2022年9月25日日曜日

一行レシピ リンゴジャム

皮剥き芯取り銀杏切り塩水漬け、砂糖加え中火あく取り弱火60分火止めレモン汁加え瓶に入れ
1瓶400gで4瓶できました
サンつがる 1.6㎏@400、砂糖 640g@150、レモン1個@100、塩大さじ1


一行レシピ レモン汁


レモン1個を電子レンジに入れ500Wで30秒温め半分に切り手で絞る

2022年9月21日水曜日

〇的生活

Pelléas et Mélisande 聞き取りノート
人生の棚卸し
7年前に私はそれまで40年近く勤めた大学職員の仕事を退職しました
そしてようやく自由な時間をたくさん持てるようになりました
その時間を使って私は「自分の可能性を追及する」ことにしました

これまでの60年間の人生では義務的にやっている事が常に多くがありました
それらを取り去って「自分の可能性を追求する」生活をするにはどうすればいいか?
あれこれ長い間「思考」錯誤しているうちにあることに思い至りました

自分がこれまで好きでやってきたことを書き出してみたらどうか?
山登りやスキーから始まって自転車や船頭もやりました
古民家の修復に没頭したし藁細工や竹細工もずいぶんやってきた

これらについて「登山」といったジャンルごとにいつどこで何をしたか書き出してみる
残っている日記や手帳、写真や書類などからかなりのことがわかるはずだ
「登山」であればそれをなぜ、いつ初めてどのような展開があって現在地がどこなのか?

EXELの表に書き出すことにしました
一行が一イベントです
たとえば、

登山 1971年7月 磯子工業高校山岳部 夏期合宿 北アルプス裏銀座コース 初3,000m峰

といった具合です

この表にいろいろなライフイベントも加えていきました
出生から始まり学校への入学と卒業、就職や転勤、結婚や育児などの人生の様々な節目です
これらも一つのイベントを一行で書きました

私のこの表は最終的に1,000行ほどになりました
完成させるのにとても時間がかかりました
大変でしたがやりがいのあることでした

これまで漠然ととらえていた自分の人生が可視化できるようになりました
私の人生はほぼこの1,000のイベントから成り立っていることが分かったのです
このようにして私は自分の人生を棚卸しました

人生の吟味
私はしばらくこのエクセルの表をうっとりと眺めていました
たとえそれが凡庸な人生であったとしても60年間という軌跡はただそれだけで素敵だな、と
そんな感傷が過ぎ去ってから私はこの表をいじくり始めました

エクセルはもともと表計算ソフトなので項目ごとの並べ替えが簡単にできます
たとえば「登山」や「藁細工」という項目のイベントがいくつあるか瞬時にして分かります
さらに「登山」のほかに自分はどんなスポーツに時間を費やしてきたかも分かります

このようにしてエクセルの表をあちらからこちらから眺めてみました
するとそこに私の人生の個性が浮かび上がってきました
私の人生は「あそぶ」と「つくる」に特徴があるのです

私は「藁細工」「竹細工」「茅葺き」という「分野」のことを好んでやっています
これらの「分野」は「つくる」という共通した「行為」として言い表すことができます
また私は「山遊び」「自転車遊び」「海川遊び」が好きです
これらの「行為」はまとめて「あそぶ」と言い替えられます

この気づきに基づいて自分が大切にしている全ての「分野」を「行為」に置き換えてみました
すると「分野」に相応しい「行為」を表現する言葉がみつかりました
「つくる」「あそぶ」以外には
「いやす」「かたる」「くらす」「さとる」「つたえる」「のこす」「むつむ」

これらたった9つのことばで私の「生活」の全ての「行為」がカバーされるのでした
頭の中でモヤモヤしていたものがスッと引き出しに納まっていくような感じでした
私はわずか9つの「行為」で表現される世界で毎日生きているのです

さらに9つの「行為」を3つずつまとめて3つの「~的生活」に集約できました

こうして私の「生活」は「~的生活」⇒「行為」⇒「分野」と階層的に整理できました
自分の「生活」のとらえ直し=人生の棚卸しができたのです

「生活」のフレーム
人生の棚卸しをしたことで私の「生活」には一定のフレームがあることに気がつきました

私の「生活」は「物的」「心的」「体的」の3つの「生活」から成り立っています
それぞれの「分野」はさらに3つの「行為」から成り立っています
それぞれの「行為」はさらに3つの「分野」から成り立っています
                                       
               行為 分野、分野、分野
          物的生活 行為 分野、分野、分野
               行為 分野、分野、分野

               行為 分野、分野、分野
     私の生活 心的生活 行為 分野、分野、分野
               行為 分野、分野、分野

               行為 分野、分野、分野
          体的生活 行為 分野、分野、分野
               行為 分野、分野、分野

「~的生活」⇒「行為」⇒「分野」と階層的に3つずつに細分化しています

3つへのこだわり
私があえて3つという数にこだわっているのにはいくつか理由があります

まず無理なく満足度の高い「生活」を送るには「行為」や「分野」を限定する必要があります
限られた知力・体力や資産で1日24時間、1年365日にできることは自ずと限りがあります
3つというのは多くも少なくもなくちょうどいい感じです

また一般的に言って3という数字は座りが良く生活に安定をもたらすと考えられます
写真の三脚は3つの足で安定しますし「三人寄れば文殊の知恵」などと昔から言います

さらに私の名前の中に入っている3はラッキーナンバーだと信じています

人によって「~的生活」「行為」「分野」が必ずしも3つには限らないのは当然です
それより多くも少なくもありえるので誰もが3にこだわるという必要はないと思います

「物的生活」
以上のように整理した私の「生活」の中身を具体的にお話しします

「生活」の第一は(順番にとくに意味はないのですが)「物(もの)的生活」です
「物的生活」は「つくる」「くらす」「のこす」の3つ「行為」から成り立っています

何を「つくる」のかというと「藁細工」「竹細工」「茅葺き」の3つの「分野」の物です
それぞれの手仕事の内容は私のブログ『藁竹茅』を見ていただければお分かりになります

「くらす」は生活するうえで避けて通れない「諸事」「衣食住」「経済」です
これらは物と切り離すことのできない分野です
今ここで書いていることは「諸事」に含まれるライフスタイルです
どのようなスタイルで暮らすかによって物の所有の仕方が決まります

そして「農家」「町家」を一軒ずつ「車」を一台だけ「のこす」ことにしました
これらのことはブログ『一入亭日乗』に綴っています
以上が私の「物的生活」です

「心的生活」
「生活」の第二は「心(こころ)的生活」です
「心的生活」は「かたる」「さとる」「つたえる」の3つの「行為」から成り立っています

心は言葉を「かたる」ことによって開かれます
「日本語」「英語」「フランス語」で自在に「かたる」ことができる自分を目指します
「日本語」は読み書き話すことを洗練させます
「英語」と「フランス語」は言語の学習とそれをじっさいに使うことです
冒頭の写真はフランス語学習の一場面です

「読む」「見る」「聴く」ことで世界の諸相を「さとる」ことに努めます
「読む」は本、新聞、まれにネットの記事などです
「見る」はテレビや映画など
「聴く」はネットやラジオです

これらによって得た知見を生活全般を通じて学んだことと合わせて人に「つたえる」のです
余計なお世話にはならないように注意しています
「つたえる」ためのツールが3つのブログ『一入亭日乗』『藁竹茅』『人力遊山記』です

「体的生活」
そして最後が「体(からだ)的生活」です
「体的生活」は「あそぶ」「いやす」「むつむ」の3つの「行為」から成り立っています

まず「山」「自転車」「海川」で体を使って「あそぶ」のです
「山」は登山とスキー「自転車」は国内外の自転車ツアー「海川」は船頭やカヌーなどです
これらの分野でやったことをブログ『人力遊山記』で公開しています

こうして「あそぶ」と疲れるのでその他の生活疲れと一緒にそれを「いやす」のです
具体的には「睡眠」「運動」「緩和」でもって癒します

「むつむ」ことはヒトという存在にとってもっとも大切なことです
具体的には「兄弟」「子供」「朋友」とのむつみです
このうち特に「朋友」と「むつむ」ことが生活のための大きなエネルギーになります

私の「生活」
「生活」の「行為」と「分野」を先ほどのフレームに具体的に書き込んでみます

               つくる 藁細工、竹細工、茅葺き
          物的生活 くらす 諸事、衣食住、経済
               のこす 農家、町家、車

               かたる 日本語、英語、フランス語
  私の「生活」  心的生活 さとる 読む、見る、聞く
               つたえる 藁竹茅、一入亭日乗、人力遊山記

               あそぶ 山、自転車、海川
          体的生活 いやす 睡眠、運動、緩和
               むつむ 兄弟、子供、朋友

各「分野」はさらにいくつもの具体的な「活動」から成り立っています
たとえば「いやす」の「運動」ではつぎのような身体的な「活動」をしています

   毎 日 「ラジオ体操」
   隔 日 「自転車散歩」「筋トレストレッチ」
   週一回 「スポーツダンス」

ひとつの「分野」でもこれだけの「活動」をしているのです
全ての「分野」の全ての「活動」を網羅するととても多種多様になります
それら全ての「活動」において自分の能力を進展させる機会が持てます

何かの「活動」を通じて新たな能力を見出すと「生活」の満足感が高まり質が向上します
そうかといってあまりに多くの「活動」をし過ぎると全てが中途半端になってしまいます
ただ忙しいだけで満足感はえらず「生活」の質はいつまでたっても向上しません
このことがあるので「行為」や「分野」の数を適度に抑える必要があるのです

私の「生活」の実際
「生活」は「活動」を最小単位として行っています
1日24時間のあいだかならず何かの「活動」をしています
とくに予定のない日は朝にその1日どんな「活動」をするか決めます
「活動」の配分はこれまでの経験をもとに適当に決めています
このことについてはまた別の機会にお話ししたいと思います

的生活」の今とこれから
今このように行っている生活を「〇的生活」と呼んでいます
特定の行為に偏らない生活でありまた曼陀羅のように円い生活でもあります
その中で自分の様々な「物的」「心的」「体的」能力を可能な限り引き出そうとしています
この「〇的生活」がうまく回っていくことが今の自分にとってもっとも大切なことです

                  くらす
                    
              つくる        のこす

             かたる  さとる  つたえる
 
              あそぶ     いやす

                  むつむ

                〇的生活の曼陀羅

「〇的生活」を意識的に行い始めて3年ほどたちました
全体的なフレームに違和感はありませんし副作用もありません
現在のところその達成度を感覚的に自己評価すると100点満点でまだ59点というところです
満点ではなく満足感が得られるようにこれからもやり続けます


2022年9月17日土曜日

『日本詩歌の伝統』川本皓嗣

この方は七五調で詠われる日本の詩歌の特色として三つのことを指摘しています
専門用語でなく言えば「決まりことば」と「俳句のことば使い」それに「音のリズム」です
この伝統が(私を含め)市井の人々の間に今も深く染み込んでいることに驚きます


夏の暑さがまだ収まらないそれでいて秋の兆しを感じ始める頃によく聞くぼやきがあります
多くは女性の「もう夏が終わり秋が来てさびしい」というような言葉です
毎年誰かがこのようにぼやくのを私は聞いてきました

「秋はさびしい」ともう1,000年以上も前から日本の詩歌に歌い込まれています
ずっと昔から秋はさびしいものと詩歌の世界では決まっているのです
景気のいい秋とか華々しい秋というのはこと日本の詩歌ではありえないのです

この決まりごとは長い間に詩歌の世界だけではなく一般庶民にも浸透しました
何しろ名歌はことごとく「さびしい秋」を歌っているわけですからみんなそう思うわけです
秋はさびしいものなんだなと

四季折々が好きな私でもススキの穂が出始めたのを見て「さびしい」と思うことがあります
もう秋になってしまったと


俳句はとりわけ芭蕉に惹かれます
芭蕉に惹かれない人の方が少ないのではないかと思うので珍しいことではありません
芭蕉のことば使いはとても面白いので私も時々真似して駄句をひねり出しています
恥を忍んでそのいくつかを掲げてみます

この道や行く人無しに秋の暮れ 芭蕉
オサカナのオの油濃き秋の暮れ 一入亭
あらたふと青葉若葉の日の光  芭蕉
あらたふと暮らしに活きるetc. 一入亭
旅に病んで夢は枯野を駆け巡る 芭蕉
手仕事を御師に枯野を愛で歩き 一入亭

俳句というより川柳になちゃってますがこんな具合に使わせていただいています
言葉で遊ぶというのはとても面白いものです
こんなことができるのも多く残された秀逸な詩歌があればこそです


最後に音のリズムです
これはもう独特のものでこの良し悪しで詩歌のイメージは根本的に変わってしまいます
というのも七五調の詩歌にはそれを朗誦するルールがあるからです

今はだいぶ廃れてしまいましたが数十年前は正月に百人一首で遊びました
その中で七五調の詠み方が伝えられたのです


このような日本詩歌の伝統は人々の間に今もかろうじて息づいています
ところが昨今のことを考えるとちょっと気持ちが暗くなります
みんなゲームばっかりやってるから日本詩歌の伝統は早晩消えてしまうのではないかと

そう思うのは早とちりであることを願います
そして誰かがこの本とはまた違う視点から伝統の在り処を探し出してくれるとうれしいです

きっとそうあってほしいと願いつつ箸をではなくペンをおきます
というかキーボードを打ち止めにします
(最後のフレーズがしまらなくて残念です)