研修名:1992年度早稲田大学職員海外研修(プログラムⅡ)
研修期間:1992年3月~1993年3月
研修先:ポートランド州立大学(アメリカ合衆国オレゴン州)
研修目的:アメリカの大学院修士課程の「高等教育の運営」プログラムに入学し、高等教育機関としての早稲田大学の運営に有益な種々の知識や手法について、体系的な教育・訓練を受けること。
まえがき
80年代の経済成長と、90年代の円高の進行という追い風を受けて、もはや留学はエリート学生の野心を満足させるだけでなく、一般的に学生生活を充実させるための手段として考えられるようになってきました。とはいっても、社会人、ことに組織に属して働いている人々にとって、向学心を満たすために留学するのは依然として容易なことではありません。留学どころか、国内で就業時間後に専門的な勉強をしようと意を決したとしても、そのような人々に門戸を開いている大学院すら、まだまだ数少ないのが実情です。働きながら、さらに勉学しようという強い意志を持つ人々は、最近の激しい世の中の移り変わりに後押しされて、今後さらに増大すると予測されます。このような時代に、幸運にも1年間の海外留学の機会に恵まれたわたしは、一体何を学んできたのでしょうか。それは大きく分けて2つあると思います。
学んだことの第1は、「大学が変わるためには、まず何が変わる必要があるのか」、自分なりに追及の糸口を探り当てたことです。新制大学発足以来、日本の大学は大学紛争という事件を経験したにもかかわらず、18歳人口の着実な増加と、日本経済の高度成長という二重の僥倖のもとで、基本的に運営の構造を変えることなく発展をつづけました。しかし、これから21世紀に向けて、大学がこれまでの大学観や経験主義だけに依拠して運営することの限界は明らかです。このような状況下で大学運営に関わるものは、旧来の価値観や常識を批判的に見直して、新たな大学教育と研究のパラダイムを構築する責任があると思います。そのために大学の運営者は、まず自らの組織文化を、改革に対して開かれたものへと再創造することから始めなければならないでしょう。
第2に、思いがけなくも大きかった収穫は、「成人が学ぶことの大切さ」を知ったことです。つまり、成人が学習することの意味を、単に自分の経験だけからでなく、大学院のカリキュラムの中で、理論的かつ実践的に学ぶ機会を持てたことです。このことを前もって学んだからこそ、1年間という長い期間のうち、勉強が順調に行っている時も、そうでない時も、成人として学ぶ自分を、覚めた目で見てこれたのだと思います。この経験はさらに、これから職場でいろいろな人々と接するうえで生きることでしょう。
アメリカに留学して、大学のことを勉強してきたので、全体として報告書中「アメリカでは・・・」というような例の引き方が多くなりました。もとよりアメリカの大学の有り様も、世界的に見れば、ひとつの国の例でしかありえません。日本の大学のためには、日本の政治・社会・経済・文化の構造に適した運営方法が追及されて当然です。そしてこの追求のためには、まず日本の大学の現状を、世界の大学と比較して相対化し、日本の大学に求められているのが何であるか知る必要があると思います。この報告書における「アメリカでは・・・」的な例は、このような意図のもとに引用したものです。
この報告書の形式を、以下の3部構成にしました。
「第Ⅰ部、大学院留学へのみちのり」では、なぜわたしが大学自体について学んでみようと思い始め、実際に大学院留学へと至ったか、その経過が述べられています。これは今回の海外研修に出発するまでのことで、本来的にはこの研修報告書には含まれない部分です。敢えてこの時期のことを、研修の段階として報告書に盛り込んだのは、この報告書をまとめ始めたとき、あらためてこの研修が一私立大学職員としてのわたしの成長と、深くかかわっていると痛感したからです。そこで、本番としての研修期間のことだけでなく、助走期間のことにも触れて、前者と後者の脈絡を明らかにしてみたいと思いました。この間のことは、いささか個人的なことにもわたります。本人としてはいささか気恥ずかしく、また読み手の方にとっては、舞台裏を見せられるような気分になる内容だとは思います。しかし、大学職員の研修が持つ意味を考えるひとつのケースとして、敢えてご参考に供しようと思いました。
「第Ⅱ部、ペース:わたしが学んだプログラム」では、このプログラムで学ぶ人々や教授団の横顔、授業の様子、そしてカリキュラムの内容など、アメリカの一州立大学の、一大学院の、そのまた一修士課程プログラムの概要を知っていただこうと思いました。この研修を通じてのわたしの体験は、「アメリカ大学院留学体験」として普遍化できるほどの内容はないかも知れません。しかし、初めて海外に留学し、大学院で勉強してみたわたしにとっては、驚き、戸惑い、困難、そして喜びの連続でした。今後アメリカの大学院へ留学しようと思っている方のために、わたしが履修した「ペース」というプログラムのあらましと、1年間の勉学を果たすうえで起こった出来事のいくつかをまとめてみました。
「第Ⅲ部、大学院留学で学んだこと」は、自分が真に学びえたと思えることの中から、日本の大学や生涯教育にとって示唆に富むと思われるテーマを8つ選び、できる限りの説明、紹介、注釈、さらには意見表明を試みたものです。もとより1年間という短い期間では浅学の謗りは免れず、識者の方々にとっては論理のほころびが目につくことと思います。しかし、日本にはいまだ設置されていない「大学教育や継続教育の運営に携わる者のためのプログラム」で学んできたことの中身を、皆さんになるべく具体的の報告するのがこの報告書の最大の目的と思い、非才を省みず書き連ねてみたものです。
最後にこの報告書をまとめるにあたり、ワープロ編集については早大国際部職員の久保田学さん、校正については東大総合文化研究科学生の川村陶子さんのご協力をいただきました。ここに感謝の意を表したいと思います。
第Ⅰ部 大学院留学へのみちのり
この章では、わたしがなぜ職員海外研修プログラムに応募して、高等教育について学んでみようと思ったのか、また大学院入学にいたるまでどんなステップを踏んだのか、を述べます。
わたしにとって、1988年に社会科学部事務所から国際部事務所に異動したことは、刺激的な経験でした。それは、良くても悪くてもきわめて早稲田的な学部教育の現場から、アメリカのカレッジの匂いのするミクロ・コスモスへと飛び込んだショックでした。このショックに揉まれ、試行錯誤を繰り返しながら、次第に大学院留学という夢が膨らんできたことを思うと、この時期を抜きにしてはわたしの留学体験を十分には語れません。そこで、いささか周到なプロローグになりますが、社会科学部事務所での経験から話を始めたいと思います。
1 KOKUSAIBU:リトル・アメリカン・カレッジ
社会科学部事務所にいた時期(1984年6月~1988年5月)に、わたしは学部教学事務全般について、様々なことを学びました。
3,000名を越す在学生に対し、事務職員が10名あまりしかいないため、わたしは6年間のうちに入学試験、科目登録、定期試験、入学・卒業処理、学籍移動、成績証明書、奨学金など、早稲田大学の学部教育の枠組みの中で行われている事務仕事について、基本的な知識、経験、そして技能を蓄えることができました。そしてそのときは、ちょうど事務作業を、学部ごとの手作業から、全学的なオンライン・コンピュータ化する時期でもありました。そのため、否応なしに業務の近代化=情報化の波を受け、必要なノウハウを学びました。その経験があったので、その後国際部へ移ってから、国際部の事務を省力化したり、国際部の特色を評価する目を養うことができたのではないかと思います。
後者については、「評価」というより「衝撃」といったほうが適切かもしれません。マスプロ教育という批判をまぬがれない社会科学部の薄い教育サービスと比較して、国際部で行われている、アメリカのリベラル教育1)を範とした、手厚い学生サービスの実態を見た時、わたしは一大学職員として大きな衝撃を受けました。
その衝撃は、次の点に要約できるでしょう。
第1には、ハードとしての勉学施設の違いです。わたし自身が社会科学部の出身で、その貧弱な教育施設とカリキュラムの消化不良を呪いながら卒業していった経験を持っていたので、同じキャンパスの中で、これほどまでに丁重に扱われている、あの頃のわたしと同年代の国際部留学生に、嫉妬を越えた驚きを感じました。具体的には、1クラス平均20名ほどの教室、空調のあるゆったりとした学習図書室、そして学生に対する職員の手厚いサービスぶり等です。勉学以外の面でも、課外活動の実施や、サークルやホームステイ先の紹介など、普通の早稲田の学部学生には羨ましい限りのサービスが用意されていたのです。
第2には、ソフトとしての教学システムです。国際部では早稲田大学の文系各学部で一般的に行われているのとは違った、アメリカのリベラルアーツ・カレッジ流の授業運営をしています。そのいくつかを挙げてみると、つぎのとおりです。
シラバスで各科目の授業運営方針を明示している。
3学期制で、学期毎に科目履修が完結する。
4単位の講義科目は週2回授業を行い、効率のよい学習を目指している。
講師の都合で休講があった場合は、必ず補講をする。
アドバイザーがいて、学習上の相談にのる。
さらに、外国人講師の中には、自主的に学生による授業評価を行っている人がいました。このような違いを目の当たりにして、わたしは早稲田大学の学部教育の在り方について、それまで漠然と感じていた疑問を、かなりはっきりと意識するようになりました。
具体的には、次のような疑問がありました。
なぜ学生は科目登録などの際にたびたび行列して順番を待たなければならないのか。
なぜあれほどつまらない授業が多いのか。
なぜ頻繁に休講があるのか。
なぜ授業は週1回が良いとされているのか。
なぜ大学職員は学生に対して横柄なのか。
なぜこのような状況が連綿と続いてきたのか。
これらの果てしない「なぜ」にいらだち、早稲田よ変われと心のなかで祈ってみても、もちろんどうにもなりません。そうかといって、では、「どうやってこの状況を打破できるのか?」などと考えはじめると、空恐ろしく不可解な問題に思えてきて、決まって「自分の手には負えない」という結論になってしまうのでした。
2 ミッドウェストからの飛躍
このような限りない問題意識と、それをクリヤできない無力感の堂々巡りを繰り返していたわたしにとって、1990年夏にアメリカ中西部に出張した3週間は、またとない飛躍の機会になりました。いま思えば、国際部の協定校であるアイオワ州のコー・カレッジに、交換留学生のオリエンテーション・プログラム視察の目的で滞在し、また他の協定校を6大学を訪問したことは、早稲田の学部教育をめぐる「なぜ」に、自分が納得のいく答えを求める旅の第1歩になったのだと思います。
この機会に早稲田の現役学生と席を同じくして、アメリカの高等教育システムで学習するための手ほどきを受け、また国際部とは比較にならない規模で展開されているアメリカ高等教育の現場を直視してきた経験は、時宜を得た貴重な物でした。というのも、この経験を基礎に、大学職員としての専門性の向上と自分自身の知的な成長は、自分にとって不可欠である、という確信が徐々に芽生えてきたからです。
すでに30代半ばに至っていましたが、大学職員として学部教育にまつわるもろもろの「なぜ」の解消に役立つような勉強を、この際徹底的にやってみようと思い、1990年秋に職員海外研修プログラムに応募することを決心しました。
すでにTOEFL2)の応募基準点はクリヤしていましたが、肝心の研修テーマについては、なかなかはっきりとしたアイディアは浮かんできませんでした。
1990年夏の出張で、協定校の留学生担当責任者に会った際に、インターンで受け入れてもらうことのOKをいくつか取り付けていました。そして、研修中にインターンとして留学生の世話を経験すれば、いい勉強になるのではないかと漠然と考えていました。
3 大学運営スタッフのための大学院プログラム
気力にあふれる反面、アイディアに乏しかったこの時期に、職場の上司から、アメリカの大学おける「大学運営スタッフの養成」プログラムの存在を知らされました。
このプログラムの第1の目的は、「高等教育の学理追求ではなく、高等教育機関の管理・運営担当者、および高等教育行政担当者を体系的に養成することにある」3)と知り、即座にこれはすばらしいプログラムだと思いました。ところがこのプログラムは大学院レベルのプログラムだと知って、戸惑いました。この時点では、自分が大学院に留学することなどは考えてもみなかったからです。
その時は何を不安の種にしてよいのか分からないほど、アメリカはおろか日本の大学院制度についてさえ知識がなかったのです。知識がないにしても、そこで開講されている授業科目を見れば、大学運営に携わる者に直接的に関係があることはわかります。これらの科目を学んでみることが、これまで大学制度についての「なぜ」を積み上げてきた自分にとって、解決への糸口が見つけられるのではないかと、非常に魅力的に見えました。
また、主にアメリカの学部学生を受け入れている国際部で働く職員として、かの地で自ら学生を経験する絶好の機会であることには違いありません。そのうえで「修士号」という学位が1年間で取れるのであれば、大学職員の研修としてトライしてみる意義が十分にあると思いました。
「大学運営スタッフの養成」プログラムが、これまで自分が蓄えてきた「仕事からはなれて思い切り勉強してみたい」とか、「日本の大学教育にまつわるさまざまな疑問の解消に役立つ勉強をしたい」という欲求に応えてくれるのは確かなようでした。しかし、アメリカの大学院で修士号を取ることが自分に可能だろうか、まして1年間という期限付きで、それはどれほど現実的なのだろうか、留学中家族はどうしたらいいのか、と疑問や不安が後から後から湧き出してきました。けれども、ここはじくじく考えていてもしかたがない。「予想される困難が大きいほど、ことさらに楽観的に振舞う」といういつもの自分のスタンスで、、大学院留学というハードルも越えてみようと決心したのです。
こうして幸い研修目標がはっきりしたので、後は前進あるのみと、研修応募のための準備に取りかかりました。
まず、日米教育委員会4)の情報サービスを利用して、この種のプログラムがアメリカのどの大学院に置かれているか調べました。すると、驚くほど多くの大学に設置されていることが分りました。その約60の大学の中から、大学の所在地、規模、評判などを考慮してさらに20校ほどに絞り込み、入学要項を請求しました。また、プログラムの内容が特に充実している10校には、1年間で修士号が取れる可能性があるか問い合わせしました。すると、「もちろんあなたの学力によるが、1年間で修士課程を終えることは不可能ではない」という、嬉しい返事もありました。
さらに、大学院留学事情に詳しい人々にアドバイスを受けました。それによれば、修士号を1年間で取得するには、次の点を調べ、勉学の負担をなるべく軽くしたほうが良い、ということでした。
1.学部課程での取得単位が留学先大学の修了要件に組み入れられるか
2.実習生制度を使って科目履修の負担を軽減できるか
3.執筆に時間のかかる修士論文に代えて、修士総合試験を選択できるか
これらに加えて、わたしは次のポイントも考慮して、行先の大学を選ぼうと思いました。
学期制が科目選択の幅が広く、やり直しのきくクォーター制か5)
クォーター制の場合、春学期(3月下旬開講)入学が認められるか
大学に知己がいて、家族と不安なく暮らせるか
勉強の息抜きができる場所、わたしの場合は山が近くにあるか
このように大学の選択基準を決めはしましたが、短時日で具体的に選び出すのは予想外に難しいことでした。そこで、とりあえずある大学に入学した場合の研修計画を立案し、1年間で修士号が取得可能であるとして応募しました。この計画が人事部に認められ、研修に行けることが知らされたのは、1991年の2月でした。
4 大学院留学志願から入学まで
ともかく海外研修には行けることになったので、1992年3月から留学する予定で、本格的に準備を開始しました。
大学院留学の志願に関わる情報を得るために、再度日米教育委員会へ行き、自分が希望する大学院の入学に必要なTOEFLとGRE6)、のスコアや、志願の動機や目的を明らかにするためのエッセイを書く上での注意点について、アドバイスを受けました。TOEFLはなんとかなりそうでしたが、GREはアメリカの大学院志願学生も共通に受験する試験なので、数学を除いては、設問の読み取りならびに解答共に、非英語圏出身者にはとても難しい試験であると感じ、特別講習に通うなどして準備しました。
1991年秋にエッセイや推薦状など、志願に必要な書類を準備して、デンバー大学、オレゴン大学、オレゴンのポートランド州立大学、シアトルのワシントン大学の4校に願書を送りました。国際部の業務繁忙期である秋を避けて、春学期の入学を希望したのですが、それがイレギュラーだったせいか、どの大学からもなかなか返事がきませんでした。
1992年の年が明けてから、各大学に審査を急ぐよう催促をしたところ、オレゴン大学とポートランド州立大学から合格の通知が届きました。ワシントン大学からは、春学期は学生を受け入れられないので、秋学期の入学を考えてみてください、という返事でした。デンバー大学からは、既に送ってあるにもかかわらず、TOEFLとGREのスコアカードを送れ、という論外の状況でした。
わたしは、オレゴン大学とポートランド州立大学のどちらかへ行くことになりました。考えた結果、自分の選択基準に最も合い、先方のプログラム担当者が受け入れに熱心で、周囲の人々も勧めるポートランド州立大学へ行くことに決めました。
第Ⅱ部 ペース:わたしが学んだプログラム
この章では、ポートランド州立大学1)の教育大学院のEPFA2)という学科に設置されているPACE(ペース)という修士課程プログラムの設置科目や教授法、またそこに所属する学生や教授陣の横顔などについて述べたいと思います。
1 PACEとは何か
ペース3)とは、わたしが学んだプログラムの名称で、Postsecondary, Adult, and Continuing Education(中等後、成人および継続教育)の略語です。このプログラムでは、ポートランド周辺地域4)にある4年制大学、コミュニティーカレッジ、病院、民間企業、ボランティア団体など様々な機関で、教育指導を行う立場にある人たちに、そのために必要な知識と技能を与えることを目的としています。
日本ではPostsecondary(中等後)という言葉はあまり耳にしません。しかしアメリカでは、非常に多様化した中等教育以後の段階を、課程終了時に学位を付与するいわゆる高等教育を含めて総称するために「中等後教育」5)という表現をよく使います。
また、このプログラムの名称を敢えて歩調や足並みという意味のペースにこじつけたのは、成人が学ぶ際にはペースよく学び続けることが重要であるという信念からだ、と聞きました。
わたしは、今回留学する以前は成人教育にはほとんど関心がなく、ひたすら高等教育機関の運営について勉強したいと思っていました。しかし、学校法人早稲田大学は、学部大学院といった高等教育部門だけでなく、生涯学習機関であるエクステンションセンターや、中等後教育をになう専門学校や、中等教育機関までも含む多様な教育サービスの提供機関なのです。それは言い換えれば「中等後、成人および継続教育」を行う機関そのものなのです。こんなマッチングの良さもあって、ペース・プログラムがわたしに期待した以上の成果をもたらしてくれたことは幸運でした。
このプログラムで修士号を得るには、履修規則に従って15科目(後述)、45単位を履修し、そのGPA6)が3.0以上で、かつ修士論文の審査か修士総合試験のどちらかに合格することが必要です。また、英語を母国語としない学生は、改めて英語能力試験7)を受ける必要があります。8)
わたしが履修したのは以下の15科目です。
1992年春学期
Adult and Continuing Education 成人および継続教育
The Community College コミュニティー・カレッジ
Philosophy of Education 教育哲学
1992年夏季講習
Principles of Educational Research & Data Analysis
教育調査とデータ分析
EduCational Organization & Administration
教育組織と運営
Human Relations in Educational organization
教育組織における人間関係
Modern Japan 1850-Present
近代日本1850年から現代
1992年秋学期
Practicum/ Postsecondary 中等後教育実習
Adult Development 成人の発達
Contemporary Issues in Postsecondary Education
中等後教育の現代的課題
Program Evaluation プログラム評価
1993年冬学期
Practicum/ Postsecondary 中等後教育実習
Planning & Budgeting in Postsecondary Education
中等後教育の計画と財政
Postsecondary Curriculum
中等後教育カリキュラム
Cultural Pluralism and Urban Education
文化多元論と都市教育
これらの科目を履修するにつれ、わたしは次第に自分の目が見開かれていくのを実感しました。それは、留学の目標に掲げていた「高等教育の運営」のみならず、「成人の発達」という、自らの現在に直接かかわったことを学問として学ぶ喜びでした。ペースにおける学習体験により、日本の学部教育についての疑問に対する解決の糸口のみならず、そのような疑問を不可避的にいだく成人という存在の特質についても、多くを学ぶことができたのです。
わたしは、このような学習体験の成果が、一体どのような要因によってもたらされたのかについて興味を持ちました。そこで、留学も最終段階となった1993年冬学期に、「中等後教育カリキュラム」という授業科目の課題論文として、自分が学んだペース・プログラムについて考察してみました。以下の考察はその論文からの抜粋です。9)
学習者の準備
ペースのクラスでは、わたしは日本からの留学生としていつも際立った少数派でしたが、他の学生と1つの特徴を共有していたと思います。それは、「豊富な経験、貧しい理論」(Experience rich, theory poor)ということでした。10)
わたしを例にあげれば、10年以上早稲田大学の職員として働いていながら、往々にして非論理的な日本の大学の教育システムに、理論的に反駁できるような知識も身につけずにきてしまったのです。ペースのクラスメートは、バックグラウンドの違いはあっても、この類のネガティブな自己評価を共有していました。このような負の側面は、一方でペースで勉強を始める動機にもなっていたのです。わたしたちは、目まぐるしく変化する世界の中で生き抜こうとする成人であり、また、「中等後、成人および継続教育」という共通の分野で、この変化に対応していこうとする同志である、という決意をわかちあっていたのです。
学習動機
ペースの学生たちは、自分の専門分野を攻究しようという、学習動機のしっかりした成人であるように見受けられました。このような彼らは、クラスでの討論、グループ・ワーク、課題発表を通じてさらに一層動機づけられ、猛烈に勉強を開始するようになるのです。成人は、学習の主題が自分の職業や生活に密接に関連していればいるほど、自らを積極的に学習へと駆り立てるものである、と思いました。
教授法の妥当性
経験学習法11)は、成人学生にとって決定的に重要です。しかし、中には少数ですが伝統的な教授法に固執するあまり、学習者を啓発することに失敗しているインストラクターもいました。成人学生は、当然ながら、成人の学習上の特徴を踏まえた教授法によって教育されるべきなのです。12)
また、学期の途中で学生からインストラクターへフィードバックする機会は、学生が何を学びたいかをインストラクターが知って、学習活動を活発化させるのに効果的でした。
学習支援環境
わたしは、英語を使って学習することにたびたび困難を感じましたが、多くの人たちにいろいろと助けられ、なんとか課程をこなすことができました。
読書感想文やジャーナルをインストラクターに提出すると、コメントが付けて戻してくれました。そのコメントにより、学習への興味がさらに触発されましたし、学期の途中で自分の学習の進め方を、科目の目的から外れないように軌道修正することができました。
何人かのクラスメートは、教室の内外を問わずに、機会あるごとにわたしの学習を支えてくれました。例えば、気後れしているわたしを積極的にグループ・ワークの輪の中に引き込んでくれたり、難解な講義のノートを貸してくれたりしました。また、クラスの中でわたしだけが理解できず笑えなかったインストラクターのジョークを、授業後にこっそり教えてくれました。
大学の留学生サービスセンターが提供している「English in Action」というプログラムにも、大変助けられました。このプログラムで退職した英語の教授を紹介してもらい、論文作成のチューターとして、1年間懇切丁寧に指導していただきました。他にも、我が家の3才の息子と友達になれる家族や、わたしが気晴らしに山登りやスキーをするパートナーさえ紹介してくれたのです。
もしこのような多くの人たちの力添えがなかったら、わたしは学業面でも生活の面でも大変な困難に突き当たったことでしょう。
リスク/チャレンジ/意志
わたしがペースで学んでいる時、大きく分けて2つのチャレンジがあったと思います。
1つは、異文化の中で留学生として勉強をスタートすることでした。
わたしは今回留学するまで、長期間外国で暮らした経験がありませんでした。そこで、わたしは家族ともども新しい土地での生活に慣れるために、はじめ相当の時間とエネルギーをつぎ込みました。それは大変なことで、勉強にも悪影響があるのではと恐れました。しかし、生活に慣れ、勉強を進めていくにつれ、異文化の中で勉強するのは良い面もあると思うようになりました。日本とアメリカの文化は対照的な側面があるので、それぞれの国の高等教育も、比較することによって理解が深まることに気がついたのです。
2番目のチャレンジは、1年間の留学の半ばを過ぎた秋学期にありました。わたしは、自分の能力を超えた多くのコースワークに圧倒されたのです。1週間に数百ページ分の課題図書、それを読みましたという証拠として提出する感想文、それに加えて自らの課題プロジェクトのための資料集めやインタビューなど、これらを満足いくようにこなすには時間がいくらでも必要でした。さらに悪い事には、論文を見てくれるチューターが出張のため長いこと不在で、論文の提出期限にチェックが間に合わないことが続きました。
このようにすべてが思うように進まず、胃が痛くなり、無力感に苛まれる日が続きました。こんな時どうやって自分を鼓舞したらよいのか、皆目わかりませんでした。
もしわたしが自ら進んでペースで学ぶことを志していなかったら、この時わたしは何かの理由を探して勉強を止めていたかもしれません。チャレンジを克服し、勉強を継続できたのは、留学の目標としたことをあくまで追い求める意志があったからだと思います。
期待とカリキュラム
ペースの案内書で、カリキュラムの意図するところは明確であり、また各科目のシラバスによって、学生はインストラクターが何を期待しているか、はっきりと知ることができます。
統合
ペースでの1年間の学習で、1万ページ以上の課題図書を読み、1回2時間30分の授業に約200回出席し、総計400ページ以上の論文を提出しました。これに加えて、多くの時間を課題発表のための資料集めやインタビューなどに費やしました。
これらの学習活動は、ばらばらに存在していたのではなく、ひとつの基本的な学習サイクルを繰り返すことで統合されていました。そのサイクルは、週単位でつぎのことを繰り返すのです。
あるテーマについて、課題図書を大量に読む。
その読書をもとに自分の問題意識を明確にする。
自分の考えを小論文にまとめる。
クラスに参加してインストラクターの話を聞く。
クラス全体で話し合う。
問題解決のヒントをえる。
ほとんどのインストラクターが忠実に用いていたこの学習サイクルは、わたしの学習促進に大きな効果をあげました。この学習サイクルが円滑に機能した場合は、わたしは学ぶことに困難を感じないばかりか、楽しむことさえできました。逆に機能しなかった場合は、わたしは自分の学ぶ能力の低さを思い知らされました。
2 たくさんのジュリアたち
わたしはポートランド州立大学での最初の授業クラスで受けたショックを忘れることができません。クラスメートの年齢、性別、人種が、自分が無意識にもっていたアメリカの大学院生のイメージと全くかけ離れていることが意外だったのです。
そのクラスの小さな教室には、2名の教員を含めて12名の立派な成人がいました。わたしともうひとりの中年男性を除けば、ほとんどが30歳から40歳代の白人女性で、留学生はわたしだけでした。
わたしは最初のクラスに出席する前は、どんな学生がいるだろうかと興味津々でした。わたしの頭の中には、無意識のうちに、研究者養成機関としての大学院に学ぶ学生の年齢や性別が前提としてありました。つまり、日本の大学の文系修士課程の学生の一般的なイメージは、年齢は23、4歳で研究職を目指す生真面目な男性たち、というところでしょうか。
ところがアメリカには、日本と随分違った、成人教育あるいは生涯教育の場としての大学院があったのです。さらにわたしは、自分の級友となる人々の職業、学歴、就学動機の多様さに驚きました。そして、どうしたんだろうこのクラスは、と落ち着かない気分になりました。しかし、それからしばらくして、講義や、書物や、新聞・テレビなどのメディアを通じて、クラスメートの多様性はわたしのクラスに限ったことでなく、アメリカの高等教育全般に共通する動向であることを知りました。「パートタイム、成人、女性」がアメリカにおける学生動向のキーワードだったのです。
秋学期の「中等後教育の現代的課題」のクラスで一緒なったジュリアは、そんな学生の典型ではなかったかと思います。彼女は40代後半の白人で、ひとり娘は大学に入ったばかり。それによって自分の自由になる時間が増えたこと、それまで勤めてきた建設会社の社内教育担当者としてのキャリアに磨きをかけたいという希望、さらに生来学ぶことが好きという性格もあいまって、ペース・プログラムに入学したのでした。
ペースの授業は、ほかの成人向けプログラム同様に、昼間働いている人たちが出席しやすいように午後4時以降から授業が始まり、最も遅い授業が終わるのは午後9時20分です。多くの人は、1日働いた後、相応にくたびれて学校にたどりつくという状況です。いきおい、学生の集中力が途切れないように、インストラクターは一方的にはしゃべらず、オーバーヘッドプロジェクターやビデオを使ったり、グループ討論や意見発表をさせて、クラスを活性化させるようにしていました。このことは効果をあげていたと思います。
日本でも中高年齢層の人たち、ことに多数の女性が生涯学習の機会を求めて、大学の公開講座やカルチャーセンターなどの講座につめかけています。しかし、まだ学部や大学院の学位を授与するレベルでは、これらの女性を質量ともに満足させられるプログラムは存在しないようです。
わたしはたくさんのジュリアたちと1年間学び、彼女たちの勉学動機が多くの場合自分の職業的な専門性を高めることにあることを知り、日米の大学院の生涯学習機能の違いを見せつけられた思いがしました。
3 メアリーとダグとは博士諸氏のことなり
大学院留学のいいところは、外国語に浸りつつ自分の関心ある領域の勉強ができるところにありますが、異文化を実体験できることも忘れてはならない利点でしょう。しかしこのどちらも時として少々の苦痛を伴うものです。たとえば異文化の面では人の名前の呼びかたやあいさつのしかたで、意外な苦労しました。
わたしは早稲田の国際部では、日本人の教員はもちろん、アメリカから来た教員でも、彼らをファースト・ネームで呼んだことはありませんでした。日本人であれば「XX先生」、外国人であれば「プロフェッサーXXXX」と呼ぶのが、一般的であると思います。
ところが、ポートランドに来てみて、そのような呼びかたは堅苦しく、カジュアルなコミュニケーションを快とする人々には、むしろ不適切である場合があることに気がつきました。そこで、最初は随分抵抗感がありましたが、わたしを「ケイゾウ」と呼んでくれる人々のことを、なるべくファースト・ネームで呼ぶようにしました。
ペースでわたしのアカデミック・アドバイザーになってくれた、メァリー・キニック先生はペース・プログラムのコーディネーターで、1992年の秋からはEPFAの学科主任になりました。コロラド大学ボルダー校でPh.Dを取得して、中等後教育のためのプログラム評価を専門にしている、パワフルで、早口で、頭の回転の速い人です。ここに学んでいる間、たびたび勉学上の相談にのってもらいました。12年ぶりに学問の世界にカムバックしたわたしが、1年間の勉強をやりとげられたのは、この人がわたしの学習計画を学科秘書と練り上げ、わたしに必要なアドバイスをしてくれたからだと思っています。この人のことを「メアリー」と呼び捨てするには6ケ月かかりました。
ペース・プログラムは、主にこのキニック先生とダグ・ロバートソン先生によって運営されています。ダグは長身で肩まで伸びた長髪と逞しい顎髭をたくわえた、40代初めの男性です。「西部開拓史」という映画に、開拓者に先んじて西部で狩猟を生業としていた「マウンテンマン」と呼ばれる人々が登場しますが、この「マウンテンマン」の末蕎かと思わせるような風貌です。
秋学期に彼の担当しているコースを2つ取りました。「成人の発達」と「中等後教育の現代的課題」です。わたしはこれらのコースを取ることによって、成人としての自分の発達と、自分の職業に係わる問題を考えるにあたっての理論的な基礎を与えられたと思います。このことにより、わたしの海外研修が、単に研修目的である高等教育の運営だけでなく、自らの成長の過程として捉えられ、より一層充実しました。彼からは学問的に大きな刺激を受けましたが、親しみやすい人柄と年齢の近さもあって、彼を「ダグ」と呼ぶことにそうためらいはありませんでした。
「メァリー」と「ダグ」を始めとするファースト・ネームで呼べる博士諸氏から、日本の高等教育についてのみならず.大学戦員としての自分自身について考える視座を与えられたことが、この海外研修の最大の成果だったと思います。
第Ⅲ部、大学院留学で学んだこと
わたしは、ペース・プログラムで修士号を取得するために、1年間に45単位、つまり15科目を履修しました。この学習体験を通じて、短い期間にアメリカの中等後教育と継続教育について多くのことを学ぶことができました。そこでわたしの海外研修の成果として、学んだことの中から、日本の高等教育に係わりの深いテーマを取り上げ、報告します。
1 ペダゴジーからアンドラゴジーへ(科目名:「成人および継続教育」)
大学を卒業してから12年間経過したのち、久方ぶりに学位をめざす学生となったわたしは、入学当初随分緊張していました。あの緊張は、いま思い返せぱ、アメリカの大学院の勉強はきっときついだろうとか、英語を使いこなせるだろうか、という不安だけから生じたものではありませんでした。
改めて学生になることの不安は、単に海外留学とは不可分の異文化体験や外国語の使用という、留学にまつわる事象だけかち生じたわけではない気がしました。それは主として、自分の早稲田大学の学生時代、あるいはもっと遡って高校生、中学生、小学生だった頃にしばしば味わった、日本の学校で授業を受ける時の苦痛を、それ相応の杜会経験を積んだこの期に及んで、また味わうのだろうか、というおそれに起因していたと思います。
たとえば、教え手から学び手への一方通行の退屈な講義。たとえば、教師の質問に正しく答えられないと集団の中で恥をかかされるシステム。このような日本の教育の否定的側面に伴う学び手の苦痛を、わたしはひとりの成人として反射的に忌避していたのでしょう。
そして、大学院留学という機会をみつけて再び学びはじめたわたしは、遅まきながら成人には、高校や大学などの学齢期の青年に対象する教授法(ベダゴジー:Pedagogy)とはべつの、成人のための教授法(アンドラゴジー:Andragogy)が存在することを、この「成人および継続教育」の科目を通じて知ったのです。
ペダゴジーは通常の学校教育の段階で用いられますが、それを終えた後での学習機会、例えば企業研修の中でも往々にして安易に用いられています。わたしが出来合いの企業研修をつまらないと感じる場合は、研修の講師がペダゴジーによりかかってクラスを進めようとしているケースが多かったように思われました。
ペダゴジーはより良い学習環境を形成するために用いられるもので、その対象は本来的には20才前後までの伝統的な就学年齢の人々です。一方で、成人向けの教授法は長い間開発されませんでした。しかし、1970年代以降の成人学習者の爆発的な増加は、必然的に成人の教育にふさわしい教授法のありかたを模索させることになったのです。アメリカの大学で成人教育に心血を注いできたノールズは、成人が効果的に学習できる教授法について研究し、その成果をベダゴジーをもじったアンドラゴジーという造語を使って公にしました。1)
ペダゴジーの語源はギリシャ語で「子供たちを導く方法」という意味ですから、この教授法はもともと子供達のためにありました。ですから、その方法をそのまま成人に当てはめるのには無理があり、もしそうすれば成人は学ぶことに困難を感じることになるのです。
このような前提のもとにノールズが考え出したのが「成人を導く方法」という意味のアンドラゴジーの概念で、ノールズはペダゴジーとアンドラゴジーの違いを次のように対比させています。
学習者の概念
ペダゴジー:学習者は従属的立場である。教師は何を、いつ、どのように学習するか、また、学習されたかどうかを全て決定することを社会から期待されている。
アンドラゴジー:人は成長の過程において、従属傾向から次第に自立傾向を強めていくのが一般的であるが、その程度は人によって、また、人生の局面によって異なる。教師は学習者の自立傾向を促進させる責任がある。成人はおしなべて自分の将来を自分で決定したいという心理的欲求を持っているが、ある特別な、限られた状況では依存的になることがある。
学習者の経験
ペダゴジー:学習者が学習の場に持ち込む自らの経験はそれほど重視されない。学習者が最も多くを学ぶのは、教師や、教科書の著者や、視聴覚教材の製作者や、その他の専門家からである。結果として教育の基本的な技術は講義や、課題図書や、視聴覚機材を利用しての発表の技術ということになる。
アンドラゴジー:人は成長し発達するにつれ、自分にも、他の人々にも学習のために有益な資源となる経験を積み重ねていく。さらに、人々は消極的に学んだことよりも、経験から学んだことにより一層の価値を見いだす。結果として、重要な教育的技術は実習や実験、討議、問題解決、疑似体験、現場体験などになる。
学習の準傭
ベダゴジー:学習者は、彼らにかかるプレッシャー(例えば失敗の恐怖)が十分強ければ、杜会や、ことに学校が学べということは全て学ぶ。大抵の人々は同年令の人と同じことを学ぶ準備ができている。そこで、学習はかなり標準的なカリキュラムで、すべての人がついていけるステップ・バイ・ステップの構成になる。
アンドラゴジー:人は現実の課題や問題によりよく対処をするために、学習する必要があるのだと感じたとき、学習の準備ができたことになる。教育者は彼らが「何を学びたいか」を探り出す手助けとなるような、環境を作り出し、必要な技術や手順を教える責任がある。そして、学習プログラムは、学習者がどの分野の学習を欲しているか、また学習の準備がどの程度できているか、を見極めて組み立てられなければならない。
学習の方向
ペダゴジー:学習者は教育を、ほとんどが知っておくと後で有益であるような教科内容を把握するプロセスである、と理解している。したがって、カリキュラムは教科単位に、教科の論理にそって、例えば歴史は古代から近代へ、数学や科学はシンプルなものからより複雑なものへ、というように組み立てられる。学習者は、教科を中心にすえて学習する。
アンドラゴジー:学習者は教育を、自分の能力を最大限に高めるうえで必要なプロセスであると理解する。彼らは明日をより良く生きられるようなあらゆる知識や技法を、ただちに身につけようと欲している。したがって、学習経験は学習者がどのような能力を高めたいか、によって組み立てられなければならない。学習者は、パフォーマンスを中心にすえて学習する。
ノールズは、成人教育を成功させるために、つぎの点に考慮してプログラムを作成することを薦めています。
1.成人学習が広まるような環境づくり
2.立案段階から参加できる組織づくり
3.学習欲求の診断
4.興味ある学習目的の設定
5.学習諸活動のデザイン
6.学習諸活動の実施
7.学習欲求の再診断(評価)
このように成人教育のプログラムを立案・実行する必要があるというのは、なによりこの教育サービスの受手は、従来の伝統的な年令の学生とは違った人々であり、その人々の学習行動の特性に理解がなければ、成人の学習はうまくいかないからなのです。
ノールズがアメリカの高等教育の現場での経験をふまえて創出したアンドラゴジーの概念は、一成人としてのわたしにとって重要なものでした。成人学習者として久しぶりに学習環境の中に身を置いたわたしが、過度に緊張せず、自分の問題意識を中心にすえた勉強できたのは、まずアンドラゴジーの理論を知って安心し、また、ノールズの方法論に共感する教師たちによって、自分の学習課程を見守ってもらえたからだと思うのです。
2 教育のニーズが意味するところ(科目名:「教育哲学」)
第1部で述べたとおり、わたしは海外研修の目的を絞りこんでいく過程で、アメリカの大学院に大学運営のためのノウハウを研究する修士および博士課程があることを知らされ、喜び勇んでそこに入学しようとしました。ところで、もし同様のプログラムが日本に存在していたら、どうだったでしょうか。やはり、それに興味をひかれたことだろうと思います。しかし、現実には日本の大学院には、大学をその運営の側面から研究する課程は存在しないのです。現在アメリカには3,543校もの高等教育機関がありますから、その運営に携わる人の数も膨大で、そのための大学院課程が存在するのもうなずけます。2)
しかし、日本にも大学・短期大学・高専あわせて1,176校も存在しながら、どうしてその大学院には大学運営を研究する課程は存在しないのでしょうか。3)
実はこれと似たりよったりの状況は、単にわたしが興味を持った大学の運営といった分野に限らず、多くの実践的な学問分野について共通しているのではないかと思うのです。日本の大学院では依然として学理追求型の課程が支配的なのです。このような日米の違いは、一体どこから生じるものなのでしょうか。わたしは一因として、「教育のニーズ」の捕らえかたに、日米の大学において隔たりがあるのではないかと思うのです。「教育のニーズ」の意味するところが、日米の大学ではそれぞれ違うといったら言い過ぎでしょうか。
日本の大学関係者の間では、18才人口の急減期を境に、「学生のニーズ」を尊重することが大切であると言われはじめ、消費者の満足(Customer′s、Satisfaction)という言葉が注目されだしました。「学生のニーズ」を尊重するということ自体については、日本の高等教育界においても、60年代から70年代にかけての学生運動の高揚期以降に盛んに論議されました。当時の記録は刊行された時期が伏せてあれば、現在においても十分通用する内容を持ったものだと思います。4)それは逆にいえば、大学が20年このかた教育研究の制度に根本的な変革を加えてこなかった、つまり「学生のニーズ」に応えるのを苦手にしてきた、という証明ではないかと思います。しかし一体このような文脈で使われる「学生のニーズ」とは、なにを意味しているのでしょうか。「学生のニーズ」すなわち「教育のニーズ」ということなのでしょうか。
わたしは、日本の大学では大学運営の勉強はできないという事実を知った後、なぜそうなのか疑問に思っていました。留学してジョン・デューイの流れを汲むアメリカの「教育哲学」を学ぶ中で、このことが「教育のニーズ」の把握の仕方と強い係わりがあるのではないか、と思い至りました。それまで漠然と考えていた「教育のニーズ」、あるいは「学生のニーズ」という言葉が、「教育哲学」を学ぶ中ではっきりと定義されたので、自分の疑問が解け始めたのです。
図1は、ハムが学生の欲求・興味・ニーズと学枚教育がどのような係わりにあるかを示したものです。5)
学生の
欲求・興味(A)
教育(C)
教育の
ニーズ(B)
図1学生の欲求・興味と教育のニーズ
まず注目しなければならないのは、学生の欲求・興味(A)がすなわち教育のニーズ(B)ではないということです。なぜなら、学生が欲求・興昧を持つことの全てがその学生にとって真に必要なものであるとはいえないからです。これは学生自らが主張しているニーズ、つまり「学生のニーズ」というべきでしょう。
つぎに考慮しなければならないのは、学校教育は学生が学ぶべき総体のうち、きわめて眼られた部分についてだけしか貢献できないという事実です。なぜなら学校が教育サービスとして提供できる範囲は財政的な制約を受けますし、提供できる教育サービスの中には、学校の教育的使命に照らしてふさわしくないことが含まれているからです。
このように考えると、学校が教育サービスとして提供するのは、学生にとって必要であるという考えられる全ての教育のニーズのうち、学校が自らの教育使命の遂行のために必要であると判断し、かつ実行が可能な教育(C)だけなのです。
このように教育のニーズを考えてくると、わたしが持ち続けた疑問、すなわち「日本の大学院には、なぜ大学自体の運営を研究する課程が無いのか?」、にはっきりと答えられるのです。つまり、日本の大学院は、大学の運営を研究する課程を設置することが必要だと考えてこなかったし、また学生の側からすれば大学運営の研究には興味が無かった、ということの現れなのです。
「教育のニーズ」ついて学んだことによって、わたしの疑問は解けました。しかし誰にとっても重要な「教育のニーズ」に係わる問題は未解決のままです。それは、日本の大学はどのようにして「教育のニーズ」に見合うよう自己改革を遂げていくか、ということです。今日明らかなように、大学をとりまく状況は根本的に変わってきているので、大学はこれに対応していくことを求められています。「教育のニーズ」が時代と共に大きくシフトしているからです。そして、現在の事態は、新制大学発足から今日にいたる大学運営の経験の累積だけでは乗り切れない、非常に困難なものでしょう。
理性の府としての大学は、まず自らの組織体の運営を自らの使命に叶うよう行い、能動的・自発的な教育と研究の共同体として、社会的な責任を積極的に果せる機能を持つ必要があると思います。そのためにすべての大学人は、「学生のニーズ」を原点としながらも、それにとらわれずに「教育のニーズ」を把握し、個人と社会に有用な真の「教育」ありかたを探りだすことを、緊急の課題としなければならないと思います。
3 ポストセカンダリーという言葉が必要なわけ(科目名:「コミュニティ・カレッジ」)
アメリカの大学院で高等教育の運営について学ぶことを決め、色々な大学の資料を調べていくうちに、同じ大学教育のことをいっていながら高等教育(Higher Education)と中等後教育(Postsecondary Education)という言葉が徽妙に使い分けられていることに気がつきました。日本では中等後教育という言葉が一般的でないので、その意味するところがよくわかりませんでした。ただ、言葉の第一印象だけで比べれば、「高等教育」は文字どおりなにか高等な、高級なことをやるイメージがあり、「中等後教育」のほうはあえて高等教育というタガを取り払った、オープンな姿勢が感じられるのでした。
では本当のところ高等教育と中等後教育の違いは何なのでしょうか。また、なぜアメリカでは中等後教育という言葉が流布したのでしょうか。自分が学んだペース・プログラムも「中等後、成人および継続教育」ということなので、これをいい加減に理解してはおけません。
日本では、18才以降の人々を対象とする教育は、いわゆる高等教育機関としての4年制大学・短大・専門学校などの学校教育と、地方自治体の諸講座やカルチャー・センターなどの成人および生涯教育に、学習者の年令により比較的明確に区分けされています。これとは対照的に、アメリカの18才以降の教育は、とくに1980年代以降、女性の杜会進出、18才人口の減少、成人の再教育機会の増大を引き金として、学習者の年令・教育内容・教育方法などが非常に多様化しました。つまり、それまで学部・大学院はそれぞれ特定の年令層を対象として学位授与を目的とする教育を行ってきましたが、その枠組みが大きな社会変動の波により変化を余儀なくされ、多様化したのです。
アメリカではこのような現状を的確に表現するために、従来の高等教育に加え、より幅広い視野で18才以降の人々の教育を捉えるために、ポストセカンダリーという言葉が多用されるようになってきたのです。
コミュニティ・カレッジは、そのようなアメリカの教育を考えるうえで欠くことのできない存在ですが、このユニークな学校形態にまつわり、ひとつの議論があります。それはコミュニティ・カレッジをいわゆる高等教育の範疇に含めるか否かという議論です。
一方にはコミュニティ・カレッジを4年制大学とは異質であると位置づけ、本来の高等教育ではないと見る向きと、もう一方にはコミュニティ・カレッジは4年制大学と共に高等教育を構成している考える人々がいます。このコミュニティ・カレッジは日本の短大に相当する准学士号を授与する課程を持った学枚ですが、その教育内容の多彩さとアメリカの教育界に占める比重の大きさは、日本における短大のそれからはとても想像できません。
そこで、日米の2年制大学の規模と内容の違いを具体的に比較してみたいと思います。
日本の短期大学 アメリカのコミュニ
ティ・カレッジ
(1993年) (1990年)
学校数 595校 1,211校
学生数 52万人 525万人
学生平均年令 不明 約28才
設置課程 准学士課程 准学士課程
(一部に学士課程あり) 大学進学課程
職業教育
継続教育
識字教育
コミュニティ・カレッジを高等教育の範略に含めるか否かという議論は、アメリカ固有の問題です。ポストセカンダリーという、旧来の高等教育のイメージとは違う、いささか漠とした表現を必要としたのも、アメリカの教育事情からでした。しかし、このアメリカ教育界の経験は、これからの日本の18才以降の人々の教育を考えるうえで、重要な意味を持っていると思います。
日本の大学や大学院は変わらねばならないというのは、今や学内外を問わず、共通の認識になってきています。ではどう変わるべきなのか。そのことを考えるときに、わたしは今までの高等教育ということばが持つ限定されたイメージはマイナス作用があるかもしれない、と思うのです。これからの大学は、学位授与のための教育や先端的な学問研究においても、たとえば文化の多元化、自然環境の悪化、天然資源の枯渇、食料不足などの世界大の今日的問題を念頭におき、それらの課題の克服にどのように貢献できるか、によってその存在意義が認められることになるでしょう。このような、これまで人類が経験したことのない状況に対応できる教育や研究の枠組みを、従来と同じ高等教育ということばで言い表わすのは、無理があるのではないかと思うのです。
中等後教育という言葉は、これからの教育を考えるとき、時代と共に流動する教育の枠組みをより的確に表現していると思います。なにか高踏的な響きのある高等教育よりも、中等後教育の言葉の目線の低さと奥行きに、より確かな時代の要請を感じるのです。
4 大学組織の文化なるもの(科目名:「教育組織と運営」)
今回大学院留学に応募するに際して、自分が一体何を学びたいのか、いろいろ考えてみました。そのうえでの結論は、やはり早稲田大学の運営はどうあるべきか、日本とアメリカの大学の運営方法の違いを知ることを通じて考えてみたい、ということでした。こう考えるにいたった1つのヒントは、日本のいくつかのわたし大における制度改革です。
慶応大学の湘南キャンパスの斬新なカリキュラムや亜細亜大学の入試改革は、日本のわたし立大学の経営のありかたに大きな刺激をもたらしたと思います。これらの試みは、18才人口の先細りや、惰報化、国際化、および環境保護教育の必要性増大などの現状認識のうえにたって行われました。ところが、それと同じことが他の大学ですぐできるか、例えば早稲田ではどうかと考えると、どうにも簡単にできそうには思われませんでした。早稲田大学に専任職員として10数年係わった経験に照らしてみても、何をどうすれば画期的な教育・研究が具現するのか、皆目検討がつかなかったというのが正直なところです。
もし、早稲田大学の運営に直接携わる人々が「アメリカ流の大学運営の手法を取り入れよう」と正面きって言ったとしたら、大学内に大変な抵抗が起こるでしょう。別にアメリカ流に限らず、中国流であれ、インド流であれ、アラビア流であれ、何でも大学の現状を変更することについては多大な困難が予想され、問題解決の入り口にすらたどりつかず混沌を極めるだろう、というのがわたしの考えつく展開なのでした。
こう考えると、早稲田大学における教育や研究をより良いものにしていく上での最重要課題は、まず大学組織の運営はどうあるべきかについて、わたしたちが納得できる理念を形成していくことではないか、としきりに思えてくるのでした。
国際部で目の当たりにしたシラバス、リーディング・アサインメント、授業評価などのアメリカ流の授業運営方法は、それを望ましいものとして永年研究・開発してきた歴史の産物です。このような営為を支えてきたアメリカの大学運営の哲学は、日本の大学のそれときっと大いに違うのではないか、というのがわたしの注目した点でした。そこで、まず日米の大学運営の違いを知り、そのうえで日本の大学運営の将来像を描けたらというのが、大学院留学を決心した最大の眼目だったのでした。
「教育組織と運営」という科目の内容は、わたしのこの留学目的とうまく重なり、いくつかのヒントを得ることができました。そこで、ここではその中心となる「大学組織の文化」にどうやって辿りついたかを述べます。
教育組織の現状を分析する理論のひとつとして、オエンズが力場分析(Force Field Analysis)という方法を薦めています。6)この理論によると、組織を突き動かそうとする力(D: Driving、Forces)と、組織の現状を維持しようとする力(R: Restlailing、Forces)が拮抗しているとき組織体に均衡状態が生じます。図2は力場が均衡している状態を示したものです。
R: Restrailing Forces
↓
均衡状態にある組織
↑
D: Driving Forces
図2 力場の均衡
RとDの2つの力が等しい力で相対している場合は、組織は何の変化もみせません。ところが、なんらかの理由でこの力の拮抗が崩れると、再び2つの力が等しくなるまで、組織は変動していきます。このようにして組織は、図3のように、均衡期と変動開始期と変動期を繰り返すと考えられています。
Unfreeze
Freeze
Moving
図3組織のライフサイクルの変化過程
この力場分析理論に従えば、このRとDの2つの力の均衡を破り、意図した方向へと組織を導けば組織は変化する、ということがいえるのです。
以上のことを、現実に即して見てみます。現在、日本の高等教育はかつてなく厳しい環境におかれている、というのは改めて言うまでもないことです。これは高等教育の内外の様々な変化が、高等教育組織に変革を迫るDの力として働いているからです。それらを列挙すれば次のようになるでしょう。
1.18才人口の急減
2.大学設置基準の大綱化
3.わたし学への公費助成の伸び悩み
4.高等教育市場のグローバル化
5.年功序列・終身雇用制の構造的変化
これらの杜会経済的あるいは人口動態学的事象が、新制大学発足以来最大かつ総合的なインパクト、つまりはDの力となって、いままでの日本の大学のありかたに基本的な変更を迫っているとみることができるでしょう。
このような危機的状況にもかかわらず、また大学内部における改革への具体的努力にもかかわらず、大学の自己変革の動きはとても鈍いように見えるので、それに対してさまざまな大学外からの指摘があります。しかし、「変わらない大学」に対するいらだちにも似た感惰は、大学内部にいる変革を望む人ぴとにとっても、共通のことではないかと思います。では、一体どのような要因によって大学改革は妨げられているのでしょうか。これを考えることが、すなわちRの力を考えることになるのです。
このRは、比較的容易に思い当たるものから列記できますが、再びオエンズの組織風土(Organizational Climate)を形成する環境的諸要因について、システマティックに見てみれば図4のようになります。
図4組織風土を形成する環境裏因(図は省略)
オエンズはこれら4つの側面のうちで、組織文化(Organizational Culture)が組織風土に及ぼす影響が最も重いとみています。オエンズが教育機関の組織文化と言った時、それは組織の構成員が普遍的にもつ規範(Norms)・信念(Belief System)・価値観(Values)といった社会心理学的な特性を意味しています。
わたしたちはよく「意識」ということばをあまり吟味しないで使います。たとえば、「大学を改革するには、まずその構成員の意識を変える必要がある」などといいます。このような文脈で用いられる「意識」という言葉は、オエンズの「社会心理学的特性」と同様の語感があるように思えます。
以上のことを前捉とすると、組織の変革が容易に進まないのは、強いRの力として働いている組織文化が組織の中に存奪するから、と仮定できると思います。
このような状況下で組織の変革に取り組むにはどうしたら良いでしょうか。
たとえばDの力を強めて、変革の諸施策を強引に実行してみたとしましょう。それに対抗する大きな抵抗が、Rの力となって発生するでしょう。組織内に修復不可能な軋轢が生じるかも知れません。
このような力まかせの方法をとるよりも、変革の妨げとなっているRの力としての組織文化を見直し、理性的な改革を受け入れやすい組織風土を作り出すことが、大学という知の共同体に相応しい方法であると思います。
それでは、Rの力として大学に君臨するわたし達の組織文化とは、一体どのようなものでしょうか。
国の内外を問わず、日本の大学の組織文化を間接的に描きだすような議論が、研究者の間で行われています。このような譲論は、往々にして日本の高等教育を構成する人々、すなわち教員や学生のネガティブな特性に着目したものです。というのも、日本の教育事惰に通じた海外の研究者にとっては、初等および中等教育に比べて高等教育は日本の教育システムの中で弱い部分である、という認識があるからだと思います。例えば、日本のある大学で研究をしたゾイグナーは、日本の高等教育で最も顕著な問題点を、次のように指摘しています。7)
1.教員・学生双方における、授業の出席を尊重する気持ちの欠如
2.教えることと成績を評価することに対する真勢さの欠如
3.誹誇中傷と党派主義
4.大学の役割が第1義的には人と触れ合う場と認識されていること
外国人研究者からのこのような日本の高等教育批判に対して、日米両国の大学で研究・教育の経験があるシマハラは、ゾイグナーの意見は客観性を欠いている面はあるが、下記の指摘は妥当であると評価しています。8)
1.タテマエとホンネが当然のこととして受け入れられていること
2.学閥主義の蔓延
3.大人数の講義に対する無批判な態度
4.教育・研究の制度が社会的経験として機能していること
5.教授団の2分裂
そして喜多村は、以上2氏が着目した日本の大学における研究・教育の問題とは別に、外国の研究者が日本の大学どんな点に批判的であるかを調査し、次のように発表しています。9)
1.日本の大学教授は自らを教育者よりも研究者であると認識している
2.カリキュラムは組織だっておらず、うまくかみあっていな
い
3.教授法や授業の展開のしかたが画一的で、柔軟性を欠いて
いる
4.スタッフ・ディベロプメント・センターも、カリキュラム
と授業を評価する仕組みもない
以上3氏が明らかにした日本の大学像から、日本の高等教育において特徴的な組織文化が浮かび上がってくるように思われます。その文化をどのように言い表したらよいのか、すぐには思い浮かびませんが、日本の伝統的な価値観と、西洋から移入されてきた大学制度が入り交じってできた、「きわめて日本的なもの」であることには違いありません。
ここのところを正視し、まずわたしたちの組織文化の有り様を把握し、正すべきところは正すことが必要である、とわたしには感じられたのです。それをしなければ組織改革は進まないと恩うからです。
オエンズが教育機関の組織文化と言った時、それは組織の構成員が普遍的にもつ規範・信念・価値観といった社会心理学的な特性を意味していました。そして、その社会心理学的特性が組織に及ぼす影響は、他の側面よりひときわ大きいのです。ですから、わたしたちが大学組織を在るべき姿へと導いていくためには、その構成員の「意識改革」がどうしても必要になってくるはずなのです。しかし、それをどうやって進めていくのか、それは今後のわたしの研究課題として残りました。
「教育組織と運営」について夏期講習で学び、大学組織の文化について考える糸口を与えられたのは大きな収穫でした。自分自身の問題意識に密着し、また海外研修のテーマに係わる研究が、これでできるぞ、という気になりました。しかし、夏期講習は期間が短かったうえに、4科目を登録したので、この科目にだけ時間を充てる訳にもいきませんでした。そこで、残された秋・冬2学期の実習(Practicum)を通じて、さらに大学組織の文化の研究を深めようと思いました。
5 学び人としての成人(科目名:「成人の発達」)
わたしはこれまで、一職員として10数年間早稲田大学で働きながら、大学運営のありかたについて様々な疑問を溜めこんできました。それらの疑問は、関係する人的な広がりからいえば、5万人からの学生・生徒、5千人近い教職員、それに40万人からの校友にあわせ、毎年10数万人単位の受験生という莫大さであり、お金の面からいえば、年間600億円以上の財政規模に係わったことでした。疑問についての答えをみつけ出そうと考えあぐねるたびに、それは早稲田大学という組織の巨大さと複雑さの中に音もなく吸い込まれていってしまうのでした。そして後に残るのは、いつも素手でピラミッドを切り崩そうと臨んでいる、そしてその途方も無い作業を諦めかけている自分なのでした。海外研修の機会に高等教育の運営について学んでみようと思った心理的な背景には、この無力感をなんとかしたい、という気持ちがあったのだと思います。学ぶことを通じて、少なくとも丸腰ではなく何かのエッジを持てるようになれるのではないか、と期待したのです。
アメリカの大学院には、高等教育の運営について研究できる修士あるいは博士課程がある、と職場の上司から知らされたことが、具体的に留学を考えてみるきっかけになりました。この頃わたしは、まだ大学院のプログラムの内容を良く理解しておらず、自分の研修目的は大学の運営について学ぶことである、とシンプルに考えていました。ところが実際にペースのプログラムで中等後教育と成人教育について学び始めると、思いもしなかったことに対して自分の目が開かれていくのがわかりました。それは、大学院で学ぶ自分自身の姿を、あたかもひとつの成人学習者のモデルのように、よそながらに見る発見だったのです。
「成人の発達」の科目を通じて、「なぜ成人は再び学び始めようと決心するのか?」「学習者としての成人の特徴は何か?」「成人が学びやすい環境とは?」などについて学習していくと、海外研修で大学院に学ぼうと決め、いま現に学んでいる自分の姿が二重写しになり、教えられたことのいちいちに納得がいったのです。こうして勉強を始めるまでは、あれこれと思い悩み、自分自身との格闘を繰り返してきましたが、ここにきて「成人の発達」という科目を履修することにより、そのタネあかしをされてみると、長年わだかまっていた胸のつかえが降りていく気分でした。
結局のところ、この科目は、第1に学ぶ成人としての自分自身を理解することに大いに役立ったのでした。しかし、ここで学んだことは、同時にわたしと同じ悩みを抱えている多くの成人の方々にも、きっと何かの足しになると思うようになりました。そこで、「成人の発達」の学習を通じて、たびたび溜飲をさげたこと中から1例をご紹介し、自分が感じた学ぶことの楽しさを少しでもお伝えできればと思います。
秋学期の初日に、講師はこの「成人の発達」というコースの目的と、講師が受講者に期待することをシラバスに添って説明した後、学生全員に各人の学習スタイルを判定するための検査をしました。この学習スタイル判定は、コルブが、成人が自らの学習スタイルを知ることにより、効果的な学習ができるよう開発したものです。10)
この15分程で終わる簡単な検査を受け、判定結果により受講者の学習スタイルは次の4つに分類されます。
具体的経験型(Concrete Experience)
ことにこだわった考えを持たず、起こっている事象の中に飛び込んで、自ら体験することを好む。
熟考的観察型(Reflective Observation)
事象のあらゆる細部について様々な角度から考察し、起こったことの密接な関係全てを検証することを好む。
抽象概念化型(Abstract Conceptualization)
ある事象について、関係する重要な要因を見きわめ、理論や仮説を導き出すためにそれらの要因を関係づけることを好む。
活動的実験型(Active Experimentation)
目的を持ち、計画を立てて、物事をより良くより簡単に、また実験が必要なことを行うのを好む。
もちろん成人の多様な学習スタイルがキッチリこれらの4種類に分類されるはずはなく、たいていは4種類のうち、いずれかひとつかふたつの傾向が強いと判定される程度です。しかし、その程度の判定で十分なのです。なぜなら、この検査の目的は、ある成人の学習スタイルが何なのか、突き詰めて決定することではなく、それぞれの成人が自分の学習スタイルの傾向を予め知り、それを学習目的を効果的に達成するための手段として上手に使うことにあるからです。
では、自分の学習スタイルを知って、実際どのように学習に役立てるのでしょうか。まず図5を見てください。これはコルブの考えた成人の経験的学習、(Experiential Learning)のモデルです。
図5成人の経験的学習モデル(図は省略)
ここには同心円上に4つの学習スタイルが、時計の回転方向に順に配置されています。この4つの学習スタイルは、上に述べたコルブの学習スタイル判定試験において用いられているスタイル名と同様ですが、この図では、それぞれのスタイルが学習のステップとして考えられています。このステップを時計回りに辿り、自分の好きな学習スタイルにこだわらずに、それぞれのステップにおいて必要な作業を着実にこなすことによって、成人に効果的な経験的学習が成し遂げられる、とコルブは考えています。
このことを、各ステップを辿りながら見てみましょう。
成人の学習は、多く12時の位置にある具体的経験から始まります。成人は実社会で職業経験を積み重ねていく上で、様々な解決すべき課題に直面します。これらの課題の中には、自分の経験や日常的な努力でもって解決できるものと、なにか自分の想像を越えていて一朝一夕では解決し難いものがあります。忙しくて経済的に余裕がないのが常である現代社会の成人にとって、職業上の困難な課題について、熟虜再考することはできても、その根本的な解決に向けて新たな行動を開始するのは容易なことではないのです。
そこでまず、学習者は自らの具体的経験を整理・考察し、問題意識を明らかにします。そのうえで指導者は、この問題の解決への手助けになる研究の枠組みを示唆し、問題とする分野の研究に役立つ図書を大量に指示します。学習者はこれらを読み進めると同時に、指導者が決めた時期に、個々の読書について自分の問題意識に照らし合わせて、何を感じそして学んだかを小論文としてまとめ、指導者に提出します。この作業の後、自分と同じ問題意識を持つ人々と、自分の信じるところ、疑問とするところについて徹底的に議論します。
これらの作業をしていくうちに、学習者の脳裏に、自分の抱えている問題が何を原因として生じているか、という因果関係が次第に明らかになり、概念の抽象化ができていきます。
そして、最後にはこのような問題を解決するためには実際にどのような方法をとったらよいかの計画に移り、その計画を実行してみて自らの仮説の正当性を立証する、具体的実験を行うことになります。
この一連の学習過程を経ることによって、職業人としての成人が往々にして陥りがちな「豊富な経験、貧しい理論」という状況が克服されていくのです。
このような経験学習の機会に恵まれない場合はどうなるのでしょうか。成人は往々にして、自分が好む学習スタイルを頼りにして、自分の職業上の困難を解決しようと奮闘してみるのです。しかし、そのような学習では、学習過程が効果的に完結しないために、徹底的な問題解決に至ることができず、結局職業人としての成人の悩みは晴れることがないのです。
なにが問題なのでしょうか。
ひとつには、成人が持つ時間や財力の欠乏があります。また、たとえ時間や金があったとしても、成人を問題解決へと導きうる教育課程が現代社会において量的・質的に不足している、という現実があります。
もしこのような状況が改善されたら、つまり、ある成人が抱えている問題を解決する手助けとなる教育課程が存在し、実際にその課程にそって学習できるという条件が手に入ったとしたら、どうなるでしょうか。成人は自分の課題を解決するべく、猛然と学習過程を完結する努力を惜しまないはずなのです。なぜならそのことにより、成人は自らを専門的な職業人として認めるに足る知識と技能を持ち、問題解決へと突き進む力を内在化することになるからなのです。
成人の場合、学習に対する意欲は、理解しがたい困難を納得いくよう把握し、問題解決へ一歩でも近づこうとする、切実な動機に裏打ちされています。ですから、成人教育の指導者は、学習者を動機づけることにあまり苦労しません。彼らの主たる役割は、たとえばコルプがモデル化したような、成人にふさわしい学習過程を完結できる条件を整えることにあるのです。
6 学生中心の大学へ向けて(科目名:「中等後教育の現代的課題」)
以下は、「中等後教育の現代的課題」の学期末レポートとして提出した論文の一部を、原文に忠実に翻訳したものです。
日本の学校教育法が、大学の基本的性格を「教育と研究」のための機関と定義しているにもかかわらず、依然として多くの大学教授は大学をまず「研究」のための機関であると信じています。研究の重要性が第一義的に強調され、教育は第二義的に考えられています。学生は日本の高等教育機関の中心にはいないのです。しかし、このような状況は日本の高等教育に限ったことではありません。ボイヤーは同種の問題をアメリカの高等教育の中に見いだしています。11)
20世紀末にさしかかり、日本の高等教育はいくつかの重大な課題に直面しています。それらの課題の中では、次の5点がとりわけ重要であると思います。
1.学生人口の変化
2.伝統的雇用関係の構造的変化
3.政府の高等教育援助の停滞
4.高等教育の国際化
5.大学設置基準の大綱化
このような日本の高等教育を取り巻く環境の変化は、これを前向きに受け取れぱ高等教育システムを改善する原動力になります。とりわけ、大学はこれまでの教員中心の組織から、学生中心の組織へと脱皮することが求められてきており、この時期に学生をめぐる今日的課題、とりわけ学生人口の動態と予測、学生と教員の関係、教授法、カリキュラム、学生サービス、などの実態を検証することが基本的に重要になってきています。
そこで以上の5点のうち、特に学生人口の変化について考察してみたいと思います。
日本の高等教育は、1992年から21世紀にかけて重大な学生人口の変化に直面します。この期間に、一般的な大学入学層である18才人口が205万人から151万人へと25パーセントも減少します。これに加えて、日本では今後高齢者が急速に増加します。65才以上の人々が総人口に占める割合は、1990年代にアメリカを追越し、2010年には総人口の20パーセントにもなる見通しです。これらのことは、近い将来日本の高等教育において、成人教育が重要な部分になることを意味しています。
さらに、日本の高等教育に重大な影響を及ぼす学生人口の変化のひとつとして、留学生の増加が挙げられます。日本政府は、日本の大学・大学院等に在籍する留学生の数を2000年までに10万人とする目標をたてています。これまで日本の大学が諸外国、とりわけ欧米の大学に比べて限られた数の留学生しか受け入れてこなかったことを考えると、留学生の急激な増加は大学に大きな影響をもたらすでしょう。多くの留学生がよりよいキャンパス生活を送れるように、日本の大学は早急に制度を改善していく必要にせまられています。
このような学生人口の変化に対処するために、日本の大学で教育サービスを提供する立場にある人々は、来るべき学生人口の変化についての精確な惰報を持ち、その重大性を認識し、そのうえで大学を改革するための具体的な行動をとる必要があります。大学がこのような努力を怠れば、自らの職業に有用な学問を欲している人々にとって、もはや大学は価値が無く、また社会改良にも資することができない組織、と見なされるでしょう。
では、日本に先んじて18才人口の減少を経験したアメリカの大学は、どのようにして学生人口の変化という危機を乗り切ったのでしょうか。1970年代においてアメリカの人口動態研究学者は、1980年代には18才人口の減少につれて大学進学者の数も少なくなるだろうと予測していました。ところが、1980年代に18才人口が激減したにもかかわらず、大学進学者の数は僅かながら増加したのです。なぜでしょうか。それは、1980年代に冬の時代が来ると予期されたとき、アメリカの諸大学は生き残りを賭けて学生人口の変化に対応する諸策を講じたのです。たとえば、プログラムの多様化、学生募集・選考方法の改善、留学生の積極的受け入れなどが、多くの大学で行われました。そのことにより、大学の進学率が向上したとともに、減少を補完する以下の学生集団の数的な増加を見ました。
1. 成人学生
2. パートタイム学生
3. 女子学生
4. わたし学および営利を目的とする大学に所属する学生
5. 大学院生
6. マイノリティ学生
7. 留学生
アメリカの大学における学生人口の変化について学んだ中で、ことに興味ぶかい点が2点ありました。
1つは、レビンが紹介している「長期的にみれば、大学進学率は18才人口の変化と逆比例した」という日米の研究者の見解でした。つまり、アメリカでは18才人口が減少するにつれ大学進学率は増加したという事実があるのです。12)しかし、わたしはこれと同様の現象が、日本で1992年以降向こう8年間で25パーセントという学生数の激減を補完するような規模で起こるとは思えません。それほどの大学進学率の増加はとても望み得ないと思います。ということは、日本の大学は規模縮小を避けて通れない、ということです。
もう1点は、アメリカの大学に学ぶ学生集団の多様さです。1980年代の18才人口の減少を補完する役割を果たしたのは、日本の大学では依然として少数派学生として扱われている学生層の圧倒的な増加でした。これによって、多くのアメリカの大学は「冬の時代」を乗り越えたのです。
これらの知識をもとに日本の大学の学生集団の今後を予測してみると、これからの大学をとりまく厳しい状況が浮かび上がってきます。
成人学生:日本の大学の学位取得課程に学ぶ成人の数は、特別な知識を必要とする入学試験と社会人にとって魅力的な教育課程の不足のために、学部・大学院学生全体の数からするとまだまだ少数派です。
パートタイム学生:このカテゴリーの学生には、日本の大学ではいわゆる聴講生や研修生として非常に限られた資格しか与えられていません。一方アメリカの大学では働きながら幾つかのコースを履修し、長い期間在籍して学士号や修士号を取得する学生が多数存在します。
女子学生:急増した成人パートタイム学生の多くが女性であるというのがアメリカの大学の大きな特徴ですが、日本の大学のプログラムは果たして働く女性にとって魅力的でしょうか。大学院生:日本の大学院の多くは依然として大学の教員と研究者の養成を主たる目的としており、学生数と教育課程の多様さにおいてアメリカと大きな隔たりがあります。
マイノリティ学生:日本の大学ではアイヌやいわゆる「在日」の人々が該当すると思いますが、日本の総人口に占める割合の少なさから見て、これらの学生の数が日本の大学で大きな部分を占めることにはならないでしょう。
このような状況から判断すると、アメリカでおこった18才人口減少の補完的作用は、日本の高等教育機関全体が、多大な大学改革の努力を払わない限り起こりえないと思います。そして日本の大学人がこの実質的な努力を怠たれば、大学は最早個人にとっても社会にとっても無用の長物となり、没落していくことになるのでしょう。
7 大学のライトサイジング(科目名:「中等後教育の計画と財政」)
アメリカの大学運営に携わる人たちは、1980年代に大汗をかかされました。経済不況・18才人口の急減という大学経営にとっての逆風のみならず、成人女性のパートタイム学生・マイノリティ学生の増加への対処という重い課題を負わされて、大学改革に取り組まねばならなかったからです。
しかし、あらゆる運営環境の変化を予測し、それを自分たちの大学にとっての追い風として利用しようという「アカデミック・ストラテジー」(Academic Strategy)の考え方に立てば、この苦難の時代こそ、意欲ある大学運営者にとって、大学に溜っている積年の課題を解決する好機でもあったのです。13)そして、これらの重い課題を解決するには、大学の適正規模化(Right Sizing)は避けて通れないものとなり、多くの大学で実際に行われたのです。
1980年代以降、ことに財政が危機的状況になった州立大学では、大学運営のための予算を総額で1年間10%、2年間で20%削減するという、このごろの日本の大学でもちょっと例を見ないほどの経費削減の嵐が吹き荒れました。そして現在もその状況は基本的に変わっていません。この予算規模の縮小に対し、標的となった大学は人件費とそれ以外の経費を合わせ、1年目に10%、2年目に20%削減するという明確なかたちで応えることを求められました。例えば、1000人の教職員がいて人件費が総予算の60%、その他の経費が40%という割合になっている大学で、2年後に10%の予算削減をすることになったとします。すると大学の運営者は教職員を6%つまり60名減らし、その他の経費を4%減らして、合計10%の予算削減を達成するという目標が設定され、この目標にどれだけ上手く到達できたかによってその経営手腕が問われたのです。
極くかいつまんで言えば、以上のようにして多くのアメリカの大学で規模の適正化が行われました。1990年代に入る頃から、日本の高等教育界において18才人口の激減とともに「大学冬の時代」がやってくると、文部省や高等教育の専門家が警鐘を鳴らしました。たしかに学齢人口の急激な減少は、わたし学経営を悪化させる大きな要因になり得るでしょう。しかし、当面18才人口の減少により受験生にとっては入学競争が緩和され、大学を選択できる自由度が高くなるという良い点もあるわけで、受験生が減少することをまず嘆き悲しみ、そして恐れるという論調は、この現象の暗い側面を強調しすぎではないかと思います。
これからの困難な時代に、日本の高等教育を運営するうえで、アメリカの経験は示唆に富んでいるとわたしは考えます。というのも、この章の冒頭に述べたとおり、今後日本ではアメリカの1980年代同様に学生人口が急減し、大学はこの動向に適切に対処しなければならないからです。このような時代においては、社会や個人にとって有用であるとみなされない大学は、その存在意義を失うことは明らかです。ある大学がどのような教育・研究活動を理想とし、それを活発に展開するには何が必要か、とりわけどの位の規模でその活動を行うのが適正であるのか、充分に調べ、論議を尽くさなければならないと思います。既存の組織や学生・教職員の現在を固定的にとらえ、そのことには手をつけずに将来の青写真を描こうというのでは、大学の社会的な使命や建学の理想も容易には達成できないでしょう。
ここに大学の適正規模化を、その将来計画の姐上に乗せる積極的意義があると考えます。
8 再び大学組織の文化について(科目名:「中等後教育実習」)
1992年の夏期講習で、教育機関の組織文化について学び、組織の構成員が普遍的にもつ規範・信念・価値観といった社会心理学的な特性が組織に及ぼす影響の大きさを知りました。このような特性をもつ組織を望ましい状態へと変革していくためには、まずその構成員の「意識改革」が不可欠になってくるはずなのです。わたしが改めてこのことを述べなくても、大学改革を大学の外から見つめている人々の共通の認識であることは、たとえばこれにまつわる新聞各社の社説で明らかです。
「大学を変えていくためには、その運営にあたる教員の意議から変わらねぱなるまい。」
(1993年5月24日、朝日新聞)
「(大学の授業を改革するには)教員自身の意識改革と授業方法の工夫が求められる。」
(1993年5月2日、毎日新聞)
「教育にかかわる大学人の意識を根本的に変える必要がある。」
(1993年5月27日、日本経済新聞)
職員として大学の中にいるわたしも、意識改革が必要だという各新聞の指摘の主旨にはうなずけるのです。しかし、上の社説では大学人の「意識」や「意識改革」という言葉が比較的あいまいに用いられ、つぎの点が明らかでありません。
1. 「意識」という言葉が何を意味しているのか
2. どうして「意識改革」が必要なのか
3. どのようにして「意識」を変革することが可能なのか。
わたしは上記の新聞各紙の論調を、留学から帰ってから知りましたが、わたしが大学院留学を通じて学ぼうとしたことは、これらの問いに答えを見つけ出そうとする試みだったのだ、と妙に納得したのでした。というのも、この「意識」ということばが、大学の組織文化と密接に係わっていると感じたからです。では、大学構成員の「意識」が何を意味し、なぜそれを「改革」する必要があり、そしてどのようにしてそれが可能なのでしょうか。「中等後教育実習」によって、わたしが辿り着いた範囲のことを述べてみたいと思います。
まず「大学人の意識」という言葉は、組織風土に大きな影響をもたらす組織文化の中身であると思います。いいかえれば、この言葉は「大学組織の構成員が普遍的にもつ規範・信念・価値観」と同義に使われていると思います。では、このような規範・信念・価値観のあらわれである組織文化は、どのようにの定義できるのでしょうか。シャインによればつぎのとおりです。14)
「構成員に共有された基本的に事実だと考えられているパターンで、ある集団が外部への適応と内部への統合の問題を解決するうえで学んだものであり、有効であると確信できるほどに良く機能してきたし、それゆえ新しいメンバーにこれらの問題を認識し、考え、感じとる正しい方法として教えられてきた」
この定義をもって、新制大学発足以来約40年の日本のわたし立大学の運営を振りかえったとき、興味深い符合を見出すのです。それはたんてきにいえばつぎのとおりです。
日本の私立大学は、数多くの財政危機や学生運動の荒波に揆まれながらも、基本的には拡大し続けた日本経済と18才人口の着実な増加という経営環境に恵まれ、売り手市場のもとで自らを量的に肥大させてきました。具体的には大規模な入学試験や大人数教室での授業がこれを可能にしました。このような状況下での大学運営とは、どの程度まで大量生産方式の教育とエリート教育、また、見せかけの研究と先端研究、とが共存できるかの実験だったのではないでしょうか。多くの大学運営者が、入試が大学の最重要行事であると表明し、一方で最近にいたるまで授業の質を向上させる積極的な努力をしてこなかったのが、そのあらわれであると思います。今となっては批判にさらされている大学入試や授業運営も、大学人、とりわけ大学運営にあたる人々には、自分達が成し得る最善の方法である、と認識されてきた、つまりシャインのいう「組織文化」の現れとしてあったのではないでしょうか。
このような私立大学の組織文化が、日本経済の失速と18才人口の急減という逆風を受けて、変革を余儀なくされているのが、今日の状況だと思います。つまり、長かった私立大学の拡大期に培われた経験則をもってしては、予期される「大学冬の時代」の困難を乗り切ることができない、という危機感がまずメディアを通して広まり、次にわたし大志願者の着実な減少などにより、大学運営者は冬の到来を現実として受け止めたのです。
以上見てきたことは、日本の私立大学の組織文化に係わる具体的事例ですが、この組織文化は、大学の主たる構成員である教授団、職員、そして学生によって支えられているのです。これらの構成員の中で、とりわけ教授団の「意識」が重要であるのは、彼らが教育・研究の主体であるばかりでなく、しばしば大学の運営においても決定的な役割を果たしているからなのです。ですから、大学改革を志すとき、またその第1段階として大学人の「意識改革」に着手するとき、何にも増して教授団の「組織文化」の有り様が問われなければならないのです。
では、組織文化の「変革」はどのようにして可能なのでしょうか。この点については、実のところわたし自身まだ考えがまとまっていない、というのが正直なところです。そこでここでは、外圧によらない自主的な改革始めるうえで重要ないくつかのアイディァを示し、さらなる研究は今後の自らの課題にしたいと思います。
1.大学運営者はその組織文化に通じ、それを改革することを組織改革の最初の仕事として認識する。15)
2.大学という中世以来の組織形態に固有の、いくつかの組織文化のパターンがあることに注意する。16)
大学の組織文化の改革に着手する。
あとがき
研修の最終日標であった修士号が取得できたことを、ポートランド州立大学の学位授与担当オフィスからの手紙で知ったのは、帰国後の逆カルチャーショックから覚めやらぬ1993年5月初旬のことでした。
アメリカの大学院に留学生として籍を置き、久しぶりに学生として過ごした1年間は、目標とした大学運営職としての専門知識の修得のみならず、留学以前には考えもしなかったわたしという個人の成長にとっても、かけがえのないものだったと確信しています。このことを可能にしてくれた研修プログラムが早稲田大学にあることを誇りに思うと共に、粗忽な一職員であったわたしを、あるいは叱責し、あるいは励まして、わたしが想像だにしなかった大学院留学を実現させてくれた諸先生方、職場の上司、同僚に深く感謝しています。
ただ感謝するのみでは、あまりに芸が無さすぎるとは思いながら、帰国後復帰した職場での業務にとりまぎれて、すでに帰国から1年が経ちました。とりあえずは、この報告書を発表し、大学院留学で何を学んだことを皆さんにお伝えして、恩恵を受けた者の義務の一端を果たせたのではないか、と安堵しています。
留学を始めるまで、わたしは運が良かったのでここまで来れたのだから、これからも運が良ければ大学院の勉強もうまく行くだろうと、比較的呑気に構えていました。留学を開始してから半年がたち、異文化のもとで勉強する難しさが身にしみてきた頃、「成人の発達」で指定された教科書の巻頭に、ひとつの格言を見つけました。1)
「幸運は、準備と機会が出会う十字路である。」
(Luck is a crossroad, where preparation and opportunity meet.)
作者不明のこの格言は、その時のわたしの状況とあいまって、ひとつの波紋を投げかけました。自分はひたすらラッキーであることを願ってきたが、果たしてラッキーでありえるよう十分な準備をしてきただろうか。自分のこれまでの不勉強が悔やまれました。その一方で、この格言に出会えた自分は「幸運」に違いない、と思いました。留学しなければ、この格言にこれほどの感懐を持つことも、おそらく無かったはずだからです。そして、大学職員としてのわたしたちの身の回りには、このような「幸運」を掴める機会がまだまだ少ない、と実感しました。
しかし、これから大学が経験する冬の時代の中で、徐々に知的な旅立ちを自分の職業と結びつけて実行するひとが増えてくるでしょう。そうして、上の格言が多くの大学職員にとって真実となる頃には、大学運営の一翼を担うわたしたち職員の役割も、今とはさらに違ったものになるだろう、という予感がします。
第1部注
1)Liberal Education,アメリカに多く存在する大学学部レベルの普通教育で、人格教育を重視する。
2)TOEFL: Test of English as a Foreign Language,英語圏の大学が留学生の入学要件の、の1環として課している英語能力テスト
3)アメリカの大学における「大学運営スタッフの養成」プログラムについては、つぎの
文献に詳しい解説がある。
岩永雅也,「米大学に見る「運営スタッフの養成」」,IDE 現代の高等教育,
No,289,1988年,
4)日米教育委員会、(JUSEC):、Japan-United States Educational Committee,
日米の学生や研究者の交流に大きな実績を残している非営利団体。
5)アメリカの大学は、それぞれ様々な学期制度を採用しているが、1学年を2学期に分割するセメスター制(Semester System)か、夏期講習を含めて4学期で行うクオーター制(Quarter System)が主流である。
6)Graduate Record Examination,多くのアメリカの大学院に志願する際、受けなければならない学力テスト。一般科目と専門科目に別れている。
第Ⅱ部注
Portland State University,創立1946年。ポートランド市のダウンタウンに位置する都市型大学。学部学生約1万1千人、大学院生約3千5百人、専任教員約5百人。
学生の平均年令は約28才。ビシネス、教育分野の研究が盛ん。早稲田大学と学生交換協定を結んでいるオレゴン州高等教育機構に属している。
Educational Policy, Foundations, and Administrative Studies in Education,
この学科には他の修士課程プログラムとして「幼児教育運営」、「初・中等教育運営】、「スタッフ・ディベロプメント」、「研究と評価」が設置されている。
Postsecondary, Adult and Continuing Education、というのがプログラムの正式名称で、略して「PACE(ペース)」と呼ばれている。
4)ポートランド周辺地域(Portland Metropolitan Area)の人口は約130万人。
5)中等後教育については、「第Ⅲ部、3、ポストセカンダリーという言葉が必要なわけ」を参照。
6)Grade Point Average,取得したすべて科目の学業成績評点の平均値で、アメリカの大学で学業成績を総合的に比較する際によく使われる。ちなみにポートランド州立大学の学業成績評点は、Aが4点、、Bが3点、、Cが2点、、Dが1点、そしてFが0点。
7)試験は外国語学科長との面接で、わたしの場合は15分で終わった。
8)全設置科目と履修要件については付録参照。
9)この考察の枠組みは、この科目を取った学生達自身で作った。
10)つぎの文献から引用した。
Greenberg, E.M. The University Without Walls (UWW1980) Program at Loretto、Heights College: Individualization for Adults. In E.M. Greenberg, K.M. O′Donnell, & W.H. Bergquist (eds.), Educating Learners of All Ages (pp.44-61). New Direction of Higher Education, 29
11)経験学習法(Experiential Learning)については、「第Ⅲ部、5、学び人としての人」を参照。
12)成人のための教授法については、「第Ⅲ部、1、ペダゴジーからアンドラゴジーへ」を参照。
第Ⅲ部注
1)アンドラゴジーについては、つぎの文献に詳述されている。
Knowles, Malcom, S. The Modern Practice of Adult Education: From Pedagogy to Andragogy, The Adult Education Company, 1980.
2)つぎの文献からデータを引用した。
American Council on Education, Division of Policy Analysis and Research. Special Analysis of the Department of Education′s 1989/90 Integrated Postsecondary Education Data System
3)つぎの文献からデータを引用した。
文部省大臣官房調査統計課、学枚基本調査報告、1992年。
4)早稲田大学における学生紛争を契機とする大学改革の議論については、以下の文献に集成されている。
早稲田大学大学問題研究会、早稲田大学大学問題研究会最終報告書、早稲田大学企画
調整部1981年。
Hamm, Cornel M, Philosophical Issues in Education: An Introduction, The Falmer
Press,1989,(pp. 82)
Owens, R. G. Organizational Behavior in Education. A Division of Simon &
Schuster, Inc., 1991, (pp, 231-234)
7)Zeugner, John, F. “The Puzzle of Higher Education in Japan: What Can We Learn from the Japanese?” Change. Volume 16, Number 1, January/February 1984,
8)Shimahara, Nobuo, “The Puzzle of Higher Education: A Response” The Changing FunCtion of Higher Education: Implication for Innovation. 1985.
以上の2文献についてはIDE1現代の高等教育,No. 254に邦訳が載っている。
9)Kitamura, Kazuyuki. “Curriculum Teaching at Japanese Universities: New
ImpliCalions” Current Issues in University Education of Korea and Japan. 1987.
10)経験学習法については、つぎの文献に詳述されている。
Kolb, D. A. Experiential Learning: Experience as the Source of Learning and Development. Prentice-Hall, 1984.
11) Boyer, E. L. College: the Undergraduate Experience in America. Harper & Row, 1987. (pp. 119-139)
12) アメリカの学生人口の動態予測については、つぎの文献に詳しい解説あり。
Levin, A., & Associates. Shaping Higher Education′s Future: Demographic Realities and Opportunities, 1990-2000. Jossey-Bass, 1989.
13) 大学の経営戦略は、つぎの文献に詳しい解説あり。
Keller, G. Academic Strategy. Johns Hopkins Univ. pr., 1983.
14) Schein, E. H. Organizational Culture & Leadership. Jossey-Bass, 1985. (pp.12)
15) カシュナーは次の文献の中で、組織文化はまず組織のリーダーが率先して改革すべきである、と主張している。
Kashner, James, B. “Changing the Corporate Culture” In New Directions for Higher Education. No. 70, Jossey-Bass, 1990.
16) 大学固有の組織文化については、つぎの文献に詳しい解説あり。
Bergquist, W. H. The Four Culture of the Academy. Jossey-Bass, 1992.
あとがき注
Robertson, Douglas L. Self-Directed Growth. Accelerated Development Inc., 1988. (pp. 1)
修士号学位記 |
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