クリスマスイブの一皿です |
2016年12月24日土曜日
2016年12月2日金曜日
冬迎(ふゆむかえ)
こんにちは、一入亭の藁竹茅です。
毎年11月の勤労感謝の日のころに一入亭の冬迎(ふゆむかえ)をします。
これは一入亭が冬を迎えるための準備です。
年によって前後しますがこのあたりでは12月中旬に根雪になります。その
後はシベリアからの寒波が日本列島に押し寄せてくるたびにずんずんと
雪が積み増します。雪がいちばん深くなるのは2月です。大雪の年には
3メートルを超えることもよくあります。3月の声を聞くと降る雪がへり、融ける
雪がふえます。そして春分の日のころに春を迎える準備=春迎(はるむかえ)
をします。暖かい春の陽がどっさり残った雪のうえにそそぐ日にやります。
冬迎の内容は屋根へのシート掛、家の戸・窓への囲い板、植木の養生です。
春迎はそれらを取り外す作業です。
シート掛
これは茅葺屋根をすっぽりとシートで覆ってしまうことです。
なぜそんなことをするのかというと雪が茅葺屋根を痛めるからです。
一入亭の軒(屋根の下端)の高さはおよそ3.6メートルです。大雪の冬には
屋根から落ちた雪と風下に吹きだまった雪が加わって屋根の半分ぐらい
まで雪に埋まります。これが茅葺を痛める原因になります。
雪が茅葺屋根を痛める具体的なパターンにはおもにつぎの3つです。
1 茅葺屋根に凍結した雪が落下する際に茅を引き抜く
2 屋根まで積もった雪が下に引っ張られて軒先を曲げる
3 除雪の際にスコップやスノーダンプで茅を削ってしまう
夏場は大雨や強風で屋根が傷みますが、冬場もそれと同じかそれ以上に
茅葺屋根にとって厳しい季節といえます。
一入亭の屋根は喜多村暁さん(2010年に他界)という屋根職人がずっと
補修してきました。この方が茅葺屋根を雪から守る方法=シート掛を考案
しました。
正方形や長方形のシートをそのまま中門づくりの茅葺屋根に掛けたのでは
屋根の凸部や凹部に掛けたシートが風をはらみ雪をため込んで破れます。
喜多村さんはシートを屋根の形状に合わせて縫製して掛けるようにしました。
シートは破れにくくなり長い冬のあいだを通じて風や雪から茅葺屋根を守れる
ようになりました。
喜多村さんが亡くなったあと昨冬まではこのシート掛を地元の屋根職人に
お願いしてきました。それを今冬からは自分でやることにしました。
シートの縫製
ことしの春迎のときに前後の中門の先端に掛けるシートが
長年の使用であちこち破損していました。シートの寸法を測ったうえでそれらを処分しました。今冬のシート掛ではその部分のシートを自分で縫製して使うことにしました。この際ブルーシートはやめて銀色のUVシートを使うことにしました。シートを寸法どおりに裁断して家にあった古いミシン(ジャノメ トピアエース802 1973年製)で縫いました。
右の図が前中門の左側に掛けるシートの図面です。数字の単位がメートルですのでけっこう大きいことが分かると思います。このほか前中門の右側、後中門の左右と全部で4枚縫いました。
一入亭のチャノマ(17.5畳 6.3m×4.5m)にシートをいっぱいに広げて裁断し、縫いました。針は14番、糸は30番のスパンミシン糸ジーンズ厚地用です。
シート掛の作業
<道具>
ハシゴ(大)、ハシゴ(小)、ロープ(ポリエステル ダブルブレード10㎜×40m)、アッセンダー、カラビナ20コ、ハーネス、鋏、金槌
<材料>
シート、PP縄(6㎜)、トタン釘
ハシゴ(大)を軒端にかけ、さらにその上にハシゴ(小)をグシ(屋根の上端)に届くようにかけます。ハシゴ(小)の下端はハシゴ(大)に、上端はグシの番線にPP縄で結びつけます。
グシにのぼりグシの上に安全確保用のメインロープを渡します。方法はグシの番線にカラビナをかけ、そこにメインロープをクローブヒッチでつないでいきます。ハーネスにつけたセルフビレー用のロープをこのメインロープにカラビナでつなげます。万一転落した場合はメインロープが食い止めてくれるはずです。
シートは上端をアングルに結びつけるかトタン釘でグシに打ち付けます。グシをシートで覆えないところにはシートを切って作ったグシカバーを掛けます。シートの下端は軒下の木部に打った釘にPP縄で固定します。
このあと戸・窓へ囲い板をかけ、植木(サクラ・モミジ・ナンテン)の養生をして冬迎は終わります。
冬迎の作業時間(一人でやった場合)
道具・材料の準備=半日
シートの縫製(4枚)=1日
シート上端掛け=1日
グシカバー掛け=半日
シート下端縄掛け=半日
囲い板掛け=半日
植木養生=半日
毎年11月の勤労感謝の日のころに一入亭の冬迎(ふゆむかえ)をします。
これは一入亭が冬を迎えるための準備です。
年によって前後しますがこのあたりでは12月中旬に根雪になります。その
後はシベリアからの寒波が日本列島に押し寄せてくるたびにずんずんと
雪が積み増します。雪がいちばん深くなるのは2月です。大雪の年には
3メートルを超えることもよくあります。3月の声を聞くと降る雪がへり、融ける
雪がふえます。そして春分の日のころに春を迎える準備=春迎(はるむかえ)
をします。暖かい春の陽がどっさり残った雪のうえにそそぐ日にやります。
冬迎の内容は屋根へのシート掛、家の戸・窓への囲い板、植木の養生です。
春迎はそれらを取り外す作業です。
シート掛
これは茅葺屋根をすっぽりとシートで覆ってしまうことです。
なぜそんなことをするのかというと雪が茅葺屋根を痛めるからです。
一入亭の軒(屋根の下端)の高さはおよそ3.6メートルです。大雪の冬には
屋根から落ちた雪と風下に吹きだまった雪が加わって屋根の半分ぐらい
まで雪に埋まります。これが茅葺を痛める原因になります。
雪が茅葺屋根を痛める具体的なパターンにはおもにつぎの3つです。
1 茅葺屋根に凍結した雪が落下する際に茅を引き抜く
2 屋根まで積もった雪が下に引っ張られて軒先を曲げる
3 除雪の際にスコップやスノーダンプで茅を削ってしまう
夏場は大雨や強風で屋根が傷みますが、冬場もそれと同じかそれ以上に
茅葺屋根にとって厳しい季節といえます。
一入亭の屋根は喜多村暁さん(2010年に他界)という屋根職人がずっと
補修してきました。この方が茅葺屋根を雪から守る方法=シート掛を考案
しました。
正方形や長方形のシートをそのまま中門づくりの茅葺屋根に掛けたのでは
屋根の凸部や凹部に掛けたシートが風をはらみ雪をため込んで破れます。
喜多村さんはシートを屋根の形状に合わせて縫製して掛けるようにしました。
シートは破れにくくなり長い冬のあいだを通じて風や雪から茅葺屋根を守れる
ようになりました。
喜多村さんが亡くなったあと昨冬まではこのシート掛を地元の屋根職人に
お願いしてきました。それを今冬からは自分でやることにしました。
シートの縫製
ことしの春迎のときに前後の中門の先端に掛けるシートが
長年の使用であちこち破損していました。シートの寸法を測ったうえでそれらを処分しました。今冬のシート掛ではその部分のシートを自分で縫製して使うことにしました。この際ブルーシートはやめて銀色のUVシートを使うことにしました。シートを寸法どおりに裁断して家にあった古いミシン(ジャノメ トピアエース802 1973年製)で縫いました。
右の図が前中門の左側に掛けるシートの図面です。数字の単位がメートルですのでけっこう大きいことが分かると思います。このほか前中門の右側、後中門の左右と全部で4枚縫いました。
一入亭のチャノマ(17.5畳 6.3m×4.5m)にシートをいっぱいに広げて裁断し、縫いました。針は14番、糸は30番のスパンミシン糸ジーンズ厚地用です。
シート掛の作業
<道具>
ハシゴ(大)、ハシゴ(小)、ロープ(ポリエステル ダブルブレード10㎜×40m)、アッセンダー、カラビナ20コ、ハーネス、鋏、金槌
<材料>
シート、PP縄(6㎜)、トタン釘
ハシゴ(大)を軒端にかけ、さらにその上にハシゴ(小)をグシ(屋根の上端)に届くようにかけます。ハシゴ(小)の下端はハシゴ(大)に、上端はグシの番線にPP縄で結びつけます。
グシにのぼりグシの上に安全確保用のメインロープを渡します。方法はグシの番線にカラビナをかけ、そこにメインロープをクローブヒッチでつないでいきます。ハーネスにつけたセルフビレー用のロープをこのメインロープにカラビナでつなげます。万一転落した場合はメインロープが食い止めてくれるはずです。
シートは上端をアングルに結びつけるかトタン釘でグシに打ち付けます。グシをシートで覆えないところにはシートを切って作ったグシカバーを掛けます。シートの下端は軒下の木部に打った釘にPP縄で固定します。
このあと戸・窓へ囲い板をかけ、植木(サクラ・モミジ・ナンテン)の養生をして冬迎は終わります。
冬迎の作業時間(一人でやった場合)
道具・材料の準備=半日
シートの縫製(4枚)=1日
シート上端掛け=1日
グシカバー掛け=半日
シート下端縄掛け=半日
囲い板掛け=半日
植木養生=半日
2016年9月5日月曜日
柿渋つくり(2)搾り
こんにちは、藁竹茅です。
8月15日に柿渋を仕込んでから毎日2回撹拌しました。
撹拌し忘れた日もありました。
仕込んで1週間
空気に触れた柿の皮が茶色くなっています。
撹拌すると発酵で生じた泡があがってきます。
仕込んで2週間
2週間たち依然としてよく泡があがってくる樽と
そうでない樽があります。なぜでしょうか?
しぼる
きょうで仕込んで3週間たちましたのでいよいよ搾ります。
仕込みと同様に世田谷区の次大夫堀民家園で毎年行われて
いる方法を参考にして搾りました。
ヒシャクを使って樽からなるべく汁を汲みだして
8月15日に柿渋を仕込んでから毎日2回撹拌しました。
撹拌し忘れた日もありました。
仕込んで1週間
空気に触れた柿の皮が茶色くなっています。
撹拌すると発酵で生じた泡があがってきます。
仕込んで2週間
2週間たち依然としてよく泡があがってくる樽と
そうでない樽があります。なぜでしょうか?
しぼる
きょうで仕込んで3週間たちましたのでいよいよ搾ります。
仕込みと同様に世田谷区の次大夫堀民家園で毎年行われて
いる方法を参考にして搾りました。
<材料> 柿渋30リットル×3樽
<道具> バケツ、ヒシャク、ゴム手袋、搾り袋(自作)
※搾り袋は古布をミシンで縫って作りました。
ヒシャクを使って樽からなるべく汁を汲みだして
バケツに入れます。そのあと残った実を搾り袋に
入れます。たくさん入れすぎると搾る時に力が入り
2016年8月15日月曜日
柿渋つくり(1)仕込み
一入亭の庭のかたすみに毎年たくさんの実をつける柿の木があります。
渋い柿なので食べませんでした。その実が秋に色づいて落ちるとタヌキが山から食べにきていました。
このタヌキがついでに隣家の畑をあらしたり一入亭の縁の下にはいってキャッキャとさわいだり好き放題しています。
この柿をつかって柿渋をつくることにしました。
一入亭では柿渋をあちこちに使っています。
風呂場 |
風呂場の床 |
風呂場の床や腰板の上に柿渋を塗りました。柿渋には木の表面を固くして防水する効果があります。塗ってしばらくすると柿渋色(団十郎茶)に変わりました。窓の外の緑とのコントラストがきれいです。
風呂場からの眺め |
茶の間の床を張りなおしたときにも上に柿渋を塗りました。柿渋には防水に加えて防虫の効果もあります。ここで昼寝をしていて虫さんが顔のうえを歩かないことを期待しました。
このほかにもさまざまな効用がある柿渋ですが市販品はいささか高価です。もっぱらタヌキのエサになっていた庭の柿で柿渋をつくってみることにしました。
柿渋の仕込み
今回は世田谷区の次大夫堀民家園で毎年行われている方法で仕込んでみました。
<道具>
柿もぎ(自作)、ハシゴ、カゴ3個、ステンレス包丁、ポリ袋厚口10枚、ハンマー、カルキ抜きした水30リットル、プラスチック樽30リットル3個
落とす
ハシゴにのり柿もぎを使って枝ごとガシガシ落とします。
落とした柿を枝からもぎます。割れたり黄変している実はつかいません。収穫した柿は重さ約40㎏で1,000個以上ありました。
洗う
柿の表面のゴミなどをかるく洗いおとしました。
ステンレスの包丁で実を半切りにしました。1000個もあるのでたいへんです。
切った柿を厚口のポリ袋に入れ口をしばりました。
ポリ袋に入れたハンマーで柿を潰しました。これまた数が多いしハンマーが重たいしで「たいへんだ、たいへんだ」といっている人がいました。
浸す
潰した柿をプラスチック樽にいれカルキ抜きした水を加えます。
発酵で出た泡が見えますね。
これで仕込みはおわりです。
3週間ねかせたあと絞ります。
それまで1日2回撹拌します。
「柿渋つくり (2)しぼり」へつづく
2016年4月21日木曜日
2016年2月14日日曜日
遭遇
1993年の春にわたしはモヤモヤをかかえていました
なぜそうなったのかも分からないままわたしはあちらこちらの古民家を見てあるきました
越後の山あいにあるこの茅葺の家が気に入りました。江戸時代のおわりに建てられたと聞きました。あれやこれや考えたあげくこの家と気長につきあっていくことにしました。
この家で気ままにしているとこころが静かになりました
わたしはこの家を一入亭(ひとしおてい)と名づけました
一入亭は新潟県から秋田県にかけての中山間部にかつて数多くあった中門造(ちゅうもんづくり)という軒下の高い茅葺の曲り家です
建てられてから100年以上たったこの家にはほうぼうに改築のあとがありました
北西側の増築部分は総二階で屋根はコンクリート瓦葺でした
わたしは一入亭をできるだけ建てられた当時のすがたにもどし内部は住みやすいように改修しようと考えました
間取りはニワ(土間)、チャノマ(居間)、デイ(座敷)という伝統的な広間型に復元したいと思いました
表側の中門の厩(ウマヤ)があったところには水回りを集中させ寝間(ネマ)があった後ろの中門には書斎をおきたいと思いました
茅葺と上下水道・ガス工事のほかは自分でやるつもりでつぎのような改修計画をたてました
1.茅葺屋根の葺替
2.前中門前部と母屋南東側のガンギおよび物置小屋の撤去
3.北西側の増築部分の撤去とその部分の屋根の茅葺
4.既存の台所・風呂・便所の撤去と水回りのウマヤへの集中
5.屋内電気配線の再配線
改修計画の3までをやり終え4にとりかかっているときに中越地震(2004年10月23日)がおきました
震度7の震央にあった一入亭の敷地には亀裂が入り地盤が傾きました
建物もダメージを受けて「半壊」と診断されました。
中越地震の被害からの復旧に3、4年を費やしました
それからふたたび改修をはじめ当初に計画した修理を2014年の夏までに終えました
改修をはじめてから20年がたっていました。
いま一入亭は茅葺屋根がだいぶ薄くなってきました
居住性をよくする必要もあると思います
第2次の改修計画をたてて2026年までに仕上げたいと思っています
どうなるでしょうか?
その様子をこのブログでお知らせしていきます。
つづく
なぜそうなったのかも分からないままわたしはあちらこちらの古民家を見てあるきました
一入亭 南東側 1994年4月16日 |
越後の山あいにあるこの茅葺の家が気に入りました。江戸時代のおわりに建てられたと聞きました。あれやこれや考えたあげくこの家と気長につきあっていくことにしました。
この家で気ままにしているとこころが静かになりました
わたしはこの家を一入亭(ひとしおてい)と名づけました
一入亭は新潟県から秋田県にかけての中山間部にかつて数多くあった中門造(ちゅうもんづくり)という軒下の高い茅葺の曲り家です
建てられてから100年以上たったこの家にはほうぼうに改築のあとがありました
北西側の増築部分は総二階で屋根はコンクリート瓦葺でした
一入亭 北西側 1993年7月9日 |
一入亭 平面図 1993年7月23日 |
わたしは一入亭をできるだけ建てられた当時のすがたにもどし内部は住みやすいように改修しようと考えました
間取りはニワ(土間)、チャノマ(居間)、デイ(座敷)という伝統的な広間型に復元したいと思いました
表側の中門の厩(ウマヤ)があったところには水回りを集中させ寝間(ネマ)があった後ろの中門には書斎をおきたいと思いました
一入亭 改修計画図 |
茅葺と上下水道・ガス工事のほかは自分でやるつもりでつぎのような改修計画をたてました
1.茅葺屋根の葺替
2.前中門前部と母屋南東側のガンギおよび物置小屋の撤去
3.北西側の増築部分の撤去とその部分の屋根の茅葺
4.既存の台所・風呂・便所の撤去と水回りのウマヤへの集中
5.屋内電気配線の再配線
一入亭の被害を伝える新聞 2005年1月 |
改修計画の3までをやり終え4にとりかかっているときに中越地震(2004年10月23日)がおきました
震度7の震央にあった一入亭の敷地には亀裂が入り地盤が傾きました
建物もダメージを受けて「半壊」と診断されました。
一入亭 北西側 2016年8月17日 |
中越地震の被害からの復旧に3、4年を費やしました
それからふたたび改修をはじめ当初に計画した修理を2014年の夏までに終えました
改修をはじめてから20年がたっていました。
一入亭 南東側 2016年7月8日 |
いま一入亭は茅葺屋根がだいぶ薄くなってきました
居住性をよくする必要もあると思います
第2次の改修計画をたてて2026年までに仕上げたいと思っています
どうなるでしょうか?
その様子をこのブログでお知らせしていきます。
つづく
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