2020年1月2日木曜日

『読書からはじまる』 長田弘


この本で長田さんが書いたこと
読書という「育てる」文化がいまの情報の時代には軽んじられています
世の中には情報の「分ける」文化と読書の「育てる」文化を繋ぐちからがいります
繋ぐちからは「育てる」文化にも「分ける」文化にも必要な「蓄える」文化です
「蓄える」文化がゆたかな社会は底力がつよい
「蓄える」文化を失わせるものは「消費する」だけの文化です
社会を深いところで変えるのは人びとの文化に対する考え方です

あるブログを立ち上げたわけ
わたしはこの一入亭日乗のほかに藁竹茅というブログもやっています
そのブログの目的は藁細工、竹細工、茅葺きの制作工程を記録しておくことです
何かりっぱに聞こえますが、まず忘れっぽい自分自身のためでした

藁細工でもなんでも、わたしは一度つくっただけではつくり方を覚えることができません
それでは作品をもう一度つくることも、人につくり方を教えることもできないのです
ひとつの作品をつくったという経験は、ほっておくとどこかへすぐ消えていってしまいます

世の中には手仕事についての本や資料がたくさんあります
そういうものを参考にして作品をつくることができないわけではありません
げんにそのようにして作品をつくっている人もいるでしょう
わたしから見ればたいへんに根気があり、理解と愛着があり、能力と機会にめぐまれた人です

そのような人はどこにでもいるわけではありませんし、わたしもそのような人ではありません
なので手仕事の手順を写真や動画を入れたブログで遺しておこうと考えました
そのブログによってまず自分が作品を再びつくれ、作品が人の目にふれるようになればいいなと

繋ぐちからとしてのブログ
わたしが藁細工、竹細工、茅葺きをやっている理由はいくつかあります
何かをつくるのが好き、金をかけずに楽しめる、日本の手わざを遺したい、などです

このなかで最後の「日本の手わざを遺したい」というのは中途半端ではできません
好きで楽しむのは自分のことですから問題ありません
ところが「遺す」というのは誰かのためにすることですから自己満足だけではすみません

作品をただ部屋のすみにおいておくだけでは遺したことになりません
作品のうつしさや、手仕事のおもしろさなどは部屋にとどまったままだからです
その作品を日本の手仕事として遺すにはなにか「しかけ」がいります
その「しかけ」としてブログをつかってみました

たとえヘボな作品しかつくれなくてもつくり方の手順はブログに記録できます
そのブログを誰かが見て同じ作品をもっと上手につくってくれるかもしれない
上手にはできなかったとしてもつくる楽しさを感じてくれるかもしれない
あるいはつくったものをじっさいに自分で使ってくれるかもしれない

そのようにして手仕事という文化を繋いでいく力がブログにはあるかもしれない
この本を読んでわたしはそんなことを考えました