2025年2月15日土曜日

森博嗣 読書の価値 

ぼくは読んだ本についてこのブログに書き留めています
森さんは読者が読後感などをブログなどに書くのは意味がないと言っています
それはただ本を読んだよとお知らせしているのにすぎないからと
すくなくともぼくについてはそれはあたっていません

ぼくはいま三つの分野のブログを書いています
藁細工、竹細工、茅葺きという手仕事についての覚書が「藁竹茅」です
自分が行った山旅や自転車旅についての記録が「人力遊山記」です
そして暮らしのなかでの印象的な出来事のメモが「一入亭日乗」です
これらのブログの主目的は忘れっぽいぼくが後々参照するためです

読んだ本については「一入亭日乗」に書いています
ぼくが本を読むのは読んだことによってすっきりとしたいからです
つまりぼくにとって本とは「読むクスリ」なのです
そのクスリが効いたのかどうかブログに書いているといったらいいでしょう

本に書いてあることが自分の人生経験にてらして納得できれば気分がいいのです
読んでそういう気分になれなければその本(クスリ)は効かなかったということです

それをブログに載せて白日の下にさらす必要があるのかと思う人もいるでしょう
ぼくとしては「このクスリは効くよ(または効かないよ)」とお知らせしたいのです

さてこの本についてです
「一日に一時間の読書の時間があるなら、同じくらいの時間を、本探しにかけても良いだろう」
同じくらいとは言わずとも、四分の一くらいの時間はかけもいいかもしれない
ほとんど本探しをしていないぼくはもっと充実した読書人生を送れるはずですから


2025年2月12日水曜日

森博嗣 孤独の価値

「孤独とは楽しさを失う感覚だと述べたのは、結局は、失うというその変化が、寂しいと感じさせる根源となっている、ということであり、逆に言えば、楽しさは、苦しさや寂しさを失った時に感じるもの、ということになる」

このように森さんは言っているけれど、世間的には孤独はマイナスなものと意識されている
その一方で、

「孤独とは今や「自由」の象徴でもある」

それは、

「一人でひっそりと生きて行きたい人も、それができるようになった」

からなのです
それどころか、

「ときどき孤独になった方が健康的だし、思考や行動も軽やかになる」
「楽しさに飢えた状態が「孤独」なのだから、そこから「楽しさ」を求める生産的で上向きな力が湧き上がってくるのも、自然の摂理なのである」

その生産的で上向きな力を何に使うのが人生にとって好ましいのでしょうか?

創作という行為が楽しいものであるとわたしは実感しています
そこで好きなことをするのが「孤独」の活用になります

「自由というのは、自分が思い描いたものを目指すこと、その夢を実現すること」

「この情報過多の現代では、孤独指向の生き方をしないと、自分を保てない人が増えてくるだろう」




2025年2月6日木曜日

年収300万円時代を生き抜く経済学 森永卓郎

森永卓郎さんが先月28日に亡くなりました
彼がむかし予想していた日本の将来は現実にどうなったのか知りたくなりました
それで2003年に出版されたこの本を読んでみました

わたしの感覚としてはいまは年収300万円時代であると思います
なので彼の言っていたことは正しい

読んで気がついたことがいくつかありました

森永さんは森博嗣さんと同じ1957年に生まれだということです
ちなみに私もそのあたりに生まれました

そして共に著作によって多額の印税収入があったということ
自分が欲しいものを果てしなく買い集めるマニアであることも共通してます

全く違うのが二人のライフスタイルです

森永さんはマスコミに出ることを厭わなかった
亡くなる前日まで電話でラジオ番組に出演したそうです
いっぽうで森さんはほとんどマスコミに登場しません
どこに住んでいるのかもわからない

ライフスタイルは対照的ですがめざすべき老後については似かよっています
ここがこの二人とわたしの意見が一致するところです
それは自由な時間を余裕を持って楽しめる生活です