜだったのか
何が原因でそのように気づまりであったのかずっと分かりませんでした
分からないままにつまずいたり転んだりしながら40年ほど『社会』人をしました
その七転八倒の多くは『男社会』に居たことと自分が男であることに起因していたのでした
遠ざかりたいと思っても『男社会』はまとわりついてきたのです
自らも男であることを前提に『社会』人をしていたのです
組織に属している限り『男社会』とは縁が切れなかったのでした
いまから6年前にその組織を退職しました
もう「男社会」から永遠におさらばしようと思いました
退職後はいちどもそこへは行っていません
けれどもそので働いている自分がいまでも夢に出てきます
けっしていい気持ちはしません
「男社会」を離れてからはそこに自分を合わせよなくて良くなりました
経済生活は倹約的になりつつ身体と精神はずっと健康になりました
家族関係はこころの痛いことばかりです
いまはまたドミニクとヨーロッパを自転車旅するのを楽しみにしています
2022年3月4日金曜日
三国山
8:50
国道17号の三国トンネル手前 通称「三国トアレ」にてシルバー3をデポしました
道から山に取り付いてスキーにシールを装着しブナの樹林帯を登行します
9:40
三国峠越えの道標がありました
息を鎮めようと立ち止まり見上げた空が青い
振り向けば͡木の間ごしに噴煙のない浅間山見えます
ようやく稜線に出ると上信国境の山々が迎えてくれました
平標山 仙の倉 エビス大黒の頭 |
上州武尊岳を背にして三国山までもう少しです
11:00
三国山に着きました
岩菅山が西に見えます
折り重なる山並みの向こうに浅間山です
明日は啓蟄です
こうしてスキーがだんごになる春ですね
下りは懐かしい感覚を味わいました
50年前の初めてスキーをした頃の
スキー靴はぐらぐら
足もぐらぐら
とりわけ左足が弱いとスキーを指導してくれた先輩に言われました
それからスキーの練習に明け暮れてどうにか滑れるようになりました
そんな日々から遠ざかり左足が弱いことをまた自覚しました
デラパージュすると左右の足の強さの違いが分かります
自分の現在地が良く分かり有り難いです
自己認識よりも実際の力はずっとへたっています
へたれです
とてもいい経験でした
12:10
シルバー3をデポした三国トアレに帰着しました
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