2019年5月18日土曜日

『レオナルド・ダ・ヴィンチ考』 山岸 健


昨年ロワール川沿いを自転車で走るブラック・ツーリズムの途次アンボワーズという町を訪ねました
そこにレオナルド・ダ・ヴィンチが人生最後の三年間を過ごしたクロ・リュセという館があります

2018年6月17日 クロ・リュセ、アンボワーズ

その瀟洒な建物と広大な庭全体が彼の業績を紹介する博物館になっています
その展示にいたく心をうたれました
ルネサンスの昔にこれほどたくさん人類に貢献する仕事をした人がいたなんて

レオナルドの仕事部屋(復元)
2018年6月17日 クロ・リュセ、アンボワーズにて

その時一緒にいたフランス人の友人に「日本には彼のような人がいたか」と聞かれました
ダ・ヴィンチのような人が日本にいたか?
残念ながらまったく思い浮びませんでした

それにしてもダ・ヴィンチの視線はどこに向かっていたのだろう、と思いました
彼は何を思いながらあれだけの仕事を成し遂げていったのだろうか、と
家に帰ったら彼の生涯について本を読み、もう一度考えてみようと思いました
そうは思いながら家に帰ったなりそのことは忘れてしまいました
よくあることなのですけれど…

先日近くの図書館にふらりと入ったところレオナルド・ダ・ヴィンチの特設コーナーがありました
今年は彼の没後500年ということで彼に関する所蔵本が50冊ぐらい陳列してありました
それを見てハタと「彼の視線はどこへ向かっていたのか」という昨年来の疑問を思い出しました
そしてこの疑問を解くのに役立ちそうな本を陳列されている中から1冊借りて読むことにしました
わたしのようにうろんな人間にとって身近にこういう図書館があるのはいいことですね

『レオナルド・ダ・ヴィンチ考』山岸 健 

読んでみました
簡潔にいえばレオナルド・ダ・ヴィンチはつぎのような信念で生きていたようです

「認識は、表現にいたってこそ完結する」

なんと真実でしょう
こういう言葉に出会うと全身がしびれます
このようにして生きたいものです
より具体的にはこんなふうだったようです

「自己自身の眼で対象を観察し、自らの頭脳で考え、おのれの手でイメージを対象化できる人間である」

これにはびっくりしました
不肖人力居士が取り組んでいるブラック・ツーリズムの理想そのものではないでしょうか

さらに、

「創作者とは、自然と人間とを通訳する人間にほかならない。創作者は、他者の言葉をもって語るのではなく、自らの言葉で語る、そうした人間である」

もうかゆいところにすっかり手が届いた感じです
彼の視線は自然に向いていたのです
彼は自然を観察し、創作を通じて発見したことを表現し、人々に伝え続けたのです

「レオナルドは、発見者であるとともに、精神の代表者と呼ばれるにふさわしいルネッサンスの人間であった。彼はその名声によって偉大であるのではなく、成し遂げようと意図したこと、行い得たこと、その態度のすべてによって偉大とみなされてきたのである。コロンブスは遠隔の地にあって、地理上の発見を成し遂げた。それに対し、レオナルドは、身近な日常生活において、自然の発見を成し遂げたのである」

こうして「彼の視線はどこへ向かっていたのか」という疑問は1年近くたって氷解しました
ありがとうございます!
いつか彼の足跡をこの目で確かめるため、フィレンツェとミラノへ行ってみようと思います
もちろん自転車に乗って!

レオナルド・ヴィンチの彫像 
2018年6月17日 アンボワーズのロワール川畔にて

0 件のコメント:

コメントを投稿