ござりまする。
若かりしオヤジの稼業は、
菓子屋なり。
戦争に負けてまだ10年、
甘いものは人気あり、
随分はやっていたそうな。
子供につぎつぎ恵まれて、
わたしときたら、
年子三人の3番目、
何しろ商売忙しく、
わたしにゃ乳母がついたそう。
それくらいならいいけれど、
家族と商売放り出し、
オヤジは野球に明け暮れた。
シカゴ・カブスにあやかった、
古川カブスという名のチーム、
そこらじゃちょっと強かった。
なにしろ娯楽のない時代、
オヤジは田舎のヒーローに。
よせばいいのに調子づき、
勝てば連夜の祝勝会。
鳴子温泉に居つづけで、
飲めや歌えのバカ騒ぎ。
そのあいだ、
お店のことは、
どうしたの。
お店は人に任せ切り。
世のなか良いこと
ばかりじゃない。
気づいた時にはもう遅く、
大きな借金できていた。
借金返すあてもなく、
実家に話す由もなく、
いよいよ進退きわまって、
一家夜逃げとあいなった。
借金取りが来ないよう、
どこか遠くと思ったが、
幼子3人抱えては、
知らないところへ
行かれない。
いくら野球がうまくても、
こんなときには役立たず。
結局転がり込んだのは、
母の姉の嫁ぎ先。
花の都は新宿の、
戸山住宅というところ。
姉の連れ合いは巡査です。
それでなくても手狭な官舎、
そこに5人で押しかけて、
肩身の狭い仮住まい。
南へ南へと転居して、
横浜の妙蓮寺駅の駅裏の
それは古い木造アパート。
家族でひっそり
暮らしてた頃、
小柄なおじさんが
自転車でやってきた。
それがOのおじさんだ。
Oさんとは誰なのよ。
きみが知らぬももっともだ。
Oのおじさんと、
我が家とは
なんのゆかりもありません。
オヤジが横浜で職を得て、
そこでOさんと知り合った。
どんないきさつか知らないが、
二人は懇意になったのさ。
Oのおじさんはお百姓。
戦後の農地改革のおかげで、
にわか地主になった人。
大人たちのあいだで、
どんな話しがあったのか、
こちらはトンと知らないが、
それからしばらくした後で、
うちにテレビがやってきた。
ナベカマもろくにそろわぬ
裏長屋、
そこにテレビが来るなんて、
全く本当にアンビリバブル。
大家を先頭に近所の人が、
「すいません」とは言いつつも、
毎晩のようにやってきて、
相撲に野球にプロレスと、
それはにぎやかになりました。
そうこうするうちに、
我が家はOさんの持ち家に、
引っ越すことにあいなった。
隣り近所に気兼ねする
アパート暮らしにおさらばし、
一軒家に移ることになったので、
我が家はみんな大喜び。
だからOさんは恩人なのよ。
それからおよそ20年、
我が家がお世話になったその家は、
港湾都市横浜の、
のどかな丘陵地帯にありました。
幼稚園には行かないで、
わたしはぶらぶら遊んでた。
近くの野山を歩いてた。
そこらでひろった棒切れで、
茫々に生えた道草を、
手当たり次第になぎ倒す。
幼稚園には行かずとも、
小学校には入れます。
家から歩いて10分の
常盤台小学校。
丘の上にあったので、
富士山もよく見えて、
明るく楽しいところ。
緑さやけき常盤台
若い希望のみなぎるところ
勉めよ常に健やかに
勇み学ばん
常盤台小学校
はじめての担任、T先生は、
観音さまのようにやさしいひと。
自宅に子供たちを呼んで、
蝶の標本見せてくれた。
おいしいジュースを飲ませてくれた。
T先生は歌が上手。
オルガン弾きながら、
いろんな歌を歌ってくれた。
大きな声で歌うのが、
とても好きになりました。
ある日みんなと遠足で、
歩いて遠くへ行きました。
丘を下り、川を渡り、
浄水場の脇を抜け、
キャベツ畑を横切って、
牛乳工場につきました。
おいしい牛乳ごくごく飲んで
大満足で帰ったよ。
またある日は電車に乗って、
ハイキングにも行きました。
いつも野山で遊んでいるので
急な山道は平ちゃら。
ぐんぐん登って行ったけど、
T先生は運動がちょっと苦手。
それではと、
先生の手を引いたり
お尻を押したりして
笑いながら尾根の上に着きました。
そこからなだらかな尾根道を
右には大山を、
左には江の島を眺め、
歌を歌いながら歩きました。
丘を越え行こうよ
口笛吹きつつ
空は澄み青空
牧場を指して
歌おう朗らに
共に手をとり
ランラララ ララララ
ランララあひるさん
ガアガア
ララ ランララララ山羊さんも
メエー
ララ歌声合わせよ
足並み揃えよ
今日は愉快だ!
こんなに楽しいことばかり
そうはなかなか続かぬもの。
二人目の担任、E先生、
あなたは子供が嫌いなの?
頭が悪く、
服が汚く、
お愛想が下手な子供は、
すっかり無視されたよう。
エンドウマメは嫌いだ。
それでもわたしはかまわない。
家に帰ったら、
ランドセルを投げだして、
暗くなるまで外遊び。
苦節2年を耐え忍び、
ようやく担任が代わってくれた。
I先生はウマ先生。
なぜなら顔が長くて
足が速いから。
いつも冗談ばかり言って
とてもやさしいけど、
生徒が悪いことすると
猛烈に怒る。
I先生は岩手県の出身です。
宮城県生まれのわたしを、
「✖✖」と名前で呼んでくれました。
そんなウマ先生に
どうにか気に入ってもらいたいと
何かないかと思っていました。
体育の授業で先生は、
校外に出て「マラソン」する。
距離が長くて坂があり、
小学生にはきついコース。
いつも野山で遊んでる、
わたしは「マラソン」得意です。
校庭を集団で走り出ると、
ウマ先生は後ろも振り向かず、
自分のペースで走ります。
クラスのみなはちりじりに
集団はずるずると縦長になります。
置いていかれるものかと、
先生にかじりつくのは2、3人。
急な坂を下り終えると
今度は長い上り坂。
先を行く先生の姿がもう見えない。
ここでみんなガックリきて、
走るスピードが鈍ってくる。
ここからがわたしの頑張りどころ。
前は見ないで、
地面に顔を向けて、
弾む息とたたかいながら、
坂道を一歩一歩上っていく。
坂の上まで来ると、
あとは先生の待つ校庭まで、
平らな道。
ウマ先生の笑顔を楽しみに、
あとひと頑張りだ。
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